大谷五百
明治四拾年九月九日
富山縣西礪波郡正得村
交付の戸籍謄本の一部
五百の弟が、(山田→大谷)寛栗だそうだ。
曾曾祖父・大谷寛栗の三女が、大谷元。
その夫として婿養子に入ったのが、曾祖父・芳太郎。
その芳太郎を中心にした戸籍が残っており、それをコピーした。
「養」と付いているのは、そのためである。
曾祖父・芳太郎・・・明治3年9月14日生
明治28年10月9日本郡若林村大字狐島…柴田為次郎弟入籍す
曾祖母・元・・・明治5年10月2日生
祖父・威・・・芳太郎・元の長男(第三子)
明治33年1月15日生
明治37年4月写近藤甚松君十八歳・大谷威五歳
と写真の裏に書いてある(数え年)
山田家から昭和3年の衆議院議員選挙で富山2区から初当選した山田毅一(YAMADA
Giichi)が出ている。
母が子供のときに見た印象(大谷に来た時)は、不細工な顔をしているだったとか。
富山新聞社発行の富山県の100年に関する本に写真が載っていた。
福光町の松村記念館に、初当選の新聞記事があるそうだ(父母の話)。