A.D. 3001
 
 

     aspect  12

 
 陽が傾き、郊外に理路整然と立ち並ぶマンションの影も長くなっている。
 淡いブルーの壁面の五階の窓から、ユウリが外を眺めていたが、やがて窓の脇に
ある遮光スイッチを押して透明だったガラスをグレーに変化させると、ようやく落
ち着いた表情で振り返った。
 シングル用の賃貸マンションの部屋は、四人揃うとかなり手狭な感はあるが、も
う一部屋ある為、二、三泊する程度ならば何も問題はないと思えた。
 家具や電化製品も一通り備え付けてあり、部屋には不釣り合いで、ユウリがあま
り趣味が良くないと評したピンク色のラブソファにはドモンとシオンが座り、その
前にある低いテーブルの上にタックが乗っている。そしてアヤセは、疲れているの
ではないかと皆から強引に壁際のベッドに追いやられていたが、横になる気などあ
るわけもなく端に腰掛けていた。
 シオンを連れ戻そうとする私設警察隊が自分たちの家をも張っているだろうが、
この人数で外をうろつくわけにもいかないとユウリが提案したのは、宿泊施設では
なく、より見つかりにくいであろう住宅を借りることだった。
 ドモンが、柔らかい背もたれに身体を預けて背伸びをする。
「飛び込みの安ホテルじゃあるまいし、よく、まあ、即日でこんなちゃんとしたと
ころが借りられたよなぁ」
 何かと物騒な昨今では供給側の警戒も強く、まともな住宅を借りるには手続きが
面倒なはずだと、自分が親元から離れて暮らす時やシオンの部屋探しに付き合った
経験から、感心しつつもなかば信じられないといったふうだ。
「仕事柄、張り込みの為に、適当な住宅を借りることもあるから」
「なるほど、職権乱用ぎりぎりか」
「すみません、ユウリさん」
 ドモンが納得し、シオンがあやまると、アヤセも口を挿む。
「しばらくはここで、先のことを考えられるな」
「ええ。でも、油断は禁物よ。あいつら、どれだけの規模で動いているかわからな
いし」
 緊張を強いるユウリの言葉に、もっともだとうなずく仕草を見せながらも、ドモ
ンは、
「だけどよ、この部屋から一歩も出られないってこた、ねえよな?」
との質問をする。
 その意図を量りかね、三人とタックがドモンを見る。と、ドモンはしれっと言っ
た。
「いや、おまえら、腹、減ってないか?ごたごたしちまって昼メシ抜きだったんだ
ぜ。このマンションの一階にサ店だの中華料理屋だの、あったろ?」
 言われるまで空腹に気付いていなかった一同は即答できなかったが、ドモンは構
うことなくシオンに話を振った。
「シオン、おまえ、チャーハンとかギョーザ、食いたくないか?中国五千年の歴史、
つってよ」
「あ、はい。僕、ビビンバとかも食べてみたいです」
「ばぁか、そりゃ中華じゃねえよ」
「え・・・。そうなんですか?」
 ふたりのやりとりに、やれやれといった表情をしたものの、ユウリはドモンを肯
定した。
「そうね。食事はおろそかにはできないわ。まあ、階下に降りる程度なら・・・」
「よっしゃ、決まり!俺がおごってやるよ」
 膝を叩き、勢い良く立ち上がったドモンの言葉に、アヤセもユウリも耳を疑った。
「おごり?おまえが?」
「どうなってるの?ドモン」
「ちっ、こっちの時代じゃあな、俺は結構稼いでんだぜ。安月給の捜査官や入院患
者とは違うんだよ」
 せっかくの申し出に対する反応が多少なりと気に障ったのか、ドモンは偉そうな
態度を装って、ふたりをこきおろす。
「言ってくれるわね。20世紀でのあなたの稼ぎに比べたら、私なんてかなりの高
給取りよ」
「俺もこっちの時代になら、それなりの蓄えがあるんだ。おまえなんかにおごられ
る程、落ちぶれちゃいねーよ」
「くぁ〜っ!おまえら、素直じゃねぇぞ!だいたい、あの時代じゃなぁ・・・」
 噛み付き合っても決して本気で歯を立てない子犬のじゃれあいのような、軽口の
応酬が続く。タックは、会話に付いていけないであろうシオンのことを気遣い、
「おい、きみたち・・・」
と、諭そうとしたが、ふいにシオンに抱き上げられ、その先の言葉を止めた。
 シオンはタックを膝の上にのせ、ドモンたちを愛おしそうなまなざしでみつめた。
 
 
 

 待機という言い方でタックは部屋に残り、ユウリたちは結局ドモンのおごりで、
一階の中華飯店でかなり遅めの昼食−もしくは少し早めの夕食−を採った。
 食事の間は、時に周囲に注意を払いながらも、ほとんど他愛のない会話で穏やか
な時間を過ごした。しかし手狭な部屋に戻ると、それぞれがこれから取るべき最善
の行動について考えていたためか室内の空気がどことなく引き締まる。
「私設警察を動かしたってことは、事を公にするつもりはなさそうよね」
「けどよ、結局シオンを捕まえ損ねたんだぜ。次にどう出るかわかんねえぞ」
「もう、俺たち、誘拐犯になってるかもな」
 アヤセが確認のつもりでテレビの電源を入れる。
「あ、グラップの試合、やってます」
「シオン、ニュースチャンネルに変えるぞ」
 その言葉に素直にうなずきながらも、ここ三週間の研究所生活の中で格闘技チャ
ンネルの視聴にも制約を受けていたこともあってか、シオンは名残惜しさを垣間見
せ、それに気付いたアヤセの失笑を誘った。
「シオン。グラップなんざ、今にまた生の試合だって見られるさ。なぁドモン?」
「なんざ、はねえだろ。なんざ、は」
 ほんの些細なきっかけで話が横道にそれる。
 だがユウリは、ふっと口元で笑ったものの会話には加わらず、ニュースチャンネ
ルから流れる無関係な情報を確認した。
「とりあえず、ニュースにはなってないわね。誘拐事件扱いにされて報道規制がか
かっている可能性もあるけど、ヘタに確認してもヤブ蛇になるだけだし」
「それならそれで、出るとこ出りゃあいいんじゃねえか?どうせ裁判に持ってって、
シオンが研究所に居たがるなんてあり得ねえって証明するつもりだったんだからな」
 ドモンは聞いた当初は納得していなかった案を口に出してアヤセを見たが、ふと
思い付き、シオンに向き直った。
「っと、本人がいるんだ。おまえが管理局に、研究所から出たいと改めて届けを出
しゃ簡単だ」
 こんな当然のことを何故誰も気付かないのかとばかりに大袈裟な仕草をする。し
かし、シオンは乗ってはこなかった。
「今の僕だと・・・所長が、記憶を失っていることを盾に、無効を訴えかねません。
あの人は、そんなに物事をてきぱきとこなせる人じゃないと思ってたんですが、甘
く見てたみたいです。僕が出てきた後の対処も、意外に早かったですし」
 ドモンは、そんなものかと肩をすくめただけだったが、アヤセはシオンの懸念も
当然だとばかりに、
「まあ、奴にとっては二度めだからな」
と言った。
 ほんのしばらく沈黙が訪れた。が、突然、それを破る通信機の着信音が鳴り響く。
どことなくおどけたその音にそれぞれが、一体、誰の?という顔をする中で、
「誰だよ、こんな時に」
と、ドモンが発信者を確認する。
「あ・・・。アヤセ、おまえからだ」
「何?あ、俺の・・・」
 ドモンに対し、何を言い出すのかと怪訝な顔をしたアヤセだったが、自分の通信
機を、ベッドの枕の下に差し込むようにして置いたままにしていたのを思い出した。
それを誰かが見つけ、登録してあったドモンの番号につないだのだろう。
「ドモン、出るな・・・!」
 誰が見つけたのか見当がつき、アヤセはドモンを止めた。だが、鳴り響く音に対
する条件反射で、ドモンはオンフックの通話ボタンを押してしまっていた。
「はぁーい。ドモンさんですかぁー?そこに、アヤセさん、いますかー?」
 狭い部屋に行き渡る、聞き覚えのある間延びした喋り方。だが、いつもと違いド
スをきかせているような低い声に、ドモンは無言で自分の通信機をアヤセに突き付
けた。
 アヤセは小さなため息をつき、それを受け取る。
「・・・はい」
 返答すると、その向こうから数人の男女の声がわっと入り乱れて聞こえた。それ
ぞれがアヤセに対して言いたい事があるのだろうが、何を言っているのか判別がつ
かない。その中に紛れて、順番に話すようにとの大声が聞こえ、一応の静寂が訪れ
た。
「失礼したね、アヤセくん。だが、皆、きみを心配しているんだよ。すぐに病院に
戻って何があったのか説明してくれないか」
 この声は確か、とアヤセは相手の姿を思い浮かべた。割腹の良い中年男性であり
ながら、意外に細やかな神経で周囲からの信頼も厚い、ナースたちのサブリーダー
だ。
「今は・・・まだ戻れない」
 言いにくくはあったが、とりあえずの返答をした。
 私設警察隊が、病院側に対して何か言い含めているかもしれない。そうでないに
しても、シオンを完全に研究所からの束縛から解放してやれる目処が立つまでは、
戻れるわけなどなかった。
「アヤセさ〜ん。誘拐がどうのと聞きましたけど、何かの間違いだって、私たちわ
かってるんですよー」
「そうよ!それに、たとえ何の疑いを持たれていようと、あなたは自分の身体を治
さなくてはいけないの!親御さんにだって余計な心配をかけることになるんですか
ら!戻りなさい!!」
「私たちは、あなたを誰にも引き渡したりしません。安心して帰って来て治療を受
けてください」
 口々に話しかけてくるナースたちの想いが通信機越しに伝わり、さんざん心配を
かけていた親のことまで持ち出されては、アヤセも無下に通信を打ち切るわけには
いかない。
「俺には・・・今、やらなければいけないことがあって・・・。それが済めば必ず
戻ります。ここのところ体調もいいし、心配はいりません」
「アヤセくん、きみは快方に向かっていると思っているようだけどね、投薬が途切
れてしまっては、再び命にも関わる発作が起こるかもしれないんだよ。ようやく通
院治療に切り替えられる可能性も出てきたというのに、今までの長い入院生活を無
駄にしてしまうようなことをするなんて、もったいないよ?」
 説得する声にアヤセは答え損ね、無言でうつむいたが、側で聞いていたシオンが
たまらず駆け寄った。
「アヤセさん、すぐに病院に戻ってください!僕のせいで・・・アヤセさんに何か
あったら、僕・・・!」
 その訴えに、アヤセはふっと笑顔を浮かべる。
「シオン。これは、俺自身のためでもあるんだ。俺は、いつだって、自分が後悔し
ない道を選んできた。このまま、おまえをユウリたちに任せきりにして病院に戻っ
たって、治療に身が入ると思うか?おまえが本当の自由を手に入れて・・・俺が、
前からこういう奴だったってことを思い出すまで、付き合うぜ」
 そして、通信機の向こうのナースたちに、
「詳しいことはいずれ話します。しばらくの間、好きにさせてください」
と、はっきり言った。
 しばしの沈黙。だが、やがて静かな声が聞こえてきた。
「アヤセくん。映像モードに切り替えて、顔色だけでも見せてくれないかな」
 アヤセは一瞬、躊躇したが、乞われるままボタンを押した。
 通信機の一角から扇状に放たれた光のスクリーンに向こうの映像が浮かび上がる。
同時に、こちらの映像も向こうに届いているはずだ。
 画面を大きく占める、淡いピンクの制服を着た太った男がアヤセをみつめ、優し
い笑顔を見せた。
「わかったよ、アヤセくん。だが我々だって、きみに万が一のことがあったら後悔
が残る。だから、ほんの少しでも身体に変調があったら、すぐに治療を受けに戻っ
てきてくれよ?」
「はい・・・」
 とりあえず約束し、通信を切ろうとした時、女性のけたたましい声が捨て台詞の
ごとく滑り込んできた。
「もしものことがあっても戻って来なかったら、とっ捕まえて死ぬほど治療薬を投
薬しますからね!」
 それは、アヤセの身体を気遣って大袈裟に言っただけなのだろうが、シャレにも
ならない表現に、ドモンは映像の消えた空間を呆然と眺め、
「おっかね〜」
と、つぶやいた。
 

                               To be continued・・・