A.D. 3001
 
 

     aspect  16

 
 レイカは初対面である所長のその怒りの形相に、ぺちっと額を叩いた。
 所長は、そんなレイカや自分を睨んでいるユウリも無視し、ゆっくり立ち上がる
シオンだけを食い入るように見ている。
 しばらく、奇妙な均衡ともいえる沈黙が流れた。しかし、ついに所長が口を開く。
「素直に戻ってくるとばかり思っていたが、こんな小細工をするとはな・・・」
 肩での息が収まらず、声も上ずっている。だが吸う息に反動を付け、さらに強く
言い放った。
「自分たちの星を、戦争で消滅させちまった奴らの生き残りだけはあるよなぁ!」
 その言葉に、ユウリはシオンを隠すかのように一歩前に踏み出る。
「動くな!」
 銃を構え直す所長。それでもユウリは臆せず、もう一歩踏み出して所長を睨み付
けた。
 レイカはユウリが、所長の言葉に対して当のシオン以上に怒りを覚えたのだと察
した。
「おあいにくー。この計画を立てたのは、あたしたちよ。小細工が得意なあんたと
同じ地球人だからねぇ」
 多少気には障ったが、シオンに関係する人物の調査では浮かんではいなかったレ
イカを、所長はただ一瞥しただけだった。
「ふん・・・。おまえたち、わかってるのか?この状況では不法侵入者として撃た
れても、文句は言えないぞ」
 じりじりと近付きながらの低い声での警告。銃口はユウリに向けられたままだ。
だがユウリは怯む素振りさえ見せない。
「わ、私は本気だぞ。シオン、この女たちを殺されたくなければ、私の元へ戻れ。
このままでは、誰も助からないぞ」
「・・・ユウリさん」
「いいから、シオン。あいつ、指が震えてるわ」
 ユウリの言うとおり、所長は額に脂汗を浮かべ、引き金にかけた指をかすかに震
わせていた。
 レイカもまた、今の段階では、所長の言葉が脅しでしかないように思えた。しか
し、このまま時間の流れに状況を委ねるわけにはいかない。
 内ポケットに忍ばせた銃を取るか取るまいか迷った。下手に動くことによって、
引き金が引かれてしまったら。
 この距離なら、狙いとする所長の手を撃つことはできるだろう。一瞬早いであろ
う所長の最初の一発さえユウリが避けることができたなら、何も問題は無い。
 だが、向こうにとっても当てやすい距離であることは間違い無い。どこを狙うか
わからない分、始末が悪い。
 考えあぐねていたレイカだったが、ふと一瞬、視線を動かし、微妙な苦笑いを浮
かべて言った。
「ね、ユウリぃ。ここは素直に手を上げて、撃たないでーって言ったほうがよかぁ
ない?こいつ、このドア、開けられたくなくて必死よ。こっちの不法侵入よりヤバ
イことやってんだからさ」
 ユウリは横目でちらっとレイカを見遣り、そしてまた所長に視線を戻した。
「そうね。ここで私たちが何も知らなかったことにして、シオンを置いていけば、
きっと命までは取られないわね・・・でも、あんな状態でまともに撃てるのかしら
ね。計画外のことに狼狽えてるのよ。私たちを殺したところで上手く事が運ぶとは
限らないと、自分でも思っているんじゃないの?」
「な、何ぃ・・・」
 明らかに、所長は動揺したようだ。ユウリの言葉に上乗せするように、レイカも
余裕の笑みを浮かべ出した。
「みたいね。それにさ、いろいろやってきたんだろうけど、もしかして自分の手を
汚して人を殺すのは初めてなんじゃない?ね、これ、当たり?」
「き・・きさまら・・・」
 ユウリとレイカが危険ともいえる挑発をする間、シオンは所長から目を逸らさぬ
よう、意識して視線を固定していた。
「本当に、撃たれたいようだな・・・。どっちからがいいか。・・・うっ!?」
 目の前の三人に気を取られていた所長は、ついに、背後の気配を感ずることは無
かった。
 ドモンが所長を羽交い締めにすると同時にアヤセが右手を捻り、弛んだ手から落
ちかけた銃を掴んだ。
 レイカは、はぁ、と息をついた。ユウリもまた、肩の力を抜いた。
 所長が背にした廊下の曲り角の陰から姿を見せたアヤセとドモンに気付いてから、
それを所長に気取られぬよう、意識を自分たちに向けさせていたのだ。
 シオンは、しっかりと所長を取り押さえるドモンと、手にした旧式の護身銃を慎
重にチェックし安全装置を掛けるアヤセを見届け、ロックを解除したドアの開閉パ
ネルに触れた。そしてドアが開ききる前に室内に飛び込む。
「ハルキさん・・・!」
 診察台の上に横たわるハルキのまぶたがかすかに動いた。しかし、身体はぴくり
ともしない。
 シオンは黙々と動き続けていた採血器に走り寄り、ぱつんと音を立ててスイッチ
を切った。停止を確認し、ハルキの方へ振り返る。だが、はたと気付いて採血器に
向き直り、すぐ横に置かれているシルバーグレーのボードの引き出しの一段目、い
や、確か二段目に、と手をずらしながら二段目の方を開けた。
 その中には医療用品が整然と収まっている。手早く消毒液に浸されたガーゼを左
手に、半透明のテープを右手に掴み、右手の甲で引き出しを閉めた。
 ハルキに駆け寄り、腕の採血針が刺された部分にそっとガーゼを当ててゆっくり
と針を引き抜く。それからガーゼを押さえてテープで止めると、手首に触れて脈を
計った。顔色は決して良くはないが、抜き取られた血液量と併せても、命の危険を
感じられるほどの状態ではない。
 シオンはほっと肩の力を抜いた。
「ハルキさん、もう、大丈夫ですよ」
「・・・」
 うっすらとまぶたを開けたハルキの目線が、シオンに向く。ゆっくりと口を開い
たが、掠れた言葉を発するまでさらに時間がかかった。
「・・に・・・くる・・なんて・・。ばかだな・・・」
 シオンは微笑んで、そっと首を振った。
 その表情に、ハルキは察した。屈んで自分を見るシオンの肩ごしに目をやると、
こちらの様子を廊下から伺い見ているユウリの姿があった。
「そう、か・・・仲間と・・」
 視線を白い天井に戻し、ふう、と息をつく。
「・・・やっぱり・・妬ましい・・な」
 消え入りそうな声でそう言うと、再びまぶたを閉じた。
 その言葉の意味を思い、シオンはハルキの顔を見つめた。
「シオン?」
 うつむいていたシオンに、廊下からユウリが声を掛ける。
 シオンは振り返り、ハルキが無事であることを笑顔で伝えた。
 ユウリはくちびるだけの笑顔を返すとレイカとうなずき合い、鋭い視線で所長を
見据えた。
「監禁、及び障害の現行犯で、あなたの身柄を拘束するわ」
「くそっ・・・」
 所長はドモンに後ろ手を取られながらも身体を捻って抵抗の意志を表す。しかし、
ドモンは難無く所長の両手首を右手で掴み直し、空いた左手でポケットから複製し
たエントリーチップをつまんで所長の目の前にちらちらさせた。
「俺たちを閉じ込めたつもりだろうが、時間稼ぎにもならなかったなぁ。・・・お
まえさ、ハルキ以外に手を貸してくれる仲間、ひとりもいないのな」
 首を捻ってぎろりとドモンを睨む所長に、アヤセも続けて言う。
「あの応接室の内線が繋がっているままだったからな、まさかとは思ったが、試し
にドアが開かないと連絡を取ってみたのさ。故障じゃないか、とな」
「どこの部署の奴かは知らねえが、俺たちが誰の客かも聞かずによ、簡単に開けて
くれたぜ。ま、あれこれ説明してるヒマも無かったから、お寝んねしてもらったけ
どよ」
 かいつまんだ経緯を聞き、先程までの緊張を解いたレイカが、自分でも同じこと
をするだろうと思いつつ、
「まー。かわいそー」
と、軽口を叩く。そして、目の合ったドモンにおどけてウインクし、ポケットの通
信機を取り出した。
「先輩?例の所長を拘束したわ。しょっぴくから正式な逮捕の段取りお願いします」
 どことなく弾んだ声に、低めの落ち着いた声が返ってくる。
「もう済ませてある。令状もすぐに出るはずだ。俺もそっちに向かっている…あと
4、5分で着くよ」
「え?」
「危ういやり方には賛成しかねるが、おまえなら上手くやると思っていたからな。
本当に、よくやってくれたよ。レイカ」
「あっ、えっ、そんな、こんなことくらい朝飯前ってもんでさ。あ、今は昼飯前っ
てか」
 頬が赤い。皆の視線がレイカに向く。
「それで、実際に人質はいたんだな。状態はどうなんだ?」
「命に別状は無さそう。でも、とりあえず救急班の手配もしました」
「よぅし。今度、非番が合った時に昼飯でも奢るよ」
 その言葉に、レイカの肩が跳ねた。
「せ、先輩の都合の良い時ならいつでも言ってよ、合わせるからさぁ!あ、どっち
かって言えば、ディナーとかさ、」
「ふっ、調子に乗るな」
 そこで通信は一方的に打ち切られた。だが、最後の一言は優し気だった。レイカ
は通信機を握りしめてうつむき、小さくはあるが確かに「ふふふ」と笑った。
 ドモンはへっ、とつられて笑い、まだ時々身体を捻る所長の手首を観念しろとば
かりにぎゅっと握った。
「く、そぅ。・・・シオン!シオン!!」
 大人しくなるどころか荒れ狂ったかのように叫ぶ所長に、シオンは廊下に出て応
えた。じっと所長の顔を見据える。
「ぼくは、許せません。あなたのしたことを」
「・・・おまえに、そう言う権利があると思うか」
「許せません。この研究所で研究されていることは、それなりの価値があるのはわ
かります。でも、あなたの目的は、違う。ぼくを思うがままに研究したい、たった
それだけのために、前所長やハルキさんを」
「た、たったそれだけだとぉっ!?」
 一瞬、何が起ったのかわからなかった。ドモンは所長の手首をしっかり掴んでい
たはずで、その力を少しも緩めたつもりはなかった。だが、所長はそれを振りほど
き、止める間もあらばこそ、シオンに飛びかかった。
「・・・!」
 所長の形相は、もはやまともな人間のそれではなかった。体力でなら負けるはず
もないドモンでさえも、もしその怒りが自分に向けられたものであったならと思う
だけでも身の縮まる勢いで、シオンを押し倒し胸ぐらを掴んで叫んだ。
「きさま!いい加減に自覚しろ!自分の存在を!!自分が何であるかを!!」
 振りほどこうとしても更に力を込めた手で締め上げられ、息が詰まりそうになる。
だがシオンの目は降伏せず、所長は怒りのままに右腕を振り上げた。
 その時、駆け寄って引き離そうとしていたユウリ、レイカの間から、アヤセが手
にしていた銃のグリップで所長の襟足をがつんと打った。
 「ぐ」とも「が」ともつかぬ声を上げて所長が仰け反り、つんのめる。
 シオンが咳き込みながらも所長から離れ、レイカがすかさず所長の右手に手錠を
はめた。
「あんたこそ自覚すんのね。自分のしたことを。そしてどんな酬いがあるかを」
 所長が左手で痛む首を押さえながらレイカを睨む。しかし、その視線はレイカの
後ろから自分を見下ろすユウリに移った。
「シオンが何であるか・・・私たちだってわかっているわ。それでも、シオンは私
たちと何も変わらない。この地球で、いえ、この広い宇宙の中の星々で、精一杯生
きているたくさんの生命体の内のひとりなのよ。そして、私たちもシオンと同じ。
それぞれが、他の誰でもないただひとりきりの存在だわ。皆、シオンと同じように
大切な人間よ。私にとっては、レイカも、アヤセも、ドモンも、そして・・・」
 もうひとりの名を言いかけて、言ったところでわかるまいと目を伏せた。思い出
の中の、いつもの笑顔が浮かぶ。
「たったひとりが皆と共に在るのよ。同族がいようといまいと、そうでなければな
らないはずよ」
「・・・おまえたちは、何もわかっちゃいない・・・」
 レイカに手錠ごと腕を引かれ、所長はよろよろと立ち上がりながら平行を辿る言
葉をつぶやく。だが、目線はもはやユウリから逸れていた。
「あなたこそ、知るべきだわ」
 静かに返す。たたえていた怒りは、ユウリの瞳から消えていた。
                               To be continued・・・