「タイムマシンで、自分が生まれる前の時代に行き、
自分の親を殺す。すると自分は生まれてこないから、
親を殺しに行くことはできない。すると自分は生まれ
てくるから、タイムマシンで自分が生まれる前の時代
に行き・・・」こんな堂々巡りが、25年以上も前に読んだ子ども
向けのSF思考についての本に書かれていた。これが
タイムパラドックスの一例で、けっこう有名な例だと
思うんだけど、「時間は、一方向にしか進まない一本
の線」という概念を前提として語られている。
私が10代の頃に見たり、読んだりした、時間移動ものの作品は、
ほとんどが「時間は一本の線」が前提のものだった。タイムマシンや超能力、何かの事故など理由は何であれ“過去”
に行き、そこで起こした行動が、結局“現在”の自分の状況を作り
出した原因だったり、未来を知ったことによって行動した結果で、
知ったとおりの未来になったり。
同じ時間上に同一人物が複数存在して、それぞれの視点で場面が
展開されることはあっても、同じ時間上に展開される出来事そのも
のにはズレがないのが暗黙の了解だった。そう。
一本の線上に刻まれた傷は、もう、その位置に刻まれてしまって
いるのだから、その位置より手前に戻ったとしても、同じ位置にあ
る傷が消えたり、形が変化したりすることはあり得ない。
たとえ、それで「自分が傷をつける行為よりも前に、そこに傷が
刻まれていたのか?」みたいなタイムパラドックスが生まれても、
それはそれ、で、受け手のこちらとしては、「同じ時間上の出来事
のつじつまが合う作品に仕上げるのが、作り手の力量」と思い込ん
でいた時期があったように思う。
私の思い込みの転機は、1985年の映画 『バック・トゥ・ザ・
フューチャー』を見た時。
主人公が過去に干渉したことによって、未来(主人公にとっての
現在)が変わってしまった・・・。でも、そういうオチだったこと
が、かえっておもしろかったから、こういう話もありなんだなって
思った。新鮮なオチに、「タイムパラドックスの見事な解決法」と
いう論評があったくらい。そこまで言うのはどうかと思うが・・・(^^;)時間は一本の線でなく、平行する複数の線(他の現象がある時間、
つまりはパラレルワールド?)が常に潜在して、きっかけがあれば、
他の線とつながる・・・ただ、“自分”は、そのうちの一本の線上
でのことしか認識できない・・・という解釈になるのかな。
SF作品では、時間移動ものと、パラレルワールドものは別ジャ
ンルになってるような気もするけど。実際、物理学でも、「異なった現象が重なり合っている状態があ
るが、観測者は、そのうちのどちらかしか見ることができないので
その状態の証明はできない」とかなんとかいう“多世界解釈”って
いうのがあるらしい。(引用、間違ってますか?私の頭では、物理
学なんて、とーてい理解できないから。でも、用語とかイメージだ
けでもおさえておくと、SF作品がよりおもしろく感じられるお得
感がある^^;)『ウルトラマンガイア』でも、32話で「未来はひとつじゃない」
という状況をつくっていた。
「未来を変えるのは、変えようとする意思」と言って、時空を飛
んで過去と未来を自由に行き来できる怪獣を倒す話だった。(それ
なりにはまった『ガイア』の中でも、特にお気に入りの話。この作
品もネタふりが楽しいし、我夢の頭の良さを自然に感じさせてくれ
る表現が上手いと思う。)
だから、『タイムレンジャー』の、リュウヤ隊長が“二つの歴史を
見た”とか、結局は、そのどちらでもない状況をタイムレンジャーた
ちがつくったこととかに対して、10代の頃の私なら「そんなのヘン
だっ!」とか言い出しそうだけど、今の私はそうは思ってないの。滝沢直人が同じ時間を繰り返す35話も、時間が正常に流れた後の、
それぞれの時間にいた竜也自身の10月22日の記憶の方に興味と疑
問が残るにしても、以外とすんなりと受け入れることができて、すご
くおもしろかったという気持ちが強いし。
まあ確かに、きっかり1000年の開きで現在と未来が同時(?)
進行しているのには、また別の解釈が要るような、不思議な感じはす
る。2000年12月24日にGゾードを排除できたのに、999年と
2か月20日後の、ユウリたちの時間移動後に、30世紀の消滅が始
まり、3000年12月24日以降に、消滅が止んで「歴史は修正さ
れた」というのは、20世紀と30世紀が直結していて、間に流れる
1000年でつながっている印象を受けない、とか。30世紀が、大消滅が起こった2001年からのつながりならば、
私たちにとっての昔の大災害のように、大消滅は歴史に残っていて、
30世紀の人々の共通認識になっているだろうに、ユウリたちはそれ
を知らないし(勉強嫌いとか歴史が苦手ならわからないこともないけ
ど)、タイムレンジャーが大消滅を止めた2001年からのつながり
ならば、なぜ、リュウヤ隊長は、2001年2月4日の大消滅を断言
できたのか?とか。本当は、リバウンドしたジェッカーとの闘いで、タイムレンジャー
たちは死ぬはずだったのに、リュウヤ隊長が、緊急システムを発動さ
せたから生き延びることができたっていったって、リュウヤ隊長が緊
急システムのスイッチを押す前も、押した瞬間も、押した後も、すべ
て、タイムレンジャーが死ぬことなくジェッカーを逮捕できた時から
つながる1000年後のことではないの?とか。でも、このことに突っ込みを入れたいわけではなくて。
ユウリたちが20世紀に来てからの未来のことは、ほとんどがリュ
ウヤ隊長が言ったことからしか知ることができない。
けれど、彼の真の目的は、“知ってしまった自分の死を避けること”
だった。
だから、リュウヤ隊長は、現実のすべてを正確に語っているわけで
はない。
さらに、あくまでも自己中心、主観的見地で、正否とは別問題だと
思われることも言っている。(と、受け取れる状況がある。)すごいって。
だいたい、ひとつの作品の全体を見たら、登場人物の言ったことが
嘘か真実か、または、御都合主義的展開の作品(これは、作者のミス)
なのかがわかってくるものなのに。
そして、六年もかけたのに、結局は、思惑通りに事を運べなかった
リュウヤ隊長の魅力的なこと。
敵の首領よりも、ヒーローが属する組織の隊長が、舞台となる世界
を脅かす重要人物で、“悪の排除”が物語の核ではなかったこの作品
の異色なこと。・・・って、テーマからずれてきた?でも、続けちゃう(^^;)
リュウヤ隊長の、「Gゾードの排除により、個人の歴史も変わった」
との言を、真実とみるか、嘘とみるか。真実とすると。
アヤセとドモンにとって、変わるのはこれからのことになるから、
ふたりの生きてきた軌跡にそれほど影響はない。でも、ユウリの家族
が生きていたのが現実だとしたら・・・。
あの時点で、数年前に時間移動してみたら・・・そこには、家族と
一緒に、幸せに暮らしているユウリが存在しているんだろうか?
そこからつながる時間の、違う思い出を持つ(たぶん性格も少し違
う)3000年2月13日のユウリは?
でも、家族が生きている3001年2月3日に存在するユウリは、
家族を亡くしたユウリなわけで。
で、ユウリの家族が生きていたのがありなら、“21世紀の大消滅
を止めて、31世紀に戻ってみたら、また歴史が変わっていて、リュ
ウヤ隊長も生きてた”ってのもあり、では。嘘とすると。
ユウリの家族の映像は、捏造(未来の技術なら、超簡単よね)って
ことに。
私は、あの時のリュウヤ隊長は、詐欺師の話術のごとく、真実と嘘
を絡ませて話していると受け取りたい。そのほうが、よりおもしろく
感じられるから。
あの時の隊長の狙いは、ユウリたちを31世紀に足止めしておくこ
と。それに、隊長の都合のいいように、記憶の消去、書き替えができ
るんだから、その間だけ信じ込ませることができるのなら、どんな嘘
を絡ませて話をしたっていい状況にある。
それまでの展開で、ほとんどが異星人のロンダーズが地球の歴史に
干渉している現象があるのに、シオンが異星人だから地球の歴史に干
渉されないっていう相関もなんか、バランスが悪いんだもん。(『タ
イムレンジャーショー』では、タックが事実としてシオンに語ってい
たって?私、残念ながら、見られない状況にいたから、テレビシリー
ズとオリジナルビデオの話がすべてなの。媒体が違うから別物と思っ
てもいいよね?)
でも、真実か嘘かなんて、どうでもいいことなんでしょうね。あのエピソードからつながる見どころは、最良の時代を提示
されても、結局は21世紀を救うことを選択したアヤセ、ユウ
リ、ドモンと、仲間のことを気にかけて、自分自身の選択がで
きなかったシオンと、共に闘ってきた仲間でありながら、いき
さつを知ることのなかった竜也なんだから。
五人の状況に負けないくらい、かっこよかった直人さんに、
ちょびっと 喰われてるかな〜って気もするけどっ。
違和感があったのは、タイムパラドックスや、同じ時間上の
違う出来事や、真実か嘘かわからない言葉ではなくて。個々にフェードアウトしていった、最後の別れのシーンは、
それまでの時間移動とはあきらかに違っていて、しっくりこな
い・・・。タイムジェットに振り落とされたり、竜也が仲間を
騙してまで時間飛行体に乗せたり、タイムジェットをジャック
するというどきどきシーンがおもしろいだけに、私の中では相
容れなかった。それでも、別れ際にやっと素直にお互いの気持ちを通じ合わ
せて、抱きしめ合うことができた竜也とユウリが切なくて、視
覚的にも綺麗なシーンだから、まぁいいかと思ってたりもして、
もう、どっちやねん、っつーの(^^;)
SF作品に出てきた機械で、唯一、製造の実現化ができないのは、
タイムマシンだろうって、言われているそうで。
「理論的には可能」だと言った科学者もいると聞いたことがある
けれど、ほんとに実現したらどうなるんだろう・・・?“架空の現実”を愛する者には、現実のこととして考えるのは荷
が重いので、やっぱり、架空の域で楽しむことにしましょう。