錐体とカン体(2002.11.27-11.29)

この前、北陸支部の塘添さんから届いた「支部だより 第7号」に、富山医薬大の松本先生の講演が載っていましたので、引用させてもらいます。

目というものは目だけでものを見ることができないんです。例えば目の前にコップがあって、そのコップをコップだと認識するのは、それは目の働きではなくて、それは脳の働きなんですね。目というのは何をするところかというと、結局その光を感じる…という感覚器なんです。その感覚器で受けた刺激、得た情報を処理して、統合してものを見る。そのものが何であるかというのを認識するのは、結局脳の仕事になります。
・・・・・・網膜…は、光を感じる…唯一の細胞なんです。網膜の…視細胞…には2種類あって明るいところでものを認識する、光を認識する細胞と、…暗いところで光を認識する細胞、、、

明るいところで働く視細胞を錐体
暗いところで働く視細胞をカン体(偏に、旁がの下に。その字は、偏に、の俗字)
その二つが一番最初にダメージを受ける場所になるのが、網膜色素変性。

引用しながらの纏めなので、長くなったが、分かり易くはある。

視野が無くなった所と、残っている所に完全に区別できるのだろうか。
視力がなくなるわけではないから、見えているように見えて、半分曇りがかかっているという事はないのだろうか。
暗い所が見え辛いのは、曇っているから?
しかし、慣れれば見えてくる(邪魔な光がない限り)。
光が異常に眩しく見えるのは何故?
自分にとって今切実な問題は、夜道の運転を何時止めるかという点にある。
誰だって夜は見え辛い。よく見えない所に人がいたらどうしようと考え、恐ろしいのである。
しかし、大抵の車は、遅いと接近してくる(尚、見辛くなる)、追い越して60キロ以上で突っ走っていく。
道が斜めになったり、曲がる時なんかも、ほんとに見えているのかと疑いたくなるスピードで走っていく。
まともな人間なら運転を止める。

自宅で漆の仕事をし、それで飯が食っていけるなら、当面の問題は解決する。
今年の漆に関係する収入は、工芸高校の講師代、作家展の賞金の、各1万円、計2万円(源泉徴収あり)。
出品料にもならない。展覧会の作品を買ってくれとは、頼まない。趣味のある人が買おうという気になったとき、買ってあたる可能性がでてくるだけだ。まず無い。
注文も無い事は無いが、どう仕上げるか決められず、もう少しのところでズーッと休止中(縄胎椀)。
これからの仕事をどうするかは、もうすぐ決めなければならなくなるだろう。
勤めている所で、空研ぎなんかをして、唯でさえ目が悪いのに、更に悪くなる事をしている。
この治療法の無い病気を考えると、作るという事さえ何年できるかわからないのに、カシュ−の世界から脱出できないのは、人生を捨てているのに等しい。情けないものである。まともな人間なら、すぐにでも漆制作だけの世界に向かう。しかし、注文も収入も無い、、、

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