明治・昭和の古い写真 (2004.8.21)

6月末に母のところに「宮永惣右衛門…系譜」が送られてきた。
下川崎別家で、その2代目が有名な正運の従兄弟になるらしい。(雅氏)
その4代目和兵衛・ひをの4女がつねで、石動鉄砲町の山田儀太郎の養女になっていたのかもしれないそうだ。
大谷つね(七社村) 夫 寛栗 (東作記録では、寛)
その二女は清(明治2年5月3日生れ)。三女は元。
清は、母つねの姉ゆきの長男、河邉家12代久治(苗加村御扶持人十村…川邉―河邉、明治元年に旧姓にもどす)と結婚。
明治27年12月に京都市に転出。その長女がみつ。平野みつさん。
その子が馨さん。インターネットで検索すれば出てくる人。
*私の母の記憶違いだったことになる。「つね」に関して。
*金沢の山田家と石動の山田家の関係は不明。下級武士(足軽)とか衆議院議員とかに関する記載が宮永家に残っていないことは、少なくとも金沢の方とは接点がないことを示す。
*江戸時代、明治時代に、女性の名を漢字で名付けているのは珍しいようだ。

大谷元の卒業証書

石川縣越中国砺波郡道明村


富山の師範学校の費用は不要だったそうだ(母が聞いた)。

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八線表要解 (明治14年4月出板)


log10 1=0 log10 10=1 log10 100=2 log10 1000=3
log10 5 = 0.69897
その後、三角関数の記述らしいことも載っている。

明治14年4月出板とある
「石川縣金沢片甼 書林明教堂 増山平??」 の朱印

大谷辰男卒業証書など

高樹会(石黒信由)

級長 本学年間組合係
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富山縣西礪波郡教育会長・・・
富山縣西礪波郡石動区域小学校長会長・・・

正得小 高等科

石動小 高等科三学年
この後、地元の青年学校

大谷家にて (1951頃)

父が撮影

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