
今朝、家族三人で寛いでいると、突然、勝手口の方から「○○さん、あんた、何してくれるがいね」と大きな声がした。何事、と私が立ち上がろうとすると、母に止められた。通称「Yちゃん」という頭のおかしい人で、そっとして構ってはあかん、と言われる。
だが、放っておくと、Yちゃんは勝手に家の中に上りこんできた。汚れたピンクのTシャツを着て、黒く日焼けした顔に、笑いの欠片もない真剣な表情で語りかける。「あんた、こんなところで何しとるがけ。警察の人にも怒られたやろ。人に迷惑ばっかりかけて。お母さん泣いているぜ。ねえ、お母さんもそう思うでしょ」どうやら自分に言われたことを繰り返しているらしい。
私にも「そうでしょ」と同意を求めてきたので、「はい、わかりました。すぐ帰ります。御迷惑かけました」と相手の立場で言ってみた。すると、帰ります、と席を立った。「ご迷惑かけました。何も言わないで下さい。私が悪いがですから」
おそらく統合失調症なのだ、と思うが、自分と他者との区別がつかなくなると言う、その症状を実感した。Yちゃんは、例えば母親など他者から言われたことを、自分のことと受け止めることができていない。いや、自分に言っているつもりで私たちに話していたのかも知れない。そして、時々正気に戻るのかもしれない。
Yちゃんのその論理さえ、理解できれば、合わせて会話することができるかもしれない。精神病者には精神病者なりに論理的なのであって、それは正常者の論理同様に尊重して対応しなければならない。と書いていたのは、田口ランディの『コンセント』だったろうか。あの小説は、幻覚世界を生きる精神病者と介護者が出会い、理解し、愛し合う物語だった。
今日の午後、流れていたドラマは医療ドラマで、主人公の女医が痴呆症老人について、こう語る。「‥‥この人が何を見ているのか、はわからないけど、この人の萎縮した脳の中で何が起こっているかは、わかる。‥‥どうしてリンゴが赤く見えるか、って不思議に思ったこと、ない? 日光の下でも、暗い部屋の蛍光灯の下でも、同じ赤に見えるでしょう。それって、脳が色を見せていることの証明よ。人間が現実として感じていることの中でも、脳が作り出しているものが多いの。だから、この老人の家族団らんの記憶が、脳神経の具合で動き出したとしても、何の不思議もないわ」
記憶と現実、自己と他者。そんな、あまりに自明な区別が崩壊するのが精神病者だとしても、そんな基本的な知覚の基礎さえも、脳神経の反応に支えられている。脳神経回路が狂えば、誰にでも起こりうること。
だから、だろうか? 精神病者を見るときに感じる怖さは。何をし出すか、わからない、という恐怖ばかりではない。
だけど、脳の一点が狂っていても、他の点では正常者と変わらない機能を保持している。それは、人間らしさ、と言うべきなのだろうか。
「共感覚 もっとも奇妙な知覚世界」(ジョン・ハリソン著)をやっと読了しました。
仕事関係のハウツー本ばかり読んで(読まされて?)いて、本を読むのが嫌いになりかけていたので、読み終わるのに1ヶ月半もかかってしまったよ。
詳細は、<Book Review>か関連する<Synesthesia>のページに近日中に書くつもりですが、感想は、コンパクトな概説書という感じかな。「共感覚」初心者には、いい入門になると思う。
‥‥なんか距離感のあるコメントだなあ。共感覚自体について脳科学の面から研究が進むのはいいことなんですが、私の知りたいこと、求めていることとはなんか違うという感じがする。共感覚と心を動かすものの関連について、自分で書きはじめなくちゃいけないのかな。