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明けましてお目出度う皆お達者の由安心しました  1月十四日勇んで家を出てから早一年、ずいぶん変わった事をして来ましたよ  大して病気もせず大過なく御奉公して来たのは長岡様のお蔭又父さんが守って下さるのだと思い感謝して居ります 弘子もとうとう砂田弘子になってしまったね 家にいなくなったと思へば淋しいが、新しく父さん母さん兄さんが出来たと思へば実に愉快ですね 然し事実は矢張家にいないんだから周公大いにおしゃべりをやれよ 正月には松本の従弟妹達や喜弘さんが来たさうでにぎやかだったでせう 米の供出の毎晩の寄合は全くうんざりしますね 相当もめたでせう 家は大手柄でしたね 然し結局皆完納にきまったさうですが、こたえるでせう 今年も又頑張って下さい
                                       では又
                                       辰男より

 

*松本の従弟妹が、大谷に疎開していた。
中の従弟が、武生高校で甲子園に出場した紀さん。
紀さんは亡くなったが、妻は現在演歌歌手。
末の従弟が、前ジャマイカ大使の俊さん。
戦後、砂田へ遊びに来た時、こき使うから母がこんなにガリガリに痩せているんだと言っていたとか(父の話)。
外大の時、洋画を先ず字幕を見ながら観、続いて字幕を見ずに観たという話を、これも父から間接的に聞いていた。
結局、見習う事はなかった。

 

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