硫化水銀朱の練り方
重量比・・・洗朱(黄口):上質の塗立て漆(油無し)=13(〜15):10
坂下先生が師匠(呉藤友乗先生)から習った方法との事
重さを量って、漆を茶碗に入れる。その漆の一部を使って
朱の粉と練り合わせ、餅よりは硬い程度の固まりにする。
その固まりから、一箆分ぐらいを一セットにして、ポマードの小瓶の底で練り回す。
・・・箆から垂れる位まで練り込む。それを漆の入った茶碗に入れる。
そのように全部を練ってから、茶碗の中で漆と混ぜる。
*ノートを読み直したとき、どういう作業をしたのか思い出せなかった。
高岡塗りでは、棒や板の木口を使って練る。湯呑みの横を使うことも出きる。
漆と朱の粉を練り合わせ、それを一度に練り続けるやり方だ。
1993年7月25日に目の前で一箆分を練って見せてから、今度は自分でやってみなさいと
言われて、練ったことを思い出した。
*縄文時代には、どのように朱と漆を練っていたのだろうか。
まず練り合わせて餅のようにしたのは間違いない。
最も簡単な方法は、その餅を石で叩いて軟らかくしていくやり方だろう。
このページを少し書き出して、何をしていたかを思い出すためもあって、
洗朱(赤口)を坂下先生に習った方法で練ってみた。
朱は命の象徴だと感じた。
石の間で叩くのではなく、石の間で練り合わせ、一緒に命も練りこんでいくのが相応しいと感じた。
朱は表面に塗られてはいても、内側から生命が湧き出てくる感じがするべき色だと思う。そう
感じられないとしたら、朱に相応しくない形、生命感のない物だと言えるのではないか。
朱漆そして黒漆が塗料になって発展した面もあろうが、現代の化学塗料全盛の中で、
もう一度、coatingではない、内へ深く繋がっているような漆の原点に返ってみるべきだと思う。