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富山縣西砺波郡正得村七社 砂田喜作様 弐銭 富山18 2.22消印
富山市東部第四十八部隊山際隊 大谷辰男
謹啓 長らく御無音に打過ぎ申訳御座いません
御尊家皆々様には御変わりも御座いませんか、
御伺い申上げます
陳者小生入隊の折は種々御厚情にあづかり、尚、過分の餞別を戴き御礼の申し様も御座いません
御陰を持ちまして入隊以来頗る頑健軍務に励んで居りますれば他事ながら御放念下さい
人間は心の持ち様一つで境環境の変化も何ら影響のないものらしく、家に在りし時はじたらくのしほうだいをして居りました小生も、決して苦しい等と思ひし事は無く、頗る元気に愉快に起居いたして居ります 或いは中隊長殿の訓辞を聞き又教官殿の学科を受け、他日戦場に働く日を夢見腕を撫して居ります 留守中は何分宜敷お願ひ申し上げます 先は簡単ながら御挨拶迄 敬白
*句読点は付いていなかったが、少し読みやすくした。
*これは近所の人にいろいろ出した礼状の一つと思われる。
「戦没農民兵士の手紙」(岩波新書)を読み直しているのだが、そういうことが出てくる。
*これが一番最初の手紙(はがき)である。
4の正月の手紙とあわせると、昭和18年1月14日出征という事になる。