漆塗は何故 で始まったのか。

漆を塗った事がある人なら、朱漆は朱の粉と透漆を1時間ほど練って作る事をご存知でしょう。漆が単なる塗料に過ぎなかったとすれば、透漆のままで使われたはずです。ところが、世界最古の漆器は中国の長江河口の河姆渡遺跡で発見された7000年前の朱漆塗りの椀です(大西長利芸大教授)。日本では6000年程前の朱漆塗りの櫛が最古のようです(三引遺跡)。   

2000年2月14日に宮崎県の塚原遺跡で縄文時代草創期(約11500年前)の日本最古の彩色土器が出土したとの発表がありました。内側に弁柄で着色した二本の赤い線があったそうです。
この時、漆塗が生まれた道筋が見えた気がしました。
弁柄の粉を固着させる為に漆を使ってみた、漆と粉を混ぜて赤い線を描いてみた.......

弁柄に生漆(上)吸わせる(下)混ぜるそこで生漆と弁柄を混ぜて再現してみました。予想では艶は出ないはずでしたが、指で画いた丸が乾くと簡単に漆塗りと呼んで良い艶が出ていました。

塗師にとってウルシノキから採取したままの生漆から水分をほとんど取り除いた(クロメた)透漆を使った塗りが漆塗りです。
予想ではクロメた漆と粉を混ぜたもので描いた線の艶を見て、これを器物全体に塗れば美しいものができると感じた事から漆塗りが生まれたとなるはずでしたが、弁柄にはクロメ漆が必ずしも必要ではないとわかりました。

より明るい朱を出す辰砂(硫化水銀)は約4000年前には漆と混ぜて使われていたようです。(古代史復元2)
本物の辰砂(cinnabar)を持っていませんので、HgSと生漆で朱漆を作ってみました。
生漆と粉の比をいろいろと変えてみても、粉っぽい感じになるだけでした。塗りとはいえませんでした。

縄文人はもう少し軟らかくなれば指で塗りやすくなり、弁柄朱のような艶が出るのではないかと考えたのではないか。普通、水と混ぜれば軟らかくなりますが、漆の場合は逆に粘り気が出てきます。そこで逆に漆から水分を取ってみた........

ウルシノキが5本あっても、漆掻きの道具はなく、どうすればよいかわかりませんでしたが、ふと、彫刻用の鑿で削ってみたらどうかと思いつきました。
早速実行し、スプーン(小)一杯の漆を手に入れました。
そのまま直射日光の下に数時間置きました、いわば天日クロメです(素グロメ漆で、乾きが遅くなりました)。

偶然、放置してあった生漆の性質が変化していることに気がついたのか、意図的に水分を抜いたのか、決め手となる証拠はありません(発見されていません)が、辰砂の朱はクロメ漆と十分練り合わせて初めて艶のある朱漆となることから考えて(粉と漆の比、乾燥時間も影響します)、以下のように推定できます。

辰砂のきれいな朱への憧れが、乾きが遅く、流れの良くなったクロメ漆(透漆)との出会いや様々な工夫を経て、朱漆塗りを生み出した。接着や補強用に使われていた漆が、弁柄朱を経て、辰砂朱という質的に向上した漆の姿を現した。素グロメ漆は生漆より乳化粒子が細かく分散し、ウルシオールの比率が高く、酸化重合し易くなっているそうです(永瀬喜助氏)。

河姆渡遺跡の朱が弁柄なのか辰砂なのか分かりませんが、中国では2300年程前から後は全て辰砂だそうです(岡田文男氏)。
黒漆は朱漆がより引き立つようにするための工夫として使われ始め、それから黒漆だけでも美しい事に気づいたと考えられます。下を黒くして何度も透漆を塗り重ねて深みのある黒漆塗りにしたものもあったそうです。

 

2002.5.1(水)検索していたら、水銀朱について書いてあるページを見つけました。
       兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所
       うまく行けませんでしたので、直接行くには

 

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