中央に艶のある弁柄朱

彫刻鑿で削ったウルシノキ

生漆(真夏の直射日光下に放置しておくと素グロメ漆に変わった)

2001年5月7日、「野口悠紀雄Online」(「インターネット情報源」にアクセスしたい人は『インターネット「超」活用法2001』講談社を買って下さい。「情報源ライト版」なら無料です ・・・2001.11.17より無料公開だそうです)で今まで気付かなかったページを見つけた。「東京大学総合研究博物館」は、見たことはあったが、そこに「国立歴史民俗博物館縄文データベース」につながる道があるとは知らなかった。

実際に出土品に接する機会はないし(小矢部の桜町遺跡の出土品を見たことがある程度)、当時の漆を塗るための道具がどんなものか、漆をどう扱っていたのかを知りたかった。科学と称するものが、物の分析に偏るのは致し方ない面もある(それから得られる情報も非常に大切ではある・・・岡田氏、静岡大学の佐藤洋一郎氏)。しかし、使うための技術の関係の中にも、筋道はある。少なくとも、漆に関しては、現象を並べるだけで済まされている。 今日見た範囲で、当時の漆の保存法、漆漉し法が分かった。職人的には、技術の伝承が、何の疑問もなく当然の事として論じられるのも、大雑把過ぎる話だと言わざるを得ない。「漆の話」のぺージで、自説は述べているので、繰り返さないが、中国での漆の辿った道と比較する視点が必要である。弁柄から全て辰砂に変わった中国、そうではない日本。素グロメ漆を技術的に意味ある水準で使っていたのかどうか。

佐藤教授のことは、三内丸山遺跡のビデオで知り、以前「漆」で検索した時に、漆のDNA鑑定をしていてかぶれたと言うのを見たことがある。それが見つからない(「表示できません」と出るものかもしれない)。今日(5月8日)検索していたら、こんなのがあった。松江・夫手遺跡で6800年前の「黒め漆」が出ていたそうだ。天日によって漆から偶然水分が抜けたという以上の意味を見つけることは出来ない。技術はしばしば断絶する。用具が残るのはなぜか。気候の変化?桜町では洪水(土石流)、、、

自分でやってみた範囲では、漆から水分を抜くのは意外に簡単だと言える。平たい皿状の物に生漆を入れ、直射日光の下に置き忘れれば、何時の間にか出来ている。
2000年秋に採取した生漆のことは、「漆の話」の「2001年版」に書いたが、その残りは4月15日に天日の下に置いた。風も強かった。それは、他の透漆と混ぜて、溜塗りに使った。透け具合はむしろ良くなった。
2000年秋の生漆
水分が抜けていった風で外へ吹き飛ばされた

 

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