THE DOMINION WAR BOOK ONE

 BEHIND ENEMY LINES

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第3章

サム・ラベルは無重量空間を漂っていた。すすけてあかぎれだらけの彼の肌には、着けている宇宙服が最高級のシルクでできたガウンのように感じた。ステーションと繋がっているアンビリカルケーブルは、給気管であり、拘束具であり、監視器具でもある。あまり腕を頭上高くあげようとすると、本来の重苦しい宇宙服のツッパリ感があった。そのため金属建材の結合という、自分の作業に適した体勢になるまでは体の力を抜き漂うに任せ、宇宙服についているバーニアはできるだけ使わないようにしていた。使うと目標座標を通り過ぎてしまい、貴重な時間を返って無駄にすることがあったからである。

手にある大きなスパナも重さは感じず、まるで羽毛のようだ。しかし足を固定することさえできれば、このスパナは強力な武器にもなりうる。その日もう何百回目だろうか、サムは監視のジェムハダーの脳天に、このスパナで一発お見舞いするシーンを空想していた。

「囚人番号0596、」サムの耳に野太い声が響いた。「予定より作業が遅れているぞ。密封作業をあと14分で終えろ。さもなくばお前の特権は剥奪される」

サムは、監視に向かって手を振った。その手の中指だけが立てられていることに、監視は気づいただろうか。おそらく無理だろう。というのも、その手は分厚いグローブで覆われていたからだ。「特権」とは大層な言い方だが、その実は食事、水、酸素、寝床といった生きるための必需品のことだ。しかも量は最小限ときている。以前に1,2度その「特権」を失った者がいたが、後でゴミといっしょに宇宙に放り出される運命をたどった。

サムの心は依然ここにあらずだった。眼下のバーテロンコライダー――まだ円筒状の骨組みに過ぎないが――は、長さ10km、幅2kmにも及ぶ。一度に見えるのは漆黒の宇宙に浮かぶ長細い土台の一部の数メートルだけで、全体像の把握は困難だった。

何千と言う宇宙服姿の作業者が蜘蛛のように構造物にまとわりつく光景は、サムにはその信じられないような全長との格好の対比になっているように思えた。また、円筒の中心を巡回するカーデシアのシャトルの影が、これまた信じがたいほど巨大な全幅を示しているように感じる。ジェムハダーが動けと命じたにもかかわらず動かなかったことで、サムは自らの死を覚悟していた。

しかし彼は今は死ぬことを許されぬ身だった。多くの仲間が彼を頼りにしていたからである。生来の性格からか情況がそうさせたのか、サムは18番ポッドの虜囚500人の代表となっていた。自分が他の捕虜仲間に比べて立派だとか、監禁生活から逃げ出せるかもといった幻想はほとんど捨てていたのだが、それでも仲間に対しては努めて明るく振舞っていた。サム担当の看守は彼を殺すほどのいさかいを起こすことのできないある理由があった... 少なくとも今のところは。

サムは、持っていたスパナを封のボルトにかけた。そしてハンドルのデジタル表示を読み、指示通りの張りになるまで締める。2mほど離れたところに、円筒形のバーテロンコライダーが彼を見下ろしていた。それが変わった形態の大砲に似ていることに気づくと、サムに戦争を思い起こさせた。彼の見たところ、この戦争は全連邦域がドミニオンに隷属されて終わるだろう。だがその一方で、一貫して工事の完成を急ぎ続けているということは、ドミニオンにとって連邦がまだまだ脅威であるからに他ならない。ドミニオンはこのワームホールが必要なのだ。

また、完成すればそれだけで偉業である。何しろ何万光年の彼方という別の宇宙域との架け橋となるのだ。この人工ワームホールは、ドミニオンと連邦の技術の混成であり、ドミニオンと連邦の手になる建造物である。連邦の葬送の鐘となる代わりに、ドミニオンと連邦の和平と協調の象徴となってもいいくらいだった。サムは自分の担当作業で破壊工作ができないかと考えていた。バーテロンコライダー内部を漂っているか、あるいはコンビナートの研究所や工場で働いている他の捕虜たち、それら全員が同じ考えだが、不都合なことに、作業工程は厳しく管理され、後でボルタ人による点検まで行われるのである。結局実際に稼動テストに入ってみないと、誰かの仕掛けた破壊工作が実を結ぶかどうかわからないことになる。サムはその英雄的行為を実行にうつす機会を探っていたが、成果もなくただ日が過ぎるに任せるのみだった。その間にも人工ワームホールは刻一刻と完成に近づいていくのだ。

ことの深刻さなど何も考えない単なる作業ロボットのように、サムは作業箇所を点検し、完了と記録していった。この工程がこの区画での締めくくりとなり、壁を押して宇宙空間に漂い出た。彼の体に、だるさと空腹感以外の感覚は何も残っていなかった。そしてその両者は彼の胃と魂を削っていった。

サムは、メンテナンスポッドに繋がっているアンビリカルケーブルを手繰った。「戻るぞ」彼が言った。

「罰としてそこで待て」彼の監視のいつもの野太い声が言った。

サムがついたため息が、ヘルメット内の空間に大きく響いた。

サムは、もし時間通り作業を終えられなければ罰を受けると脅されており、言われたとおり宇宙空間で漂い続けている。罰がどんなものになるかと考えながら、サムは今と反対側に体をそむけた。

その瞬間に目に飛び込んできたものがある。カーデシアの輸送機がバーテロンコライダーの口の中へ入っていくところだった。サムは物理学者でなく、普通の操舵手兼ナビゲーターに過ぎない。しかしそれでもワームホールの入り口では重力が最も大きくなることぐらいは知っていた。コライダーのその部分を建造する機器を見知っているのは、隔離されたほんの数人の捕虜たちだけだった。そこがこの機械の弱点となりうる、すなわち破壊工作が最も効果的なはずとサムは考えていた。今まさに、サムは重要地点の開発過程を観察することとなった。500mは離れたところからだが、細大漏らさず観察すべくサムはそのこげ茶色の瞳を見開いていた。

宇宙服のバーニアを使って、労働者の一団が輸送機の物資輸送ハッチの周りで密集隊形を組んでいた。白い宇宙服姿の囚人が15名、それと同数のグレーの宇宙服のジェムハダーがいるはずだ。よほど重要なものが輸送機から運び出されるようだった。ここでは何千もの労働者が10kmに渡って広がっている。そのため全員の注目が一点に集めることは不可能といわざるを得ない。にもかかわらずサムは、全ての作業の手が止まり、全ての目、スクリーンがその輸送機の動きを注視していると感じた。

ハッチが開き、微かな陽光にも似たビームのようなものが輸送機の中から放出された。サムはもっと近くでよく見たいと思う反面、今の位置よりあまり近づきたくないという不吉な予感もあった。ハッチが完全に開くと、その光の束は長さ10m、幅1mほどに見えた。葬式で棺に寄り添うように、労働者たちがそのまばゆいばかりの物体の周りを取り囲み、輸送機から運び出していった。

サムは、あの奇妙な物体はある種の固定フィールド、おそらくフォースフィールドで覆われていたのだろうと思った。いくらドミニオンといえど反物質を建材に使うとは思えなかったが、その物体はそれと同じくらいの慎重さをもって取り扱われていた。

カーデシア輸送機が突如スラスターをふかし、後退し始めた。しかし、輸送機とその物体の間の空間が真夏のテキサスのハイウェイのように揺らめいて見えるほどになっても、ほんの数メートルしか離れていない。この一連の反応が予定外のことであろうことを悟って、サムははっとした。その物体は光を放ちはじめ、そしてどんどんとその明るさを増し、両目がつぶれんばかりだった。

薄目を開けてかろうじて見えたところでは、白い宇宙服がバーニアを吹かしながら逃げ惑っていた。その危険に目もくれず、グレーの宇宙服のジェムハダーが逃げた労働者に向けて発砲し始めた。フェーザービームが漆黒の宇宙を縦横に交錯した。サムの同僚何人かは、火のついたヘリウム風船のように爆発した。サムは息を呑んで自分の腕をつかんだ。この悲劇的展開を傍観するほか、何も出来なかった。

ジェムハダーの銃から逃れたものでも、続いて起こった死の連鎖反応からは逃れられなかった。固定フィールドがちらちらと光ったと思ったら、その中の照り輝く物質がまるで太陽のフレアのように吹き出した。その炎は、作業員を、ジェムハダーを、カーデシア輸送機を、そしてコライダーをも呑み込んだ。輸送機は、銀色の片鱗と金色のガス雲からなる爆発の中で四散した。コライダーの口もまた、怪物のような火の玉に呑み込まれた。サムは風に翻弄される木の葉のように爆発の衝撃の中を耐えていた。瞬間的に熱を感じ、金属の柱に叩きつけられると覚悟した。事実はビリヤードの球のように構造物に2クッションした後、操り人形が糸で引っ張られるようにアンビリカルケーブルの末端の方へスピンしていった。ケーブルが限界まで引き伸ばされ、おまけに都合よくもバーニアが点火しない。

爆発の破片がサムを通りすぎっていったとき、ちょうどその反対方向を向いていた。奇跡的に、破片はどれもサムの宇宙服を切り裂くことはなく、普通の姿勢を取り戻すことができた。そして太い柱に取り付くようにコントロールすることさえできたのである。最後に、ようやく後ろを振り返ってみると、コライダーの全体で混沌とした情況が見て取れた。

カーデシアとジェムハダーの船が、すばやく事故現場に集まってきたが、生存者は皆無だった。船の同僚や、僚友たる捕虜たちは、黒焦げの肉塊となって真空の宇宙に漂っている。当のカーデシア輸送機は、一瞬にしてスクラップの破片となった。

「現在位置で待機せよ!」怒声が耳に聞こえた。「一歩も動くな!」

サムは、思わずぞっとするような、フラストレーション一杯といった哄笑をあげた。多くの人命が、カーデシア人の一瞬の不注意から消滅した。にもかかわらず、ドミニオンの考えることといえば、捕虜が逃げないようにすることだけだ。そのほとんどは助けもないままに宇宙を彷徨っているというのに。こんな情況でどこへ逃げるというのだ?ケーブルがなくなればほんの数分しか息ができまいに、どれほど遠くへいけるというのだろうか。

悲劇じゃなけりゃ、喜劇だぜ。サム・ラベルは思った。この事故は幸運の幕開けかもしれない。人工ワームホールが予定通り機能することはなくなった。それは連邦にとっては吉報だろうが、結局何千と言う連邦捕虜が補充されることになるだろう。消失分を補うだけにはとどまるまい。もし失敗しようものなら、ドミニオンは連邦捕虜に八つ当たりするに決まっている。

どの道、とっくに死んだも同然の身だしな。サムは、目的もなく漂うに身を任せていた。遠くに不恰好な雲状の宇宙塵が見えた。その巨大な雲はバッドランドと呼ばれ、かつてはマキの隠れ家だった。今やそれは魅力的な幻影に見える。捕虜の脱走と解放といった目標の象徴なのだ。

サムの人生は、巡洋艦<アイザワ>が拿捕されたときに終わった。その艦でサムは、親友のトーリクと共にブリッジ士官として勤務していた。サムは、前に乗艦していた艦、すなわち<エンタープライズ>が撃沈されていないことを祈らずにはいられなかった。捕虜の中で<エンタープライズ>勤務だったものや、もしくはその最期を知るものには会ったことがなかった。今頃、<エンタープライズ>も宇宙の塵になっているかもしれないのだ。ちょうどこのカーデシア輸送機のように。

サムは、<エンタープライズ>に乗っていた頃に思いをはせていた。親友のトーリク、シトー・ジャクサ、アリサ・オガワがいたあの頃に。昇進にかかわるクルーの査定に神経過敏になっていたこともあった。のんびりとは程遠かったが、確かな友情があった。潜入任務でのジャクサの死が、彼ら新米に現実の味、そして犠牲となる側の味を実感させるきっかけとなった。

視界の隅で何かが光ったように見え、サムはホッとして視線を別方向に向けた。身をよじると、頭上にずんぐりとした青銅色のシャトルが見えた。「切り離せ」声が命令する。「収容に備えよ」

サムはため息をつくと、アンビリカルケーブルの吸入バルブを閉めた。持っていたスパナをホルダーに収めバルブを緩めると、ケーブルがメンテナンスポッドに収容されていくのが見えた。サムは数秒間宇宙を漂っていたが、これはかつての自由にもっとも近い状態なのではないかと思った。いつものチリチリとした感覚が全身を包み、転送収容されるのを感じた。

サムは、シャトル船内の転送室で実体化した。そこでは3人のジェムハダーが彼に銃を突きつけていた。「こっちだ!」3人のうちのひとりが銃で威嚇しながら命令した。

サムがよろけながら転送台から降りると、ジェムハダーは明らかにいらついていた。いつもならひとりかふたりのところが3人もいる。やつれて棘の多い顔が冷たく睨みつける中、サムは手早く宇宙服を脱いだ。脱いだものをデッキの回収ボックスに放り込み、裸の寒さに震えながらその場で待った。

裸の抵抗感というものは、この無重量の静寂な地獄ではとっくに失った感覚だった。サムは待機場所へ入れられた。そこには男性3人、女性4人の先客がいた。全員裸である。彼らも事故のせいで作業場から追い立てられたとみえ、驚きをかくせないようだった。

かつてなら、若い女性のヌードといえば大いに興奮したものだが、今では服どころか人間性や自己意思までも脱ぎ捨てさせられた単なる被害者にすぎない。この女性たちは、ここでは自分の身内のようなものであり、欲望の対象ではない。全員が入浴を必要としているが、まともな格好を要求する口実など存在しない。ほとんどの男性同様、サムはあごひげを伸ばし放題にしていた。トーリクですら――彼はバルカン人としても特に潔癖症の部類だ――髪はボサボサだった。彼は冷たい隔壁に背中を向けて禁欲的なたたずまいで座っていた。サムは、他の捕虜たちにだるそうに頷くと、トーリクの傍に倒れこむように座った。小部屋の入り口のフォースフィールドの外には、ジェムハダーが武器を持って監視している。サムは自由に話せたらいいのにと思った。会話しても無頓着なジェムハダーも中にはいる。ただし、他のジェムハダーが厳格に監視しているときだ。普通は、捕虜が所定のポッドに収容されるまでは私語を許すジェムハダーはいない。

威張り屋のカーデシア人などは、もし私語をかわそうものなら容赦なく打ち据えることがザラだ。

看守を試す意味で、サムはトーリクに向き直り、静かに聞いてみた。「あの爆発のこと、どう思う?」

普通の情況での普通の質問なら、バルカン人は頭を思慮深げに振りながら言っただろう。「極めて不安定な物質の取り扱いを誤った結果だろう。おそらく固定フィールドに障害があったのではないかな。ワームホールの入り口の建造に用いている物質が原因に違いないだろう」

大きな音で、否応なく目が向いた。捕虜たちはふたりのジェムハダーを見上げ、傷ついた地球人を引きずっているのが見えた。その男も裸で大部分がひどい火傷を負っていた。ジェムハダーは、ケガにもお構いなく荷物を扱うように空いた小部屋に投げ込んだ。まだ息があるとしても、治療を受けない限りはそう長くはもつまい。

囚人男性のひとりが泣き崩れた。みんなわかっていた、治療など受けさせてもらえないことは。治療どころか葬儀すらありえない。彼は孤独に死に、そして忘れ去られる。

サムがその男に向かって言った。「大丈夫だ。生き延びるんだ。そうすればこのことが忘れられることはない」

「生き延びたくなんかないよ」その男は絶望しきっていた。「忘れられることはない?むしろ忘れてしまいたいんだ!」

「裏切者のくせに」女性のひとりが、サムを睨みつけて言った。

「それは正確な表現ではない」トーリクが答えた。「サム・ラベル大尉は18番ポッドの連絡将校を買って出てくれた。その役目上、他の捕虜に比べるとドミニオンに接する機会が多い。だからといって、彼が敵に協力しているとか密告しているとかいうのはナンセンスだ。彼は我々のために努力してくれている」

「いいんだ、トーリク。好きなように思わせときゃいいさ」サムがつぶやいた。

「こいつじゃないよ」4人の女性のうち年長のひとりが言った。体中傷だらけの痩せたクリンゴン人だった。「密告者を探してるんなら、あの裏切り者のトリル人をやっちまえよ!エンラック・グロフを!なんなら私がやってやるよ、ナイフさえありゃ中の虫を引きずり出して輪切りにしてやる!」

「グロフ教授は、トリル人でも合体してなかったと思うが」トーリクが言った。「しかしあなたの言うとおり、彼はある意味裏切者だな」

サムは自らの友人の声色に苦々しさを感じながら彼を見た。彼がそんな風に思っていても仕方がない。なぜならエンラック・グロフは科学的難題、ワームホールの謎解明にずっと接していた。時空を通り抜けるトンネルの再構築問題に。この特権と引き換えに、グロフは敵と通じていた。彼の名はボルタ人エンジニアの間でも重要視されているようだった。彼はドミニオンから任務を与えられ、特に重宝がられていた。

そう考えると、グロフがクリンゴンナイフで内臓を引きずり出されるというのも当然の報いという気がしてくる。

トーリクは首を振って言った。「我々の誰も、グロフ教授を害するチャンスに恵まれることはまずあり得ない。私の知る限り、彼がDS9で囚われて以来見かけたものはほとんど皆無だ」

「彼はどんな風に捕まえられたの?」一番若い女性捕虜が尋ねた。捕まった経緯をお互いに話して聞かせるのは、捕虜の間では一番の暇つぶしだった。

「彼はベイジョーのワームホールで行われた実験を忘れられなかったのだ」トーリクが答えた。「そしてドミニオンがDS9を占領したときに囚われた。つまり、彼にとって実験こそ何物にも勝る価値のあるものだったわけだ」

「やつの名誉のために言っておこうか」クリンゴン女性が吐き捨てるように言った。「やつの体内に虫はいない。そうじゃなくて、やつ自身が虫けらだ!」

「やつらは私を脱出ポッドから締め出したのよ」先ほどの女性捕虜が恐怖の表情で言った。彼女のそばかすが、全て後ろへ落ちていった。

ガチャっという音とわずかな揺れが、ドミニオンがポッド集合体に到着したことを知らせていた。集合体の様子を実際に外から見たことはないが、サムは多分分子結合モデルを大きく巨大にした外見だろうと想像していた。長く、狭いシャフトで繋がれた、窓ひとつない球体。そこに捕虜たちと看守が生活している。中央司令部的な施設は存在していない感じだ。とにかく、このポッド集合体から逃げおおせたものなど聞いたこともない。凍てついた宇宙空間で、どこへ逃げようというのか?

サムは、よく船を盗むことを考えるが、ドミニオンはシャトルを数秒とドッキングさせたままにはしない。ジェムハダーもカーデシア人も、囚人監視は手馴れたもので、起こりうる可能性には全て手が打たれていた。

「運のいいヤロウだぜ」男のひとりがつぶやいた。「おっと、死んだやつのことだぜ」

誰も、その男の悪趣味な評価に反論する気もなかった。いつか、敵につくすことに対する抵抗感も麻痺した魂の抜け殻となった労働者にとって、死を選択するほうがよっぽどましという事態になるかもしれない。戦争や監禁生活を続けていると、彼らにとって死ぬことは、宇宙が暗いというのと同じくらい普通の決定事項になってしまっているのだ。

武装したジェムハダーが小部屋に集まり、そののひとりがフォースフィールドを解除した。銃を振って、捕虜たちに部屋から出て通路に向かうように指示した。捕虜のほとんどは、隣の監房の瀕死の男をわざと見ないようにしていたが、サムは敢て指摘した。

「彼を助けないのか?」サムが要求する。

「その男は負傷した」ジェムハダーが答えた。「行け」

サムは反論しようとしたが、ジェムハダーは同じ仲間でも負傷者を気にかけまい。強い者が生き残り、弱い者は間引かれる。そのうえ、創設者に仕えて死ねることは、すべてのジェムハダーにとって最上の褒章なのだ。それを捕虜だからとてなんの違いがあるだろう?事故で失った仲間のために悲しむだろうか?否。ジェムハダーのしたことといえば、警備を増やすことと、仕事の割り振りをやりなおしただけだった。

サムは、他のメンバーと一緒にハッチを潜って通路を下り、移動用ポッドに乗った。外側の隔壁の近くに立つと、取っ手は凍てついて、捕虜たちは先を争って棚から擦り切れた白い宇宙服を引っつかんでいた。サムのことを裏切者だと非難していた女性が、ちらりと恥ずかしげな視線を送ってきた。サムは頷き、気にしていないという気持ちを伝えた。ここでは誤解など日常茶飯事だ。女は赤の縦縞のポッドへ、男は青の横縞のポッドへ乗るように看守が身振りで指示している。お互いこれが見納めとなるだろう。

かつて、サムは女と男を分けないように要望してみたことがあったが、ジェムハダーの答えは、妊娠した女は殺される、というものだった。その要望はそれっきりしていない。

トーリク、サム、それともうひとり男がリフトに乗り、ドアが閉まるのを待った。ジェムハダーの警備隊は賢明だった。狭い場所で捕虜と一緒になることは避けていたのだ。不意をついて武器を奪われたりしないように。そんなことを考えてみると、ジェムハダーがうっかりしていたとか、ミスを犯したということは聞いたこともない。死ぬまで闘えといわれればジェムハダーはそのとおりにするだろう。しかしそれは理路整然と計画された自殺なのである。

固定されたターボリフトに男が乗り込むと、サムはまたいつもの考えが浮かんできた。この継ぎ目もないリフトから脱走するには、と。ネコという名の捕虜仲間がターボリフトから脱走を企てたことがあった。しかしサムはその時以来ネコに会ったことがない。

ドアが開き、太い声が響いた。「囚人番号3619、15番ポッドだ。ここで降りろ」死んだ方がましと言っていたその男は、足を引きずりながらリフトを降り、狭い通路を見えなくなるまで歩いていった。

ドアが閉まると、サムとトーリクは移動を続けた。長時間ターボリフトに乗っていたおかげで、サムは個々のポッド集合体がなぜ長いシャフトで分離されているのかという理由を見て取ることができた。大して差はないが、それでも考えることを避けてとおれはしない考えだった。

「大変な一日だった」トーリクが、バルカン流の日常会話風に言った。

「ああ、そうだったな」サムが同意した。「でも本当に大変なのはこれからなんだぜ」

どうにかして人工ワームホールが完成する前に叛乱を起こし、これを破壊しなければならない。その日は、捕虜全員が確実に死を迎える日となるだろう。しかも全く無益な死だ。しかし、なんとしてもやらなければ。でなければ連邦は負け、彼ら自身生きていてもしょうがなくなってしまう。しかし、決行の日は日一日とズルズル延びていった。怠惰や絶望が捕虜たちの常なる友となっていったのである。

ドアが開き、太い声が響いた。「囚人番号0596および0597、18番ポッドだ。降りろ」

サムとトーリクはターボリフトを降り、薄暗い明かりの通路を自分たちのバラックに向かっていった。ホールをしばらく歩くと、狭い金属のハッチのところにきた。近づくとハッチは自動でパタっと開いた。サムはハッチをくぐり、天井の高い部屋に入った。その部屋は、いつもサムに昔通ったブルックリンの教会を思い出させる。それは一種のスパルタ式効果だった。

500からの寝袋が床に転がっていたが、そのほとんどは退屈しきった連邦籍の種族代表に使われていた。青い肌のアンドリア人から、くちばしを持ったソーリア人までいた。彼らは、天井の観察窓をじっと見つめていた。その窓は本来ジェムハダーが監視のために見下ろすもののはずだが。

サムとトーリクが部屋に入ると、捕虜が数人駆け寄ってきた。「見たのか?こっちじゃ音しか聞こえなかったんだ!一体外で何が起きたんだよ?!」全員興奮した声で話をせがんだ。

サムは、まず落ち着くように言うと、目撃したままを語った。ただし、どれほどの捕虜が爆発にまきこまれたかは言及しなかった。

「負傷者が大勢出たんでしょう?」若い少尉が尋ねた。

サムが肩をすくめていう。「捕虜は数人さ。だけどカーデシア人満載の輸送機と、ジェムハダーが束になって巻き込まれてたぜ」

「ざまァ見やがれ!」集まった捕虜たちが、拳を振り上げて言った。興奮状態のわめきあいが続いた。

トーリクはサムを一瞥した。ウソはわかっているが指摘はしない、と目で語っていた。他の捕虜と同様、奴隷労働者として連れてこられて以来、トーリクも普通のバルカン人とは違う処世術を身に着けていた。落胆した仲間がそのウソで少しでも元気になるのなら、喜んで見逃そうというわけだ。

ズキズキとした傷の痛みで、サムは自分が建材に激しく打ちつけられたことを思い出し、肩をさすった。「今何時だ?メシはまだか?」サムがつぶやいた。

「まだ1時間以上あるんじゃないかな」仲間のひとりが答えた。捕虜たちは、外で作業をするときはクロノメーターでキッチリ管理されるが、収容ポッド内では時間を知ることを禁じられている。時間経過の目安となる昼や夜などというものはなく、看守は四六時中照明を一定にしている。捕虜はただ予定通りにシフトチェンジと食事の配給に基づいて運用されるだけだ。

クラクションが鳴り響いた。サムは思わず不安げに立ち上がり、天井の観察レンズを覗き込んだ。他の捕虜たち何百人もが同じ様にした。湧き返っていた議論が、不安げなささやき声となって消えた。

「囚人番号0596、出ろ」声が聞こえた。

サムは神経質に唇を舐めると、ドアに向かって歩き出した。陽気な笑顔をみせながら仲間に言った。「メシのときに会おう」他の捕虜たちは、恐怖と不審、嫉妬の混ぜ合わさった目で見ながらサムを送り出した。

ドアが開き、サムは薄暗い照明の通路に出た。後ろでドアが閉まり、ひとり取り残されると、捕虜仲間から追放されたような気分だった。だんだんと、不満に耐え仲間に誠実でありつづけることが難しくなってきている。みんなの期待が大きすぎるのだ。ともかく、サムはただ、ドミニオンと捕虜とのコミュニケーションをオープンにしておきたいだけなのだ。奴らは獣ではない、少なくとも要望や要求についてのやりとりができているうちは。

足音が聞こえた。サムがそちらに向き直ると、武装したジェムハダーが歩いてくるところだった。そのジェムハダー兵の横には、ジョレッシュという背の低いボルタ人が一緒だった。サムがこの男に会ったのは正式な要請をあげたとき2回しかない。そもそもサムはボルタ人と会う機会が少ない。せいぜいカーデシア人止まりである。

「これは光栄の至りです」サムが嫌味たらしく言った。

「ウソおっしゃい」ジョレッシュが情熱的な笑みをたたえながら答えた。「あれはほんの序の口でしょ」

小男が踵を返して通路を闊歩していく。護衛がにらみをきかす中、サムはジョレッシュについていった。驚いたことに、そのボルタ人はターボリフトに乗り込み、一緒に乗れと言った。サムは当然ジェムハダーが一緒に乗り込むと思ったが、通路に残り見ているだけだった。ドアが閉まり、ターボリフトが動き出した。

ジョレッシュは鼻にシワを寄せてサムを見た。「我々は君らのような種族を一掃できたらと思っているのですがね、今は非常事態ですから。やることがあります。お行儀よくなさい」

「お行儀よくできるかどうかは、そっちの出方次第だね」サムが言った。

ボルタ人は銀色の目を瞬きさせて言った。「どんな出方になるかは、尋問の結果次第ですね。別にあなたがこの役目の唯一の候補者というわけでもありませんし。でも、ずっとあなたを見てきましたけどね、あなたこそ適任だと思ってますよ」

「断っとくけどな、俺は戦争捕虜であって、ドミニオンに雇われてるわけじゃないんだぞ」

ジョレッシュは、豪奢な銀色のジャケットから糸くずを落としながら言った。「君はドミニオンの所有物ですよ。潜在能力を発揮するか、ゴミくずで終わるか、君次第です。これまでは、使える労働者だということを証明しました。そしてドミニオンと捕虜との関係改善に努力してきましたね。そういう資質はドミニオンに高く買ってもらえるかもしれませんよ」

サムは努めて冷静にふるまい、この気取り屋と口論するようなまねはすまいと思った。結局ドミニオンが取引と称し、相互協力と呼んだものは、独裁体制以外の何物でもなかった。サムは思った。この体制下においてカーデシアは単なる下僕にすぎないと彼ら自身が気づくのにどれくらいかかるのかと。所詮ジェムハダー艦隊の増援が到着するまでのつなぎにすぎないのだ。

「連邦には理解できないんでしょうかねえ。ドミニオンの保護下で捕虜を移送したいだけなのに」ジョレッシュが、まるで中古シャトルのセールスマンのような口調で言った。「君の同胞は、君が死のうが拘禁されようが何もしてくれないじゃないですか」

「だったら俺たちを解放しろ」サムは言ってみた。

ドアが開くと、ボルタ人ジョレッシュは薄ら笑いを浮かべていった。「そうできるかもしれませんよ。ただし一度にひとりずつです。ついてらっしゃい」

ふたりは、明るい照明の通路を歩いていった。入口や出口が本当にたくさんあった。しかもジェムハダーの護衛もいない。サムは、ジョレッシュに続いて2番目のターボリフトに乗り込んだ。そのリフトには対角線状に黄色いマークがあった。こりゃVIP用の特別製だな。サムは思った。豪華な造りに上品な素材からもそのことが見て取れた。なにより、いつもサムたちが乗るリフトは外部から制御されているが、このリフトはジョレッシュの器用そうな指で制御されていた。滑らかすぎていつ動いたのかも判然としないうちに移動しおわり、ドアが開いた。

「よくお聞きなさい」ジョレッシュが言った。「君は神に拝謁するのです」

サムはターボリフトを降りるまでその言葉の意味を認識できなかった。降りてみるとそこは広い観察ラウンジで、その一角には豪華な料理や酒が並び、また他の一角にはきれいな窓があった。何人か人がいたようだが、サムは料理の臭いに気を取られていた。部屋の中ほどまで進むと、瞠目すべきものを見た。ベージュのローブをまとった線の細い人物である。テーブルの先に天使のように立っていた。彼の容貌は、髪がなく、さらに奇妙なことに造形が不十分だった。まるでこの姿は単純すぎて細部にこだわる必要などないと言うかのようだった。

創設者!サムは戦慄と共に悟った。サムが可変種を見たのはこれが初めてで、どう反応したものかわからなかった。ジョレッシュが床にはいつくばるように進んできたので、サムもその可変種にお辞儀をした。握手の手をさしのべることはできなかった。なぜなら可変種に触れるということをどうにも想像すらしがたかったからである。中途半端にヒューマノイドの形態をとろうとしているせいか、実際の存在というより余程幻影といった雰囲気だった。

ほんの一握りの可変種がクリンゴン帝国をほとんど壊滅に追い込んだことが思い起こされた。それも内部からの崩壊である。目の前の生き物は、部屋の中のどんな人物にでも、またどんな物体にでも化けられるのだと思うと少々とまどいがあった。ラウンジには他にも何人か人がいたが、彼らを見て、果たして見た目どおりの人物なのかと思った。ジェムハダーの護衛がふたり、金色の水受けのそばに控えていた。もうひとり、ボルタ人がジョレッシュに何事かヒソヒソとささやいていた。窓のそばに、白衣を着た不恰好な男が立っていた。その男は、乱れた茶色のアゴヒゲをはやし、これまた茶色の斑点が額からこめかみ、首へと繋がっていた。

エンラック・グロフ!そうに違いない!サムは思った。なんてことだ!もしサムの同僚がグロフと一緒にいるところを見たら、二度と信用されなくなるだろう。

サムは料理の方へそろそろと歩み寄った。「食べてもいいかい?」可変種に尋ねた。

「創設者の祝福をいただくまでお待ちなさい」ジョレッシュが、サムの無作法さにあきれたように注意した。

「かまわん」従僕に頷きながら慇懃な声で創設者が言った。お辞儀をしながらボルタ人が下がっていった。

サムは、ハムのようなものの載った皿にかぶりついた。固形食なら、毒でなければそれが実際なんだろうとサムにはどうでもよかった。創設者の要求がどんなものであれ、答えはノーだ。この部屋を蹴り出される前に、食えるだけ食ってやる。それが目下のサムの考えだった。

「サミュエル・ラベル中尉、それとも昇進したかな?」創設者が言った。馴染みの薄い正式名で呼ばれている。「<アイザワ>乗艦中に捕縛。以前は<エンタープライズ>に乗艦。現在は技術者で、18番ポッドの連絡将校を務める」

サムはうまい料理を口いっぱいに頬張りながらモグモグいった。しゃべりだすと、皿全部に唾が飛ぶかと思ったが、一方で創設者が自分を番号でなく名前で呼んだことに感銘を受けた。サムはグロフ教授を一瞥し、この悪名高き裏切者と内密に話ができないかと思った。トリル人が何か言いたげに近寄ってきたが、口をつぐんでいるようだった。賢明な裏切者は創設者の話に割り込むようなことはしないのだろう。

サムはまた料理を頬張った。何が起ころうと、簡単にこの場を追い出されたりしないぞと思った。決意を込めてモグモグやっていると、創設者の言った次の言葉で危うく喉を詰まらせて窒息するところだった。

「ラベル中尉、君に船の指揮をまかせたい」


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