「今の仕事で良かったと思いますよ」(2003.7.13)

昨日、月に一回いく桐沢医院眼科で、「今の仕事で良かったと思いますよ」と言われた。
先生自身の話かと、どういう意味なのか考えていると、こちらの事だった。
自動車の運転なんかだと駄目になっているところだが、こつこつする仕事だから丁度良かった。
最初からしていたわけではなかったが、、、と言うと、何をしていたのですか?
サラリーマンと言うしかない。
(その後、ブラブラ、、、一応、農作業−トラクター、田植え機、コンバイン、脱穀など−をしていたが、そのことを話はしなかった。)
*30代半ばで、農作業をしなくて良くなったし、戸外の運動もあまりしなかったことなど、紫外線に合う時間が減ったことは、偶然とはいえ、運が良かったと言える。
*健康診断で偶然早期発見されたことも、紫外線から離れようとする生活を意識させてくれた。
光を目に当てて検眼してもらうのだが、光の中心がよく分からない。
そのことを言うと、覗くと四角錐の中央に向かうような矢印が見えるものを渡し、見て、どこか見えないところがないかと聞いてくる。
右目は全部見えている感じがした。
左目は、左下が見えていない感じがした。
脳が勝手に、見えていないところを補ってくれる。だから見えないという自覚がなく、手遅れになってしまう。
自分の方から、そんな話をする。
見えないというか、見えるというか、それがどういうことかなかなか分からない。
検診を受ける機会がなかったら、未だに目の病気だと自覚していないだろう。
明らかに上方向に視野があまりないという事実も、これが普通だと感じるだけだ。
見えていない部分が黒く塗りつぶしたようにでもなっているのなら、それと分かるが、見えていないことを自覚させてくれるような見え方はない!
それが見えるようになったときは、治療法がある緑内障で言えば、手遅れになったときだ。
午後、郵便で北陸支部からの会報が届く。
アダプチノールに治療効果はない。遺伝子異常を探している段階で、どういうふうに病気になっていくか、どう治療するかは手付かずの状態らしい。正直な話かもしれないが、、、、、、、
磨りガラスを通して見る感じという人の文があった。
症状が軽いとか、重いとか、急に進行するとか言われるが、段々見えなくなるということには、視野が網膜への色素沈着で無くなる場合と、サングラスをかけると見えにくくなる(磨りガラスを通して見る感じ)のと似ている場合があるはずだ。
私の場合のように、中央付近−運転で注意する範囲がかなり失われているのは、光を受ける面積が残されていると言う意味では軽い。運転に限れば、軽い方だとはいえない。
半透明になっていても、一応光を受け取ることができるのだから、検査では、視野があると結論されるだけだろう。
遺伝子異常も、個人個人、違う遺伝子のことが多いらしい。
視野のことも、どこに残っているかもバラバラだし、どの程度まで光を受け取っているかも、ハッキリしない。

(7.17)昨日、特定疾患の再申請の書類が保険センターから届いた。
所得に応じて、自己負担額が変わるようになるそうだ(現在は、月2回、各1000円まで)。
治療法が全く無い、この病気では、所得税の該当欄を見ると、自分の場合、月2750円。
3割負担でも、そんなにかからない。
麻布二枚貼りなんて、止めなさいと言われても、止めない理由はどこにあるか。
完成した技法を使うだけでは、何時までたっても生徒に過ぎない。
芸術的センスが極めて高いなら、美として勝負できる。
そこが別世界であることはハッキリ自覚できる。
乾漆がどうして誕生したか、つまりどれだけの失敗を繰り返して、一つの技術となったのか。
明日がどうなるか分からないから、目の事を気にしてばかりいても仕方が無いという。
それでも、皆等しく明日どうなるかわからないとしても、視野がなくなるのは一部の人間。
この病気との付き合いで、一病息災ということにもならない。
紫外線を避けることだけは、息災に通じるかもしれないが。
どうしても、時間が残されていないというふうに押し潰されそうになる。
この世で、何かをしたということを残してみたい。
それが、二枚造りとの格闘である。
使うものとしての漆と、作るものとしての漆。

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