パソコンソフトのような?(2003.3.15)

パソコンの画像処理ソフトの働きを自動的にしている感じがする。
何かを消して、その部分を背景と一体にする。
何かに透明度を設定する。あまり見えなくなっている感じがするところは、透明度80%−90%に対応するか。
あちこちに染みが出来て網膜が働きを失っているところは、解像度が落ちていることになるか。

視野の広さに関しては、右も左も下も良く見えている。
目の中心部だけは良く見える(視力矯正後)。
その間に見えなくなっている範囲が広がっている。
正面を見たとき、斜め方向に透明になっていく感じがする部分が多い。
運転中は、そこにいた車が消えると、いらいらしてくる。
視点を動かせば見えてくるが、別のところへの注意力が減る。
日常生活では、別に困ることはない。
運転は、限界に近付いている感じがする。
前を見ているとき、飛び出しとか、交差点の状況とかが目に入らない部分があるからだ。
若い頃は、階段をトントンとすばやく下りるのが得意だったが、何時の頃からか、遠近感がハッキリしなくなり、下を見ないで階段を下りようとするようになった。

この前、学士院の恩賜賞のニュースで柳田充弘先生の名が出て来たとき、どこかで見たような名だと感じた。
アサヒコムに関連記事が載っていたので著書を見た。
「DNA学のすすめ 躍動する生命の二重らせん」(BLUE BACKS 講談社)
坂倉君に久し振りに会ったときだから、1993年1月に日本伝統漆芸展に初入選して上京し、池袋の喫茶店でこんな本を列車で読んでいたと話したはずだ。
p33から、あちこちにDNAの立体図(ステレオ図)が載っているのだが、坂倉君は立体的に見えないと言っていた。
高1の時、生物は全く分からなかったし、面白くもなかったが、高2の時、偶然DNAについて書いた本を読む機会があり、筋が通ったというか、繋がりを考えさせる感じがして初めて面白いと思った。その後何もしなかったが、、、
それが頭に残っていたから、その本を買ったのかもしれない(ハッキリしないが)。
立体蒔絵をしたらどうなるかと、片方を金、もう一方を銀でリスを描いてみたが、腕が良すぎて、同じ図にならず、失敗した。
売らないつもりでいたのに、グループ展のとき売れてしまったが。
芍薬とか、キャベツとか、花弁や葉が中に詰まっている感じをうるさくなく表現したいのだが、昔から考えているにもかかわらず、ひらめくものがない。
ひらめきを待って生活しているのだが、うまくいかない。

小説なら、何時まで残されているか分からない時を惜しむように制作に励む姿には鬼気に迫るものがあったとなるところだろうが、浅草で一緒に入社した梅ちゃん(4才下)の言葉「仕事の福」を借りてきた方が似合っている。
正直言って、楽しくもないが、漆がないと表現するものがない、というところ。
自分のしていることは、乾漆の限界を探る(麻布的に)ことだろうが、技法を学ぶことは楽しくもある。
自分で切り開いていく道とか、教えてもらっていない技法を身につける道は、不安の方が大きい。

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