A.D. 3001
 
 

     aspect  13

 
 漆黒の闇を知らない街は深まる夜にも関わらず、星々の存在をかすめてしまう光
を絶えず点在させている。
 シオンがマンションの窓から外を眺めると、立ち並ぶ建物の隙間から色とりどり
の光が漏れ、その周りの建物や空間までをも巻き込んで、華やかに揺らめいている
のが見えた。その現象の正体が、ネオンで着飾る歓楽街の光だということまでは知
らなかったが、テレビで誰かが“街の木漏れ日”と表現していたのを思い出す。
 何の媒体も通さずに直接外の景色を眺められる機会ならば、研究所での生活の中
にもなかったわけではないが、シオンは次の行動を促す人間が側にいないという大
きな違いを実感しつつ、長い間、そこに立っていた。
 
 

 病院からの通信の後に再開された話し合いは、結論が出るまでにさほど時間はか
からなかった。
 希少生命体であるシオンに執着する所長の束縛から、シオンを解放することが目
的で出されたいくつかの案には、出した本人もわかりきっている障害が必ずどこか
にあり、一筋縄ではいかないものばかりだった。
 シオンは、自分の意志で研究所から抜け出し、こうやって仲間の元へやっては来
たものの、何も思い出せない現状では事態は何一つ変わらないのだと思い知らされ
た。
 そして結局は、最初にユウリたちがシオンを研究所から取り戻す為に考えていた
案−地球外生命体管理局に届け出されたシオンの意思表示が捏造であると、法廷で
証明すること−が、一番だろうとのことで落ち着いた。また、そうすれば、事が公
になり、政府や世論などの第三者の干渉で所長の独善を押さえられるかもしれない。
希少生命体の保護の重要性を訴える勢力が出てくる恐れもあるが、人権保護団体な
ども黙ってはいないだろう。
 その為には、裁判を有利な方向へ持っていける腕を持った弁護士が必要だ。
 部屋の備え付けのテレビにおまけのように付いている端末で情報を集め、その方
面に精通し、すぐにでも依頼を受けてくれるような弁護士を探すことにしたが、報
酬額などの細かい面も条件に入れると、そんな都合の良い弁護士など、数多にいる
中からであっても、なかなかみつからない。
 話し合いの結論を出すよりも長い時間をかけて、ようやく数名の候補を絞り上げ、
ほんの簡単な依頼内容を添えての接見予約を入れた頃には、もう日付けが変わる時
刻になっていた。
 
 

 窓からの景色は見飽きることがなかったが、やがてシオンは窓の遮光スイッチを
押して外の光を遮り、ほのかな間接照明だけの薄暗い部屋の中をゆっくり歩いて、
寝息をたてている仲間の側に近寄った。
 ユウリは隣の部屋の簡易ベッドで休み、アヤセはこの狭い部屋のベッドで眠って
いる。
 そしてドモンは、絨毯が敷かれているものの決して寝心地がいいとはいえない床
に、一枚の毛布をかぶって転がっている。皆が、せめてラブソファで休むようにと
勧めたのだが、その“がたい”が大きくはみ出してしまうようなソファではかえっ
て寝苦しく、たとえ眠る必要のないシオンであっても、ゆったりと座っていられる
ソファくらい要るだろうと、床で眠ることを固持したのだった。
 シオンはしばらくの間、ベッドの側でアヤセの寝顔を見つめた。
 命の危険にさらされているにも関わらず、後悔が残らない道を選んできたと言っ
た仲間。
 後悔を残さないために、立ち向かい続ける。自分は、そんなこの人を、ずっと前
から大好きだったのに違いない・・・。そう思うと、ただ寝顔を見つめているだけ
で、無意識に笑みが浮かんでくる。
 そして次に、床に眠るドモンの頭の側にゆっくりと近付いた。そっとひざを抱え
てしゃがみ込み、時折寝返りを打つドモンの寝顔を見つめる。
 怒りっぽいようにみえて、その実、暖かい優しさを持っている仲間。
 まさか自分が、テレビで見て夢中になったグラップのプロファイターと一緒に生
活していたなんて。
 ドモンさん、アヤセさん、ユウリさん、タック・・・そして、竜也さんという人。
 今の自分が、どんなに想像しても追い付かないくらい、きっと毎日が楽しかった
に違いない・・・。
 そんな様子を、タックは何も言わず見守っていたが、穏やかに微笑んでいたシオ
ンが小さなうめきとともに目を細めたため、ドモンたちを起こさない程度のささや
き声で話しかけた。
「以前もそうしていたことがあったな。初めてできた仲間が嬉しくて」
「タック・・・」
 何かを思い出せそうな気がしていたのか、それをタックに遮られた格好になって
しまい、シオンはかすかに口惜しそうな顔をした。だが、その時タックは機械的に
処理された脳への弊害を考えていた。
「もどかしいだろうが、今は無理に思い出そうとしないほうがいい。あせらずに目
の前の障害を取り除いていこう」
 シオンは足音を立てないように歩き、ラブソファにゆっくり腰掛けてテーブルの
上にいるタックと向き合った。
「・・・時間をかけて、ですね。ドモンさんが言ってたとおり、ハルキさんが裁判
で真実を証言してくれれば簡単ですけど、そういうわけにはいかないでしょうから」
「確かに・・・。きみも不安だろうとは思う。裁判の期間中、きみの身柄は第三機
関で保護されることになる可能性が高いし、そうなると、きみの記憶が検査中の事
故による喪失でなく故意に封じられたものだと認められない限り、思い出す為の処
置を施す機会も容易に得られなくなってしまうからな」
「タック、それはいいんです。もう、決めたことですし、必ず真実を立証してみせ
るって言ってくれた皆さんを、僕は信じていますから。・・・ただ」
 そこでシオンは何かを言いかけ、ふと笑みを浮かべる。
「シオン?」
「竜也さん・・・って人、千年、前の時間を生きている人なんですってね」
「え?あ、ああ。聞いたのか。夕食の時、か」
 タックは半分目を閉じて、首を振った。今のシオンに、すぐに思い出させてやれ
ない竜也や20世紀での話を詳しく聞かせたところで酷なだけだとわかるだろうに、
なんて軽率な、と感じたままの態度だ。
「聞いたのは、それくらいです。僕の知っているはずの人たちが、今、何処でどう
しているのか気になって、教えてもらったんです。今、じゃないのが驚きでしたけ
ど。ユウリさんたち、レンジャー隊だった頃の思い出を、とても大切にしてるんで
すね。竜也さんって人のこと、すごく好きだったんですよね。タックも・・・そし
て、僕も。そうなんでしょう?」
「・・・」
「何だか、違うんですよ、タック」
「え?」
 突然、何についてそう言い出したのか把握できなかったタックは、ほのかな明る
さの天井を仰いでしみじみと言ったシオンに聞き返した。
「研究所で・・・僕の生まれた星が戦争で消滅してしまったっていうのは、特に秘
密にされていなくて、改めて聞かされる前から何となく知っていたんですけど。星
系民俗学の文献に、ハバード星の言語とか、遠い昔にはどんな神様を信じていたと
かいろいろ書かれてあるのを読んだ時なんかでも、テレビで見る風景のように、そ
こに僕がいるわけじゃなくて・・・。でも、20世紀の、竜也さんたちのことを聞
いた時には、そこには僕もいたんだって、わかったんです」
「それは、無理にでも思い出したくて感じる、錯覚じゃないのかい?」
「そうじゃありません。ユウリさんとタックに初めて会った日、あ、いえ、研究所
まで僕に会いに来てくれた日のように、何かが身体のどこかに引っ掛かっかるんで
す。顔さえ思い出せないのに、知ってる人だって気が、ちゃんとするんです。それ
がすごく嬉しくて、頭が痛くなればなるほど、あと少しで、って、つい・・・」
 上手く説明できていないと感じてか、シオンはふと息をつき、
「あせっているわけじゃないんですけど」
と、付け足した。
 それが多少、申し訳けなさそうに弁明しているようで、タックは自分が心配して
いることを、シオンが充分過ぎるほど理解しているのだと感じた。
「そうか。きみが思い詰めているわけじゃないのなら、それでいいんだ。なぁに、
大丈夫だ。時間がかかるといっても、悪いようにはならないさ」
「・・・はい!、ぁっ」
 明るく返事をしてしまい、アヤセたちを起こしてしまわなかったかと慌てて口を
押さえてふたりの様子をうかがうシオン。アヤセが寝返りを打ち、ドモンはぽりぽ
りと腕を掻いたが、ふたりとも目覚めはしなかったようだ。安堵し、タックに目配
せをして苦笑する。
 このまま何事もなく朝が来れば、接見予約をした弁護士に会い、この一件が誘拐
と見なされるか否かも含めて総てを白日の下にさらして決着を付けられるはずだっ
た。
 しかし。
 音量を絞ってはいたものの、はっとさせるには充分な着信音がポケットの中から
聞こえた。
 シオンはハルキの通信機を取り出し、発信者の表示が研究所の公用通信になって
いるのをさっと確かめて通話ボタンを押した。
「ハルキさんです」
 小声でタックにそう言うと、部屋の隅に、くぼみのように設えてある狭いキッチ
ンへ向かい、そこで応答した。
「はい。ハルキさん?」
「・・・」
 ささやくように言ったが、届いているはずだ。
 しかし、しばしの不自然な沈黙。
「シオンです。どうしたんですか?」
 だが、聞こえてきたのは、この問いに答えるはずの優しい声ではなかった。
「・・・やはり、おまえが持っていたんだなぁ」
 ゆっくりと這いながら近付いてくるような声に、悪寒が走る。
 もはや、恐るるに足りない相手だというのに身体が強張った。
「所長・・・」
 シオンは、認めたくないようにつぶやいた。
 後にしてきた研究所の状況が、想定していたものとは違っているようだ。ハルキ
はどうしているのだろうか、と不安になる。
「そりゃ、そうだよなぁ。誰かが手引きをしない限り、あの廊下を通れるわけがな
いんだ」
 いかにも納得したとばかりの口調。その言葉は独り言のようでもあったが、シオ
ンはすぐさま否定した。
「違います、あれくらいのセキュリティなんて、僕には通用しません。これは、ハ
ルキさんが僕の部屋に置き忘れていったんです。ただ、僕は、それを利用しただけ
で・・・」
「ああ、ハルキもどこかで無くしたんだと言ったな。誰が信じるか。まあ、この際
どうでもいいが、薬屋の私設警察もアテにはならんし、こいつには担当責任者とし
て、おまえを呼び戻してもらうことにしたよ」
「こいつ・・・って、ハルキさん、そこにいるんですか?」
 所長の言い方がどことなく引っ掛かり、戸惑い気味に尋ねると、ふっと鼻を鳴ら
す音が聞こえた。
「こっちの映像を見せてやるよ」
 すぐさま通信機のモードを切り替えると、同時に所長のくっく、という忍び笑い
がオンフックとなった受話部分から漏れてきた。
 空間に、扇状に広がる映像を見ると、確かにハルキはいた。だが、その状態に、
シオンは息を飲んだ。
 傍らに様々な機器が並んでいる見慣れた診察台に、ハルキが目を閉じて横たわっ
ている。そして、袖をまくられた左腕には、細いチューブに繋がっている針が刺さ
れていた。
 冷たく固い診察台の上にいるのがハルキで、それを見ているのが自分であること
に違和感を覚え、透明なチューブを伝う濃い赤に、背筋が凍る。
「シオン。もう少しくらいなら、おまえに猶予を与えてやってもいいと思ってな。
ほんの五分前にタイマーをセットしたところだ。よく見えるか?これがタイマーだ。
ハルキの体内から、毎秒0.02ミリリットルの血液を抜いている。微々たる量だ
が、おまえがここに戻って来て採血器のスイッチを切らない限り、こいつは失血し
続けるわけだ。いつまでに戻れば、こいつが死なずに済むか・・・おまえなら、も
う計算はついているだろう?」
 所長はハルキの腕を映し、そこから伸びるチューブが行き着く先まで辿ってみせ
た。機械仕掛けのモビールのように上下している採血器は、何の感情も無く、設定
された量の血液を、透明な容器の中にぽたりぽたりと落としていく。
「仲間とやらがそこにいるんだろうが、いいか、ひとりで来るんだぞ。おまえだけ
でなく、おまえの仲間がヘタなことをしようものなら、その時点で命は無いと思え。
こいつは、薬が効く前に、何をしようとおまえが戻ってくるわけがないと言ったが、
それが最後の言葉だとしたら、哀れだと思わないか?」
 映像は、まだ血色の失われていないハルキの顔に移り、
「待っているぞ」
との声の後に消え失せた。
 何の返答もできないまま切断された通信に、シオンはただ立ち尽くすだけだった
が、ついに意を決して狭いキッチンから駆け出した。
「あ・・・」
 存在を忘れていたわけではないが、とうに目を覚ましていたアヤセとドモンが行
く先に立ちはだかっていたのに驚いて、シオンは思わず、しまったな、とでも言い
そうな表情で足を止めた。ふたりの間から、隣の部屋に通じるドアの前にいたユウ
リが近付いてくるのが見える。
「落ち着いて。座るのよ、シオン」
 シオンの定位置となったラブソファにちらっと目をやり、ユウリは促す。しかし、
シオンは困惑したように、
「でも・・・」
と言うだけで、動かない。
 ドモンが、苛ついているように、誰に聞くでもなく言う。
「血を、どうとか言ってたな。どれくらいの間なら死なずに済むんだ」
「確か、全体の半分の血液を失うと人は死ぬ、というよな」
 アヤセがタックにその答を求める。
「ああ。そして地球人の総血液量は、体重の12分の1から20分の1程度・・・。
一般的には循環血液量のみで失血死に至る量を求めるが、ハルキの身長と体型から
想定した体重で計算すると、」
「最短で見積もって24時間です。でも、そんな計算値なんて意味がありません。
時間が経てば経つほど、身体への負担が重くなっていくんですよ。失血量がボー
ダーを超えなくても、内臓の機能不全で命を落とすことだって。所長がどこまで本
気かわかりませんが、すぐにでも助けに行かないと」
 心無しか早口で、自分は行かねばならないのだと訴えるシオンに、ドモンは焦り
を隠せない。
「待てよ!言いなりに戻っちまって、今度こそ完璧に記憶を消されちまったらどう
するつもりだ!!」
 肩に掴み掛かり、押しとどめようとするドモンの気持ちが痛い程に伝わり、シオ
ンはかえって冷静な決心ができた。
「・・・もし、そうなってしまっても、あなたたちと一緒にいられた事実に変わり
はないはずです。僕が実際に過ごしてきた時間だけは、誰にも奪えない。僕はもう、
それだけで充分です」
 それは、できる限り避けたい最悪の状況についての返答だった。しかし、本心に
は違いない。
 それがわかるからこそ、ドモンは許すことができず、叫んだ。
「馬鹿野郎!!」
「えっ・・・」
「おまえが千年前で過ごしてきた時間を、みんな思い出したらなあっ、今、言っち
まったこと、絶対、後悔するぞ!!」
「・・・」
 シオンの肩を揺さぶりながらぶちまけた言葉に、誰ひとり異論を唱える者はいな
かった。
 だが、それを言った当の本人が、食い入るような眼差しを向けるシオンの顔をし
ばらく睨んでいたかと思いきや、気が抜けたようにがっくりとうなだれ、首を振っ
た。
「いや・・・違うな・・・。たとえ、みんな思い出せても、ハルキって野郎が死ん
じまったら、それこそ後悔しちまうよな・・・」
「ドモンさん・・・」
 力の抜けたドモンの腕に、シオンはそっと手を触れた。
 ドモンがゆっくり顔を上げると、こんな状況でありながら、穏やかに口元を緩ま
せたシオンの表情が目に入った。
「ドモンさん、あなた・・・千年前でも、僕のこと、何度も馬鹿って言ったでしょ」
 この一日にも満たない間に、もはや数回聞いた言葉のせいかもしれないが、聞き
覚えがあるような気がして、シオンは懐かしそうに確認する。
「・・・シオンっ」
 今、聞いた言葉を、シオンからこぼれ落ちてしまう前に押さえ込みたい、とでも
いわんばかりに、ドモンはその大きな身体で、シオンを抱き込んだ。
 そして、このままシオンを奪われずにハルキの命を救うことはできないものかと、
すがるような目で、斜後ろのユウリを見た。
 ユウリは、ほんのしばらくの間、目を伏せて考えたが、
「向こうにしても、リスクを承知で賭けに出たってわけよね」
と、つぶやいた。
 そして、顔を上げて皆を見る。
 作戦を考える、タイムピンクの表情だ。
「この方が、私たちにはかえってやり易いかもしれないわよ」
 

                               To be continued・・・