銭湯の掟17
今夏の暑さも一段落、シャワーで済ませることが多かった入浴も、湯舟でじっくり・・という季節になってきた。そこで、今回は某銭湯の常連Tさんから聞いた「温泉マーク」が教える入浴の極意をひとつ。
温泉マークは誰でも知っているだろう。そう、湯舟を模したと思われる半円から、湯気らしき波線が3本、ニョロニョロと伸びているアレのことである。私が以前聞いた説では、温泉旅行に行った時には、3回温泉に入るのがよいという意味だった。(食事の前・寝る前・起きてからの3回)しかし、Tさんによると3本の波線にも意味があるという。左右が短く真ん中が長い。それは、湯につかっている時を図形化したもので、最初はほどほどに、次にゆっくりと、最後はさっと、と都合3回に分けて入浴するのがよろしい、ということを表しているんだとか・・・。このようにお湯に入ったり出たりする入浴法は「反復浴」といわれ血行をよくし、新陳代謝を高める効果があることが、医学的にも明らかにされている!と、力説しておられた。
うーむ、なるほど・・・。気付いていなかったが、そういえば私も湯舟に3回入る習慣がある。1回目は体を温めて、汚れを落としやすくするため、2回目は体を洗ってるうちに冷えてくるから、3回目は湯冷め防止に・・。と、もっともらしく書いたが、小さい頃からの習慣である。もちろん、親父ゆずりの。最近は2回目をパスして、サウナへということも多いなぁ。
では、Tさんはというと・・。まず、身体に2,3回お湯をかけ、身体を洗う前に湯舟にザブン!そして、上がってくるかと思えば、脱衣所でタバコを一服。そして、湯舟に戻って、最後のザブン! 3回のザブンで理想的な入浴スタイル。持論をちゃんと実践しておられたTさんであった。銭湯の掟16
何とも今日は、ショックなことがあった。久しぶりにF湯に行こうと、奥方と娘を連れて車を走らせて現地に着くと、何とそこにはF湯の姿はなく、更地が広がっているだけなのだ。・・・・・廃業したのだった。広い脱衣所、熱めのお湯、2Fが風呂というナイスな眺望、相当古かったとはいえ、お気に入りの銭湯だったのに・・。
世の中、銀行や大手ゼネコンでも倒産する時代だから、不景気にはかなわなかったのだろう。家庭風呂やスーパー銭湯におされて、街の小さなお風呂屋さんはどこも経営が苦しいと聞く。銭湯ファンの私にとっても、長年親しんだお風呂が無くなることは、大変悲しいことだ。せめて私だけでも、街の銭湯の灯を消さないためにもお風呂通いを続けたいと思う。銭湯の掟15
今日は「冬至」ということで、もちろん銭湯の「ゆず湯」へ行って来た。しかし、昨今の不景気のせいだろうか(銭湯のおやじがせこいだけなのか)ゆずの量が少なかった!!それも、湯舟に浮かんでいるゆずを手に取り、香りを楽しむことを期待していたのに、あみの袋に申し訳程度にゆずが・・・ どこがゆず湯なんだぁ!と文句の一つも言いたくなってしまった。
私が幼い頃通っていた銭湯は、こうじゃあなかった。ゆず湯の時には湯舟いっぱいとまではいかないが、たくさんのゆずが浮かんでいた。脱衣所の戸を開けただけで、ぷーんとゆずの香りがしたものである。また、5月のじょうぶ湯も楽しみだった。あの爽やかなしょうぶの香りが楽しめると思うだけでわくわくしたものである。
銭湯離れが進んでいるこの時代に、家庭風呂ではできないサービスをしてこそ銭湯だろう!と思うのは私だけではあるまい。銭湯の掟14
最近は、昔から営業している銭湯がだんだん減ってきた。そこに台頭してきたのが郊外型レジャー銭湯である。何種類もの湯舟や広い休憩室・・・。のんびり入浴したい時には何か物足りなく感じてしまうのは、私だけだろうか。何でかな?と、まわりをよーく見てみると、窓がなくて(あっても換気のための高窓)庭の景色が見えないのだ、いや、そもそも庭自体がない!。
私が幼い頃に通っていた銭湯の親父は、実に風流というか、庭の手入れを怠ったことがない人だった。脱衣所の大きな窓の外には寒椿、梅、皐、紫陽花、藤(まだあったが、覚えていない)などが植えてあり、一年中何かの花が咲いている状態だった。そして、窓の庇代わりに、葡萄棚がこしらえてあったのだ。やっぱり、植物が眺められる銭湯は、気分も和むのである。いたずら小僧の私は、もちろんその葡萄を食した。品種は忘れたが、食用ではなかったので、すっぱくて食べられる代物ではなかったことを思い出す。いつもは怖い銭湯の親父も、腹を抱えて笑っていた。今の銭湯じゃ、小さい頃に入ったという思い出が残るんであろうか?銭湯の掟13
最近の銭湯のカランは、混合栓になっているものが多くなってきた。ちょうど良い温度のお湯が一回で出せるのは良いのだが、私 は嫌いだ。何故かというと、体を洗うのと顔を洗うのとでは、使いたいお湯の温度が違うからである。某所では、この混合栓のお湯の温度が高いのである。いくら何でもこの温度で顔を洗わせるのかい!と叫びたいぐらいだ。水でうめたくても、そもそも水栓がないのだからしょうがない。しかたなく、シャワーのお湯を貯めて使ったのだが・・・。それに、湯上がりに水をかぶって体を引き締め、湯冷めしにくくする習慣がある私には、なおさら酷な話である。
使いにくい銭湯として閻魔帳に載ったのは言うまでもない。銭湯の掟12
銭湯が有り難いと思えるのは、やはり冬だろう。そう、暖かいのだ洗い場も脱衣所も。家庭風呂も最近はスチームが出るようになったようで、寒い思いをしなくても入浴できるようになったそうだが、そんな贅沢な装置は私の家の風呂にはついていない。浴槽にお湯が溜まるまで、シャワーを出しっぱなしにして風呂場を暖めるわけだが、いかんせんお湯がもったいない。それに、厳冬期にはさほど意味がないのである。だから冬になると、一番風呂は決まって私が入ることになる。風呂場暖め係というわけだ。こんなふうに感じて いるのは私だけではないようで、この時期になると銭湯の利用客も目に見えて増えるのであった。
閑話休題。年も押し詰まった12月31日に銭湯に行って、1年の垢を流すのが我が家の年越しの行事になっている。と言えば聞こえは良いが、裏を返せばせっかく大掃除できれいなった風呂を汚したくないというのが本音である。これまた、同じ考えの人が多いらしく、毎年12月31日は大掃除で疲れたお父さん方の顔を見ながら銭湯の湯舟に入るのであった。銭湯の掟11
いつもは車にお風呂セットを常備しているのだが、仕事帰りにふと銭湯に寄りたくなった時に限って、お風呂セットが自宅に・・・。ということがよくある。そこで、銭湯で貸しタオル、シャンプーと石鹸、剃刀を購入して入浴となるわけだが、あのミニ石鹸やミニシャンプー、1回分としてはどうしても分量が多くはないだろうか?体の隅から隅まで洗っても、必ず石鹸は残るのだ。シャンプーだって、いつもより贅沢に使ってやっと使い切る分量だ。かといって、残りを持ち帰って次の機会に・・・。なんてことは面倒くさくてやってられない。(もったいないと、お叱りを受けそうだが・・・)
私が小さい頃は、車でちょっと・・なんてことは出来なかった(当たり前か!)ので、ミニ石鹸なんぞ使ったことがなかった。が、剃刀は中学生ぐらいになると使っていた。それも、その辺の鏡の前に落ちているヤツを!当時は、エイズなんて怖い病気もなくてのんびりしていたのだ。ゴミ箱に捨てられているのは、いくらなんでも使う気がしなかったが、洗面に置き去りになっていた剃刀のうち、新しそうなものを選んで使っていた。また、それを探すにもちょっとしたコツがあるのだ。金属製の安〜い(今でも売ってるぞ)一枚刃の剃刀は、ひげの濃い人が使うと1回で切れ味が落ちる。そこで、できるだけ高級品の二枚刃の剃刀を選んで使ったのであった。今じゃ怖くて、人の使った剃刀は絶対使えんな。
話は変わるが、剃刀でちょっと頬なんかを切ったとき、うちの親父が昔、剃刀の刃の包み紙をペタっと張り付けて止血していたのを懐かしく思い出した。銭湯の掟10
最近の銭湯には、サービスで『カルストーン・サウナ』が設置してあるところがある。手軽にサウナを利用できるのは嬉しいのだが、いかんせん狭い。2・3人入ると満員御礼状態である。まあ、サービスだからしょうがないのだが、一番奥に座っていて満員状態になると、出にくくて困る。気持ちが優しい(気が弱いだけかも!)私は、入り口近くのお客さんが出てから、または一緒に出ようとしてしまう。その結果、年に何回か湯あたりして気分が悪くなることがあったりするのであった。
私が小さき頃には、サウナなんて銭湯にはなかった。減量したいときには(そんなことはなかったが...)湯舟のふちに腰掛けて足だけ湯につけて汗を流した。これだと、非常に効率が悪いのだ。近所の柔道部の兄ちゃんがこの方法で減量していたのを見たことがある。しかし、2kg減らすのに2,3時間かかっていた。私と友達は、「走ってやせる方が早いのに。」とさっさと帰宅したことは、言うまでもない。銭湯の掟9
夏も近づき、毎日の汗をさっぱり流したい今日この頃になってきた。そこで、銭湯ですっきり!といきたいものだ。しかし!銭湯の脱衣所に問題があることが多い。なぜなら、私は籐製の敷物が好きなのである。あの冷んやりとした感触が素足に心地よいのだ。難点といえば、濡れたのがなかなか乾かないことか...。しかし、ビニル張りの床よりも何倍も気持ち良いのだ。最近は、籐のムシロを作る業者が少ないせいもあり、大きな籐ムシロが入手困難だとか。そこは、銭湯さんにがんばってほしいものだ。
私の小さい頃通っていた銭湯の脱衣所は、もちろん籐ムシロが敷かれていた。(一部畳だったが)そこにバスタオルを広げて、寝転がって休憩するのが幼い頃の醍醐味だった。その後、コストの面からだろうが、ビニル製のクロスに変わってしまったのが非常に残念で、風呂屋のおじさんに抗議したのを懐かしく思い出した。銭湯の掟8
銭湯での楽しみの一つといえば、何と言っても湯上がりの飲み物である。最近は、麦ジュースなるものが湯上がりには一番だなあと思っているが、車で出かけたときにはそうもいかない。スポーツドリンクなぞで喉を潤しているわけだが、銭湯通としては甚だ遺憾である。
私が子供の頃、フルーツ牛乳という子供にとっては一押しなドリンクがあった。それは、トロピカルな肌色で、パインやオレンジをベースとした甘い飲み物だった。風呂上がりに、これを飲めると思っただけで幸せな気分になったものだ。脱衣所の冷蔵ケースの前に紐で吊ってあるふた開け(針の頭の部分に丸いふた押さえがついたヤツ)で、ピコッとふたを開ける瞬間が好きだった。このころ、テレビでショーケンが牛乳のふたを指で開けるのを見て、カッコイイと感じた私は、そのマネをしてみた。中身が半分以上こぼれ、悔しい思いをしたのであった。それからは、けっしてショーケンのマネをしなかったのは、言うまでもない。銭湯の掟7
最近の学説によると、入浴は体に負担をかけない半身浴がいいそうな。それで、今の銭湯は浅い湯舟が主流なんだな。しかし、あの浅い湯舟..肩までしっかり浸かって温まりたいときにゃ、すっごく都合が悪い。なにせ寝そべる格好でしか入れないんだから。心臓に少しぐらい負担がかかっても私は深い湯舟が好きだ。
私が子供の頃通っていた銭湯は、今と違ってジェットバスでもなけりゃ薬湯もない、深めの浴槽が一つあるだけの非常にシンプルなつくりだった。幼児は親の膝に抱えられて入っていたし、もう少し大きくなると浴槽の立ち上がりの階段に座って入った。幼稚園に通うぐらいになると、立ってちょうどくらい。小学生も中学年になると立て膝にレベルアップした。そして中学生ぐらいになると、やっと座ってゆっくり入浴できるようになったのである。それに、深い浴槽でなけりゃ、潜水ごっこなんかもできんじゃないか!銭湯の掟6
私は、昔ながらの銭湯が好きである。しかし!あの便所だけはどうも苦手だ。特に脱衣所の中にある便所はどうしてあんなに不快なんだろうか?それは、便所スリッパに原因があるのだ。脱衣所の中の便所には、ビニル製の便所スリッパが置いてある。濡れた体のままでもはけるようにという銭湯側の配慮なのだろうが、他人がはいて濡れてしまったやつを使うのほど気持ち悪いことはない。どうにかならんもんかねえ。一方、ロビーにあるトイレ(あえてトイレと書いた。最近はきれいな所も多い)は普通に使えて好感がもてる。
私が子供の頃通っていた銭湯には、何と、便所がなかった。だから、銭湯へ行くときは家で用を済ませてから出向いたのである。ほんの小さな幼児なら、洗い場の一番端っこの排水升のところで用を足たせてお湯を流していたような記憶がある。昔は衛生面だの何だのと、ごちゃごちゃ言わない平和な時代であった。銭湯の掟5
最近の銭湯のシャワーには、家庭風呂のようにホースが付いている所がある。あれは、甚だ困りものだ。家庭風呂じゃないんだから、あれで隣の若い兄ちゃんが体を洗うと、水しぶきがかかってムカッとする。あれは、温泉だけにしといてくれ〜。だから最近は、わざとシャワーのついていない席に座ることもあるのだ。それと、シャワーの水漏れが気になることがないだろうか?きちっと閉めたつもりなのに、ポタポタ水漏れがしていて、ひげ剃りの時にミョーに気が散ったりする。違う席に移ればいいじゃないと思われるだろうが、一度座ったら、移動するのは面倒なのである。銭湯の掟4
最近の銭湯はレジャーランド化して久しいが、あの広いロビーと外側にある番台(今ではフロントか...。)は何とも風情がなさすぎる!しまいにゃ、脱衣所より広いロビーも某所でお目にかかった。なんじゃありゃ!
私が子供の頃通っていた銭湯は、風呂屋のおやじと、ばあちゃんと、おかみさんが交代で番台に座っていた。大体ローテーションが決まっていて、夜の7時頃にちょうどばおかみさんと、ばあちゃんが交代するようだった。そこで、悪知恵の働いた私たちは、風呂代を後払いにして、ばあちゃんが番台に座る頃を見計らって帰る計画を立てた。何回かその方法で風呂代をうかせて喜んでいたのだが、何回目かにバレてしまい、親から大目玉をくらったことがある。そんな楽しみも、今のロビー形式の風呂屋じゃ通用しないな..。(サウナ料金をちょろまかすくらいか!)銭湯の掟3
最近の銭湯の脱衣所は何だか味気ないような気がする。なぜかとよーく観察してみると、脱衣籠がみんなプラスチック製なのである。籐製の籠が当たり前だった私の子供の頃とは大違いだ。ロッカーには大きな木製の鍵(札?)が付いていて、それで湯舟で遊んだものだ。常連さんになると、風呂道具をロッカーの上にキープしておくことができて、タオル一丁で銭湯に来れた。私はその域にまでは達せなかったが、おおいに憧れたものだ。
脱衣所には、古ぼけた火鉢と将棋盤が置かれていた。昼に銭湯に行くと、近所のじいさまがステテコのまま将棋の勝負に真剣になっていた。何せ指すのが速い。一勝負15分くらいで決着が付くのだ。私も小学生の分際で、将棋が好きだったので、果敢に試合を申し込んだのだった。うーむ、懐かしい。今のUFOキャッチャーとテレビゲームの置いてあるロビーとは全然違うなあ。銭湯の掟2
私が小さい頃、銭湯は子供同士の情報交換の場でもあった。湯舟の縁に座って友達と、なんとはない会話で楽しい時間を過ごしていた。駄菓子屋のつまんこ(富山弁で籤のこと)プロ野球のこと、「太陽にほえろ」のこと、釣のこと、好きな女の子のこと、身体の変化(毛が生えたとか..)のことなどなど、思い出しても懐かしい。
そして、記憶に鮮明に残っているのは、番台にある古ぼけたテレビで長嶋の引退セレモニーを近所のおじさんたちとずっと見ていたことである。地方都市のならい通り、まわり中ジャイアンツファンだったのだ。こんな風景は、今の銭湯じゃ見れないな。銭湯の掟
最近の銭湯は、郊外型のレジャーランド風なものが増えてきた。子供たちがゴーグルを付けて泳いだり、ウォータースライダーとやらではしゃいでいる。これじゃあ、銭湯に遊びに行くようなもんだ。
私が小さい頃、通っていた街のお風呂屋さんは、こうじゃあなかった。湯舟に浸かっていると、そこのへんのおやじさんから、声がかかる。
「おい、お前○○の家のあんま(富山弁で、長男の意)やろ。こっち来て、背中流せや。」
顔もよく知らないおじさんの背中を何の疑いもなく、ゴシゴシ洗ったものだ。子供にとっては、お湯の温度の高めで、水でうめようものなら、
「ばかたれ!お湯がぬるくなるやろ!」と怒鳴られた。
そのかわり、体を洗う順序やら銭湯を使うに当たってのマナーなんかは自然と身に付いたものである。最近は、子供がまわりに迷惑をかけるようなマネをしていても誰も注意しようとしないし、(親までもが)会話も少ない。内風呂が当たり前で、銭湯なんかへ来たこともない子供(親もか!)が増えた、そんな時代の流れなのだろうが、ちと寂しさを感じる今日この頃である。