A.D. 3001
 
 

     aspect  9
 

 シオンはハルキを真直ぐにみつめる。
 その澄んだ瞳を前に、かすかな恐れさえ感じながらも、ハルキは無理に微笑んで
みせた。
「驚いたよ、何を言い出すのかと思って。所長がきみの動向を気にするのは、ほら、
あの人はああいう人だから、きみのすべてを知り尽くしていたいって欲求があるか
らだよ。きみがこっそり監視カメラに細工をしていたなんて知ったら、ものすごく
怒るに違いないよ・・・」
 言ってはみたものの、これにシオンがどう返すか不安が残った。
 もしかすると、ハッキングして調べたというメールアドレス同様、自分自身の研
究データを盗み見たのかもしれない。
 赤ん坊の頃から採取され、蓄積され続けたデータが、ある期間だけ抜けている。
しかもそれは、喪失している記憶の時期と一致しているのだから、この研究所に居
なかった事実を察したとしてもおかしくはない。
 シオンがそのことに触れてきたなら、どう誤魔化せばいいかとハルキは考えた。
 初めて出会った頃から今までに何度、この素直な異星人を欺いてきただろう。そ
してこれからも、どれだけの嘘を重ねていくのだろう。
 もう、限界に近いような気がする。
 しかし、今さら何を、とも思う。
「ハルキさん」
 名を呼ばれ、身構える。
 だが、シオンが投げかけた言葉は、ハルキの予想とは違っていた。
「もう、三週間くらい経つんですよね」
「え・・・?」
「脳検査のミスのせいで、僕がそれ以前の、約二年分の記憶を失ってからです」
「あ、ああ。私も関わっていたことだから、きみには本当に申し訳ないと思ってい
るよ」
 改めて言われ、ハルキはいぶかしみながらも話を合わせる。
 シオンはハルキに背を向け、ゆっくりと二、三歩離れながら天井を仰いだ。
「あなたは、僕にいろいろ教えてくれました。あなたが一年前にこの研究所に転属
してきたこと、足の怪我は使っていた工具を落とした時に負ったものだってこと、
そして、あなたには異星人の恋人がいて、だから僕のこともただの研究対象とは思
えなくて、友だちのつもりで付き合っていたって・・・」
 一瞬、つまらせたように言葉を止め、うつむく。
「僕・・・嬉しかったんです。記憶を失う前の僕も、きっとあなたを好きだったん
だと思いました。だから、あなたの教えてくれることのすべてを信じたかったんで
す。・・・でも」
 振り返って再び向き合う。
 ハルキは無意識に息を飲み、半歩後ずさりした。
「でも、ひとつ、気になってしまったものがありました。あなたの話とは違うもの
です」
「違うもの・・・?何だい、それは。・・・言ってごらん。何か、誤解があるのか
もしれないし」
 できるだけ気持ちを落ち着かせて問う。
 シオンの瞳が悲し気に光ったような気がした。
「足の傷です。あなたがケアしてくれるのをなんとなく見ていて、ふと思い出した
んです。工具で怪我をしたことなら、小さい頃にもありました。亡くなった前の所
長に、気を付けなさいって怒られたのが、とても怖かったって憶えがあります。そ
れで足の傷口は・・・あの時の手の傷とは違っているような気がしたんです。使っ
ている工具は似たようなものなのに。でも・・・あなたを疑うのは嫌な気分でした。
だから、あの時より傷が深いから違ってみえるだけならいいのに、って・・・」
 話ながら、シオンはそっと左腕に触れた。うっすらとした筋となって消えかかっ
ている傷−手を滑らせて工具で切ったという傷のあった個所をさするかのように。
「ま・・・まさか、確かめるためにわざと・・・」
 衝撃を受け、目を見開くハルキに、シオンはゆっくりうなずいてみせた。
「こっちのほうは、多少深くはあっても、憶えている傷と同じでした。レーザー系
のものほど細くなくて出血もそれなりにありますけど、鋭利な傷口です。そうだっ
たでしょう、ハルキさん」
 ハルキには、返す言葉もなかった。
 傷の手当ての際に、足と腕の傷口の違いには気付いたものの、シオンがそれを気
に止めるとは思えず、ましてや故意に自身の腕を傷付けたとは考えも及ばなかった。
 もはや、立っている気力さえ失い、ふらふらとカウチソファに近付き、座り込む。
そして、うずくまるように額に手を当ててうめいた。
「そんな早くに、私の嘘がわかっていたなんて・・・。はは・・・間の抜けた話だ
な。私は、見抜かれてしまっているのにちっとも気付かずに、何も知らないきみに
気に入られているとばかり思っていたよ」
「ハルキさん・・・」
 背を震わせて自嘲するハルキだったが、嘘を責めるでなく落ち着いているシオン
の様子に、
「そこまでわかったのなら・・・足の傷は、誰にやられた何の傷か、見当はついて
いるんだろうね」
と、うずくまったまま聞いた。
「はい・・・一直線にえぐられた感じが・・・もし、今でも持っているのなら、所
長が護身用にしている旧式の銃なんじゃないかと。あのタイプはドリル状の弾丸が
発射されるもので、小型で撃った時の反動が小さいわりには、それなりの威力があ
るんです。所長なら、必要に迫られれば、僕の足を撃つくらいはやりそうだと思い
ました。怪我なんか、研究項目のひとつになり得る、サンプルに起こった現象に過
ぎませんから」
 真面目に話していたかと思いきや、シオンはおどけるように肩をすくめ、
「他の人がやったなら、許さないでしょうけどね」
と付け足した。
「そして容易に推察できたんだね。一旦、逃げ出したこの研究所に、無理矢理連れ
戻されたのに違いない、と・・・」
「ええ。僕、前々から、ここを出て生きていくために必要な仕事や住む場所の情報
を集めてましたから。いずれは所長にも、ちゃんと、出て行きたいってこと言わな
くちゃ、って思ってたんです。あの人は、僕を引き留めようとするだろうから、た
ぶん、言ってしまってこじれちゃったんでしょうね。その頃から連れ戻されて記憶
を消されるまで、約二年間あったってことでしょう?けっこう、外の世界でうまく
やれてたんじゃないでしょうか、僕」
 シオンは、偽りを認めたハルキに対して安堵したのか、口が軽くなっているよう
だった。
 だが、ハルキは、ふっと笑いともとれるようなため息を漏らした。
「見事だよ、シオン。だが・・・そこまで思い至っておきながら、それを私に話し
てしまうなんて、無謀もいいところだよ。きみの思った通りなら、間違いなく私は
所長側の人間だ。私が、嘘を見破られてしまったと所長に報告するとは考えなかっ
たのかい?」
 本当に報告する気があるのなら、今もってなお優勢なのはハルキの方だ。しかし
その挑戦的な言葉にも関わらず、表情には覇気が無く、口調も弱々しい。
「・・・その可能性は、ずっと考えていました。でも、もしかしたら、そうとは限
らないとも思ったんです」
 穏やかな視線をハルキに向け、そしてシオンは部屋の中をゆっくり見回した。
「周りにたくさん人がいても、どんなに優しく丁寧に扱われても、僕はいつもひと
りでした。ただ研究されて、能力だけを期待されて・・・。心理状態を把握されて
も、気持ちを察してもらったことはないんです。でも、あなたは、友だちだと言っ
ってくれたとおりに僕に接してくれました。検査やテストの時だって、データより
も僕自身を気にしてくれてましたから」
「ふ・・・。それも、きみを騙すための芝居じゃないか」
「違うと思います。あなたは自分を気まぐれだと言ったけれど、僕には、あなたが
迷っているように見えたんです。何か事情があって、迷いながら僕を騙しているの
だとしたら・・・。じゃあ、僕が望めば、本当のことを教えてくれるかもしれない
じゃないですか」
 その声は、かすかに熱を帯びたが、視線を合わせまいと顔を伏せて身じろぎもし
ないハルキに、どことなく自信が薄らぐ。
「・・・確信は持てませんでした。今、この時だって、あなた次第なんです。それ
でも僕は、決めました。あなたがみせてくれた優しさを・・・信じるほうに賭けて
みたんです」
 それは、よくよく考えての結論だということは、ハルキにもわかった。だが、結
論そのものに唖然とし、気の抜けた笑いを漏らす。
「・・は・・ははは・・」
「ハルキさん・・・」
「・・・わからないな・・・。私はとんだ見立て違いをしていたよ。きみが、こん
なにも掴みきれない奴だったなんて・・・。幼げなのに明晰で、したたかと思えば
純粋だ・・・」
 ハルキが肩を震わせる。笑っているようで、泣いているようでもあった。
 だが、やがて一息つくと、ゆっくり顔を上げた。
「シオン・・・すべて、きみの思い当てたとおりだよ。一年前に私がこの研究所に
来たのは本当だが、きみと出会ったのはここじゃない。・・・ごらん」
 白衣の胸ポケットから通信機を取り出し、機能ボタンを数回押して3D映像を見
せる。空間に巨大病院の外観が小さく映り、数秒ごとに、そこまでのアクセス、医
師や看護士、設備面などの情報が順番に表示された。
「4月の初め頃、私は、この病院できみに会ったんだ」
「ここ、ハルキさんの大切な人が入院してるってところじゃないんですか?」
「そうだよ。そしてきみは、入院中の仲間の見舞いに、よくここへ訪れていたんだ」
「仲間・・・。ユウリ、さん・・・?」
 今のところ、仲間と言われて唯一、浮かんだ名をつぶやくが、ハルキは首を振る。
「いや、アヤセという男だよ。現在では必ずしも死に至らなくなった、オシリス症
候群の治療の為に、今も入院している。彼も、ユウリと同様、きみが時間保護局の
レンジャー隊員だった頃の仲間だ」
「レンジャー隊員・・・僕が、レンジャー隊員・・・アヤセ、さん・・・」
 噛み締めるように口にし、シオンは目を細めてこめかみに手を当てた。
「頭が、痛むかい?」
「え、あ、はい・・・」
 肯定の返事をしながらも、無意識にこめかみから手を放す。
 ハルキは通信機を横に置いてソファから立ち上がり、頭痛を治めるまじないのよ
うにシオンの頭をゆっくり撫でた。
「痛むのは、封じられた記憶を呼び起こそうと神経を刺激しているからだよ。私は、
いや、所長と私は、きみの、外での記憶を完全に消去しようとした。だが、きみが
その記憶にしがみついていたから・・・。設備は最先端のものでも、忘れたくはな
いと執着している記憶を無理矢理に消去できる程の技術を、私は持っていなくてね。
強行すれば、きみの精神を傷付けかねなかった。だから、伝達経路を遮断する方法
を取ったんだ。一生涯、思い出せなければ、消えたも同然だ、とね」
 そう聞かされ、シオンはくちびるを震わせた。
 消去を免れる程に執着していたという記憶や、仲間というものの存在に対して、
いまひとつ実感の湧かない今の自分をもどかしく思うのか、切実な声で問う。
「思い出すことは、できるんでしょうか?」
「適切な処置をすれば、それは可能だ。だが、きみが執着していたレンジャー隊の
頃の記憶も、もはや過去のものだ。私と出会った頃のきみは、別の仕事に就いてい
て・・・決して、周囲の地球人たちと上手くやっていたわけじゃないんだよ」
「え・・・」
 自分の知らない過去の自分がどう生きてきたかを、願望も含めて明るい方向で思
い描いていたせいか、シオンはハルキの言葉に突然の不安を覚え、まるで迷い子の
ような心許ない表情で視線を漂わせた。
 ハルキは図らずしも、嘘を見抜かれ追い詰められたことへの仕返しをした格好に
なり、ただでさえ不安定な状況にいるシオンを深みにはめた気がして自己嫌悪した。
「い、いや、きみはそれでも、大切な思い出を支えにして頑張っていたんだ。研究
所のほうが平穏に生きていけると言った私に、そんな平穏は望まない、と言うくら
いにね。・・・だが、私は、やはり唯一のハバード星人であるきみは、ここで保護
されるべきだと思ったんだ。だから私は、せめて、少しでも居心地がよくなるよう
にと心を砕いてきたつもりだ。シオン、外の世界は、きみにとってリスクが大きい
んだよ。仲間ができたといっても、所詮、彼らは異星人なんだ。いざという時、あ
てになんかならないさ」
「・・・」
 シオンは、意外に思った。
 根拠は無かったものの、ハルキが自分を騙していたのは、所長に何か弱みでも握
られ逆らえない為ではないかと考えていた。
 だが、そうではないのなら、今の言葉が真意なら、何故、迷いを見せたのだろう。
 答がみつかるわけもなく、シオンは、ただじっとハルキをみつめた。
 ハルキは、その視線を、不安感の表れだと受け取り、言い足した。
「心配はいらないよ。今夜のことは、所長には報告しない。私は、きみの気持ちを
理解できないわけでもないんだ。・・・だが、きみがまた、所長に無断で出て行こ
うと考えていても・・・私は、力を貸せない」
「はい。僕も、あなたを巻き添えにするつもりはありません」
 鎌をかけたつもりはなかったが、その返事で再度の脱出を謀っていることが簡単
にわかり、ハルキは思わず苦笑した。
「シオン・・・軽はずみな行動をしてはいけないよ。ただでさえ、きみを保護する
為という名目のセキュリティは以前よりも強化されているんだ」
 話しながら、胸に付けていた自分のバッジをはずし、シオンに手渡す。
 それは、所属と名前が記されているだけの、何の変哲も無いバッジだったが、裏
返してみると、右上隅に5mm角のチップが埋め込まれていた。
「これって、もしかして・・・」
「そう、エントリー・チップだよ。センサーと呼応して反応を相殺する。これを所
持しているか、所持している人間の半径1.5メートル以内にいる者ならスムース
に通れる廊下を、そうでない者が通ると、センサーによって張られる前後のシール
ドの間に閉じ込められてしまう。主に、軽犯刑務所や隔離施設に使われているシス
テムだ。私たちがきみを別室での検査に連れ出す分には何の問題もないが、もし、
きみがそれを振り払って逃げようとしたり、ひとりで部屋から抜け出そうとしよう
ものなら・・・」
「見えない檻ですね。監視カメラや部屋のロックよりタチが悪いです」
 シオンはチップを分析するかの如く、じっくり眺めながらハルキの説明を聞き、
独り言とも取れるようなつぶやきを言い流す。
 ハルキは、もう返すようにと催促の手を差し出し、
「管理者にも利点はあるけど、脱走を許さずとも閉息感を与えない点で、収容され
ている者への配慮とも言えるんだよ」
と言い足した。
 シオンは素直に、バッジをハルキの手のひらの上に乗せる。
「僕はもう、保護を解かれてもいい条件を満たしているはずです。僕の意志を尊重
するという取り決めがある以上、あなたたちには僕を拘束する権利はありません。
なのに、所長はずっと僕の研究を続けていきたいと思っているようですね」
「・・・ああ。だから、きみがここにいるのは、きみ自身の意志だという事実が常
に必要なんだ。現に今も、公的なファイルの中ではそのようになっている」
「・・・」
 一筋縄にはいきそうもない所長への対処の仕方か、ここからの脱出をいかに実行
するかを考えているのか、うつむいて黙り込んだシオンの思考を、ハルキは背筋を
伸ばしながら吐いた大きな息で遮った。
「今夜はこれで勘弁してくれないかい?いいかげんに眠らないと、身が持たないか
らね」
「あ。すみません。でも、ありがとうございます。本当のことを話してくれて」
「本当のこと、か。信じてくれるのは嬉しいけど・・・私なんかを、信じ過ぎては
いけないよ」
 優しくはあるが、どことなく投げやりな言葉を残してハルキは部屋から出て行っ
た。そしていつもどおりの電子音−外側からのロックが掛けられた音が、かすかに
聞こえた。
 シオンはドアをじっと見つめ、小さく息を吐いた。
 それなりに緊張していた心身をほぐそうと、カウチソファに近付く。
「あ・・・」
 ソファの上にぽつんと置かれているものが目に入った。ハルキの通信機だ。
 様々な機能があり、かなりの情報を含んでいるであろうそれは、鈍い銀色の光を
たたえている。
 単に、置き忘れていったのか、それとも・・・。
 シオンは、震える手を、ゆっくり伸ばした。
 

                         To be continued・・・