4 視野検査
最初の視野検査は、2002年2月6日(水)に行われた・・・2002年版。
視野と言ったって、何が問題なのか分からない。
検査も、どういうことを調べるのか、さっぱり分からない。
最初は、光を感じなかった。暗順応できるようになると、検査の意味がわかった。
どこかで光っているはずの光を、常に感じられるということは無い。
左眼の場合、左斜め上に全く光を感じないということに気付いた。
特定疾患の申請書類をもらう為に、小矢部市役所へ向かう時、自覚できない自分の眼の状態にどうしようもないものを感じた。
市役所で聞くと、保健所ではないかと言う。そこへ行き書類を受け取る。
2月23日に桐沢病院に申請書類を渡す。
3月13日(水)午前、電話をしてもらい(紹介してもらって)、砺波総合病院の眼科へ行く。
眼底の写真を撮り、周囲が薄く変色しているが、軽い方だとのこと。
パソコンで見せてもらったが、銀色の縞が見えるのがそうなのかなと思っただけで、よく分からない。
家族や親戚に目が不自由になった人はいないかと、聞いてくる。いない。
次の火曜日に、何やらの検査をすることになる。桐沢病院では出来ないとのことで、砺波総合病院に行くことになったのだが、そこでも器械を借りて行うとのことだった。
午後からは、桐沢病院で視野の検査。午前の検査で、瞳孔が開いたままだった(母の運転で行く)。
前回の検査とは違う方法の検査だった。
小さい懐中電灯のような感じの光の動き(検査する人がいろいろ動かす)を見ていて、光を感じたらスイッチを押すという検査だ。
中心部から少しずれていくと、光が消え、また途中から見え出し、また消えていく。
何かのゲームなら面白いが、これが自分の眼の状態かと思うと、恐ろしくなる。
中心と、左右の横方向・下という周辺部辺りに視野が残っているから、気付かなかったのだ。
医療用眼鏡と帽子で紫外線を避ける、アダプチノールを飲む。
3月19日(火)午後、砺波総合病院へ行く。予約してあっても、待ち時間ばかり。
これもどういう検査か分からない。
コンタクトレンズを入れるような感じに(といっても、したことが無い)、眼に何かを入れる。
片方の眼はこげ茶色に被われたが、もう一方は半分透けている。
両方とも透けるべきではないかと、眼をバチバチ(動きにくいのでパチパチでは無い)させた。
上からストロボを焚く感じの検査だったが、途中でO先生が気付いたのか、両方ともこげ茶色で被われてしまった。
光に反応する波か何かがまだあり、あまり重くは無いのこと。
こういう表現も、面白いものではない。
珍しい病気ではまだ一人前ではない、、、
O先生から二回とも「網膜色素変性症」だと言われた。
桐沢病院への手紙を預かる。
23日に桐沢病院に渡し、26日(火)に砺波保健所小矢部支所に特定疾患の申請書類を提出。
その結果は5月に来た…2002年版。
この病気は、安全運転のためにあげられる注意事項と同じような現象を示す。
運転でも、トンネルに入るときは暗順応に時間がかかるから注意するようにと言われる。
交差点では、右を見、左を見、十分安全を確認して運転すること。
ボンヤリ運転では、見落としが多くなるので、運転に集中すること。
同系色は、見分けがつきにくい。
だから、単に年を取ったから、見落としが多くなったのだろうし、眼の働きが衰えたのだろうと思うだけだった。
テレビで言っていたのによれば、緑内障は、片目ずつで見ると、視野が欠けているのが分かるらしい。
まだ軽いうちは、この病気では、片目ずつで見ても、全てが見えている感じがする。
見えているものだけが見えている、つまり、見えないものはそこには無い・意識されることは無い。
泉先生には、漫然と過ごすのと、紫外線を避けるなど注意して過ごすのとでは、大きな差が出ると思いますよと励まされてはいますが、実際のところ、現在の医学水準では、どう進行していくかは全く予測できない。
視野検査は片目ずつ行う。日常では両眼で見るのだから、あまり問題はないはずだった。
5月から6月にかけて、両眼でも視野の欠けているところあると気付いた。