34 視野検査 (2005.7.15)(7.19追加)
1年振りの視野検査。
片目ずつ、大き目の光(径10oほど)、次に小さい光(径1oほど)が見えたらボタンを押す。
右目は、思ったよりよく見え、横と下は問題ないぐらい。
左目は、右よりかなり見えない気がした。
そのことを検査を担当した看護師に言うと、そんなことは無いという感じの反応。
自覚的には、光が見えていない時間が長い感じがしていた。
光を感じるといっても、丸い点として見えるのと、ぼんやりと朧月のように見えるのと、それよりも薄ぼんやりと見える違いがある。
ボタンはどの場合も、ただ押すだけだから、同じ状態とされてしまう。
書類(図)上の結果で、昨年とほとんど変わりないと言う。
図だけからいえば、左目の方が良い感じになる(見えない面積が少ない)。
自覚的に納得できないので、光の感じ方の違いを話す。
実際、左目の左斜め上の感じ方は、ちらちらとかすかに見える程度だった。
左目の感じ方は、光が拡散している感じが多かった。
小さい光も、右目はかなり見えた気がするが、左目はそうではなかった。
毎月の、目を診るだけの検診のときは、左目の網膜が萎縮していると、このところ毎回言われていた。
横の見え方も、左の方が少なくなってきている、少しだけだが。
視野の広さからは、運転免許の更新はまだ大丈夫だとのこと。
帰宅後、申請書類に書きこむ。コピーしておいた源泉徴収票が見当たらず、コピーし直し。
住民票も家族全員だったのに、自分のだけをもらっていた。
昼食後、漆の仕事を少しする。
3時半頃家を出、叔母の店へ寄り、祝いの清酒券を買う。
従姉に昔あげた縄胎コップへの感想を聞かせてもらう。
軽いし、熱の伝わり方も柔らかくて良い。お年寄りに向いているかもしれない。
旦那(従姉の夫のこと)さんは、中が黒塗りだとお茶の色がわからない。白にならないかとの事。
母もいて、口がきちんとしていないと安物に見えるとの意見。そうしてないのが自分の感覚だったが、、、
4時10分過ぎに出発し、下伏間江へ。
Y川さんが見えたところに駐車できそうなところがあったので、そこにとめる。
タクシーの運転手さんが出てきて、何があったのかと聞いてくる。
今度、人間国宝になることになったと言うと、にっこりと納得した顔。
庭に入り、支部の人と顔を合わせたりしていると、知事が出ておいで、孫さん達に愛想を振りまいておいでた。
新聞社の取材、撮影、、、
作業場は、仕事内容が分かりやすいように並べてあった。
年に1回、美連展の作品を預けにいき、3,4時間話していた場所。
市長もおいで、光民さんがステンレス釘のことや少し融けて柔らかさが出ることなどを話されていた。
写真を少し撮ったが、全部手ブレ。
ずっと中継車がいて、テレビで以前よく見ていた顔の人がいた。亜由美さんだった(元アナウンサー)。
その中継は6時22分頃からで、皆でテレビで見ていた。
暗くなる前に帰る。他の人はほとんど残っていた。
帰宅後、縄胎の素地を型から抜く。
石膏に糊を塗っただけのに直接貼った椀は、剥がれ難かった。
サランラップが一番離型し易いようだ。
(7.19)
所見を書いた書類と検査結果を書いた図を眼科に受け取りに行く。
待つ間見ると「眼科専門医」という札がかかっていた。その上に「認定」か何か書いてあったが、少し遠すぎ、よく見えなかった。
そのまま渡してくれた(封筒に入れ、封をするということ無く)ので、一度家に戻り、コピーする。
市役所で住民票。300円。
保険センターへ行き、特定疾患の更新手続き。
7月1日の保険証の変更の届が必要とのことで、用紙に記入。
8月末頃に新しいのが届くそうだ。
帰りカーマに寄り、昨日のカビ取りの詰め替えやカビを防ぐという塗料を買う。
帰宅後、昨日に続いて風呂のカビを取る。
眼科でもらったのをコピーしたのを見る。
少し悪くなっているようなことが書いてある。
左目の図を、一昨年と昨年のと比較すると、一番見える左横は、80−85度から70度ぐらいになっていた。
残る幅も狭くなっていた。自覚症状と合っている。
右目はそんなに変化は無かった。
次へ