L'autre chambre

母方の曾祖母・大谷元から、小さい頃貰った貝。多分「きいろだから」で、昔お金として使われていたらしい(小学館「魚貝の図鑑」)。寛永通宝も貰った。
凍土の青春」を読み、辰男伯父さんの生きていた証しを少しでも残しておきたいと考えた。
以前、さらさらと見せてもらい、記憶していたのと、母から手紙を預かり、パソコンにそれを打ち込みながら読み直したのとでは、かなり違っていた。

大谷家は、江戸時代の、文化年間頃に、道明の大野家(当時は、苗字はなかった−加賀藩の鳥見役をしたことがある家柄)に生まれた人が、医者として(?)分家してできた家だそうである。

*初代が医者だったかどうかハッキリしない。七社にある長岡神社の寄付台帳には、一番先に大谷源五郎が文政5年(1822年)に「牛若丸 絵画の額」を寄付した記録が残っている。
江戸時代は、他の人々は名前だけだし、額の大きさにも差がある。
二代目が大谷良哉として知られている人(本名、義右衛門)で医者であった。2002.10.2記
安政時代の正得神社への奉納額(2005.8.11

2代目の妻が、金沢から嫁入りしたことを示す戸籍謄本が残されている。
その人が跡継ぎに恵まれず(亡くなったのかもしれない)、弟夫婦を養子として入れたそうだ。

*大谷家では、天保年間と安政年間に亡くなった記録が残っているそうだ。昔の墓には安政5年だったか6年だったかと彫ってあった。
曾祖母・元が「おあんさん」と読んでいた人がいたそうで(母の話)、医者の修行をしていたが、若くして亡くなったそうだ。2002.10.2記

*砂田家に明治8年頃の土地台帳の写しが残っている。そこに「大谷龍玄」、「大谷啓三(?)」とかの名が載っている。2003.12.24記。
*
大谷俊三という名が正しく、官許「英和単語図解」小澤重三郎蔵版の翻訳者の一人だったそうだ。
国会図書館に所蔵されているそうだ。2007.6.24記。

それが高祖父(曾祖母の父をどう表記するか知らないので)・寛栗である。
その三女が、曾祖母・元である。(旧)正得小学校の訓導。私が小学3年か4年の正月に亡くなった。
*小学4年の時、昭和36年正月3日。2002.10.2記
曾祖父(婿養子)は、何時頃か知らないが、家を出されたそうだ。
その長男が、祖父・威である。
妻として、道明の大野家から祖母・トモが来る。
その長男が、辰男である。大正11年6月11日生。
その長女が、母・弘子である。大正12年12月12日生。
大正14年、叔母・周が生まれる前に、祖父・威が亡くなった。
大変のことになったと、川で洗濯をしたが生まれてしまった、と晩年に話していた。
生水か何かを飲んで、亡くなったらしい。
*腸チフスらしい。何かを運んでいて、喉が渇いて飲んだらしい。
その所為か、小さい頃、祖母から生水はほんの少し口に含む程度にし、飲んではいけないとよく言われた。
木こりの大将をしていたと祖母が言っていた。
亡くなったのと、没落したのと、どちらが先か知らないが、それから祖母が農業を始めたそうだ。
*この点もハッキリしない。私が吹き付け塗装をしていて咳がとまらなくなっていたとき、祖母・トモが自分の思い出を話してくれた事がある。
田圃をしていて、ゲンダラ川の橋の上で咳が止まらなくなった事があった。その時、姑にあたる元は、田圃を人に任せておけば良いと言ったそうだ。
祖母(トモ)は、人に任せていたら取られる分がある(収入が減る)と、頑張ったそうだ。そうするうちに治ったと言っていた気がする。
母に拠れば、(没落後も)元は決して田圃はしなかったそうだ。2002.10.2記

 

大谷家宛て

1富山縣西砺波郡正得村七社  大谷元様      軍事郵便 検閲済
               関東州大連満州第四六三五部隊  大谷辰男

2富山縣西砺波郡正得村七社   大谷元様   軍事郵便 検閲済
               関東州大連 満州第四六三五部隊 大谷辰男

3富山縣西砺波郡正得村七社    大谷元様   軍事郵便
               満州国チチハル停車場指令部   大谷辰男

4(封筒無し)昭和19年正月

5富山縣西砺波郡正得村七社    大谷元様
    満州第二〇七軍事郵便所気付  満州第四六三五部隊  大谷辰男

6シベリアから-シベリアへ届き、戻ってきた手紙の裏に

*叔母も何通か手紙を持っているそうで、ここにあるのは、母が持っているものだけである。
見た気がする手紙で、見当たらないのもあるし、、、

砂田家宛て

7富山縣西砺波郡正得村七社  砂田喜作様  弐銭 富山18 2.22消印
              富山市東部第四十八部隊山際隊  大谷辰男

8富山縣西砺波郡正得村七社 砂田喜作様  検閲済
     関東州大連満州第四六三五部隊 大谷辰男

9富山縣西砺波郡正得村七社 砂田喜作様 検閲済
  満州国ハルピン第二軍事郵便所気付 斉々哈爾停車場司令部 大谷辰男

10奉天満州第五四九部隊 島田隊 古御門隊 砂田正喜様  検閲済
        錦州第一軍事郵便所気付 錦縣停車場司令部 大谷辰男

11富山縣西砺波郡正得村七社 砂田喜作様 検閲済み
     満州第二〇七軍事郵便所気付 満州第四六三五部隊 大谷辰男

12富山縣西砺波郡正得村七社 砂田喜作様  軍事郵便 検閲済
     満州第二〇七軍事郵便所気付 満州第四六三五部隊 大谷辰男

今手許にあるのは、以上である。今後、祖母にあたる元が大切に保存していた証書などを書き出していくつもりである。

正得尋常高等小学校、送辞。

明治・昭和の古い写真 (2004.8.21)

旧ソ連による抑留―ロシア資料(2009.12.5)

ウズベク共和国コーカンド市

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