A.D. 3001
 
 

     aspect  3
 

         「私たちのことがわからないなんて・・・まさか、シオンの記憶を・・・!」
       応接室に、ユウリの声が響く。
       ハルキはうなずいた。
      「そうです。ここに戻って来た日からさかのぼっての約二年間のことを、思い出さ
      ないように処置したんです。シオンには、脳の検査時のミスが原因で記憶を失った
      と話していますがね。つまり、今のシオンは、かつて、自分がこの研究所から出て
      いたことがあるとは思っていないんですよ。彼が望んだとおりにね」
      「そんな・・・!!」
       ユウリは叫んだ。タックも黙ってはいない。
      「シオンがそんなことを望むはずがない!生まれて初めての、大切な記憶を、彼が
      手放すはずがないだろう!!」
       ハルキは目を細めてタックを見た。
      「レンジャー隊の頃の経験のことだね、タック。戻りたくても、もう二度と戻れな
      い世界だ・・・。シオンは、記憶の中の20世紀を恋しがっていなかったかい?も
      う二度と会えない人がいる、そんな現実のつらさから逃れたいと言っていなかった
      かい?」
      「・・・!」
       タックは、ハルキの言葉に少なからずショックを受けた。それは、ユウリにして
      も同様だった。
      「シオンは・・・あなたにそう言ったんですか?」
       ハルキはそれには答えず、ユウリから目をそらして言った。
      「ユウリさん。考えてもみてください。あなたは、もし今、この地球が消滅して、
      あなた以外の地球人が死に絶えたとしたら・・・あなたは耐えられますか?自分の
      生まれた星の大地をふみしめることもできず、同じ進化をたどった同胞がひとりも
      いない他の星で、たったひとりの地球人として生きていけますか?」
      「・・・」
       突然の命題に、ユウリは言葉が出ない。ハルキは、当然だとばかりにうなずく。
      「そう・・・それでもシオンは生き続けてきた。ハバード星のことを何ひとつ憶え
      ていないのは、不幸中の幸いとも言えるでしょう。本来、誰もが持っているものを
      自分だけが持たないさみしさはあったでしょうが、人として、背負いきれない悲し
      みの・・・その重みを感じないままに生きることができたんです。そんな彼が、初
      めて、永遠の別れを知ったんですよ。今まで感じたことのなかった、身を削られる
      ような哀しみから逃れようとしたことを、誰が責められます?」
       ユウリは後ずさりし、崩れるようにソファに腰をおろした。
       −父さん、母さん、メイ・・・。
       家族と過ごした日々を思い出す時、ユウリの胸にせまるのは、深い哀しみではな
      かったか。幸福だった日々が、二度とそこへ戻れない自分を苦しめる。
      「でも」
       ユウリはつぶやいた。
      「私たちは・・・竜也を失ったわけじゃないわ」
       ユウリにしても、もう一度だけでもあの時代に戻り竜也に会いたい、という想い
      に駆られることはあった。眠りから醒めた時に感じる、扉の向こうに竜也がいない
      朝の切なさに、どうしようもなくなることさえあった。それでも、その想いは、死
      によって家族と引き離された少女の頃に感じたものとは異なるものだ。
      「シオンにとっては・・・そうじゃなかったのかしら・・・。逃れたいほどに、つ
      らかったのかしら・・・」
       仕事に忙殺されて、しばらくシオンに会えず、彼がどんな思いを抱いていたかな
      どわからなかったことが急に後ろめたくなり、ユウリはタックを見た。
      「いいや、ユウリ。確かにシオンは、竜也やあの時代のことを恋しがってはいた。
      だが、それをつらいと思うなんて。たとえ、竜也には会えなくても、シオンには僕
      たちがいるんだぞ」
      「僕たちがいる、か。たいした自信だね、タック。きみには、データ不足でも正確
      な分析ができる機能があるってわけか」
       ハルキの嫌味な物言いに、タックはかっとして目を見開く。しかし、技術開発部
      でのシオンの立場に気付いていなかった事実や、今、自分たちがここにいるのは、
      シオンの気持ちをつかみきれていない証拠だと認めざるを得ない。
      「・・・」
       ついに、ユウリもタックも黙り込んでしまい、応接室は沈んだ空気で満たされた。
       ハルキは、ふたりをやり込めてしまったことに、意外にもため息をつき、穏やか
      な口調で言った。
      「今のシオンを見届けたいのなら・・・。彼を混乱させないようにしてください。
      あなたたちが、かつての仲間であったことを、決して彼に告げないと約束できます
      か?」
       ユウリには、それがどういう意味なのか瞬時にはつかめなかったが、はっとして、
      「タック・・・いい?」
      と、タックの意志が自分と同じであるかを確認する。
      「ああ。今のところはやむをえない」
       タックの返事にユウリはうなずき、ハルキを真っすぐに見た。
      「約束します。シオンに会わせてください」

       ユウリは、タックを抱えて、先を歩くハルキの後を追った。
       廊下を進むにつれて、建物の奥に向っているのがわかる。左に曲がる手前で、右
      側から来た他の所員とすれ違ったが、その所員はユウリたちの行く先を見とがめた。
      「ハルキさん、その方たちは?所長の許可があったんでしょうか?」
       どうやらここは部外者の立ち入る場所ではないようだ。しかし、ハルキは何事で
      もないように所員に告げた。
      「いいんだ。所長には、後で私から報告しておく」
      「はい。わかりました」
       所員はそれ以上何も言わなかったが、立ち去り際にハルキを横目でにらみ、軽く
      舌打ちをしたようにも見えた。
      「あなたは、ここに来て一年くらいだと言っていたけれど、それなりの権限を持っ
      ているんですね」
       再び歩き出したハルキにユウリが話しかけると、ハルキは心無しか自嘲気味な笑
      みを浮かべた。
       廊下を左に曲がった先には、薄紫色のドアのエレベータがあった。そのエレベー
      タに乗り込み、地下階に降りる。
       とても明るいとはいえない廊下の両側には、間隔をおいていくつものドアが並ん
      でいた。それぞれの部屋の名称を示すプレートから、ユウリは病院の検査病棟を連
      想し、湿っぽさを伴う不快な気分におそわれた。
       ハルキは、ユウリが自分から離れずについて来ているかを確かめながら歩いてい
      たが、ユウリが各部屋のプレートに目を通していることに気付き、歩を緩める。
      「この研究所には、地球上の生物に類似した異星生物が数多く収容されています。
      この階は、ほ乳類に類似する生物のエリアで、それ相応の研究設備が整っているん
      ですよ」
       その説明は、ユウリをさらに不快にさせた。“知的生命体としての人権”を認め
      られているはずのシオンが、このエリアにいる。地球人に似た異星人なら、いくら
      でもいるというのに、ただひとりのハバード星人だというだけで、研究対象として
      冷然な扱いを受けているのかと思うと、怒りが込み上げてきた。
       廊下を曲がり、横にコントロールパネルの付いたドアの前を次々に通り過ぎる。
      それぞれの部屋に、異星生物たちが収容されているようだ。各プレートには、生息
      している惑星、種族の分類とともに、個体名が番号や名称で記されている。ユウリ
      には、聞いたことのある生物もいれば、惑星の名さえ知らないものもあった。
      「各部屋は、重力や気温など、生息地と同じ環境が人工的につくられています。や
      はり、組織レベルで似ている生物は、生息地の環境も地球に近いですね。しかし中
      には、まるで違う環境で、見た目もグロテスクなのに、なぜか消化器官だけが牛と
      ほとんど同じ、というのもいますよ。興味深いケースです」
       ユウリは故意にうんざりした表情をしてみせたが、ハルキがついに、シオンの名
      が記されている部屋の前で足を止めると、乾いていた唇をきゅっと結んだ。タック
      も緊張しているようだ。
       ハルキは、コントロールパネルの一角に親指を押しあて、短い電子音を確認する
      と、記号のついたスイッチのうちのひとつを押した。
       小さくはあるが、音をたててドアが開く。その一瞬、椅子に座り背をまるめてい
      るシオンの後姿を目にしたユウリは、思わず一歩足を踏み出した。だが、ドアの音
      に気付いて振り返ったシオンは、
      「ハルキさん!」
      と、嬉しそうに、それまでやっていた機械いじりを放り出してハルキのそばに駆け
      寄り、そしてユウリを見てきょとんとした。「誰だろう?」と言わんばかりの表情
      に、ユウリの胸は痛んだ。
      「シオン、この人は私の知り合いでね。君にどうしても会ってみたいというから連
      れてきたんだ」
       それを聞き、シオンははしゃぎだした。
      「すごい・・・!外からのお客さんなんて、僕、初めてです!どうぞ!!あの、こ
      こに掛けてください」
       シオンはユウリから目を離すことなく、小走りでカウチソファをポンポンとたた
      きに行く。ユウリは小さく、
      「ありがと・・・」
      と言うのがやっとだった。
       シオンの部屋は、ひとりでいるには比較的広い部屋だった。そして室内の雰囲気
      は、ユウリが考えていたよりも人間的で、生活感があった。普段、眠らないだけに
      ベッドはないが、ユウリがすすめられたカウチソファは、身体を横にしてくつろぐ
      には十分な長さがある。今し方シオンが向っていた作業机の上には、工具や大小の
      機械部品とともに、パソコンと3D映像対応のTVプロジェクターがあり、椅子の
      足下には、家庭用の、愛らしいデザインの掃除ロボットがちょこんと置かれていた。
      雑誌やディスクなどが詰め込まれている書棚も一般的なものと変わらず、見るから
      にごく普通の、機械いじりの好きな少年の部屋の様相だ。ただ、普通の家ならば、
      外からの自然光を取り込むための窓があるが、この部屋の一面分の壁の上部にある
      横長の大きな窓は、隣接する別室から、研究者たちがシオンを観察するためのもの
      であろうことは、ユウリにもわかる。
      「あの」
       シオンに呼びかけられ、ユウリははっとした。
      「お名前、なんていうんですか?」
      「・・・ユウリよ。そして、私たちの仲間のタック」
       ユウリは、タックを両手で抱き上げ、シオンに見せた。
      「仲間ですかー?いいですね。僕もこのタイプのロボット、好きですよ」
       “私たち”との言い方にもシオンは反応せず、無邪気にタックの頭を両手で撫で
      まわす。何と言っていいのかわからないまま撫でられていたタックは、ふと、シオ
      ンの左手のそで口から、包帯が巻かれている手首を見た。
      「シオン、その左手・・・怪我をしたのか?」
      「あ、これですか?ちょっと、手をすべらせて、工具で切っちゃったんです」
       シオンは腕まくりをして、手首からひじにかけての包帯を見せた。それからつい
      で、というように右足のスラックスのすそを上げ、ひざ下から足首近くまで包帯が
      巻かれているのも見せる。
      「ここもそうなんですよ。スイッチを入れたままの工具を落としちゃった時に」
      と、ふくらはぎの上部からすねの方へ斜め下に、人さし指をすっと這わせる。そし
      てその足を軽くたたき、
      「でも、こっちのほうは覚えてないんですけどね。ね、ハルキさん」
      と、ハルキに話をふった。
      「あ、ああ、脳検査のミスがあったのは、その怪我をした後だからね」
       ハルキは、素直にうなずくシオンの背を優しい手つきで押し、ユウリの隣に座ら
      せる。そでとスラックスのすそをおろし、にこやかな顔つきでユウリをみつめたシ
      オンは、突然、手をたたいて、
      「あぁっ!」
      と声をあげた。
       ユウリはびくっとソファから腰を浮かし、ハルキも反射的に一歩後ずさりする。
      「お客さんには、お茶を出すものですよね。どうしましょう、ハルキさん」
       ハルキは一拍おいて、何を言い出すのやら、とばかりに苦笑した。
      「・・・そんなことは気にしなくてもいいよ。ねえ、ユウリさん」
      「え、ええ」
      「そうですかぁ。僕、この前見たテレビドラマみたいにやってみたかったです。粗
      茶ですが、とか言ったりして」
      「時代がかっているなあ。今では、そんなふうには言わないよ」
       大仰な仕草でお茶を出す真似をするシオンに、ハルキは、微笑みながら言った。
      シオンもこのやりとりを楽しんでいるように、笑みを返す。
       ユウリは、この部屋に監禁されているも同然の状態でありながら、のんきな物言
      いをするシオンを見て、複雑な気持ちを抱いた。外側からロックの解除をして部屋
      に入ってくる男を、なぜシオンはこんなにも穏やかな目で見るのだろう。なぜ、甘
      えているようにさえ受け取れる口調で話し掛けるのだろう。
       ユウリは感じていた。シオンは、ハルキのことを好いている。
       確かにハルキは、シオンを消滅した星の唯一の生存者としてしかみなしていない
      所長とは違うようだ。つい先程、研究対象の生物の話をしていたハルキは、いかに
      も研究者の顔をしていたが、ここではそんな様子を微塵も見せていない。
       ユウリは唇をかんだ。シオンは、病院で出会い、親しくなったハルキのことは忘
      れていても、この研究所で新たな関係を築いている。今の自分のほうが、シオンに
      とって、初対面の他人でしかないのだ。やりきれない気持ちでタックを見やると、
      タックもまた、ため息をつくかのように目を伏せた。
 
 

      「だからって、のこのこ引き下がってきたのかよ!?」
       ユウリとタックから事情を聞き、ドモンはたまらず怒鳴った。アヤセが片耳を押
      さえ顔をしかめる。
      「ドモン、大声出すなよ。とっくに面会時間外だってことを忘れるな」
      「2000年じゃねえんだ、これくらいの声、隣には聞こえねえよ!まったく!今
      日の試合、不戦敗にしてでも、俺も行きゃよかったぜ!」
       ドモンは病院の防音設備のことを言い、まくしたてるが、アヤセは自分が迷惑だ
      とばかりに舌打ちする。
      「ドモンの言いたいことはわかるわ。でも、シオンがあんなじゃ、どうするわけに
      もいかなかったのよ」
      「ドモン・・・。僕たちはその後、時間保護局にも行ってみたんだ。技術開発部の
      主任に会ってきた」
       アヤセとドモンは、タックが言いづらそうに切り出したのがわかり、目を見合わ
      せ、息をのんだ。
      「彼らは確かに・・・シオンのことを疎ましく思っていたようだった。他の者が手
      を出せないほどの仕事をするかと思えば、仕事を抜けて、格納庫に保管されている
      タイムジェットをただぼんやりとながめていることもあったと・・・。そんな姿が
      目障りだったと言っていた」
      「なんか、ひでえ言い方だな、それ」
       ドモンは憤慨するが、アヤセは、うつむいて唇をかみしめるユウリを見て、それ
      以上にひどい言い方をされたのかもしれないと察した。
      「シオンの優秀な能力に対する劣等感の裏返しなんじゃないのか。そいつらにして
      みれば、シオンが保護局を辞めちまってよかったってところだろうな」
       ユウリはうなずく。
      「シオンにしてみても、保護局なんかより、今の研究所のほうが・・・そうよ、昔
      からハルキのような人がいたなら、研究所を出る気にはならなかったかもしれない」
      「おまえ!!本気で言ってんのか!?」
      「ドモン、怒鳴るなって!」
       アヤセは、ユウリにくってかかるドモンを制止し、ユウリのフォローをする。
      「確かに、あの男は、自分の恋人のこともあって、シオンの気持ちを思いやってく
      れてはいるんだろうな」
      「何だよ、それ」
      と、ドモン。しかし、アヤセはユウリに向って問う。
      「ユウリは知っているのか?」
      「ええ。今日、タックから聞いたばかりだけど」
       ベッドサイドテーブルにいるタックが、ぱたっと羽根を動かす。
      「だから、何だよ、それ!」
       自分ひとりが知らないことに苛立ち、ドモンはまた怒鳴った。
 

                               To be continued・・・