32 変化なし (2005.2.26)

二週間前は連休になっていたので、一ヵ月半振りに医院へ行く。
その間、飲み薬はなくなっていたし、目薬も使い切っていた。
右目の外側半分がかなりひどい充血しているのが20日間ほど続いていたが、一週間前ほどにやっと治った。

内科の方は、検査結果の説明。
かなり改善している。GPTは60で、まだ高いが、前より下がっている。
体重をもう少し落とすようにして、3ヶ月か半年後にまた来てくださいとのこと。

眼科の視力検査。乱視の所為で、隙間の見え方が安定しない。
睫毛が折れこみかけているのと、1本入っている。目をこすっているのかもしれない。
黒目に傷はない。
どうですかと聞かれても、説明のしようがない。
目を洗ってもらい、花粉症に対する目薬に変わるとのこと。

朝でも、無事に着けば、かなり疲労感がある。
暗い道の運転が終わると、ぐったりとする。
運転が終わる時に、後ろから光がついてきていると、気分が倍ほど落ち込む。
それでも、生活上の感覚から言えば、小説の世界の事としか思われない。
読み終われば何もないかのように過ぎてくれるような、、、
死にしたって、生きている限り、関係ない。
苦しむのも、息絶え絶えなのも、生きている証拠だ。
自分の死を思うから死が悲しいというのを信じる事は出来ない。
それがどんなものか分からないから怖いという事はあっても、自分という事だけで全てを説明できる訳がない。
格別意識しなくても、死だけを考えて人は生きているのではない。
死を避け、考えないようにしていると言い切るのは、傲慢である。
後戻りできない、絶望の淵に立ったとき、救い(神)を求めるのだろう。
心の闇(無意識)はあり、時々顔を出したがるようだ。
片親を失った悲しみを封印させる(心の闇)態度を取っていた事に無自覚な者もいる。
生きる事が難しいのも生きているから。

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