A.D. 3001
 
 

     aspect  15

 
 アヤセからの合図を確認し、ユウリは自分と同じく食材搬入の為の作業服を身に
纏ったシオンとレイカに目配せをした。
 マンションで待っているようにと言われても承諾しなかったシオンは、誰に会っ
ても顔がばれないようにと思ってか、帽子を目深に被っている。
 三人はいくつもある食材の詰まった箱をカートに乗せ、研究所裏手の入口から食
堂横の冷蔵室に運んでいる途中だった。
 何度か廊下を往復する間、たった二人としか擦れ違わず、しかも拍子抜けするほ
ど気にもされなかった。その反動のせいか、コンパクトディスク入りのケースをぞ
んざいに持った研究員が「おい」と声をかけてきた時には、必要以上に緊張が走っ
た。
「何でしょうか」
 返事をするユウリの後で、シオンはカートの上に積み上げてある箱の陰になるよ
うに一、二歩下がった。しかしその研究員はシオンの存在を気にもせず、ふたりの
女性を見比べている。
「見たところ、また物質移動システムのエラーだな?」
「ええ、まあ」
「いい加減、新しい装置に変えたらいいのにな。ケチってるつもりかもしれないが、
新品にした方がエネルギー効率は良くなるんだぜ。しょっちゅう修理費と臨時の人
件費をかけるより結果的には安上がりだと思うがな。きみもそう思わない?」
 それだけ言うと、ユウリのほうにだけ軽くウインクをし、返答も待たずに持って
いたケースごと手を振って、通り過ぎて行った。
 レイカはユウリの前にずいっと身を乗り出し、
「雇い主によ〜く言っときま〜す!」
と調子よく手を振って見送ってから、大きな“あかんべえ”をした。
 
 
 

 合図を送った後、アヤセとドモンは、所長によって応接室に通された。
 部屋に足を踏み入れたアヤセは、ソファの側までずんずん進んでいく所長をよそ
に、ゆっくりと周りを眺める。
「ふ、ん。なかなか落ち着いた部屋だな。だが、シンプルすぎるかもな。絵でも飾
ればいいんじゃないか。なぁ。ドモン」
 ユウリたちがハルキを救い出すまでの時間稼ぎを目的として臨んだ場だけに、自
分でもどうでもいい内容の無駄話を振ってみた。
 アヤセに合わせようと、絵について知っていることを頭の中でぐるぐる考えたド
モンは、多少の間が空いたものの話題をみつけて小刻みにうなずく。
「お、おう。あ、そうだ。所長さんよ、あんた、鳥羽賢治って画家、知ってるか?」
 なかなかいい展開だと本人は思ったが、すぐにでも交渉に入りたい所長はあから
さまに無視をする。
「さ、どうぞ、こちらに座ってください。あなた方がシオンに付けた値段を聞かせ
ていただきましょうかね」
「ぅ・・・画家なんて、キョーミねぇか・・・」
 宙に浮いてしまった自分の言葉を仕方なく自分で着地させ、ドモンはアヤセの顔
をちらりと見た。そして、仕方が無いなとばかりの目配せを受け、窓側にある三人
掛けのソファの右側に渋々と座った。続いてアヤセも、不自然に思われない程度に
ゆっくり歩き、いかにも金を巻き上げるつもりでいるようなふてぶてしい態度でソ
ファの左側に深々と座って横柄に足を組んだ。
「シオンの値段ねぇ」
 アヤセは、まずいくらふっかけてやるかと考えた。
 この交渉は、すぐにまとまっても、また、すぐに決裂してもいけないのだ。
 
 
 

 ようやく全ての荷物を運び終えた三人は、折り畳んだカートを冷蔵室の中に適当
に立て掛け、これまた新品の物質移動装置の購入を奨める担当者からの受領サイン
をもらうと、手はず通りに出口に戻るふりをしてハルキのいる検査エリアに向かっ
た。
 人気の無い廊下をどことなく早足で先導するシオンに、ユウリが話し掛ける。
「前に来た時も、廊下ではひとりとしか会わなかったけど、それなりの人数が勤務
しているんでしょう?」
「はい。今は定時の観察が一通り済んでデータ整理をしている頃なんです。でも、
誰にも会わないとは限りません。出口がわからなくて迷った、でやり過ごせればい
いんですが」
 すかさずレイカも話に入ってくる。
「大丈夫よぉ、ボク。ここまで入り込めれば、二、三人に見つかったって、しばら
くの間おネンネしてもらえば済むことだから。マフィアのアジトじゃあるまいし、
頭でっかちの学者なんてちょろいもんよ。ただ、防犯カメラの数がなんとなく多い
ような。今、モニタリングされてなんかいないよね?」
「多分、それはないと思います。収容室の監視カメラと違って、ここで働いている
人たちのプライバシーに関わることですから」
 ボク、と呼ばれ、まるきり引っ掛からないわけでもないのだが、言葉を選ばずポ
ンポン言うレイカに訂正を促す気にもならず、シオンは普通に返答した。
 レイカは、ユウリから紹介された三人の男性のうちの一人が、先輩からの話で聞
いた異星人だということを知って驚き、消滅した星の唯一の生存者を目の当たりに
して興奮もした。だが、ほんの少し会話を交わした程度の短い間で、特別に意識す
ることはなくなっていた。そればかりか、以前から話には聞いていた友人の弟、と
でも言わんばかりに気楽に接しだした。
 レイカの調子の良さには度を越したものを感じることもあるが、今回に限っては
それも悪くはないとユウリは思っていた。
「プライバシー、ね。そこは一般企業と変わらないわね」
「だよね。何かあれば、録画の確認をするってだけよね。でも落ち着かないわぁ」
 レイカはそう言いつつも、防犯カメラに写るようにくるりとひと回りし、バレエ
のお辞儀のようなポーズをとった。
「レイカさん。こっちです。ここからは関係者以外立ち入り禁止になります」
 シオンが廊下の曲り角から小声で呼び掛け手招きをする。
「おっと、はいはい」
 そこから少し先に進み、ユウリにもはっきりと見覚えのある薄紫色のドアのエレ
ベータの前に行き着いた。さっと周りを確認してから乗り込む。
「途中で急に止まらなきゃ、全然、見つかってないっちゅうことよ」
 ユウリもシオンも絶対にあり得ないことではないと思いながら口には出さずにい
た、悪い状況を連想させる言葉は、圧迫感のあるエレベータの中で緊張を呼んだ。
 しかし、言った本人は平然と内壁に寄り掛かかって目的の階への到着を待ってい
る。そして実際、エレベータは何事も無くゆっくり止まり、静かな廊下に繋がるド
アを開けた。
「ちゃんと、持ってますね」
「ええ」
 各自のために複製したエントリーチップの所持を再確認し、シオンは先頭を切っ
てエレベータから降りた。
 初めて通った時にユウリが不快に感じた検査エリア。
 ほんの十日前、シオンに会うためハルキに案内されて通った廊下を、今度はハル
キを救うためにシオンに先導されて歩いている。
 足早なシオンの背中を追いながら、ユウリはほんのわずかではあったが、あの時
とは違う不快な気分になっている自分を感じた。
 自分たちとの思い出を封じられた彼にとっては、今もってなお、ハルキと接して
いた時間の方が大切なのかもしれない。
 だが、そんな気分に翻弄されるほどシオンとの絆は浅くなく、ユウリはふっと自
分の感情を吹き飛ばすような笑みを浮かべて駆け出し、シオンとの距離を縮めた。
後からレイカが慌てて付いてくる。
 いくつもの検査室の前を通り過ぎ、ようやくシオンはひとつのドアの前で立ち止
まった。
「ここなのね?」
 ユウリが確認する。
「はい」
 被験生命体の血液に関する検査はもちろんのこと、生命体の知的等級によっては、
生命維持の限界を超える実験さえも行われる検査室。
 覚えの無かったハルキとの新しい関係を作り始めた頃、予定の実験時間を超過し
たことに慌て、死骸となった異星生物を診察台から降ろしながら、順番待ちとなっ
ていたシオンにすぐ横になるよう促した研究員がいた。シオンにとっては、まった
く初めてのことでもなかったが、その時ハルキは、配慮が足りないのではないかと
意見してくれた。
 同じ室内で、ハルキが今、あの異星生物のような目に遭っている。ほとんどの血
液を抜かれて身体の表面の色が変わりきった死骸や、それが黒いボックスに放り込
まれた音まで思い出してしまい、シオンは思わずドアのパネルの下隅にある開閉ス
イッチを指でトンと叩いた。当然の如く、ドアは開かない。
「さ、ボク、どいたどいた。これ使うわ」
 レイカがシオンの肩を押し退け、作業服のポケットからロックを強制解除するた
めの機械を取り出した。表示窓のある本体部分は正方形で掌にすっぽり入り、それ
ほど厚みのない側面から接続コードが伸びている。
 電子的な記号入力によってロックされた扉は、同じように入力される記号配列で
開く。それには専用のカードキーを使うか、登録した指紋を読み込ませてパネル操
作しなければならないが、防衛の為の施錠の進化と侵入の為の強制的開錠の技術は
いつの時代になってもイタチごっこを続けている。
「これはね、ロックに使われた記号配列を、特殊な演算方法で徐々に範囲を絞り込
んで特定するタイプのものよ。あたし、結構、得意なのよ、コレ。このロックはか
なり手強そうだけど、ま、2、30分もあれば楽勝ね」
 そう言いながら、レイカは接続コード先端の磁気フックを意外に繊細な形の指先
でつまんだ。
「レイカさん、僕にやらせてください。一刻も早く開けたいんです」
「へっ?」
 レイカはシオンの申し出に必要以上の声を上げた。
 本来の捜査でも、ロックの強制解除を行うことがある。そんな時にも、レイカに
向かって、自分にやらせて欲しいと訴える若輩者はいる。
 手柄を立てて認められたいという気持は十分わかるし、シオンに対しても、自分
自身の力で捕われている男を救いたいのだろうと察してやれた。しかし、誰にも言
われたことのない「一刻も早く」という言葉がかなり気に障ったのだ。
「あのね、これって熟練プラス、センスってもんがいるのよ。めんどくさい演算方
法の修得と、記号配列を絞り込む方向性の見当を付けられるセンスってのがね。も
う、おととい来いっての」
 レイカはぷいっとして磁気フックをドアのパネルに取り付ける。
 シオンはその態度に対して強引に出るのをためらったが、それぞれの実力を知る
ユウリは、口は悪いが結局は人のいい彼女に声を掛けてみた。
「レイカ、お願い」
 ただ目をみつめるだけの、説明する手間をまるごと省いた一言だったが、効果は
すぐに出た。
「・・・う〜ん。まあ、いいか。手に余ったら、すぐに交代すんのよ」
 ユウリに免じて、とでもいうように、レイカはロック解除機と自分の立っていた
場所をシオンに譲る。
「すいません」
 シオンは小さくあやまり、ロックの強制解除に取りかかった・・・。

 突然、胸ポケットの通信機が音を発し、所長は身体をびくっとさせた。
 アラームのような単調な音が、断続的に三回。
 シオンの身柄を引き渡すとしたアヤセたちの要求する金額が、いくつかの裏取引
の経験がある所長の知る相場と桁が違っていたため、交渉が白熱している最中だっ
た。
 所長の表情が瞬時に強張り、無言でゆらりと立ち上がったのを受けて、アヤセと
ドモンも腰を浮かす。すると所長は、はたと気付いたようにふたりを制した。
「あ、ああ、失礼。・・・すっかり忘れていましたが、定時報告の時間なんですよ。
所長室にいないと、すぐこうやって呼び出しがかかる。すぐに済ませて戻って来ま
すので、しばらく待っていてください」
 交渉中の態度とはまた違う腰の低い喋り方で、両手でふたりにもう一度座るよう
にとの仕草をしながら、所長は後ずさりでドアに近付く。
 その言葉が真実か否か、それ次第で出方を変えなければならなかったアヤセとド
モンだったが、それが返って次の所長の行動に対しての反応を鈍らせてしまった。
 所長は右足で床を蹴るように身体を翻し、ドアに向かって走った。そして、テー
ブルを乗り越えて追ってきたアヤセたちがドアに達する直前に、部屋から出てドア
を閉めることに成功したのだった。
 アヤセは内側からの開閉スイッチを押したが、ドアはぴくりともしない。外側か
らロックされたことを悟ってドアに触れるアヤセの横で、ドモンが何度もスイッチ
を叩く。
「くそっ、さっきのはやっぱり警報だぜ!」
「ああ、そうだな」

 レイカは指導教官の如く腕を組みながら、シオンの作業を見ていた。しかし、そ
れも束の間、組んだ腕を解き、落ち着きのない様子でロック解除機の表示窓を覗き
込んだ。
 表示窓に映る関連の無いアルファベットと数字の羅列は、決して的外れなもので
はない。しかも、それを確認しながら細かく並んでいるキーを叩いて羅列を変えて
いく作業がとてつもなく早い。次に打ち込む内容を瞬時に計算しているようだ。
「へぇ・・・」
 こんなふうに見えてもやはり優秀な頭脳を持つ異星人なんだ、と、なんとなく感
心してユウリをちらりと見ると、視線に気付いたユウリが小さくうなずく。
 三人のいる廊下は静かだった。シオンの打ち込むキーの音だけが一定のリズムで
小さく響いている。
 だがその静寂を、短い着信音が破った。
「ユウリ、すまん。止められなかった。所長がそっちに向かっている」
「奴の通信機に警報が鳴ったんだ。おまえら、セキュリティに引っ掛かったんだろ」
「警報が?」
 アヤセたちの連絡にユウリは耳を澄ませた。だが、そうするまでもなく、館内に
は警報などぴくりとも鳴っていないことがわかる。静かなものだ。
「わかったわ。こっちで対処する。多分、奴はひとりよ。充分時間稼ぎをしてくれ
たわ、アヤセ、ドモン」
 悠然と返事をするユウリの横で、レイカが舌打ちをする。
「ごめん、ユウリ。この強制アクセスのせいだわ。エラー配列を拾われたんだ」
「そうね、それしか考えられない。こんな水際で予防線を張っていたとはね」
「ごめん。ちゃんとした手続きをすれば、もっと性能のいいやつ持って来れたんだ
けど。こんな研究所ごときにセキュリティ負けするとは思ってなかったから・・・」
 歯噛みするレイカにユウリは首を振った。
「大丈夫よ。あいつがここに付く前にドアを開ければ問題ないもの。ね、シオン」
「はい、もうすぐ開きます」
「うっそ。いくら何でも」
 確かにシオンの作業は早いが、まだほんの数分しか経っていない。
 シオンはちらっとレイカを振り返ったが、すぐにロック解除の作業に戻り、表示
窓に並んだ新しい羅列を確認した。
 そして再開してから三度目の羅列にちょんとうなずき、ふっと手を浮かせて中指
でキーを勢い良く弾いた。すると、正しい配列だった証としての反応−表示窓の端
から順にアルファベットや数字が消えていき、ドアのパネルからは小さな電子音が
鳴った。
 一部始終を見ていたレイカは、目を丸くして口笛をひゅうと鳴らした。
「やるわね、ボク」
 シオンはレイカに、はにかんだ微笑みを返した。そしてパネルから接続コードを
はずし、開閉スイッチに指を伸ばす。
 だが、そこに触れる直前、周囲に気を配っていたユウリが叫んだ。
「伏せて!!」
 その言葉に無条件に反応し、ユウリと共に身を伏せるシオンとレイカ。ほぼ同時
に一発の銃声が響いた。
 わずかに顔を上げ、銃声の方向を見ると、廊下の曲り角の陰に左半身を隠し右手
に旧式の護身銃を構えた所長が、静かに肩で息をしながら立っていた。
 
 

                               To be continued・・・