A.D. 3001
 
 

     aspect  7
 
 

 蒼い空から眩しい日射しが降り注いでいようと、空調管理が徹底している病院内
は、快適な気温が保たれ、暑さを感じる者はいない。しかしアヤセは、通信機の向
こうにいるドモンの焦りに同調しかけ、じりじりとほてるような思いにさらされた。
そこで、冷静でいなけばと自制するため、敢えて間を置いて大きく深呼吸する。
「だから、たったの一週間程度でそう簡単に進展はしないさ。地球外生命体管理局
が対処しなけりゃならないトラブルなんざ、山ほどあるんだろ。データ上じゃ、な
んの問題も無いシオンの届け出の真偽の確認なんて、優先順位からいえば・・・落
ち着けよ、ドモン、諦めてるってわけじゃないんだぜ」
 廊下の途中に、凸状に設けられている休憩スペースのソファに座り、時折廊下を
行き交う人々の姿を無意識に目で追いながら、アヤセはドモンをなだめた。
「ああ、まだ手はあるさ。裁判を起こす、とかな。シオンが研究所に戻ろうとする
はずがないと、客観的に納得させられる証明を提示しなけりゃならないが、それが
認められれば、管理局や研究所に第三機関からの調査の手を入れられる・・・まど
ろっこしいって言っても、力技で押すよりずっと・・・。・・・!」
 目の前の廊下を通り過ぎる、小さな花束を持ったハルキの姿に気付いたアヤセは、
一瞬言葉を止め、ソファから立ち上がった。
「そういうわけだ、ドモン。ユウリからまた連絡があるだろうから、ま、おとなし
く待ってろよ」
 言うだけ言って、返事を待たずに、アヤセはドモンとの通信を電源ごと切った。

 病室は、ブラインドが開かれ、窓からのまばゆい光に白く照らされていた。
 眠り続ける恋人の傍らで、ベッドサイドテーブルの花瓶に白い花束を挿しながら、
ハルキは伏目がちに考え事をしていた。
 そこへ、突然ドアが開く。
 ハルキはびくっと身構えて振り返った。ノックもせずに、不意打ちを食らわせた
ようにハルキを驚かせたアヤセが、わびもせず戸口に立っている。
「それがこの時期に咲く花か?あんたは恋人のために見舞いの度に季節の花を飾っ
ているんだってな」
 アヤセは、ハルキとベッドに眠る異星人女性を見やった。
 彼女の首から下は、複数のチューブが接続された縦長のドーム状ケースに囲まれ
て見えなかったが、ひび割れた青白い岩のように角質化している額や、わずかな突
起でしかない外耳などから、一目で異星人であることがわかる。
 ハルキは花瓶に挿した花を見栄えよく整えながら、
「この花は、ユリ科の一種でね。温室栽培で年中出回るような人気のある花ではな
いけれど、いい香りがするだろう?」
と、他意なく言い、そしてアヤセに向き合った。
「アヤセくん、だったね。・・・シオンのことなら心配はいらないよ。私たちは、
とてもうまくやっているからね」
 柔和ながらも、牽制の言葉を放つハルキに、アヤセは努めて平静を保った。
「そうだってな。ユウリとタックにずいぶんと見せつけてくれたようじゃないか。
シオンと特に仲の良かった奴なんか、いきさつを聞いて、荒れちまってな」
「そうか・・・。裏切られたような気分にでもなったんだろうね・・・」
 ハルキがふと表情を曇らせ、眠り続ける恋人をちらっと見た。その一瞬、アヤセ
は、家族を亡くした悲しみに耐え切れず死を選んだ恋人に対するハルキの心情を垣
間見た気がした。
「あんたの恋人は・・・フローラって名前らしいな。地球人の女の名だ」
「・・・。ああ。父親が名付けたんだそうだ。ラテン語源で、花ざかり、という意
味合いがあるそうだよ」
 ハルキは、彼女の額を、ひび割れのような筋に指先を添わせて優しく撫でた。そ
の行為は、地球人の女性の髪を、恋人が愛し気に撫でる仕草となんら変わらない。
「フローラの生まれた星には、花を咲かせる植物は存在していなくてね・・・ある
のはただ、地面に張り付くように生えている苔のようなものだけだそうだ。フロー
ラの父親やその兄妹たちは、子どもの頃に家族で訪れたこの地球で咲き乱れる花々
に、心底、魅了されたんだそうだよ。自分たちの星が、交流のメリットがなくなっ
た地球から切られるような形で関係を断たれてしまう時に、地球に帰化することを
決意したほどにね。フローラも、とても花が好きでね。物心がつく前に離れて憶え
のない生まれ故郷よりも、この地球を愛し、地球人として生きてきた・・・。私と
の間に子を持つことはできないが、いずれは養子を迎えて、自分たちの家庭をつく
ろうと・・私たちは・・話し合っていた・・・。それが、あんな・・・」
 時空の歪みに飲み込まれたビル。家族のすべてを失ってしまった異星生まれの恋
人。アヤセは、自分ともまったく無関係ではない事実を語るハルキに、同情を越え
た何かを感じ取った。そして、それはシオンも同じだったのではないかと、ふと思
う。
 ハルキはうつむき、唇の端に自嘲気味な笑みを浮かべた。
「フローラは、突然、地球の中にぽつんと放たれた異星人になったんだよ。家族の
存在があってこそ、地球人のつもりになって生きていられたんだ。そして、私は、
気付いてしまった。何事もない、平穏な時にはわからなかった真実に・・・。私た
ちは、所詮、異星人同士だったんだ。お互いに抱いていた愛情も、信頼も、結局は
幻想に過ぎなかった。アヤセくん・・・きみたちも感じたんじゃないのかい?きみ
たちだって、シオンの喪失感を埋められるだけの存在には、なり得なかったんだか
らね」
 少しずつうわずる声を聞きながら、アヤセは、ハルキが自身の経験に触れながら
も、結局はシオンと自分たちの間柄をその程度のものだと断言しているように感じ
た。それを認められるはずはないが、今ここで、シオンを取り返そうとしている自
分たちの動きをあからさまにするわけにもいかず、ぶつけたい反論を飲み込んだ。
 ハルキは、無言のままのアヤセに背を向け、
「療養中の身では、立ち話も疲れるだろう。もう自分の病室に戻ったらどうだい?」
と、話を打ち切った。
 束の間、立ち尽くしていたアヤセは、戸口に向かって歩き出す。だが、押さえ切
れない思いに足を止め、飲み込んだ言葉に変えて静かに言った。
「あんたたちの愛や信頼が幻想に過ぎなかったのかどうか、結論を出すのは早いと
思うぜ。彼女は、まだ生きているんだろう?生きている限り、変えられる明日はあ
るはずだ」
 ハルキは、思いもよらなかったアヤセの言葉に顔を上げて振り返ったが、アヤセ
の後姿は、もはや閉じられたドアに遮られ、見えなくなっていた。

 時を同じくして研究所では、外界の光を取り込む窓のない、薄明るい照明だけの
廊下を、所長が後ろ手を組み、意識しているかのように重々しい足音を響かせなが
ら歩いていた。ほ乳類系のエリアを、他の生命体の収容室には見向きもせず、ただ
シオンの部屋に向かって進む。

 シオンは、室内を動き回る掃除ロボットをちらちら見ながら、パソコンのキーを
何気ない様子で叩いていた。
 丸みを帯びた愛らしいデザインの家庭用掃除ロボットは、汚れを求めて進み、壁
や家具に行き当たると向きを変えて、再び進み出す。その姿をしばらく目で追った
シオンは、ふっと立ち上がり、掃除ロボットの進路の邪魔をするべく歩み寄った。
 シオンの足にぶつかる手前で止まった掃除ロボットは、家具に行き当たった時と
は違い、高めの音声で、
「ドイテクダサーイ」
と叫ぶ。
 シオンが右へどいてやると、
「アリガトー!オソウジ、ガンバルネ」
と、張り切っているかのように一回転して再び進み出した。
 そんな掃除ロボットの動きを笑みながら見ていたシオンは、背後で聞こえたドア
が開く音に、さらなる笑顔を作り、来訪者を迎えるために振り向いた。しかし、そ
こに立っていた男を見るなり、一瞬にして笑みは消えた。
「ハルキだとでも思ったか?シオン。まあ、用のない時間にこの部屋に入るのは、
奴くらいだからな。だが残念だったな。今日は、休みだ。ここへは来ないよ」
 所長は、表情をこわばらせているシオンにゆっくりと近付き、向き合った。と、
そこへ、本棚から方向転換してきた掃除ロボットが所長の足の手前で止まり、叫ん
だ。
「ドイテクダサーイ」
 所長は、本来は障害物の区別なく方向転換し、言葉も発しない機種の掃除ロボッ
トを横目でにらんだが、当のロボットは視線を感知するわけもなく、進路を妨げて
いるままの足に対して、
「ドイテッテ、イッタノニー!」
と、文句を発し、くるりと向きを変えて遠ざかって行った。
「たかが掃除機に、くだらない改造をしたもんだな」
 所長は、手なぐさみ程度でそれができるシオンの能力を認めていながらも、見下
すような口調で言った。シオンはそんな言葉には頓着せず、所長が目の前にいるこ
とに居心地の悪さを感じて、身体を小さく揺らしながら尋ねた。
「何か・・・御用ですか?」
「まあな。おまえに話があってな」
「話ですか?なんでしょうか」
「その前に・・・私には、椅子をすすめてくれないのかなぁ」
「えっ。あ、すいません。・・・どうぞ」
 シオンは、ユウリには嬉々としてすすめたカウチソファを示す。所長の嫌味な言
葉から、ユウリたちが来訪した時間のモニターの録画映像をチェックされたことが
わかる。話とは、それに関わる事柄だろうか。シオンはカウチソファに歩み寄る所
長を困惑の目で追った。
「おまえ、あのユウリとかいう女に会って、ずいぶん喜んでいたなあ。外の人間と
の接触が、そんなに嬉しかったか?」
 所長はソファにどっかと座り、足を組んだ。
 シオンは、素直に返答した場合の所長の出方が気になり、何も言わずに立ちつく
す。
「おい、シオン、そんなところにつっ立っていないで座ったらどうだ?ああ、その
前に、あれをオフにしておけ。煩わしい」
 シオンは、無言で作業机の上のリモコンを手に取った。音声認識でのオン・オフ
もできるが、所長の前で登録した合図を口にしたくはなかった。
 電源ボタンを押すと、掃除ロボットは、
「ハーイ、オツカレサマデシター」
と声を発しながら、定位置として設定されている作業机のそばに戻り、緑色の電源
ランプを赤に変えて動きを止めた。それを見届けたシオンは、気乗りがしないよう
にゆっくりと歩き、先程まで座っていた椅子を所長がふんぞり返っているカウチソ
ファに向けた。
 シオンの、のろいともいえる動作に、所長は早くしろとばかりにあごをぐいっと
上げてせかす。
 椅子に座ったシオンは肩をすぼめてひざに手を置き、うつむき加減で所長の話な
るものを聞く用意をした。それは、所長の感じるシオンらしい姿だったが、所長は
口の中で、
「ふん、もう、その見かけにはだまされないぞ」
と、つぶやいた。
「えっ?」
 聞き取れなかった言葉を、シオンは反射的に聞き返す。
「いいや、私はな、一度、おまえとじっくり話をする機会が必要だと思ってな。私
はおまえに関しては身体の隅々まで知っている。だが、おまえが今、腹の底で具体
的に、何をどう考えているのかまでは知り得ない。臓器の内視のようにはいかない
からな。だからまず、おまえに聞くが、おまえはここでの生活をどう思っている?」
「それって、抜き打ちの心理テストですか?」
 今さらの質問に、シオンは答えそのものを求めるためでない、別の意図を勘繰っ
た。
 所長は、不安げな声にも容赦せず、その勘繰りを責めるように語調を強める。
「だったら気構えて、裏をかく答えでも出そうってわけか?脈拍ひとつ採らずに、
そんなテストなんかするか。じゃあ、質問を変えてやるよ。おまえは前任の所長か
ら、おまえについて決定されている政府の方針を聞かされたことがあるな?」
「・・・はい。いずれは、僕の自由意思、自己責任において生き方を決められる、
って」
 シオンはそう答えてから、遠慮がちに、
「ここを出ていく選択も、含まれるそうですよね」
と、付け足した。
 所長は、眉をぴくりと動かしはしたものの、とりあえず冷静を保ち、
「まあな。そして、あの所長だった男は、研究対象としてのおまえに興味を持って
いながらも、その方針を鵜呑みにしていたわけだ」
などと、どことなく馬鹿にしているかのような口調で言いながら足を組み変えた。
「当時、私たちにも言っていたよ。おまえには、年相応に外界の情報にも触れさせ
て、それについて考える機会を与えるように、とか、なんとかな。自分は、てんで
世情にうとい堅物だったくせにな」
 堅物、というのは確かだった。笑顔などめったに見せず、優しさや暖かさなどは
おおよそ感じさせない人物だった。
 しかし、シオンは彼を決して嫌ってはいなかった。外界の情報を知れば知る程、
希少生物と目される自分が、普通と呼ばれる人々とは全く違う日常を送っているこ
とを思い知らされたが、何の情報も与えられずに、ただ研究材料としてだけの扱い
を受けるよりはずっとましだと感じられ、その配慮に感謝さえできた。何より、心
を通わせることはできず多少の畏怖はあったものの、彼の筋の通った考え方や真摯
な態度は、嫌悪の対象にはならなかった。
 もし、幼い頃から嫌悪していた人物がいるとするなら、それは・・・。
 視線の落ち着かなかったシオンと、一瞬、目が合った所長は、ふん、と鼻を鳴ら
して言葉をつなげた。
「で、おまえ自身も、いずれは自由意思とやらでここを出て生きていくつもりがあ
るわけだな。私としては、おまえがこの研究所以外の環境でうまく生きていけると
は思えないんだが」
「え・・・でも、僕の身体のサイクルは、地球人とは全く違う部分もあるけれど、
地球の環境下での生活にはほとんど支障がないと聞きました」
「今は生体機能の話をしてるんじゃない!」
 強い口調で言うと同時に、それまで組んでいた足を音をたてて降ろした所長に、
シオンはびくっと身体を固くする。その様子が自然の反応に見え、所長はようやく
自分の優勢を実感して口の端を微妙に上げた。
「まあ、おまえには生活能力がないわけでもなさそうだがな。それは認めてやるよ。
しかしな、世の中は危険が多すぎる。おまえは、掃いて捨てるほど同種族がいる連
中とは違うんだ。・・・だからな、提案があるんだが」
 所長は、軽く腕組みをし、身を乗り出した。
「おまえが自力で生きていきたいというのなら、仕事を与えてやるよ。この研究所
で働いて収入を得る、そしてそこから自分自身にかかる費用をまかなう・・・別棟
に寮があるのは知っているな?そこで生活するってのは、どうだ?となれば、他の
所員たちとなんら変わらない暮らしができる。これならおまえの身を保護しつつ、
自立もさせてやれるってわけだ。まあ、ひとりで好き勝手に、というわけにはいか
ないが、外出を認めてやってもいい。いい案だろう?細かいことは、追々決めてい
こうじゃないか」
「あの、」
「なんだ?」
 提案と言いつつ独善的に話を進める所長に、シオンは改めて聞くまでもないかも
しれない質問を口にした。
「僕の・・・サンプルとしてのデータ採取は、続けていくつもりでしょうか?」
「当然だ。何を言い出すかと思えば・・・。種の継承に必要な数のハバード星人の
生存が確認されない限り、この先もおまえは」
 と、そこへ、話の腰を折るように、通信機の着信音が鳴った。
「はい?・・・そうだが。ああ、ちょっと待っててくれ」
 所長は通話をそのままにして立ち上がり、シオンに向かって、
「今までのままとどちらがいいか、よく考えておけ」
と言い残し、部屋から出て行った。
 シオンは所長の後姿がドアの向こうに消えたのを見届けたが、緊張を解こうとは
しなかった。
 所長の独善的な提案は選択肢さえないものだったが、ある意味、シオンがこの研
究所から出たがっていると知ったうえで、懐柔策を持ち出してきたとも受け取れる。
そうでもしないと本当に出て行きかねないと恐れを抱いているかのようであり、記
憶にない、約二年の間の自分の行動がそうさせたのに違いない、と、シオンは確信
を抱いた。
「急いだほうがいいのかもしれない・・・。本当のことを、確かめなきゃ・・・」
 そう小さくつぶやき、自分自身の決意に対して否応なく沸き上がる不安を押さえ
るために、シオンは外界に続くドアを見つめ、くちびるを強く結んだ。
 

                         To be continued・・・