A.D. 3001
 
 

     aspect  6
 

          日付けが6月23日に変わって間もない深夜、シオンは、技術開発部の仕事のた
      めにしばらくは時間保護局に泊まり込むのだとタックに連絡したものの、直属の上
      司である主任から任命された新メカの開発について、ある戸惑いを感じていた。
       さほど広くはない資料室に居残ったシオンは、パソコンのディスプレイ上にスク
      ロールさせた情報をすばやく読み取りながら、独り言をつぶやく。
      「やっぱり、この程度のデータだけでなんて、開発目的があいまいすぎる・・・」
       しかし、それを指摘すれば、また周囲の気分を害してしまうのだろうと考え、ど
      うしたものかと思案する。
       シオンの仕事に対する姿勢は、仲間たちの役に立ちたいと願っていた頃となんら
      変わりはないが、ここには、結果を出す度に口々にほめてくれ、必要とされている
      自分を感じさせてくれる仲間は誰ひとりいない。それどころか、理由まではわから
      ないものの、懸命にやるほど開発部内の人々の反感ばかりを買ってしまうことに、
      シオンはとうに気付いていた。
       と、不意に背後のドアが開き、同じく帰宅せずに残っていた主任がいつもの不機
      嫌そうな顔でシオンに声をかけた。
      「シオン、おまえに会いたいという客が来ているぞ」
      「えっ?」
       こんな深夜に、と思わず聞き返すシオン。主任はぶっきらぼうに、
      「何度も言わせるな。休憩室に待たせてある。さっさと行ってこい」
      と、立てた親指で同じ階にある休憩室の方向を指し示しながら言い捨てると、すぐ
      にドア口から姿を消した。
       シオンは、自分に会いに来る客といえば、入院中のアヤセを除き、ユウリとドモ
      ンしか思いつかなかったが、前もっての連絡もなく突然に訪ねてくることがあるだ
      ろうかと不審に思いながら、廊下を足早に歩いた。
       つきあたりにある休憩室のドアを軽くノックして自動扉のスイッチを押す。開い
      たドアの奥にいたのは、親しくなりつつも、まだアヤセの病院でしか会ったことの
      ない人物だった。
      「あっ、ハルキさんだったんですか。どうしたんです?こんな時間・・に・・・」
       シオンはハルキのそばに数歩、歩み寄りながら、どんな理由があって自分の仕事
      場にまで訪ねてきたのかと聞こうとしたが、ハルキの着ている見覚えのある白い服
      と、窓際に背を向けて立っている男に気付いて立ち止まった。瞬時に、まさか、と
      思い至り緊張が走る。
       男がゆっくりと振り返る。無表情を装っているが、口元は何か言いたげにかすか
      に動いている。
       シオンは、息を飲んだ。
       自分の中で、すっかり遠い過去の出来事にしてしまっていた研究所の、思い出し
      たくもない人物が、たった今、目の前にいる・・・。
      「所長・・・」
      「ふん、生意気な顔つきになってきてるな。自立ごっこは楽しかったか?」
       シオンをまじまじと眺めながら、所長は怒りをあらわにした声で尋ねた。
      「所長、僕は、」
      「私は言ったはずだ。おまえはまだ子どもだ。研究所を出て自立するなど時期尚早
      だと。おまえが出て行きたいと言ったのはあの一度きりだったが、納得して引き下
      がったと思わせておいて、こそこそと出て行っちまうとはな。おまえがレンジャー
      隊に入隊していたと知って、私がどんなに衝撃を受けたかわかるか・・・!?」
       その瞬間を再び経験したかのように握りこぶしをつくり、所長は身体を震わせた。
      だが、理不尽に責められたシオンはかえって冷静になり、緊張しながらも言葉を返
      す。
      「確かに、黙って抜け出すなんて、いけないかもしれないとは思いました。でも、
      たとえ僕がいくつになったとしても、何も変わらないような気がして・・・。あな
      たは、僕の意思を認める気なんか、少しもないんじゃないですか」
      「ほぅ、とっくに気付いてたってわけか。だったらかえって話が早い。赤ん坊のお
      まえが見つけられた時の、政府の判断は間違っている。希少生物のおまえに、身勝
      手に生きる自由など与えていいはずがないんだ」
       威圧的にシオンをにらみ、ゆっくり近付きながら言う所長は、幼い頃からのシオ
      ンが、自分のこの態度で萎縮していく姿を何度も見ていた。そして、今回もそうで
      あろうという認識のもとに、シオンの目前に立ちはだかり、命令を下す。
      「研究所に戻ってきなさい」
       しかし、シオンは、萎縮して目をそらすどころか、真直ぐに所長を見据え、凛と
      した口調で、きっぱりと言い切った。
      「いやです」
       所長は大きく目を見開いた。初めて接するシオンの態度に切り返す言葉も出ない
      ほどだったが、自尊心がシオンの前でうろたえることを許さず、無表情を装いなが
      らも、優位を保とうとあがくかのように、シオンの左ほおを平手で強く打った。
       乾いた音が部屋に響く。しかし、打たれたシオンは、しっかり踏みしめた足を微
      動だにせず、無言で視線を所長に戻した。おそらく、シオンを知る研究所内の誰も
      が想像すらできないであろう強い意志を込めたその目を、所長は動揺を悟られまい
      としてにらみ返す。数秒間の、時間が止まったかのような沈黙。それをつぶやきに
      も似たハルキの声が遮った。
      「シオン。所長の考えは、決して間違いではないよ」
       はっとして、振り返るシオン。
      「ハルキさん・・・!あなたは、最初からそのつもりで僕に・・・?」
      「いや、シオン。最初にあの病院で見かけた時には、私だってきみについての取り
      決めは知っていたからね。私自身のことは伏せてはいたけれど、きみを連れ戻した
      いと切望していた所長に、すぐに報告したわけじゃないんだ。でも・・・」
       その言葉に、シオンは食い入るようにハルキを見つめ、所長はおもしろくなさそ
      うに、ふん、と鼻を鳴らす。
       ハルキは時に伏目がちになりながら、シオンに説明する。
      「でも、きみから今の仕事の話を聞いて、私は学閥を頼りに、ここでのきみの様子
      を聞いてみたんだ。きみは、レンジャー隊員としてそれなりの評価を得たらしいが、
      結局は資質を問われて、技術開発部に異動になったんだろう?そして、この開発部
      内でも皆に疎まれている・・・。私は、きみが周囲に受け入れられない以上、この
      まま保護局で働きながら生活を続けていくよりも、研究所に戻ったほうが、ましだ
      と判断したんだ。きっと、そのほうが、平穏に生きていけるよ」
       客観的にも、自分が開発部内で疎まれている事実を知らされ、シオンは思わずう
      つむいた。だが、下された判断を肯定するわけにはいかずにゆっくり首を振る。
      「確かに、僕は、よく思われてないみたいです。でも、僕はここで頑張りたいんで
      す。開発部の皆さんだって、きっといつかはわかってくれるはずです、僕が・・・」
      「わかってはくれないよ」
       そう断言するハルキに、シオンは動揺の混じったまなざしを向けた。
      「シオン。きみの、その前向きな考え方には、私もいくらか救われたりしたよ。で
      も、きみがどうあろうとしても、変えられない事実があるんだ。きみは、しばらく
      は家にも帰れないと、あのタックというロボットに連絡したんだろう?ありもしな
      い新メカの開発を任されて、ね」
      「・・・!」
      「技術開発部を、きみがいれば事足りるような部署にするわけにはいかないんだろ
      う。私たちが、きみを対外的に問題なく連れ戻すための協力を依頼したら、二つ返
      事で承諾してくれたよ」
      「主任が、ですか・・・?」
       シオンの声が震える。その様子に、気持ちで押されていた所長は、形成逆転とば
      かりにくっくと声をたてて笑った。
      「わかっただろう、シオン?そんなものさ。さあ、帰ろうな。おまえの上司とやら
      は、ご親切にも時間保護局の設備さえ使えるように計らってくれたよ。おまえは、
      する必要のない経験をしてきたんだ。それをリセットしなけりゃな」
       その意味するところを察したシオンは、息を飲み、じりじりと後ずさりする。そ
      して、所長が踏み出した一歩に弾かれたように、部屋の出口に向かって走り出した。
      だが。
      「・・ぁっ、あ・・!!」
       背後に聞こえた銃の音とほとんど同時に感じた衝撃が、逃げようとするシオンの
      意思に反して、身体を床に倒れさせた。右足のふくらはぎからの鮮血が、あふれん
      ばかりに染み出してくる。
      「所長・・・!」
       ハルキは、思わず非難めいた声を上げたが、所長は、自分の手にした銃を見て、
      一瞬、苦い顔をし、
      「ちっ、威嚇のつもりが、かすっちまったか」
      と言ったものの、すぐに平然とした言葉をつないだ。
      「まあ、仕方ない。おまえが逃げようとするからだぞ」
      「・・・っ、」
       弾丸にえぐられた傷が熱く痛む。それでもシオンは、止まらぬ出血を右手で押さ
      え付け、一歩、一歩近付いてくる所長から少しでも遠ざかろうと、左半身で這いな
      がらドアへと向かう。しかし、先回りしたハルキがドアの前に立ちはだかり、シオ
      ンの荒い息は、さらに乱れた。
      「・・・ハ・・ハルキさんっ」
      「無駄だよ、シオン。今、このフロアにいるのは、開発部の数人と、設定次第でど
      うにでもなる警備ロボットだけだ。逃げ切れはしないよ。さ、傷の手当てをしよう。
      そして、おとなしく所長の言うことを聞いて・・・」
       ハルキは立てひざを付き、シオンを抱え上げようとした。が、シオンは、病院で
      何度も親しく会話を交わしたハルキの印象から、いまだにこの状況から抜け出せる
      可能性を信じているのか、ハルキの腕にすがりついて訴えた。
      「ハルキさんっ!僕を、今までのままにしておいてくださいっ!主任と、主任と話
      し合わせてください!」
       ハルキは、二の腕に強くしがみつくシオンの指の力に痛みを感じたが、それに負
      けじとシオンを見つめた。
      「話し合って、どうなるんだい?きみが傷つくだけだよ」
      「僕は、傷ついたりなんかしません!いえ、傷ついたって、平気です。確か、あな
      たに話しましたよね。僕には、仲間がいるんです。どんな時でも僕を支えてくれる、
      大切な思い出があるんです。だから僕はひとりじゃない。たとえ僕を受け入れてく
      れない人がいたって、ちゃんと向き合えます。・・・わかってください、ハルキさ
      ん。あなたの言う平穏なんて、僕は望んでいないんです」
      「シオン・・・」
       次第に声が上ずり、語尾をかすれさせながらも、自分の気持ちをはっきり表すシ
      オン、そして、強引にシオンを束縛することなく、言い分を聞いているかのように
      見えるハルキに、所長は苛立ちを募らせた。
      「シオン、ハルキに何を言っても通らないぞ。そいつがおまえを私の元へ連れ戻そ
      うと計画したのは、その報酬として、私から大金をせしめるためなんだからな」
      「えっ・・・」
       所長の放った言葉に、シオンの指の力がふっとゆるんだ。その瞬間、ハルキは、
      自分に寄せられていたシオンの信頼が揺らいだことを感じ、自分の身勝手さを知り
      ながらも困惑の表情を浮かべた。
      「所長・・・」
      「ハルキ、別に取り繕う必要などあるまい?どうせ今のこの時さえ、こいつには無
      かったことになるんだ」
       所長はシオンの左腕を脇からすくい上げるように捕らえ、ハルキにも同じように
      右腕を捕らえるよう、ぞんざいな仕草で合図をした。
       ハルキは青ざめた表情のシオンから顔をそむけつつ、無言で所長に従った。
      「やっ、やめてください!」
       シオンは左足を踏ん張らせて抵抗を試みるが、かなうはずもなく、どう訴えよう
      と聞く耳を持たないであろう所長と、その所長に追従するハルキから逃れる術を見
      つけられないまま、なかば引きずられるように部屋から連れ出されていく。
      「離してっ!離してくださいっ!!」
 
 

      「ハルキさん・・・。ハルキさん?」
       シオンに声をかけられ、ハルキは、はっと我に返った。
       研究所内のシオンの部屋−目の前にいるのは、二週間前のやりとりを知らないシ
      オンだ。食事もおろそかに思いに耽っていた自分自身について、どう取り繕うべき
      かわからず、一瞬、間が空いたものの、
      「ああ、シオン、もう、食事を済ませたんだね」
      と、とりあえずは何でもないように装ったが、シオンは不安げな様子を見せた。
      「ハルキさん、もしかして、さっきの、気にしてるんですか?・・・すいません。
      僕、余計なこと言っちゃったみたいですね。ユウリさんやタックに会わせてもらえ
      て嬉しかったのに、あんな・・・」
      「シオン・・・。シオン、きみのせいなんかじゃないんだよ」
       ハルキは、真実を知る由のないシオンに対しての後ろめたさにいたたまれなくな
      り、せめてもの気持ちでシオンの肩を軽く抱いて、背中を二度、そっとたたいた。
       そしてシオンは、ハルキの仕草の優しさに安堵しながらも、容易には触れること
      のできないその本心に、秘かに思いをめぐらせた。
 

                               To be continued・・・