A.D. 3001
 
 

     aspect  2
 

       空は厚い雲で覆われ、雨の気配を感じさせている。しかし、ユウリ、アヤセ、ド
      モン、そしてタックは窓の外の様子に気をとめるどころではなかった。
      「シオンは・・・家から仕事に通っていたんだが、数日間、保護局に泊まり込むこ
      ともあった。あの日も、新しいメカの開発で、しばらく帰れなくなりそうだと連絡
      があったんだ」
       タックは、首と羽根を落ち着きなく動かしながら語った。
      「それから一週間経っても一度も僕に連絡をよこさないのが気になってはいたんだ
      が、ようやく大きな仕事を任されて張り切っているんだろうと思って・・・。だが、
      二週間にもなると・・・その・・・」
       タックが口ごもると、ユウリとアヤセは先を促すように身を乗り出した。
      「つまり、その、シオンがそんなに長い間、僕をほったらかしにするわけがないか
      ら、何かあったのかと心配になって、連絡を入れてみたんだが・・・何の応答もな
      かったんだ・・・」
       再び、タックが言葉を止める。そこで、ドモンが口をはさんだ。
      「それが、昨日の夜のことだ。俺が遊びに行ったらよ、こいつ、おろおろしちまっ
      てやんの」
      「な・・・っ、何を言ってるんだ、ドモン!おろおろしたのはきみだろうっ」
       ユウリは、それどころではないとばかりに先を急ぐ。
      「どっちでもいいわ。それで、保護局に問い合わせてみたのね?」
      「あ、ああ。すると、6月23日付けで保護局を辞めていると告げられた。シオン
      からの連絡があった翌日だ」
       アヤセは、信じられないといったふうに、
      「で、どうして元の研究所に戻ってたってわかったんだ?それは確かなのか?」
      と尋ねる。
      「ああ。確かなんだ。シオンが行方不明となれば、まず、政府機関の地球外生命体
      管理局に届けて捜索してもらうのがてっとり早い。だが、依頼してみたら、すでに
      シオンのほうから管理局に、研究所に戻る意志を伝える届け出が提出されていると
      いう主旨の返答がきたんだ。シオンの場合、瞳の虹彩模様の登録によって個人識別
      がなされているが、その提示によって、本人からの届け出であることは確認済みと
      のことだ。そうなると・・・僕らがどうこう言うわけにはいかなくなってくる」
       言葉とはうらはらに、タックは“どうこう”言いた気な口調で説明した。
      「ねえ、異星人って、いちいちそんな意志表示の届け出がいるの?住所変更の手続
      きとかならわかるけど」
      「いや。これは、所在地を明確にするための届けとは意味合いが違うんだ。シオン
      の場合、そこまでのプロセスが特異なものだからな」
       シオンの生い立ちは知ってはいるが、自分たちとなんら変わりのない存在として
      受け入れているユウリたちは、改めて“特異”という言葉を聞くと、妙な感覚にと
      らわれた。タックはそんな一同を見渡し、自分の知り得ているいきさつを語った。
      「ハバード星唯一の生存者となった、赤ん坊のシオンが見つかった時、その処遇を
      どうするかで政府レベルの協議があった。結局は、当時、地球類似型生命体研究の
      第一人者がいた研究所に養育を依頼することになったわけだが、知的生命体として
      の人権問題も絡んで、研究所にシオンを拘束する権利が与えられたわけじゃない。
      シオンが自分の意志決定で自立できるようになったら、誰であろうと、それを阻害
      してはならないとされたんだ。たとえ・・・その時まで研究対象として扱うことが
      暗黙の了解だったとしてもな」
       タックの説明を理解したアヤセは、
      「つまり、シオンが自分の意志で研究所に戻ったとなると、俺たちもそれを尊重し
      なけりゃならないってことか・・・?」
      と、考え込むように腕組みをする。ドモンはいまいましそうに左掌をこぶしで打ち
      ながら、病室の中を歩き回る。
      「だからってよ!俺たちに何も言わずに、嫌だったところに戻っちまうことないだ
      ろう!?保護局で・・・なんかあったのかもしれねぇが・・・まずは俺たちに相談
      しろってんだ!」
      「ああ・・・」
       アヤセも半信半疑のまま、それでも時間保護局で何かあったのだろうかと思い、
      相槌を打った。タックは、そんなふたりと無言でうなずくユウリを見て、沈んだ声
      になる。
      「シオンは、前に一度だけ・・・技術開発部の主任に、クロノチェンジャーやボル
      ユニットを改造していたことを怒られたと言っていた・・・。シオンは笑いながら、
      なんてこともないように言っていたんだ。・・・でも、悩みを隠していたことに僕
      が気付いていなかっただけなのかも・・・」
       タックは、そう言うと、目を閉じた。
       降り出した雨が、窓を叩いている。防音設備が行き届いているため雨の音が届か
      ない病室には、ただ沈黙があるだけだった。しかし、やがて、ユウリが口をきゅっ
      と結び、音をたてて椅子から立ち上がった。
      「今すぐ、研究所へ行ってみましょう。シオンに会いに。意志決定とかを尊重しな
      きゃならなくても、真意を聞くことぐらいはできるでしょ?」
      「お・・・おう!」
       何も聞いていなかったことに少なからずショックを受けていたドモンとタックは、
      光をみつけたかのような表情を見せ、アヤセも反射的にベッドから降りようとした。
      が、そこへノックの音が。
      「・・・はい」
       アヤセが応答するかしないかのうちにドアを開けたのは、生体ロボットのアシス
      タントを引き連れたナースだった。
      「アヤセさーん、投薬の時間ですよー。あんまり気持ち悪くなったら、ほんとーに
      我慢し過ぎないで、言ってくださいねー」
       ナースは、アシスタントから器具や薬の容器を受け取りながら手際よく準備し、
      アヤセの肩を押すようにしてベッドの中央に追いやると、めくられた毛布を掛け直
      した。
       ドモンは、オシリス症候群の治療法が、新薬の点滴と、経過を見ながらの手術で
      あることをとっくに知ってはいるものの、薬液の量や、チューブに付いた太い針を
      見ると、つい唸ってしまう。ナースは、そんなドモンの姿に目を止めた。
      「あらー。ドモンさん、お見舞いなんて余裕ですねー。今日の試合、頑張ってくだ
      さいよー。この前サイン頂いたうちの弟、今日は会場で生の試合見るんだって、楽
      しみにしてるんですからー」
      「え・・・あ、ああ、はい」
       とっさに答えてから、ドモンは“やばい”という表情でぐるーっと向きを変えた。
      「試合のこと・・・すっかり忘れてた・・・。そろそろジムに行ってねえと、マネ
      ジャーがうるせぇぞ」
       遅刻が多いうえに、大事な試合をすっぽかした前歴のあるドモンには当然のこと
      だが、当のドモンは煩わしそうに言う。
      「いいわ、ドモン。私とタックで行ってくる。アヤセ、あなたもおとなしく待って
      て」
      「・・・頼んだぞ」
       アヤセは右手を軽く上げ、共に行けない口惜しさを込めて、ぱたっと降ろした。

       ユウリは通信機で、自分のリニアカーを駐車スペースから病院のエントランスま
      で呼び、雨に濡れることなくそれに乗り込んだ。自動ドアが閉まると、車体にはじ
      かれてできた丸い雨粒が飛び散る。
      「この時期には珍しい雨ね・・・」
       ユウリはひとりごとのように言いながらタックを座席の隣に置き、シートに身を
      沈めるとナビゲーターに行き先を命じた。コンピュータ音声が、目的地までの所要
      時間を約45分だと告げる。
       ユウリが思っていたほど遠くはない場所に、研究所はあった。
 
 

       滑らかに走るリニアカーが研究所につく頃には、雨は小降りになり、西の方角か
      らは薄日がさしていた。研究所の、雨に濡れた白い外壁がほのかに光って見える。
       思い立って来てはみたものの、シオンに会えるかどうかはわからないまま、ユウ
      リは通用口のモニターに映る受付嬢のCG映像に用件を話した。
      「アポイントメントを取ったわけじゃないんだけど、ハバード星人のシオンに用が
      あるの。ユウリとタックが会いに来たって伝えて」
       映像の受付嬢はにこやかに、
      「少々、お待ちください」
      と、おじぎをする。しばらくの間、美しい風景の映像とともにクラシック音楽が流
      れ、そしてまた同じ笑顔の受付嬢へと画面が切り替わった。
      「ただいま、担当の者が参ります。もうしばらくお待ちください」
       たった数分の時間が長く感じられた。が、ようやくモニターの左側にあるドアが
      開き、30歳前後にみえる長身の男が現われた。その男を見て、ユウリの腕に抱え
      られていたタックが驚きの声を上げる。
      「きみは・・・ここの所員だったのか!?」
       ユウリも、なんとなく男に見覚えがあるような気がしたが、思い出せずに尋ねた。
      「タック?」
      「ユウリ、きみもアヤセの病院で見かけたことがあるんじゃないのか?あの病院に
      この男の恋人が、昏睡状態のまま長期入院している。シオンは、この男と病院内で
      知り合って・・・それなりに親しくなっていたんだ」
       タックはどことなく挑むような口調でその男を見る。男は、タックの猜疑心に気
      付いてか、どこか力の無い笑顔をユウリに向けた。
      「ユウリさん・・・ですね。いずれあなた方がここへ来るだろうと予想していまし
      た。私の名は、ハルキといいます」

       研究所の応接室は手狭な空間ではあったが、絨毯の淡い色調や観葉植物の緑が穏
      やかな、落ち着きのある部屋だった。ハルキと名乗った男は、座り心地の良さそう
      なソファをユウリにすすめ、スケルトンのテーブルにタックを置くように促した。
      「あの」
       ユウリが話を切り出そうとした時、ドアが開き、40歳半ばとおぼしき男が入っ
      きた。男は無表情のまま、ユウリを見る。
      「ユウリさん、所長です。所長・・・この方がレンジャー隊にいた時のシオンの仲
      間で、ユウリさん、そしてタックです」
       ハルキの紹介に、ユウリは立ち上がり、
      「今でも、仲間です」
      と、言い添える。
      「シオンに会わせてください。私たち、シオンがなぜここへ戻る気になったか知り
      たいんです。時間保護局で頑張っていると思っていたのに・・・」
       所長は、ユウリの言葉も視線も無視し、吐き捨てるように言い放つ。
      「時間保護局か!」
      「所長・・・」
       ハルキが気兼ねしながらも所長をいさめると、所長は、
      「ああ、失礼」
      と、ユウリに再び座るようにと慇懃無礼にソファを示し、自分も向い側に座った。
      「時間保護局は、政府の連中のように何もわかっていないんですよ。シオンをそこ
      らを歩いている異星人たちと同じようなものだと思っているんですからね」
       指を組んで苦々し気に言う所長を、ユウリとタックはじっと見つめる。ハルキは
      所長の隣に座り、うつむいて所長の言葉を聞いていた。
      「一年半前、シオンが無断でここから出て行った時、私は気が気ではありませんで
      したよ。そしてさらに、居所を知って、どんなに驚いたことか。危険を伴う、時間
      保護局のレンジャー隊に入隊していたことさえ問題だというのに、犯罪者を追って
      20世紀に渡っていたなどと・・・」
       所長は、ぎりぎりと音が立つかと思える程に、組んだ指を固く握る。ユウリは、
      所長の憤りを肌で感じた。
      「でも・・・それがシオンの望みなら、尊重するように、との取り決めがあったん
      でしょう?彼は、20世紀での仕事をとても・・・」
      「そうです」
       ユウリが言い終わらないうちに、所長は言葉を返す。
      「この世で、この宇宙で、ただひとり現存するハバード星人だというのに、異常な
      決定がなされたものだと思いますがね。前任の所長が、政府の決定に準じてシオン
      を引き取った以上、後を引き継いだ私もそれに従っています。・・・シオンが、自
      分からここに戻って来てくれて、ほっとしましたよ」
       所長はにやっと笑い、うつむいているハルキに視線を移す。ハルキは、ユウリと
      タックの視線も感じ、顔を少し上げ、
      「私が・・・ここに戻るように、シオンを説得したんです」
      と、言った。ユウリは小さく「えっ」と声を上げたが、タックは、やはりこの男が
      関わっていたのかと憤慨して羽根をぱたっと動かした。
       ハルキは話を続ける。
      「私がこの研究所に勤務するようになったのは、一年程前です。シオンがここを出
      ていた時ですが、蓄積されていた彼のデータを見ていましたから、あの病院で偶然
      姿を見た時、すぐに彼がそうなのだとわかりました。その後、時間保護局にいる知
      り合いに・・・あ、学部は違いますが、私と同じ大学の出身がかなりいますから、
      技術開発部にもふたりほどいて、彼らにシオンのことを聞く機会があって」
       そこで、一旦言葉を切り、静かに息を吸って、
      「シオンは、技術開発部の連中から、かなり嫌われていたようでした」
      と、言い放った。ユウリには信じられない言葉だ。
      「そんな。シオンが、人から嫌われるなんて」
       ハルキは、自分もシオンの人となりをよくわかっているというように、ゆっくり
      とうなずきながらも、
      「保護局の技術開発部には、優秀な人材が集まっています。そして彼ら自身も頭脳
      集団としてのプライドが高い。しかし、そんな彼らをもってしても数カ月はかかる
      新機種の開発を、シオンはほんの数日でやってのけるんですよ。2000年に派遣
      されていた間にも、たいした工具も使わずツールや武器の改良をしていたそうじゃ
      ないですか。これには、最高技術を投入していたつもりの彼らのプライドをかなり
      傷付けたようです。それに、寝る間も惜しんで仕事に取り組んでいる彼らにとって、
      長い期間眠る必要のないシオンは、気に障る存在だったようですよ。・・・シオン
      のほうも、そんな敵意にも似た感情を持った彼らの中で、やりづらかったと思いま
      すが」
      「そんな・・・」
       考えてもみなかったことに戸惑うユウリとはうらはらに、タックは静かに目を閉
      じた。トゥモローリサーチでの生活以来、眠りのない夜を持つシオンとは、様々な
      ことを語り合う時間が充分にあった。そして、この時代に戻って来てからも、シオ
      ンが楽しそうに語る話を聞くことは、タックの楽しみでもあった。愛してやまない
      一年間の思い出や、ほとんどメディアを介してしか触れたことのなかったこの時代
      の“外”の世界のこと、そして、技術開発部での仕事や新しい仲間のこと・・・。
      しかし、いつの頃からか、新しくできたはずの仲間の話は一切しなくなってはいな
      かったか。仕事を終えて帰宅した時にシオンが見せる笑顔のせいで、気にもとめて
      いなかったことを、今さらながらにタックは思い返していた。
       所長は、考え込んでいるユウリとタックに追い討ちをかける。
      「シオンは、普通の子どもがようやく数を数えられる年頃には、すでに関数を理解
      していましたよ。幼い頃から、公式を教えずとも独自の思考で正確な計算をし、実
      用にシフトできる頭脳を持っていた。それでいて、性格的には未だに幼稚で、無知
      な部分さえあるんです。そんなシオンが、世俗の中でうまくやっていけると思いま
      すか?シオンもようやくそのことに気付いたんでしょうかねぇ」
       所長は、これでわかったか、と言わんばかりの笑みを浮かべ、
      「では、私は予定がありますので。ハルキ、この方を前まで送って差し上げなさい」
      と言い残して、応接室から出て行った。
       ユウリは、所長に命じられて立ち上がったハルキに、静かな口調で話しかける。
      「シオンには、会わせてもらえないってことですか?」
       ハルキはすぐには答えなかったが、しばしユウリの澄んだ眼差しを見つめ、迷う
      ように唇を動かした後、ついに言った。
      「会ったところで、どうにもならないと思います。今のシオンは・・・あなた方を
      見ても、誰なのかわからないでしょうし・・・」
      「!?」
       ユウリは弾かれたように立ち上がり、タックも目をしばたいた。
 

                               To be continued・・・