2「網膜色素変性症」という病気について知ったのは
切り抜いた記憶は無くなっていたが、健康診断の書類を保存していた袋の中に入っていた。
読売新聞の「アイフェスタ2000」を企画した釜本美佐子さんという記事である。
「あす二十四日、東京・新宿で、、、」ではじまっているが、自分らしくなく、月をメモしてない。
今日(2002.6.14)、インターネットで検索してみると、毎日新聞ユニバーサロンに残っていた。
平成12年9月24日の事のようだ。
2000年の事か、2001年の事かさえ覚えていなかったのだが、釜本邦茂氏の姉であるとか、網膜色素変性症協会の会長であるということは覚えていた。
意外と早く、病気について知っていたんだなと思う。
新聞の囲み記事にある症状を読み、愕然としたのを覚えている。
Googleで検索する。「もうまくしきそへんせいしょう」と打ち込み、スペースキーをおすと「網膜色素変性症」と一度に変換されたのも、ある意味ではショックであった。
しかし、自分の自覚症状は、書いてある症状の中の最も軽いのより軽い。
暗いところが見にくい感じがするだけで、後は何も無い。
間違いだろうと思う事にした。
翌2001年の健康診断では、とにかく赤い光を早く見つけようと、目をキョロキョロと動かした為か、すぐ光の場所が判った。
今度は大丈夫だろうと期待した。
結果は同じだった。しかし、GPTに異常が認められますの方が、悪い検査結果−酒は週に1、2回飲むだけの生活なのに。
また無視することにした。
夜、交差点で光以外何も見えなくなったり、特に近年増え始めた白い光のヘッドライトに目が眩んだりして、運転に不自由を感じていたので、3年程前、眼鏡屋で光を1割カットしてくれるレンズの眼鏡にした。
それで大分楽になり、昨年末まで過ごしてきた。
夜見にくいことに気付き、おかしい・おかしいと思い出したのは、数年前だったろう。
昼でも見落としが多いのも、自覚していた。自分は不注意な人間だと思って。
だから、交差点での出足は、極端に遅くなっていた。
昨年秋には、また光に耐えられなくなっていた。バックミラーとサイドミラー(右側)を倒し、対向車の光からは目をそらして運転していた。
眼鏡が合わない感じがしたので、今度は眼科医に正確に測ってもらってから、眼鏡を買うことにした。
そのついでに、健康診断の結果を持っていき、相談した。
間違いだと言ってくれることを願って。