A.D. 3001
 
 

     aspect  8

 
 その朝、所長室へ向かうハルキの足取りは重かった。
 本音は所長と顔を合わせたくない気分だったが、呼び出しを無視できるわけもな
く、ついに到着した戸口の前で小さくため息をつく。
 いつもと同じく、デスクに足をかけて座る横柄な態度でハルキを待ち受けていた
所長は、その表情に気を止めることなく、朝の挨拶すら受け流して話を切り出した。
「昨日、時間保護局開発部の主任から、私に通信が入ったんだ。おまえに連絡が取
れなかったとかでな。どうせ、恋人との時間を邪魔されたくなかったとかだろうが、
連絡態勢は常にオープンにしておけ」
「すみません。それで、何と・・・?」
「シオンの仲間だったあの女が、保護局にも来たというんだ。それも、昨日で三度
目だと。シオンが辞めた時やそれ以前の様子について、かなりしつこく聞いてくる
らしい。それで奴らは、あの女が我々の計画にうすうす気付いているんじゃないか
と不安になったようだ。なんとか知らないふりを通したらしいが、単なる手助けを
した程度で巻き添えを喰らってはたまらないとさ。自分たちも厄介払いができたと
喜んでいたくせにな」
 所長は馬鹿にした口調で言いながらも、ハルキに対して、心配する必要はないの
だろうなと念を押しているようだった。しかし、ハルキは、ユウリの行動を知り、
昨日のアヤセが去り際に残した言葉の真の意味に思い至った。
「シオンの仲間たちは・・・彼が自分の意志でここに戻ってきたなどという話は、
信じていないようですね。確かに、真実はその通りですが」
 落ち着きはらって言う態度が気に障るのか、それとも真実そのものが気に入らな
いのか、所長は鋭い目つきでハルキをにらんだ。ハルキはその視線に気付かないふ
りをして言い続ける。
「しかし、彼らは真実を知っているわけではありません。ただ、以前のシオンと自
分たちのつながりを信じているだけです。今のシオンがここでの暮らしを良しとす
るならば、彼らの信じるつながりも、無いに等しいものでしょう」
「ふん、結局は、シオン次第というわけか?おかげでこっちは奴の御機嫌取りだ。
まったくもって煩わしい」
 所長は背伸びをするようにふんぞり返り、デスクに投げ出している足を組み変え
た。そして、
「その分、奴のクローンには、楽しませてもらわないとな」
と、顔を歪ませて笑った。
 ハルキは、その言葉に、今までまともに見ていなかった所長に視線を向けた。
「クローン?シオンのクローンですか」
「ああ。ようやく接触ができたんだ。クローン技術の、元、権威にな。たとえその
世界から追放されてはいても、限りなく百パーセントに近い再生率を誇る、トップ
レベルの技術者であることに変わりはない。異星人の再生もお手のものだ」
「しかし、所長。知的生命体のクローン再生は、多数の条件を厳密に満たしている
場合のみ認められるものです。シオンは唯一のハバード星人といえども、その条件
には当てはまっていないじゃないですか」
 所長は、ハルキの意見にぴくりと眉を動かした。
「違法、だとでも言いたいのか?おまえが言えた義理か?シオンにやった記憶の操
作も、確か、特殊な職業の人間に対して、精神的苦痛を緩和する為においてのみ、
認められるものー、だったと思うがなぁ」
「・・・それも、そうですね」
 いつもの皮肉めいた口調に、ハルキは言葉を濁らせたが、すぐに言い訳を始めた。
「ただ、私は必要性に疑問を感じただけです。一個体に過ぎないシオンのクローン
をどれだけ造ろうと、ハバード星人のサンプル数が増えるわけではありませんから。
唯一の存在のスペアがあれば、多少は気が楽になるのでしょうけど・・・」
 所長はそこまで聞くと、人を小馬鹿にした響きのある笑い声をたてた。
「おまえも研究者の端くれなら、ピンとこいよ。ハバード星人と地球人との、非、
類似点は何だ?」
「最大の差異は、睡眠周期です。それに、免疫機能や分解酵素の働きにも若干の違
いが・・・。!まさか、所長!」
 ハルキは一歩、足を踏み出し、自分の発想が間違いであることを願って叫んだ。
しかし、所長は得意げにうなずく。
「ああ、そうさ。やっとわかったか。ウイルス、菌、毒物、薬品・・・これらに対
する生体反応を詳細に調べるためだ。死なない程度の実験では、正確なデータは採
れないからな」
「待ってください、所長。それに関しては、地球人のデータと相関させたゲノム情
報の解析で、ある程度、得られています。これまでの解析をさらに進めていけば、
特定の物質に対する反応など容易に推測できるはずです。人体実験のためのクロー
ンなど・・・」
 慌てるハルキに、余裕の笑みを見せながら、所長は、
「実証できてこその推測だ。それに、量産できるクローンなら、心置きなく解剖も
できる。スキャン映像でしか見られなかったものが、生で拝めるんだぞ。生で」
と、声を低くして言った。
 耳にねっとりと貼付くその声に、ハルキは、全身から血の気が引くような感覚に
襲われた。
「そんな・・・。私は反対です、そんな、生命を弄ぶような・・・」
「ふん、おまえも、倫理がどうのと言う俗物か?大昔から、そんな幻想をふりかざ
す奴らや行き着く先とやらを恐れる憶病者のせいで、どれだけ科学の進歩が妨げら
れたと思う?と、まあ、これは受け売りだがな。別におまえの意見など聞く気はな
い。おまえがどう思おうが、それも勝手だ。だが・・・私の方針に逆うと損をする
ぞ?」
 所長は、上目遣いで覗き込むようにして言い、ハルキが何も言い返せなくなって
いることに満足して声をたてて笑った。
 
 

 午後三時を過ぎた頃、研究所地上階にあるワークスペースで、ハルキはパソコン
に表示された書きかけのままの研究論文を前にしていたが、視線は画面に向いてい
ても、どうしても集中できず作業は遅々として進まない。
 時にキーを叩いてはデリートし、小さなため息をつく後を、片手にコーヒーカッ
プを持った他の研究員が、
「ずいぶん、お疲れのようですねぇ」
と嫌味っぽく言い捨てて素通りしていく。
 ハルキは声の主の後姿を横目でちらっと見たものの、何かを言い返すでなく目を
伏せ、
「自業自得だがな・・・」
と、つぶやいた。
 それをきっかけに、もうこれ以上、今の状態で作業を続けても無駄だと感じ、休
憩を取ろうと論文の表示を閉じた矢先、パソコンがプライベート用メールの短い着
信メロディを奏でた。
 パスワードを打ち込んで開き、発信元の確認をした瞬間、思ってもいなかった相
手からの送信に、ハルキは目を疑った。
「・・シオン・・・」
 
 

 深夜にもなると、研究所にはいくぶんの静けさが訪れる。
 母星の昼夜のサイクルや、活動時間帯がそれぞれ異なる異星生命体の観察、検査
のため、それ相応の人員が勤務しているが、日中とは比べるまでもない人数であり、
廊下を歩いていても誰かとすれ違う可能性は低かった。その上でハルキは、周囲に
人の気配が無いことを確認しながら、残業を装って泊まり込んでいた仮眠室からシ
オンの部屋の前まで行き着いた。
 シオンからの要求による訪問は初めてであり、時間さえ指定してきたその意図を
推し量ると、ドアを開ける操作にも戸惑いを感じる。そして、いつもとはまるで違
い、ほんの少しの笑みさえ見せずに自分を迎え入れるシオンを目にし、ハルキはさ
らに穏やかならざる気分に陥った。
「・・やあ、シオン。きみからのメールには驚いたよ。いったい、誰から私のアド
レスを聞き出したんだい?」
 シオンは、作業机の上のパソコンを示し、
「調べました。時間はかかりましたけど。万全のつもりでいるようですが、ここの
ハッキング対策は、まだ甘いです」
と、事も無げに言った。
「調べた・・。調べられたのか・・・。」
 シオンに与えているIDナンバーには、ネットワーク上の制約がかけてあった。
テレビも同様で、年齢的に有害な情報に触れないための一般的なシステムが使われ
ていたが、所長はシオンを連れ戻して以来、彼が自由に得られる情報をさらに狭め、
シオンはといえば、憶えている頃との違いにただ戸惑っていただけのはずだった。
「きみがその気になれば、制約なんて無いも同然なんだな」
 ハルキはつぶやくように言葉をもらしたが、シオンは気に止めるでなく、
「それより、この部屋に来たこと、誰にも知られていませんよね」
と確認を取った。
「あ、ああ。きみの指示通りに、気をつけてきたよ。でも、それに何の意味がある
んだい?この部屋の様子は監視されているんだよ。私がここに居る映像記録だって
残るんだし・・」
「いいえ。今、モニター室に流れて記録に残る映像は、あらかじめ録画しておいた、
いつもと似たような行動をしている僕の姿だけです。他の収容室のモニター画面へ
の影響も出ないようにしてありますから、マニュアルで監視カメラの角度を変えら
れない限り、気付かれたりはしないと思います」
 シオンは、あっけにとられているハルキにそう言いながら、部屋の一方の壁面の
上部にある大窓に目を向け、
「この時間なら、しばらくはあそこからの観察もありませんしね」
と、付け加えた。
 ハルキは、その話をすぐには信じられなかった。しかし、意識して監視カメラを
見ると、多少の細工がなされているのがわかり、新たな疑問が湧いた。
「カメラが正常に作動している時に、どうやって・・・?」
 独り言のようなつぶやきに、シオンは、ようやくかすかに笑みを見せ、
「このコです」
と、掃除ロボットを示した。
「普通でも、窓や壁の拭き掃除はできますが、より細かく複雑な作業ができるよう
に、アームの改良をしました。わかります?掃除のふりをして、僕がやっていれば
不審に思われるようなことを、代わりにやってくれるんです」
 その説明を聞き、ハルキは眉間にしわを寄せ、険しい表情をつくった。
「単なる遊びならともかく、そんなことのために改造するなんて。これが所長に知
られたら、もう、機材や部品の差し入れだって認められなくなってしまうよ。ばれ
ないようにやっているつもりだろうけど、いずれはどうなるか。きみが思っている
よりもずっと、所長はきみの動向を警戒しているんだよ」
「それは、僕がこの研究所から黙って出て行ったことがあるからですか?」
「!」
 ハルキは息を飲んだ。たしなめるつもりで言った言葉に、思いもかけない質問を
投げかけられ、動揺を隠す余裕さえなく返答に窮してしまう。しかし、それが肯定
として受け取られかねないと気付き、自分を落ち着かせながら首をゆっくりと横に
振った。
 

                         To be continued・・・