1950年(昭和25年)
富山県小矢部市に生れる(le 21 août)。
(正確には・・・富山県西砺波郡正得村七社)
1963年(昭和38年)
小矢部市立正得小学校卒業。
(入学時は・・・西砺波郡石動町立正得小学校)
1966年(昭和41年)
砺波市立砺波北部中学校卒業。
(在校中、海外文通などをする)
1969年(昭和44年)
富山県立高岡高校卒業。
北海道大学教養部文類入学。
1973年(昭和48年)
浅草でのサラリーマンなどを経て、何か一つでも一人前にならねばとの思いで・・・
1976年(昭和51年)
・・・高岡漆器(カシューの吹付け塗装)の業界に入る。
・・・何とか一人前になったが、本当の漆も刷毛塗りも知らなかったので・・・
1986年(昭和61年) 漆塗りを習い始める
・・・高岡漆器協同組合の後継者養成スクールに週一回(金曜の夜3時間)通い出す。
内島修蔵氏に漆のことをいろいろ教えてもらう。
最初、十数人いた受講者が、二ヶ月ほどすると、一人になってしまった。先生二人に生徒一人。
結局、斉藤慎二さんとO氏と三人が生徒で、一回目のスクールが終わった。途中で先生の一人がY氏からU氏に替わった。生徒が少なかった所為か、割合楽に漆を覚えられた・・・刷毛の切り出し方、箆のことなど、最初のスクールが一番丁寧に教えてあたった。
6年間通う(一年乃至半年が一つの期間であった)。
1989年(平成元年)
作業所がカシューの滓の自然発火でなくなった(誕生日だった)のを機に漆の道を目ざすことにした。
第3回高岡の技展「彩色飾り鉢」技賞・・・スクールでの作品だったが、展覧会への初出品。
1990年(平成2年) 我流で乾漆を作る
木地に布を5枚貼るつもりで、離型剤も塗らずに、石膏に直接麻布を貼り重ねて「乾漆盛器」を作る(全くの我流)。
後藤義雄氏に声をかけられる(第4回高岡の技展、技賞)。一生縁がないと思っていた「伝統工芸展」を目指すことにした。
1991年(平成3年)
第30回日本伝統工芸富山展 「乾漆盛器 朱と黒」奨励賞(初出品)。
輪島漆芸研修所で大場松魚先生から、変わったことをするのではなく、漆の良さを生かすようにすべきだと諭される(漆芸部会展の研究会)。
⇒輪島の山岸一男氏がこのときの事を覚えていた(1998年)。
1992年(平成4年)
第31回日本伝統工芸富山展 「乾漆食籠」 日本工芸会賞
賞金でビデオ「増村益城のわざ」を買う。
1993年(平成5年) 日本伝統工芸展初入選
第32回日本伝統工芸富山展「乾漆食籠」 日本工芸会富山支部賞
第10回日本伝統漆芸展 「乾漆食籠」 初入選。
第40回日本伝統工芸展 「乾漆食籠」 初入選(初出品)
1994年(平成6年)
第33回日本伝統工芸富山展「乾漆溜塗盛器」 富山美術館賞
*大場松魚先生「見事なムラ塗り」
*徳田八十吉先生「態としたんでしょう。工芸会の者は、上手すぎて面白くないよ」!!!
1995年(平成7年)
第34回日本伝統工芸富山展「乾漆食籠」 奨励賞
*このとき、大場先生に同行しておいでた市島桜魚先生に、前年の本展の落選理由を教えてもらう。
18角の食籠で、蓋と身の被りに、きつい部分があったからだそうだ。
グループ展「漆麗展」(高岡市美術館ギャラリー)
1997年(平成9年)
「うるしアート」(庄川美術館)招待
グループ展「漆麗展」(高岡市美術館ギャラリー)
1998年(平成10年) 日本工芸会正会員
第37回日本伝統工芸富山展 「乾漆食籠」 日本工芸会賞
高岡市美術館買上第45回日本伝統工芸展 「乾漆食籠」入選
日本工芸会 正会員 認定
1999年(平成11年)
第38回日本伝統工芸富山展「乾漆盛器」 高岡市教育委員会賞
グループ展「漆麗展」(高岡市美術館ギャラリー)
「砂田正博漆芸展」(砺波市 工芸き・た・じ・ま)
2000年(平成12年) パソコンを始める
春、日本工芸会富山支部の会費担当になったのを機にパソコンを買い、使い始める。
8月16日ホームページをアップロード(完了まで八時間)。
途中で誰も見に来ない事に気付き、自分のためのページを作ることにした(見たい人には、どうぞ・・・)
2001年(平成13年)
第18回日本伝統漆芸展「乾漆食籠」東京都教育委員会賞。
2005年(平成17年)
職業訓練を受け、資格を取る。
AutoCADオペレーター
CAD利用技術者補(CAD利用技術者試験2級合格)
Microsoft Office Specialist EXCEL 2002
2006年(平成18年)
予定???『麻布と麻紐による漆工房』を始める???
2012年(平成24年)
富山県工芸作家連盟、退会。