漆の話 2004年版

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北陸の人間国宝展〕 〔雑感〕 〔今年の乾漆〕 〔年をとるのが愉しく〕 〔1940年代〕 〔輪島にて〕 〔外出〕 〔退官記念展〕 〔卒展
砺波市にて〕 〔パソコンは〕 〔失敗ばかり〕 〔まとまりのない〕 〔金沢へ〕 〔わざの美1〕 〔わざの美2〕 〔わざの美3〕 〔わざの美4
となみ野美術展〕 〔わざの美5〕 〔5.30金沢〕 〔6.6金沢〕 〔カウンター10000〕 〔〕 〔〕 〔仕事〕 〔工芸高〕 〔その後〕 〔雨の中
金属の〕 〔彫刻展〕 〔上京〕 〔水墨〕 〔香月展〕 〔尚美展〕 〔黒田朱〕 〔支部展〕 〔反省会〕 〔嵐の日

12月5日(日) 嵐の日

風は強かったが、雨が横殴りに降ったり、雨が止んだりと目まぐるしく変化した。
雨の止み間に出町へ行く。
支社での遺作展。最初は誰もいなかった。
見たことのない作品が多かった。
大らかな感じの蒔絵をつけた作品。
町報の原画も展示してあった。優しい感じの絵。
プリンターのインクと写真用紙を買う。
一週間前の写真を印刷し、持っていく。

イラストレーターを開く。
多角形をクリックし、アートボードをクリック。
径を指定したが、思っているより大きい。
直径ではなく、半径だった(円の内接多角形)。
角数を指定し、フィルタ、パスの変化、パンク・膨張の順にいく。
半径43mm、角数18、膨張を3か4にすると、よい感じになる。
半径を105mm、角数18、膨張を3か4にする。
A4サイズでは印刷できないので、書類設定でA3にする。
それでも印刷が上手くいかないので、印刷範囲を何とかにチェックを入れると2枚に分けて印刷出来た。
少なくとも分割に関しては、これで正確な位置の作図が出来ると分かる。
自分で辺の形を作り、それを繋げて全体を作るという方法は分からない。

棗の外側の中塗りだけが実際の作業。
昨日内側を塗ったのだが、研ぎが不十分だったとはっきり分かる。
図録を見ると、保真の菊棗は径も高も67mm。別世界。
自然のものから出発すべきというが、抽象の世界はそれを捨てたことから出発している。
芸術と呼ばれる世界は、抽象をつきすすめている。
工芸も抽象性の強い世界だ。
画家が工芸品を作れば、工芸家の作るものと似ている。
工芸家が絵を描けば、画家の絵と似ている。
何をしようとしているのだろうか。
自然の不可思議さ、美、、、それとは別の世界も同居する。

11月30日(火) 反省会

昨日は、支部展の後片付けと搬出。
手で触れてみれば一番よく分かると、棗を手にされた。
肌触り、重さ、蓋の入り具合、気にならないのが良いそうだ。
貼ってあるもの(加飾)の高さ、合い口は合っているか、角はきちんとしているか、内の塗り、裏、、、
自然に受け入れられるのが一番良いのかもしれない。

日暮が早いので、夜、反省会。
輪島の稲chuが倒産したという話を初めて聞いた。
kさんが回ってきて、今回はあまり見かけなかったと言った。
春のときなんかは、確かに会場によく出かけたし、そこで大抵会っていた。
木・金・土と不幸の世話、日は法事で、当番も断っていたと話す。
当番の日にゆっくり見るつもりだったので、ほとんど見ていないのに等しい。
講演会について聞くと、使い手を育てることをしてきたというような話だったとのこと。

11月21日(日) 秋に支部展

例年春の支部展が、「わざの美」の関係で秋になった。
来年からまた春になるので息つく暇がない。

今日は朝、チャリティに出す縄胎(ビール)杯を荷造りし、店に持っていく。
来週の3回忌の清酒を買う。
部屋に散乱していた書類をファイルし、片付ける。
午後出かけ、清水町辺りにある文苑堂に寄り、高校の同学年だった人が訳したという「数学はいつも苦手だった」(アルブレヒト・ボイテルスパッヒャー著、日本評論社)を探したが、見つからなかった。
店の時計を見ると1:50pmだったので、美術館に向かう。

列品解説が始まっていた。
技法解説や、空間を取ることで尚一層絵が生きることなどを話されていた。
3pmからは出品者研究会が初めて開かれた。
使う点(用)からの指摘が多かった。
加飾の多過ぎ、変に目立つところがあると全体的に見てあたらないこと、、、
まずは形、それをより生かす加飾、、、全体としての調和。
斬新な陶芸作品に関しては、長所を生かすべきということなど、、、

作品に関して上手く感想を述べられることにすごいと思う。
自分で思うことは、乾漆なら赤ちゃんから幼少年、青年期までの感じ。
加飾なら青壮年期の感じの形が似合うだろうというぐらい。
分からない時は、本展に通るかどうかという見方をする。
それぞれが思いを込めて作っているものをどうこういうのは失礼な気がするというのが本音。
別の人が見たらどう感じるか、それを皆気にしているわけだ。
人生の深みを背負っているかどうか。

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11月7日(日) 黒田朱

珍しく昨晩は11時半頃まで朱と透き漆の上塗りをし、2時まで返しを時々取った。
戸をあまり開けたくないので、湿りを与える為にスポンジに水分をいつ吸わせるか迷う。
今日の7:30pm頃、19℃、60%なので、戸をあけ、水を十分吸わせる。
朱は黒っぽく光った感じに見えた。
ゴミをあまりつけたくないので、じっくり見るわけには行かない。
黒田朱(本朱)の乾きがどうなるか、、、ムラがでるか、黒っぽくなるか、縮みまくるか、、、

途中起きはしたが、結局、6時間ほど寝転んでいたことになる。
支部展の事務関係のことで美術館へ。
林先生に黒田朱のことを聞く。
日華よりは暗い感じの朱だが、より安定しているそうだ。
粉の方が、重量比で少し大目でよいそうだ。
蝋色の場合は、本朱は重く沈むので、より多くするそうだ。
粘りのある漆と混ぜたり、王冠朱と混ぜたり、いろいろ調整するらしい。
日華の時は、古い漆と混ぜたり、自分でもいろいろ調整しているが、黒田朱の本体を知りたい気があるので、今回は調整はしていない。

乾漆が極端に多いことと若い人の出品が増えていることが支部の特徴。
帰宅し、金沢に向かう。かなりの渋滞。西日がまぶしい。
伝統工芸展を見、閉館後、21世紀美術館に行く。
無料のゾーンだけを見る。感想は、、、
光の点滅する部屋の展示は、恐怖感を覚えさせた。
搬出は6:15pmを過ぎた頃になった。
帰りは運転せずに戻る。

10月18日(月) 日曜日の外出

17日(日)は午前中に中塗りを終わらせる。
尚美展へ行く。電気科、建築科、、、、、と回り、工芸科へ。
錆絵など見覚えのない作品も並ぶ。
卵の殻(朱で紅梅のイメージ)の丸盆など、知っているのもある。
どうなっているか一番気にかかっていたYさんの、貝による影絵的表現。
難しすぎたようで、模様を貝で貼る(割貝で)仕事になっていた。
先生の話では、貝の一片毎に裏に漆をつけて貼っていたそうだ。貝の色はきれいに出ていた。
先生に、自分で後からやってみた方法を話す。
貝で模様を抜き去り、美濃紙に糊で貼り、貝を割る(短冊に)。
漆が少し粘ったところで貝を置き、和紙を湿らせて取り除き、貝の並びを直す。
本人と話をしたかったのだが、知っている生徒にさえ、1人も会わなかった。
最後まで面倒を見ることが出来なかったことには心残りがある。。
講習会の作品は隣の部屋に並んでいた。やはり、浮いてきたものがかなりある。
Uさんがおいで、ずっと生徒の世話で時間が取られたことなどを話される。
こういう立場も、ひどすぎる。自分の仕事を犠牲にしているとも言えるかもしれない。

美術館へ行く。「松岡美術館所蔵 フランス近代絵画の巨匠たち ―モネ、ルノワールからピカソまで―」
教科書に出ていたような感じの絵が並んでいた。
光、点描、線描(点描を横に少し伸ばした、)、よりエネルギーを感じさせる絵、形の組み合わせのような絵、曲線化したような人物(漫画にあるような)、、、
ヴラマンクの絵が、一番印象に残った。生命感があるような感じ。
ローランサンのも柔らかい感じでよかった。
荷物になるので図録を買わなかった。
題名は忘れたが、太陽を感じさせるような女性の絵も良かった。
コレクションの限界というものは確かにある。

4時40分過ぎぐらいだったろうか。古城公園を歩き、時間を潰す。
中の島へ回ったり、昔の野球場の周りを歩き、夕陽を撮る。
散歩している人が、後ろで手を合わせる音がした。

まだ時間があったので歩く。文苑堂の近くに来たので、寄る。
美術関係の書名を見てから、パソコンのところへ行く。
htmlで作るホームページに関する簡単な本を探す。
リンクの設定の仕方を見、www://http.…では表示されないサイトがあると知る。
ページのファイル名で設定するらしい。
養老先生の本を買う。
午後6時が近付いたので、ニューオータニへ向かう。

日本伝統工芸展で総裁賞を受賞された山下さんの祝賀会。
長い道のりの上の受賞で、喜びを語られた。
お祝いの踊りも披露された。
2次会の後、砺波駅まで3人で帰り、それぞれ迎えにきてもらう。
Tさんも、工芸高、美術館と回っていたそうだ。

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10月10日(日) 香月泰男展

天気予報では何とか天気がもちそうなので、金沢に行くことにした。
支部展のポスターを、Uホールとクロスランドに貼ってもらうよう頼んでから、向かう。
金沢への道はそれなりに混んでいたが、美術館の方は、空いていた。
広坂では、21世紀美術館が開館する(した?)らしいし、11時頃楽に駐車出来た。
丁度、解説が始まっていた。そんなことは知らなかったが、何となくついて回った。
芸大時代に国画展に入選、梅原龍三郎の推薦を受けたらしい。
印象派の影響を受けていたそうだ。
ある部分を取り出し、流れるような抽象化された線の表現が感じられた。
おもちゃと呼ぶ、道で拾ったものに命を与えようとする小品。
萩焼きへの絵付け。

シベリア抑留を描いた作品群。
明るい色彩の2作の内の「埋葬」。痩せこけた腕、こんな感じだったのだろうか。
暗い色彩の絵がほとんどである。
手と懐中電灯で照らした時のような、無機質な顔がしばしば登場する。
日の丸も太陽も黒い。説明がついている。
何かを攻撃したり、憎しみの対象に転化したりして、思考停止し、ついに自己正当化を果たす。
常人が陥り易い罠とは無縁の絵に感じられた。
嘘で固めるのではなく、生あることの苦痛を受けとめる。
こういう人を利用しようとする輩も多い。
軍事郵便には絵が描いてあった。
暗い絵とおなじ年に明るい絵も描いていた。
これは毎日の生活と同じことだろう。

母に図録を貸す。その後、叔母にも見せるよう頼む。

高山辰雄展で、二人展をしていた年譜が載っていた。
芸大の同期(科は違う)。
高山展の解説、最初のは、牽強付会というか、知識を並べたいだけの感じ。
次のには、香月の言葉が載っている。
「・・・絵を作っているとは全く見えない・・・」
高山の言葉「・・・美術は悪い言葉ではないにしても、何か油断のできない言葉に私は思えてきます。・・・」
上滑りの人生ではいけない。

最初の解説で良いところ。
「鹿を追う者山を見ず という俗言があるが、鹿を追う猟師は山は見ていないかもしれないが、鹿と一体となり、山を体感していると思う。気息が通っているのだ。」
3番目のには「・・・高山が常に表現しようとするものは、"美"という観念が生まれるはるか以前の、生き物の生命それ自体のもつ哀しみや、その哀しみが放つ陰影のようなものである。・・・」

10月3日(日) 水墨美術館

雨は上がったが、寒い日。
金沢とどちらにいくかと考えていたが、結局、富山に向かった。
駐車場がガラガラ。信じられない気がした。
「高山辰雄 墨色の世界展」
最初の作品は「海」。海と空の水平線の右手に、円の中に赤子。左手の浜に親子。
左側の背景に低い山並み。右手にカモメ2羽。山並み近くの波は高いが、全体的にはよく分からない。
固まっている親子と円の中の赤子(胎児?)との対比、何を意味しているのか分からない。
海が命の源。ということぐらいしか思い浮かばない。
静かな感じがする作品が並んでいる。
よく見ると小さい人物などが道を歩いていたりする。
背景と融けあう感じ。月が多い。
「音」どういう音が聞こえてくるのだろう?音がしない感じがする。
「風の音」霧か靄を感じたが、題名は違っていた。
濃淡の対比で深み、明るさ、立体感が感じられた。
見る位置が変わると、奥の景色も変わる感じがし、一番好きな感じがした。
月は間接照明のようなものだろうか。
昼とは違った陰影を見せる。人生も同じだろうか。

隣の部屋(展示室)の「聖家族」
手と足が強く描かれていた。
握ったり、地を踏みしめたりしている感じ。
衣服、顔などは、背景と混ざり合ったり、現実の個人から抽象化された感じの表情をしていた。
色も社会も抽象化され、墨色の中に穏やかな感じに纏まっていく。

常設展の下保昭作品は、全然違う印象を与えた。
墨暈かしなどで描いているという感じ。大きい感じ。
高山の方は、点とか線を置き重ねていくという感じ。
心の襞を表そうという感じ。

ビデオで、ただ見えているというだけではなく、手を動かして紙に描いていくことで、脳みそに触れていく感じがするというようなことを話していた。
自然現象も何故だろうと考えるそうだ。
図録の解説を読んでおこう。

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9月24日(金) 上京

22日(水)、朝5時55分頃出発、福岡駅まで送ってもらう。
9時55分、東京駅着。少し前、右手に丸善の新店舗が見えた。
暑い中、前日まで半袖で過ごしていたのに、慣れないネクタイ姿。
少しでも陰を歩こうと、裏道に近いところを歩いていき、日銀が見える側から三越へ。
一応全作品を観る。金工に面白い形が目立った。
3人で浅草に行き、昼食。

漆芸部会研究会。
鑑査・審査の先生によるコメント。
・無難な作品=欠陥が無い作品というだけでは、、、
・訴えてくるものがあるか、、、
・技法が新しいとか、、、
・第三者からの見方=意図がわかること。
・すっきりしていること、シンプル。
・何がオリジナルか、が大切。
・遠見が利く(核となる構成)   近くで見てすごいな、、、
・写生から文様を作る。
・細かい仕事はしてあるが、インパクトが弱い、元気が無い。
 出てくるもの、引き込むものが必要。
・初期の伝統工芸展の真髄:単純・明快(明解?)・素朴。
・塗り部門に元気が無かった。自然物をヒントにする、ウニとか、、、
 輪花でも、テーマとなる花を見つけ、それを写生して形を見つけるべき。
 生活の周辺にある身近な花でよい。満開の花、蕾、、、

鑑査で7人全員が丸をつけた作品、6人が丸をつけた作品は、そのまま入選。
5つ丸と4つ丸の間では、再検討があった作品もあった。
7つ丸の欠陥の無い作品と受賞候補となっていく作品は違う。
候補の候補の時点では、鑑査する人の好みのようなものがでてくるような話(知っている人の作品だと、過去の作品の流れと比較して見てあたるということも)だったが、最後は纏まる所に纏まるとのこと。各部会で賞を決定する訳ではないから、かなり客観的になるということだろう。
見ただけで誰の作品か分かるのは落としたとのこと。微妙な言い方だが、感覚的に個性と映るかマンネリと映るかの違いなんだろう。特徴の無い方が目立たず、すり抜けられる、、、
2点出品は、2点とも入ることは無いのかという質問も、、、

木地蒔絵に関しては、0.07mmのポリエステルシート(画材店)を米糊とポリエステル糊を混ぜたもので貼り、模様を切り抜く。その糊をきちんと取り除き、隅に3割ほどの漆の際錆。漆が染み込まないうちに拭き取る。檜のヤニ取り法に関しては、古い、ヤニの出ないものを選ぶ。

彫漆に関しては、白漆の場合、硬くなるので、焼き漆を混ぜて調整する。
一日で彫る硬さに乾くように調整する。

籃胎に関しては、竹の表皮は、ホーロー質で漆の食い付きが悪いので取り除く。
裏側は粗いので使わない。
その間の竹を8つほどに割って使う。
素地見本を手にしてみたが、そんなに軽くは無いし、厚みもそれなりにあった。
間に麻紐が巻いてあるから、一番安定的な素地とは言える。

浅草寺、浅草神社などに行ってから、懇親会。
総裁賞の方(富山支部)におめでとうございます。
麻布と漆のことを話すと、それは布が悪い、、、
上野経由で池袋。JRは都内乗り降り無料の切符。
列車でTさんと別れ、西武のアートフォーラムを探す。
6Fでなかなか見つけられず、店員の方に聞く。やっと行くことが出来た。
借りてきた携帯がすぐ鳴る。よく聞き取れないが、迎えに来るとのこと。
漆光会をさっと見て、下へ向かう。東口にいればよいか、西口か。
西口へ行き目印になる場所が無いか歩き、結局、マツキヨの辺りにいることにした。
また電話が鳴り、暫くしてやってくる。
ヘルメットをかぶり、後ろに乗る。
夏の車の運転同様、オソロシイ。重心の移動が一番危険なので、車体につかまっていた。
雨が降り出していた。部屋に着いた後、まだ仕事が残っていると出て行く。
10:30pm頃、やっと帰ってくる。風呂に入った後、夕食。マスの寿司。
東京に出て5年半、初めて住んでいるところに行ったことになる。

23日(木) 買っておいてもらった毛布で6時間ほど寝て、散歩に出かける。
音のする方に向かい、目印となるものを覚えながら、歩道を進む。
環七と川越街道の交差点角のローソンで弁当を買う。
同じ道を戻り、かなり近くに来たとき、別の道に入る。
目印の建物は見えるのに、どこにあるかなかなか分からない。
何とか見つけ、近くの公園に行き、写真を撮る。
部屋に戻ると、何やら料理していた。
持ってきたのを見ると卵焼きだった。
朝食はコンビニで買ったのを分けて食べる。
8:30頃部屋を出、裏道を歩いて、駅まで連れて行ってもらう。
仕事に向かうの見送り、地下鉄に乗る。
上野駅を出たときはまだ9:13頃。
時間潰しに少し遠回りをしたが、約束より30分以上前に着いてしまう。
道路の向かい側で座って見ていたが、時間の経つのが遅かった。

約束通りの時刻(10時)に、坂倉君がやってきた。
まず芸大の美術館に行くことにした。
「興福寺国宝展」入場料1300円。
まず地下だというので行くと、曼荼羅など掛け物が中心。厨子、面、、、
隣の部屋では、中金堂跡出土品、再建模型など。
エレベーターで2Fへ。
念願の「御先祖」に会えた!と言うか、中学の時に与史樹君が似ていると言っていた無著菩薩立像。
似ていないと言うか、遠くを見る澄んだ表情。
修行している者としていない者の境地の質的な違い。
手の優しい表情も、図録で見ていたのと随分違う。
世親像の手にも何か載っていたのかと思ったが、左手の指が軽く曲がっているので、違うようだ。
四天王立像(持国天・増長天・広目天・多聞天)。
だぶん人間なら同時に動くことが出来ないような動き=袖の動き。
力強さ、外的から守ろうという意思を表しているのかもしれない。
薬王菩薩とか弥勒菩薩、観音菩薩など、様式化された像には口髭がある。
今回は違っているが、どう見ても女性をモデルにしているとしか思えない顔の場合もそうなっている。
立体は現実に対応している所為か、すごいものだと感じた。
図録2300円。

東京国立博物館。全館で420円(?)
30年振りになるが、こんなに安かったかという感じ。
東洋館は初めて。地域により仏像の顔が違う。
記憶に間違いが無ければ、この館の半跏像は、右足を垂らしていた。
日本にあるのは左足のような気がするのだが、、、
あまりに広いので、途中からただ歩きながら見るだけになる。
図録で乾漆作品としてみたのに似ている小さい漆の作品が並んでいた。

今日(9/26)、図録を取り出してみる。
5年前、坂倉氏に頼んで送ってもらった「よみがえる 漢王朝」(国立歴史民俗博物館 1999年)
p57−p59に写真、p163に解説。夾紵の技法。

時代の経過とともに、伝統工芸展の作品と似ているのも目立つようになる。
流れの上からは逆の話になるが、、、
仏像などの像を除けば、展示品は武器か道具、工芸品と言える位。それが歴史か。
かなり疲れてくる。

本館、この前の新日曜美術館で少し見ていたが、同じ所だったかどうか?
仏像のところだけは少し時間をかけたが、記憶にも残らないほどのペースで回る。
焦点を絞るか、数日をかけるしか、まともな鑑賞は出来ないだろう。

上野駅前で昼食。走る大会の話。
土曜には20キロ走ったが、後は10キロぐらいずつだったとか(3連休)。
地下鉄で三越へ。Nさんに会う。昨日見た顔も何人か見る。
作品名についている技法などについて話したりしながら見る。
毎年同じように見えるというのが、感想のようだった。
約30分ほどいて、また図録を買い(前日のは、子供に渡す)、2100円。
歩いて東京駅の方に向かう。丸善が変わっているのを知らなかったようなので、新幹線で見えた話をする。
まだ時間があるので行ってみようということになり、それらしいビルを目指す。
隣だったが、中に入る。オアゾとある、oiseauのことかと思ったが、関係なかった。
丸善の新本店、富山の書店に比べると通路が極端に狭い感じがした。
人が多いことによる錯覚に過ぎない?富山でも以前からある店舗なら同じぐらいだろう。
都内無料切符で駅を横切り、お土産。東京バナナは、坂倉氏の知っている人が作ったそうだが、売ってなかった。
静かそうな店に入り、ビール。試作品のビール杯を渡す。
健康に関する話など。梅サワー、梅酒サワー。
東博の展示に関して、四大文明が似たような時代に、似たようなことをしていたのは、それぞれバラバラだったか、交流があったのかと考えながら見ていたそうだ。
洪水が肥沃な土地をもたらすから、それぞれに文明を生み出す素地はあっただろう。
交流もありうるだろう。しかし、可能性を考える以上のことは知らない。
学校時代の知識なんて、何も残っていない。

食籠をするのは、蓋と身を合わせる仕事をしないと腕が落ちるからだと三越で話した。
素地が動きまくると悲鳴をあげながらも、合わせる仕事をしようとする。
水指だと多少手抜きしても何とかなる。
普通の職人なら、それでも手抜きをしないだろうが、自分の場合は、手抜きしたら通用しないような物作りに自分を追い込まないと、手抜きをしてしまう傾向にある。
第三者から見れば、輪花にすぎないだろうが、自分の心の中では、仏像のトルソのつもりで造っている。
観て回るのは、日本画や彫刻が多い。
結局自分は何を目指しているのか、その問いの中で迷っているのかもしれない。

縄胎ビール杯を渡し、壊れないはずだが、確信は無いと話す。
最初の縄胎コップは、離型用に和紙を貼り、そのまま麻紐とくっ付いてしまった。
2回ほど、亀裂が走り、修理したが、2作目からのは、麻布を内に貼って作った。
ずっと使っているが、今のところ、故障は無い。
お椀なども、壊れにくいように作っているつもりだが、どうなるか自信は無い。
硬いだけで脆い木綿利用はしてないが、麻布でも失敗することがあると気付き、迷いの中にある。

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9月20日(月) 少しだけ外出

まだ地元の記事を目にする機会があるので、注意している。
砺波支社ギャラリーでの彫刻の個展。
会場で貰った案内はがき (会期 9/17-9/26)
彫刻を観るとき、わざとらしい姿かどうかで、自分の場合、好き嫌いを感じる。
並んでいる作品は、伸びやかで素直だった。
表情といい、観ていて飽きることは無い。
粘土で1/3ほどの原型を作り、直すのだそうです。
実際は、6尺ほどの作品なら1/2の3尺がよいのだが、手間がかかる。
大きい作品も粘土で作るそうです。
R8の側にあるのは、おじさんのところで、昔5年ほど習ったとか。
仕事は原型製作で、羽広に出て仕事をしているそうです。
ハイセイコーの1/5原型も展示してあった。
締まっているというか、するどい姿に見えた。
この4年、特選、無鑑査、特選、無鑑査。
穏やかな人物に見えた。
油土を出しておくべきかなと感じた。

9月12日(日) 思い違いをしていて、、、

この3ヶ月だけ北日本を取っている。地元の記事が異常に多い。
後藤先生の講演が、日曜(つまり今日)だと信じていた。
今朝の記事で、表彰式のことと講演が終わったことを知った。
何のことかと、まだ前の日の記事を探すと、11日と載っていた。
日曜の午後2時という思い込みがずっと前からあった。
砺波支社のカルチャー教室に木工があり、行きたくもあった、、、

午後全部を仕事するほどでもなかったので、美術館に地下ギャラリーへ行く。
香合は面白いと思った。

「金属の変貌―近代日本の金工」
昭和になった頃から、抽象的な線や面での作品が目立ち始めた。
洗練されているというか、今でもそんな感じの世界も残っている。
豊田氏の作品は、以前この会場で展示されていた。
一番気に入ったのは、「青銅斜交文花筒」(豊周)。
上下を更に半分にし、見る角度で幅が変化して見える。
漆や木工に似ている作品もあった。
鈴木長吉作の鷹、正面から見るとブルッと来る迫力があった。
流れがあるというか、流行というか、その中に身を置くことは、本当に正しいのだろうか。
古典もその当時は先端的だったという発想は、作家的(同時代に競い合うという意味で)過ぎるのではないか。
本当にしたいことは、表現法ではなく、精神の中にあるはずだ。
入落、賞などということと無関係に、博物館などに展示されている作品は作られている。
作家的な世界には限界があるのではないか。

9月6日(月) 昨日、雨の中、出かけました

土曜の新聞で県の青少年美術展の記事を見、予定に追加することにした。
GSで給油、空気圧も高速用にしてもらう。
日曜はかなり強い雨が降っていたが、太閤山を抜け、呉羽に向かう。
T字交差点を右折する道だったが、何時の間にか直進できる広い道が出来ていた。
10時過ぎに県庁に駐車。県民会館へ。
家族らしい人、生徒など、入場者は多かった。
工芸高の3人の作品を観る。
大賞のSさんのは、実習室でしていた作品の一つだった。
何を表現したいかがはっきり決まっている。迷いがない。
S君、Yさんの作品は、見たことがないものだった。
逆表現の作品(2作あった)なら賞に値するはずだと思っていた。
放射状の線が斜めに流れる中に、桜の花弁が浮かんでいるきれいな感じの作品だった。
小矢部市展で見た作品も3つほどあった。
地球環境などの問題を考えるデザイン部門などに比し、工芸は時代を担っていないことになるのだろうか。
自分が美を感じることを表現してみたい、美を見出す世界を大切だと思う。
表現の制約上、抽象的にならざるを得ず、絵画ほどの広さはないだろう。
"Stand by me"は、写真の捉え方の感じがした。
影が主役の作品、例えば普通どおりの人物の姿だった作品としたら、どう違うか考えてみる。
こちらを向いているとすれば、顔の表情があるだろう。
実際の作品は、影であり、少し下向きのようだ。
足も捩じれたような感じに描かれている。希望に向かっている足ではない。
新聞の作者の言によれば、進路の不安がテーマらしい。
そこまでは読み取れなかった。
主客の逆表現は、主体だけの主観的な世界とは違い、客体を意識している。
背景であることもあろうが、空間と言うこともできよう。
自分を取り巻く世界との関係を意識している。
どちらかというと、自分自分と、どの程度の内容があるかに関係なく、言いたがる現代人の傾向とは違い、外部との関係を大切に思う。孤独なのかもしれない。
画家の小森さんは空間がきれいな絵が良いと言っていた。
利喜夫君も、空間を表現する、掴み取ろうとすることがあると言っていた(彼の大叔父の彫刻を観て)。
こういうことは、まだ十分に理解できない。
逆表現は、形あるものと背景との直接的な関係を意識している。
残る空間とか空気を感じるという表現は、主役は描かれたものか、空間か、どちらかになる。
残されている空間に優しさとか、爽やかな風を感じられるなら、表現として成功とは言えよう。

空港の方へ向かって走る。200m先で左折とあるのを見て、この辺かなと曲がってみる。
高速に乗る道が見つからない。交差点に出てくると、高速の下を通り過ぎていた。
もっと左へ進めばと、左折して進んでみるが、どうもおかしい。
Uターンして戻ると、その左に高速への道があった。
さっきの交差点で右折すれば、すぐ左折で高速に乗れるということだった。
雨が強いので、80キロぐらいで東へ向かう。
30分ほどで、朝日インター。(料金半額で600円)
地図で見ていた感じと違い、すぐR8に出た。
ふるさと美術館辺りまでは行けたが、正確な場所が分からない。
地図を見直し、何とかたどり着く。11:30am過ぎぐらいだったか。
「木下晋展」
白髪なんか、白いところを残して描いていることになる。
皺で生命感を表現している感じがした。人生も。
すごいの一言。

入善町民会館。
町に着いても細かい場所が分からない。
道路が空いているので、路上で地図をみていると、後ろから警音。
町役場の前を通り、何とか駐車場に。
「寺田博漆芸展」

お椀や棗の他、展覧会出品作が並んでいる。
モチーフが同じ作品を同時に見ると、寺田さんは模様化したものより、自然に近い方が得意と分かる。
個別に作っているときは、それだけに集中してしまう。
模様が多すぎるか、丁度良いかも、並んでいれば感じることができる。
精緻というか、目で見てもよく見えないくらいの細かい仕事がきれいにしてある。
蒔絵付近の蝋色の仕事が平面として出来ている。
これに出品する仕上げの為、2日ほどほとんど徹夜だったそうだ。
見習わなくてはいけないことが多いと思いました。

1時間半ほどいて、黒部インターからまた高速に。
雨が上がっていたのに、また雨の中に入っていくことになった。
朝より20乃至40キロ速いスピードで富山西インターまで走る。
今、通行料が半額だからそこまで(550円)。実際は砺波インターまで行けば楽なのだが。
太閤山を通っている頃からか、雨も上がり出した。

9.7付けの新聞によれば、飯塚先生が亡くなった。
富山美術館で支部展の研究会があった。
N先生は、最高賞の作品を指差して、この素晴らしさが分からないものは、伝統工芸展をする資格がないというようなことを言った。
飯塚先生は、そうは言ってもと、具体的に形や加飾のバランスのことを話された。
別の年、2次会の場所に、木工の人とおいでたことがあった。
「形が見えなくなるような加飾(配色)はいけない。大場さんが何と言おうが私は認めない。」
ご冥福をお祈りします。

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8月10日(火) その後

工芸高の花生の浮きをどうすればいいかとUさんがA社においでる。
21日までH市展に出したいというのもあり、困った事態である。
卵殻を生かし、斜めモザイク模様は諦め、斜めに暈かしの塗りたてをする方法(一時凌ぎの)。
Y川さんもおいで、ウレタンとの相性がよくないことが話題になる。
カシュ―のまま(その上にウレタンを塗ってない)の別の花生を持って行き、やり直す方法。
せっかく頑張っているSさん、朱と塗り分けをしていたS君。
Uさんは別のを2個持っていかれた。
苦労が何の役にも立たないのは、教育ではない。
漆の道に反することをしながら「漆」と言える神経の太さがあるところにはある。
Yさんのがどうなっているかは聞かなかった。
今、丸鉢で、教えたよりは楽な方法を考えながら、自分でやってみているところ。
(下線付きの人は職人。下線無しの人は生徒。)

1年振りに下の子が帰省。会うのも1年振り。
天気予報が外れ、前橋ですごい雨にあったそうだ。
半分は雨だったそうだ。
丸鉢を見せたり、パソコン内の写真(作品)を見せても、昔ほど関心を示さなくなっている。
小さい頃は、仕事しているのを見ていて、何かひらめいたのか1人で何かを作り出すことがよくあった。

「後日譚」にしようと思っていたが、広辞苑によれば「ある事件の落着した後、それからどうなったという話」(後日談)。落着していない件なので、前提が成り立たない。

7月18日(日) 工芸高校

児童・生徒に対する伝統的工芸品教育事業というので、3日間半日ずつ行きました。
12日(月)午後から開講式。
生徒の希望するデザインに応じて担当する形になりました。
乾漆という下地仕事が主なので、加飾方面に自分から担当したいというのはありません。
Y田さんより声がかかり、市松模様の塗り分け方に。
どう考えても、1列・1行おきにテープを貼るしかない気がしたので、そのように言う。
テープの端を押さえておくという注意をする。
朱の練り方を説明してから、練る。テープで囲んだ中に朱を塗る。二つ目からはNさんに。
線をいろいろな漆で描きたいと言うTさん、思い切りがよかった。
あの筆ではとても描けませんでしたが、本人は描いて行きました。
厚過ぎる気がしましたが、線の所為か、縮んでいませんでした(後日)。
またY田さんから呼ばれ、隣のYさんの微塵貝を蒔くのに対応する。
蒔く三角形を直接、楊枝刷毛(2分)で塗る方法を教える〔薬籠合口の立ち上がり境の塗り方と同じ〕。
粉筒で一箇所ずつ蒔き、次の個所に移る。
終わった後、隙間が見えるところは一片ずつ貼り付けてあげる。

Nさんのが、終わる頃に、刷毛筋が残るのに黒っぽく縮んでいた。
皆で変だということになり、拭き取ると下の黒塗りまで取れてきた。

〔後日、いろいろな話になる。下仕事がカシュ−の上に、ウレタンを塗った所為か。A社で試してみると、その上で漆は乾いたが、弱粘テープで引っぱってみると、簡単に剥がれてきた。カシュ−塗りの上での付けは全く剥がれなかった。硝子板に付けておいたのも全く剥がれなかった。よっぽど相性が悪いようだ。マイナスとマイナスのような〕

〔7.20 A社で土曜に付けておいたのは全て乾いていた。
テープでもガムテープでも取れないし、炭で研いでみても剥がれてこない。
漆…黒、弁柄朱、なにわ本朱。カシュー…黒、朱。
その前に試したのを見ると、上の漆が剥がれてきたのではなく、ウレタンが剥がれてきたのだと分かる―ウレタンの膜だけの部分がはがれてきていた。
塗った塗料が乾くときの刺激、研ぎによる力などが、食いつきの悪いところを浮かすのかもしれない。
漆は、乾くとき酸化重合して高分子化するそうだ。塗るときはまだ高分子化していないから、多少浸透し易いのかもしれない。
ウレタンは塗るときも乾いたときも、高分子のままだから、塗り面に浸透しない―食い付きが良くない、、、しかし、ウレタン同士なら剥がれない?〕

14日(水)午前。別の花生けで、Nさんのはやり直しとなる。
最終日も含め、かなり剥がれがでてきている。
下から漆の仕事の器が望ましいが、時間的に無理だろう。
(業界からの下仕事を利用することもある、ということになる−今回のように)
Yさんの塗った朱が縮んでいる丸盆の隅を刃物で削っていた。
全体的にも縮んでいたので、研ぎ潰しながら下を研ぎ出していった。
模様がボケているのも良い感じだが、ハッキリ輪郭が出ても面白いかななど研ぎ続けると下まで出てしまった。
いろいろな出方が混ざっていても面白いかなとも思っていた。
希望も研ぎ暈かしだったので、やり直してもらうことになる。スミマセン
S君のモミジの転写の角盆。角や隅がきちんとした線になっていれば気にならないが、そうなっていないのは目についてしまうことを話す。縮みが残っていたのをキング#1000で潰す。
後はUさんが、転写の色を変化させてつけ、それを紙で押さえる方法を教えていた。歓声があがる。
箱を中央が三角になるように塗り分けたのをもってきて、蒔絵をしたいがどうすれば良いかとYさんが聞いてきた。
最初に何がしたいのかという構想(どの方向からも見ることができるとか、も含め)が大事と話す人、塗り分けたままで仕上げても良いのではと話す人。
私も作りながら考えるタイプなので、この状態でどんな蒔絵が似合うかと考えた。
塗り分け部分に対応して、葉とかの表情を変化させる(日陰部分と見なすとか、木漏れ日による表情)とか、、、
どうも気に入らないような感じ。
抽象的なのと具象的なのと、どちらが好き?具象的な模様。
どの季節が一番好き?秋。秋ならトンボとか、花、、、
多分、前回縮んでいた丸盆の研ぎだし(予定)の主客の明暗が逆の表現が印象に残っていたのだろうが、模様を残して背景に青貝片を並べていくのはどうだろうかとアイディアを出す。
気に入ったようだ。トンボは好きではないとのこと。
貝で模様を貼るのは皆がしているし、蒔絵の逆表現は田口先生がしている。

16日(金)午前。描いて来たのは、蝶々。
単純な図というか模様だろうと思っていたのに、いきなり複雑な仕事!
普通に貝を切るだけなら、専門家に頼めばきれいになるし、下手でも自分でできないことはない。
短冊に貝を切る刃物がない。横にある切り出しを出してくれたが、刃もついてないし漆がこびり付いている。
裏刃をつけるためにキング#1000で研ぐも、キング#1000自体が歪んでいる。
一部、中目の金剛砂砥で水平にし、そこで研ぐも裏刃は中抜けのまま。
金剛砂砥で裏が平面になるように研いで、キング#1000で滑らかにもっていく。
途中、花生けの朱の線の境が少しガタガタしているのを砥石で直すように言っておいたのを見に行ったり、、、
何とか刃をつけて、貝を長さ2cmに切る。それを本人の希望の約2mm幅に切っていく。
花生けの朱との境にテープを張り終わったので、黒塗りを見る。
粗渡しが細かすぎるので、横方向(刷毛は縦)に塗る厚さになるようにひろげ均すことを言う。少し手本。
丸い角は刷毛自体が横のまま渡すことを言う。これも少し手本。
隣との境を箆で浚え、指で段を消す。かぶれないんですか?と聞いてくる。腕ならかぶれる。
貝を短冊に切る方法を教える。
Y田さんがどう貼るか、見せてやるように言う。
普通なら羽の模様というか、抜ける部分に2分刷毛で黒漆を塗る(途中で本人に任せる)。
形に合わせるように、短冊に切った貝を刃物で切る。必要な分を用意する。
箱の手前の線と平行な感じにYさんが並べる。空気が残らないように軽く押しておくように。
今度は、羽の外側の境の凹み部分をどう貼るか手本を見せるようにとY田さんがまた言う。
箱の手前の線と平行にという拘りを本人が持っているので、小さく三角に切って、それで良い事にしてもらう。
次に並べるのは、反対側が曲線になるので、漆で片側だけを揃えて貼り、曲線化しているの境を、径の大きい丸刀でその場で切る。ずれたのは直してもらう。
またY田さんが、もっと狭い部分をどう貼るか見せてやれという。
自分でしたことがないし、こんな細かい仕事は、やろうという気さえ起きないだろう。
貝の仕事の経験を頭の中で総動員し、少し曲がっていくような貝(短冊に切るのに失敗し)を利用することにした。
塗った黒漆の上に置いたのを、刃物で直接切って、幅2ミリほどの割貝にしていく。
半分ほど切って、Yさんにも作業をさせる。
上手く切っていく。そのカチッという音が大切なんだと話す。
下に傷をつけず、切り分ける丁度良い力の加え具合。刃物は切れすぎず、切れなさ過ぎず。
細かいところは、図に合わせて貝を切り、それを漆で貼り、切り分ける。隙間を作るため、余分なのは取り除く。
そうすれば良いのではないかと話す。
閉講式になり、あとは本人の根気次第。
触覚の隙間なんか、どうするのだろうと思ってしまう。
塗りは薄く、必ず隅を掻いておく。

13日(火)午前は厚生連で健康診断。肝臓の数値がかなり悪いとのこと。
金・土・日と珍しく3日間続けて3合相当ぐらいは飲んでいたが、昔みたいに毎日ということはなくなって久しい。
ここ数ヶ月、少しの酒でも残る感じがしている。
焼酎にしたりいろいろ試し、自分には立山の(昔の表現なら)2級酒だけが残り難いとたどり着いたところだ。
もし酒を完全に止めても肝臓の状態が悪いままなら尚悪い。
低脂肪と高タンパク質、酒は1合までだそうだ。
1合なら飲まない方がまし?最近はその程度でもふらっとくるが、、、
16日は高校で訃報もあり、大変でした。
若いということは、してみたいという気持ちで挑戦する、すごいことです。
やる前から諦めるのではなく、挑戦する心を見習いたいと思いました。
昨日は祝賀会でしたが、欠席。肝臓のこともあり、丁度良かったか。
乾きを待っての仕事、そろそろできるはず。

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7月10日(土) 仕事

漆の乾きの間に出かけるというより、隙間に漆の仕事をするという感じ。
一ヶ月ほど前に届いた申請書類をもって眼科へ。
8月3日午前に検査の予約、その前に運送へと行く予定。
祝賀会、欠席の返事を砺波郵便局ポストへ。
新聞社支局の久田鉄也の仕事展。
ライオンがいる感じの作品、O先生の作品だった。
金色の作品、今まで見ていたのは焦げ茶の感じのばかりだったので、驚きだった。
酸化させた(焦げ茶)のと金色のは1:2ほどの比だそうだ。
富山の巡回展は出品間際なので行き難いことを話す。(金沢は春なので余裕がある)
全体として調和しているという世界。
艶の中に見える荒々しい金属の表情、ゴジラに見えたり、、、
ムカデに感じる作品。
水墨画に色を感じると言う人がいるが、わざわざ白黒に描いたものに色を感じる必要があるのかと思っていた。
抽象的な表現に具体的なものを感じる必要があるのかとも自分に対して感じた。
久し振りの雨が強まっていった。
抹茶を頂いたりして、漆のことなども話した。
水指しの蓋は、注文すれば手に入るのだそうだ。

(7.11)幾つかの展覧会、行きたかったがほとんど行かなかった。
形直しで同じ作業ばかりを繰り返すという、腕の悪さの所為で時間が足りない。
段々仕事をしなくなっているともいえる。
今日やっと中塗りらしい状態にまで来たが、塗ってみると凹みだらけ。
塗りの乾く間、デジカメのことで外出。
画素数、絞り優先・シャッタースピード優先…、昔使っていたカメラに近い操作もできるようになりつつあるようだ。

6月20日(日) 支部研究会

先週のことも書ききらないうちに1週間がたってしまった。
展覧会とは何かと聞かれた。名前を売るためだと答えた。
(名前が活字になっても、仕事の依頼は来ないが、、、)
問いを発した人は、新しいことに挑戦し、技術を高めることだと言った。
別にそれが間違っているとは思わない。全てではないことも確かだ。
この展覧会を始めた頃は、確かに自分の技術が伸びていくのを実感出来た。
いつまでもそれだけで自分を支えられる訳はない。
作家で全てをまっとうできる人なら、自分のしたいことをすると言えば良いだろう。
展覧会に出品する人が、全てを展覧会で表現できると考えているとは考えにくい。
作品について説明しないと苦言を呈された。
見ても分からない程度の作品だということだろう。
(そこまで卑下する必要はないか。形も線も全く不完全としか言いようがない状態だった。)
Bientôt nous plongerons dans les froides ténèbres. Adieu vive clarté de nos été trop court.
記憶違いでなければこんな詩。意味を変えて取り込んでいる。(La Porte Etroite)
触覚的に使うことができる事が自分のテーマになるだろう。
展覧会の為に指摘されることは、伝統技術を使って現代を表現する。
新しいデザインであるか、技術の新しい表現であるか。
細部まで拘るのも大切。

6月13日(日) 青貝体験会

昨日は午前は眼科、午後は台所の防水の板金仕事の方がおいでる。
金沢に行けない事はなかったが、パレードで混んでいるだろうし、、、
書類の片付けでかなりの時間を取られた。
今日は、青貝を貼る体験の事業があり、その助手の1人として、一日いました。
材料費のみ1500円ということで大人気。諦めた人も多かった。

小箱の甲面に膠を塗って乾かす(扇風機を利用していた)。
デザインは、4つ用意してあった。自分でするなら、別の紙に描く。
その上に貝を置き、形を鉛筆でなぞって写す。
貝が反っているなら膨らみ側を上にする。普通は表裏はない。
(光具合、光る方向などは、今回は無視)
貝の目が割れそうなところなどは避ける。
兎の前足、後ろ足の細いところは、プロの貝屋さんに任せるのが一番。
直線や定規に沿わせて形に針で切るのは、参加者でも少し慣れれば出きる。
手伝ってくれという人のを代わりに切るぐらいなら出きる。
裏彩色。水性塗料(小さい缶に入っていた)を絵筆で塗り、乾かす。
貝の裏で暈かしたりする人もいた。
扇風機に当てると貝が飛んでいってしまうので、自然乾燥。時間がなければ、手にもって熱で乾かすそうだ。
乾く間に、チャコ紙のつるつるした方を甲に向け、デザインの書いてある紙を載せて、鉛筆でなぞり、置き目を取る。
電熱(ニクロム線の)の弱で過熱して柔らかくした膠(濃すぎる時は水を加える)を貼る場所に薄く塗る。
置き目の上に貝を置き、棒の先でくっ付くように押さえる。
今まで漆で貼った事しかないので(カシューでも可)、勉強になった。
大きい貝や曲面に貼るときは、膠の方が優れているだろう。
乾いてしまったら、また薄く膠を渡し、貼る。
浮きや貝の重なりがないか確かめ、必要なら直す。

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6月9日(水) アクセス数10,000

カウンターがつく前は、誰も見ていないのではないかという気がしていました。
2年4ヶ月余りで大台に達しました。
5月31日に、トップページでカウンターのデータ取り込み中に、もう終わったと思い込んで上書き保存をしてしまった。(5月30日ではなかった―これも思い違いだった)
トップページの全てが消え、背景色だけが何故か灰色になっていた。
それをアップロードしない限りは、インターネット上に残るが、更新が出来ない。
CDに保存してあった4月18日のをコピーしてみても上手く行かない。
マイドキュメントにコピーを持ってきて、それをMyHPに上書きして何とか回復。

漆の一般的な解説はしないで、自分にとっての漆について書いている、かなり偏ったHP。
漆によって、またその日の気候によって、腕(身体)の状態によって、刷毛や箆などの道具によって、頭の回り方によって、、、いろいろ変化しますから、それで良いと言うしかないかもしれない。
昨日は思いがけず、「漆に魅入られた女たち 天野文堂と10人の女流作家」の、輪島漆芸美術館の図録がSさんから送られてきました。
本物を見に行けないので、ありがたいことです。

乾漆に関しては、もう新しいことはない気でいました。
普通の5、6枚貼るやり方なら、狂いと貼り損ない以外、問題はないと思っていた。
今年は素地が全体としてどう動くか知りたいと考えていた。
これに関しても、昨年夏外に出しっ放しの素地が、(普通張るのと=原型の形と)反対方向に狂ったのを、足りない側に貼り足して直すことが出来たことで、一般論が出来なくなった。
貼る反対側に反るはずなのに、反らなかった。
硬化状態によるのだろう。

麻布2枚貼り、麻布のもつ癖のようなもの、糊漆と麻布の相性。
刺激を受けたり、偶然気付いたりしたことを確かめているだけかもしれない。
思いがけない弱点に気付いた麻布・・・乾漆を何とかしなければならない。
形が出来ていないのを、布や下地で直す今の修正法は、腕を上げて止めるようにもっていく。
原型をきちんと作る方法を見つけること。

考古学をほとんど無視し、作った経験から推定した話が多い。
素グロメ漆という塗料に値する状態の漆は、辰砂をきれいに塗るために必要とされた。
乾漆は、指し物木地の補強に使った麻布の貼り損ないを見て思いついたのではないか。
乾漆食籠の作り方も、個人名をつけるのは、いろいろな方法があるから。
それぞれの作り手が自分で一番良いと信じる方法を取っているのだろう。
私の場合は、そこまで自信がないから、いろいろ試してみる。
どこへ行くかは、見当もつかない。

6月6日(日) 自転車で石動駅まで往復

昨朝は5:30より1時間余り、排水路の草刈。
今朝は8:30より地元の長岡神社の草刈、続いて除虫祭。
帰り、ビデオにとっておいた新日曜美術館のアートシーンを見る。
余りする仕事がないし、今日以外、金沢に行く時間が取り難いので、11:45頃自転車で石動駅へ向けて出発。12:17発の10分ほど前に到着。
25分ほどで金沢駅。帰りの時刻を確かめてから歩き始める。
曇りがちだが、蒸し暑い感じ。金沢はそんなに混んではいなかった。

香林坊大和8F。「北国アマチュア美術展」
絵がたくさん並んでいる。一週間前のことに比べれば確かにアマチュアだろうが、一生懸命描いている感じは伝わってくる。
モチーフが似ている感じのが何組かあった。絵画教室に通っているのかもしれない。
同じ人がモデルの場合は、似ているのより、精神性を感じさせる方がひきつける力がある。
工芸の作品は、一週間前の夕から行ったのに比べれば、表現法の多様さ、繊細さ、形とも優れていた。
特に陶芸は問題外と感じるくらい。
紫陽花の、卵殻・貝と葉は、表現の強さのバランスがよかった。
表彰式があるらしく、写真はあまり見ないで、逆戻りで見直し、会場を後にする。
6Fの百花繚乱(作家名は忘れました)。エネルギーが充満している感じで、すごい!

しんきん(きんしん?)のギャラリー、無料というので寄る。
辰巳丘高校の美術専攻の作品展らしかった。
デッサン、自分でできるかな?多分、中学校の授業で堀田先生に習っただろうが覚えていない。
パソコン処理をしたようなのもあったが、手描きかもしれないと思った。

歩き疲れたが、2時過ぎに名鉄エムザ。
インターネットで調べても、石川の伝統工芸展の日程はまだ載ってない。
特別内見会というのが載っていたから寄ったのだが、エスカレーター横の店内案内に拠れば5F。
入って良いのかどうか分からなかったので、小さい声で入ってもいいですかと聞く。どうぞとのこと。
水準の高い作品が所狭しと並べられていた。売約済みというのもあった。
5月中旬には、まだ組み立てられていなかったのも完成していた。
H先生のが見当たらないなぁと思って見回す。入り口付近にも作品があり、何となくそんな感じがするのを近くに行ってみると、その通りだった。
部外者的に見て、いつも同じ事(作品的に)をしていると感じるのと、その人らしいと感じるのとでは、かなりの違いがある。となみ野展のときだったか、絵を描いている人が、何か足りないと同じようなことを毎年していると言っていた。一週間前の彫刻家は、前の作品を何とかしようとするふうには作っていないので、制作年代順に並べられても困ると誰かに語っていました。

(6/9 こういう書き方は誤解を招くので、追加します。
前作を参考にするような制作法ではないので、作品に必ずしも流れはない。
今回の展示のように、大作の間に小さい作品が並べられているのは、落ち着いて見られるのでよい。 ―というような意味のことを話しておられました。)

駅に向かって歩いているうちに小雨が降り出した。
切符400円を買って、列車出発時刻の掲示板をみると14:32。
後1分、ホームまで急ぐと、何とか間に合う。
石動につくと、まだ雨にはなっていない。
自転車は歩くより楽だが、スピードを落とさず、約6キロを走る。

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5月30日(日) 注意して走り回りました

天気予報が変わり(外れ?)、朝から晴れていた。
6時より、道路沿いのゴミ集め。煙草の吸い殻十数個。
駐車場が満車になる前に着こうと8:20少し前に家を出る。
50分ほどで着き、楽に駐車できたが、その後続々と埋まっていく。
美術館の建物前に駐車した車から降りた人が見た感じの人だった。
どう考えてもTさんなので、側に行き、少し話をする。
彫刻が最初の部屋だった。
賞といっても、自分の見方からすれば、差がある(と感じる)。
後で見直しに来ても、乾漆彫刻の杉村氏の作品は展示してなかった。
3000円の作品集を買って、家で見ると、やはり来ていないと分かる。
ふっくらした感じの作品があり、そうかなと見てみたりしていたのだが、違っていた。
洋画は、良い感じのが多かった。
賞ので、同じ表情が多いと感じたが、、、
地元関係では、清原氏のが、工芸の華やかさに繋がる感じがしたが、、、
2Fで、日本画。
曖昧に融けるような感じの表現が多かった。
圧巻は、高山氏の雨。幼い頃を思い出しているのだろうか。
立体的に見えて、横から見ると凹凸が非常に少ない。
工芸で、おっと思ったのは大臣賞だった。
書はどう見るかよく分かりませんが、流れるような墨蹟はどんな速さで書いたのかなと感じました。

金沢を出る頃、ぽつぽつと雨が降り始めました。
駐車場に入場待ちの車がいないことは、意外でした。
途中でかなり雨足が強まり11:40頃帰宅した時は豪雨でした。
少し漆の仕事をして、3時過ぎにまた外出。
少し用があって従姉のところに寄る。
市展は見たそうだ。朝はアイガモ農法のところに行っていたそうだ。
安い方の立山を買い、クロスランドに向かう。
雨はほとんど止んでいた。
市展を見るのは今年が初めてだし、出品も初めてだった。
木曜午後に展示作業に行き、彫刻・工芸部門と近くの写真、絵画を少し見ていただけだ。
特別企画 ゆかりの作家 得能節朗展の展示準備中のを見て、一言、すごいと思った。
今日は、市展の展示をサラサラと見、彫刻展を観る。
大作から小さい作品まで50点、見応えがあった。
わざとらしいポーズではないし、かと言って普通でもない。
一瞬を捉えているのだろうが、その前後の動きは想像できなかった。
金沢で展示されていたのもそうだったが、人間の暖か味があるのかもしれない。
雨あがりは大小2点あったが、自分の仕事として、粘土に触る時間を多くすべきと感じた。
瓢箪展も、木曜に準備中のを見ていたが、細かい透かし彫りをしたのは、出せば部門で一番になるのではないかと感じた。
5時の終了までまだ20分もある。書道でSさんとHさんのを見ていないので探した。
何度も同じ所を回り、やっと見つけた。
近所の出品された方がお出でになり、話していた。
他の人も来られる。必ず聞かれることは、賞を取っているのでしょう?ということだ。
初出品。数年前のときは出さなかった(正確には出す作品がなかった)。
他の展覧会(伝統工芸展)に出品しているから招待されたと言うしかない。
となみの展のことなども話すと、展示されているAさんの風呂先も見てみたいとのこと。
作品を持ち帰り、出品の目録を見てみる。思いがけない、、、
最近視力が落ちたと言うか、眼鏡が弱くなった感じなので、作品の側にある作家名はよく見えない。
金沢でも、気になった時に作品名や作家名を見直すだけで、あまり見ない。

5月23日(日) 「わざの美」(その5)

雲は多い感じだったが、晴れていたので軽四2台のワックス掛け。
クロスランドへ市展の作品を持っていく。
Hさんに聞くと、木曜は午後全部準備に出てほしいとのこと。
となみ野展の券を叔母のところに寄り、12枚渡す。(昨日、母に5枚)
最終日なので、解説を聞くのを兼ねて高岡へ行く。
染織とその他の工芸。
截金は金箔を何枚か貼り重ねて使う。
西出先生は彩色をした上に貼っている。
染織、説明を聞いてもよく見えないからか、分かり難い。
綴織りが横糸、羅は左右に、、、羅に関しては、テレビでもよく放送していたが、分からなかった。
工芸会の仕事は、拡大鏡を使っていることもあるのか、普通に見ては細かいところは見えない。
デジカメで撮って、そのままパソコンで見ればどんな仕事か分かるという感じだろう。
解説は十分準備をしていた感じで、落ち着いているように見えた。
しかし、終わった後は消耗した感じ、ご苦労様。
となみ野展の券、残り3枚、Kさん、Hさん、Rさんに渡す。
最後ということもあり、漆を見直す。
松田先生の竹の葉(笹)、研ぎ出し蒔絵というが平面に見えない。
横から見てみると、確かに平面だが、斜め上から見ると浮かんで見える。
技術とは、表現そのものという水準なのかもしれない。
こういう展覧会で何をつかむべきなのだろうか?
技術とは、知識として知っているだけでは不十分だし、形だけできる水準でも駄目で、他人に公開しても真似できない水準にあってはじめて、そう呼び得るものだろう。
形とか、絵画性とかをどう捉えるかが問題になる。
何を表現したいのか(何が表現されているのか)。どう表現されているか。
模写を続ければ追体験ができるかもしれない。
真似をすればボロが出るだろう。
作家の心が分かるなら、自分も自分の心に従った作品作りに向かうだろう。
全体として調和が取れている世界を表現するということかもしれない。
細かい仕事は、ポスター写真のように拡大して見てみたいと思う。

入場者は11,504人だったそうだ(インターネットの朝日)。

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5月22日(土) 「となみ野美術展」

天気予報が朝になってみると変わり、曇りのち雨。しかし、何となくもちそう。
10時からの開会式に行く。信号待ちがあったのに12分ほどで着く。かなり前。
テープカットの後、堀田先生が前にいたので挨拶。
絵を見ていると、描き続けている事にすごいなと感じた。
自分にはそういうエネルギーがないということ。
一階を回って来ると、先生が待っていて、一緒に私の作品のところに行こうと言う。
会長をしているから、次々と人に会うが、数人で2階へ行く。
作品のところで、北部中学の教え子だと皆に言う。
どういう訳か、こんなことをしている。
40年程前になる訳だが、出町中学に比べると1/5ほどの生徒しかいなかった。
き・た・じ・まで品物を買ったと言う人。そういえば見たことがある。茶托と、、、
ユうかクさんがおいで、先生と一緒にいた人が見直そうということになる。
ぜんイチさんの作品、左右対称なのに、中央の木が歪んでいるので台無しになっている。
そうこうしているうちに本人がお出で、気になっているとのことで爪楊枝を挟み、真っ直ぐになる。
(後で、帰りに回ると、門のような物と炎か花か生命のようなものの位置が前後逆に置いてあった)
てツやさんの作品は、構成のすばらしさが見所で、心が温かくなると先生が言っていた。
皆で一階に降りる。
卵を削ったりしたのは技が見えてよい、自然に朽ちた感じの材を使うのも良い、しかし、組み合わせに隙間が見えるのは手わざを見せるべきところが出来ていないので良くないとの厳しい意見。
先生も、これは霜焼けの手だと言われたことがあるそうだ。
3階の喫茶。6人がそろえる場所はなかった。
暫くして、乾漆の話をする。堆朱とかの作品も持っているそうだ。
自由に形を作ることができるし、若者に人気のある技法だと話す。
彫刻は削るが、乾漆は盛る(削ることもあるが)のが特徴とも話す。

午後から、母が行きたいという城端へ行く。
曳山会館「佐々木祖山 展」
竹筆画、漆画と聞きなれぬ言葉。
強い黒が漆を使っているのか、色も漆なのか?
織館に寄り帰る。
近くの二つのべつ院が同じ系統らしいとパンフレットで知る。
信じられない話というしかない。意味があるのだろうか?

5月16日(日) 「わざの美」(その4)

朱を乾かすのに失敗したのを塗り直すため、朝4時40分に仕事を始める。
溜め塗りに変更し、透明度を落とすため、別の漆を混ぜる。
塗っているとき、ゴミが目立つ感じがして、気分が乗らなかった。
返しを取らなくても大丈夫ぐらいの厚さに塗ったが、失敗しないため返しを取る。
21℃、60%。雨が降っているが、その影響はないようだ。
雨の中、金沢へ出かける。
最終結果で何とかしようとする者と最初からキチンとしている人の差を感じた。
帰宅後、昼食、返しをとってまた出かける。
美術館の通路に駐車している車が多かったので、屋外の駐車場に行く。
走ってハイビジョンホールへ行く。5分ほど前に着いた。
空いている席が一番前しかない感じがしたので、そこに座る。
左の演台のすぐ前、司会のときだけ使い、講演者は右にある座ることが出来る席に行くのかと思っていたが、左の立ち席のままだった。
結局、2時間あまり、立ち通しの講演。

講演会「日本伝統工芸展50年のあゆみ」(柳橋眞氏)
「伝統工芸」という言葉は戦後になって出てきたものだそうだ。
戦前まであった伝統的工芸品産業が消滅の危機にあった。
昭和24年の法隆寺金堂壁画の焼失、それに対する世界中からの非難を契機に昭和25年文化財保護法が成立。
昭和29年に「芸術上の価値」を重視した「重要無形文化財の指定と認定」の制度。
同時に「日本伝統工芸展」が始まる。
「伝統」という言葉をつけるか、単に「日本工芸展」とするか議論されたそうだ。
「デントウ(電灯)がなくなると暗いね」で現在の名に決まったらしい。

伝統工芸の3大特色
1.時代に即した新鮮で創造的な働きをもつ。
2.自然材から様々な働きと美を引き出す。
 *加工技術は現代の物でも構わないことになった。ex.電気窯
3.用と美を兼ね備えている。日展との違いを示すためし出てきたらしい。

昭和40年頃、三輪の白を出すため、無農薬の稲を栽培し、藁を採ったそうだ。
志野の破片から荒川豊蔵が苦労の末復元した。
人形の見所は手だそうだ。目というのは聞いていたが、後で会場を回ってみると、手に豊かな表情があり、芸能という感じがした。
絹は陰干ししてやらないと艶が失せてしまう。保管には気をつけるべきとのこと。
これも会場で見直すと、確かに艶がなかった。

K森先生は会場に入った時目に入ったが、講演が終わったあと、T地先生が開会式に続いてお出でだったと分かる。
展示会場を講演を思い出しながら回り、第3室への丸い廊下を歩く。
向こうからJ次先生がおいでる。一週間前まえのことなどを話す(5/8の記述参照)。

5月8日(土) 「わざの美」(その3)

ギャラリートークは漆芸の前先生。
午前中に市展ととなみ野展の上塗り準備として、まず研ぎをする。
研ぎ終わらないまま、漆風呂と部屋の掃除(拭く。掃除機で吸い取る)。
昼食後、0:40頃出発、約30分で文化の森駐車場に着く。
会場を見渡しても見当たらなかったが、受付近くに戻るとビデオのところからおいでる。
どの作品が一番好きかというので、紀一郎先生の鉢のところへ行く。
吹き分けもテレビで見たことがあるそうで、保さんに話していた。
学院大の先生(Eさん、Iさん)とも知り合いでした。
いろんな講習会に顔を出し、挑戦しているようです。

「けはい」髭などが線彫りのほかは、点彫り。新しい彫りの工夫だったそうです。
技法の特色、表現の見所、素地の工夫、、、
「春愁文」3種の朱で花弁を描き、輪郭を彫った存清(星)で、実際はもっと彫り、金(沈金)との対比を表現したかったのだそうです。
Sさんは、前に見たときより朱が鮮やかになっていると言っていました。
部屋の空気を変えるような作品を作りたいと思っているそうです。
引っ掻きや沈金は失敗が許されない。
伝統的なものに少しの新しい技法、材料を付け加えていく。
図録へのサイン会の後、会議室へ。
日本産、中国産の違いより、漆による違いの方が本当のところ。
表面だけ固く、中がぐずぐずしているのは、彫り難い。
上塗り前に生正味漆で拭き漆がしてあるのは、彫っていると捲くれてくる。
研修所でもそういうことがあったそうです。
それぞれの分野で良かれと思ってやっていることが、他の分野で悪影響になることもあるということだろう。
厳密に言えば、塗り肌がきれいになったり、ゴミがつかないだけでなく、食い付きが良いことも兼ね備えていないといけないということだろう。
必ずしも全ての加飾に対応した塗りである必要はないだろうが、、、
奥出先生の遺品は、高岡短大、輪島漆芸研修所、山中の研修所の3箇所で保存され、学生の学習に供されるそうです。

帰宅後、市展の盛器の溜め塗り、となみ野展の鉢の上塗り(黒漆をわざわざこすのが面倒なので、透き漆をそのまま使用−黒溜め塗りになる)。
9日(日)、乾いていないので湿りをするが、乾かない。雨も降ってきたのに、、、

金工の魚住先生のギャラリートーク。
六田さんが会場がわからないと言うので、展示室で入場券が必要なことを話す。
銅鑼は毎日叩くことで、音が良くなる(砂張。打ち手にも慣れる)。
御輪、低い音が真宗、他の宗派は高い音だそうだ。
梵鐘も町と山とかで(別の意味だったか?多分何か説明があった筈だが、忘れている)音が違えてある、、、
使うことを含むということは、音とかそれを聞く人も作品を構成しているということになる。
使わなければ、完成した作品になることができないということになるのだろうか。
彫刻なんかと対話するとすれば、見えない形で使っていることになる。
見えたり聞こえたりするだけが使うことではなく、見えない形でも使うことができる。
結局、どんな形でも使える作品が優れていると言えるのかもしれない。
水指の蓋は、川北先生が丸く挽き、四角く残し、落とした四つの半円部分に別の材を持ってきて、木地の狂いを押さえているとのこと。塗りは塩多先生とのこと。

下のギャラリーで創元会富山支部展。
おまえが描けと言われても描けないとは分かる。
作品の題名と作品の落差(?)、それをどう埋めるか。
見た感じの人、3月20日に見た堀田先生だった。
砺波市美術館に来た時は電話してくれor遊びにお出で。
となみ野美術展に初出品することを言う。

新聞の本の欄に美学への招待というのがあった。
「現代の前衛芸術が、作品の造形的な質の高さよりも、提起された概念の独創性に根拠をおくため難解さを招く、、、。近現代の芸術は想像力と新しさというイデオロギーに縛られ、それを精神的に体現する芸術家が崇拝対象となり、ついに芸術という枠組み自体をテーマとする観念的な作品を生む袋小路に達した。『永遠型』の古典芸術(これも近代美学の帰結)に対する『問題提起型』の現代芸術という構造。・・・ ・・・
美の復権、『人間を超える美学』…自然美の見直し…」(読売。評者、三浦篤東大助教授)

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5月4日(火) 「わざの美」会場にて

今日は会場当番でした。金沢からTさんがおいでることになっていたので、8時50分過ぎに出発し、9時15分頃着きました。
開館後少しして近付いて来た大柄な人がそうでした。
鑑賞の邪魔をしないのが、一番大事なことです。
ときどき、自分の知識や感想を混ぜ込む。知識は本によっているので大したことはありません。
佐々木英さんで同じ反応をするのは嬉しいことです。
穏やかな感じが似ていると思いました。
貝の講習会の時、同じ会場にいたということも分かりました。

もう1人の当番のKさんと話をしていたり、「鑑賞の手引」を見ていたり、、、
下でトーストセットで昼食。出て行くと、Wさんが追ってきた。
初めて着たのかと聞く。後ろで糸が×印に付いたままだと言う。切り取ってくれる。
12:20頃戻ると、館長と吉田先生が並んでおいでる。
会場を回るのに一緒についていく。思い出のある人に強く感じるようだ。
昔一緒にテレビに出たり、一緒に受賞した富山支部の人の名が出て来た。
朝から入場者が多かったが、ギャラリートークの時はなお多くの人がきていた。
金箔の厚みと釉薬に溶け込んでいく関係(金箔の窯変)、具象画に可能性を見出したこと、、、
徳田先生が色に九谷の特色を見出したこと、、、
作家の人となりを交えて、技法の特徴、作品の見所、、、
ゴムを形に切り、所により2枚重ねたりしてから、サンドブラストで彫りこみ、後で手直しする、、、
今までの技法を大切にしながら、更に新しいものを見つけ出して、作品を作っていかねばならない。
予定時間を超えての列品解説でした。
午後は立ち通しに近かったので、ぐったりときました。
駐車場に入りきれない車があったりしたそうです。
あれだけ入場者があっても、500人ぐらいだったそうです。
雨で農作業が出来なくて来てというTさん夫妻、小学校の同級生のところに勤めているというのは聞いていました。
昼少し前、Fさんが現れました。髭を伸ばしていたので、チョットだけわかりませんでした。
昨日までで2000人ほどの入場だと言っていました。少ないような、、、

5月5日2pmよりの支部会員の列品解説に行きました。
漆芸の後藤先生。昨日よりはかなり少ないが、支部展よりはかなり多い。
まず漆の歴史、技法の紹介などをしてから、作品のところへ移動。
先に話した技法に、実際の作品の中の特色を付け加えながら、解説。
まだまだ勉強していかねば、、、という話。
作家という者は一度作ってはどこそこを直し、完成を目指していく、、、
終わってから、会場で、その後、下でOさん、Kさんと話す。
この展覧会で受けた刺激を作品作りに繋げていかねばならない(Oさん)。
下の喫茶店に入った時、後藤先生はかなり悩んでいたことを話してくれました。
といっても、もともと弁舌が立つ人ですから、解説を聞いていても上手だなと思うだけ。
研究会の話、細かい表現は入りやすい、、、
Kさんは電気窯とガス窯を持っているそうです。
酸化焼成と還元焼成を同時にできれば新しい世界が開けるのではないか。
中性焼成というのがあるが、弱いと見られるか、、、
不可能を可能にする方法が簡単に分かるなら、誰かがやっているとは言えるが。
「鑑賞の手引き」を手に入れる方法を話したりしていた。
売店に大場先生や増村先生の図録が置いてあるのに気付いた。
自分が買った時より安い値段がついている気がした。
少しして、見た感じの本。「鑑賞の手引き」、工芸会にわざわざ注文しなくても良くなった。
友の会だと1割引のはずだと、代わりに買いに行くと、Fさんがこの本は預かって売っているだけなので、割引は出来ないし、売る方にもうまみはないと言う。(昨日のFさんは学芸員、今日のFさんはカトレアの会)
それを知らせてこちらは帰る。Oさんも持っているそうだ。

5月1日(土) 日本伝統工芸展50年記念展「わざの美」(高岡市美術館)

4月29日(木)午後3時より開会式。
大場先生、徳田先生も来賓としてお越しになる。
図録が貰える。招待客だけで、かなりの混雑。
連日こんな感じになればよいのでしょうが、、、
会費担当の受け継ぎで、誰か教えるのが上手くいかず、かなり渡しそびれたようだ。
思ったより小さい作品が並んでいる。
存在感があるということだろう。
昔、金沢でオーッと感じた紀一郎先生の鉢もあった。

今日は、支部会員の解説の初回。
明日からは人間国宝の方による解説が続きます。
金工の解説、普通とは違う視点での話をするとの事。
作家の生い立ちの歴史的背景、人との出会い、技法の特徴、意図、、、
作家井伏鱒二氏の息子というのは驚きでした。
それぞれ拘りをもって作っているということだろう。
模様から作家の心を想像するというのは、象形文字からその元を探るようなものだ。
後で、会場にいた人の質問に別の方が答えていたのによれば、帯止めは打ち出してあるので、軽い。
元は刀の柄の所に2箇所付けたもので、上から紐が巻いてあり、膨らんで見えるのがそうだそうだ。
立体的な形に非常に細かい象嵌。

開会式の日の会場で、所謂会派が別のN先生に誰かが全然違うでしょうとか話し掛けていた。
工芸の歴史から言えば、伝統工芸と現在呼ばれる世界がその当時は、現在の自動車や電化製品のデザインと同じだと分からないのだろうか。
使うものをどう豊かな気持ちで使えるか、それだけのことではないのか。
平面的な表現がすばらしいというなら、彫刻はどうなるのだろう。
その程度の差を違うと感じることが貧しい心を示す。
直接的な生活ではなく、積み重ねられてきた心の豊かさを表現する。
技法によってそれを表す。
新聞小説(週1回)の最終回でばななが書いている。
「意図して、誇り高く、地味な努力をして、あれこれ頭を使って工夫をしたら、実現するのだ。
この世に、これまで影も形もなかった何かを出現させて、それを続けることができるのだ。」

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4月24日(土) 金沢へ行く

週1で更新しようと思っていたが、無理でした。
午前中に石膏雌型を割り、乾漆素地を取り出す。
三つ割に簡単になると思っていたのが、石膏が剥がれ難かった。
離型剤が薄すぎたのかと思ったが、石膏雌型がガタガタ過ぎた所為かもしれない。
太陽は顔を出していたが、暖かくはない。
午後も、晴れている感じなので、金沢に出かける。
運転はあまりしたくないし、駐車場のこともあるので、列車で行く。
4日前に届いた新車に乗せてもらって石動駅に行く。
津幡、森本と二度も特急列車の通過待ち。

名鉄エムザに行き、まず8Fの「日本の職人展」。
高齢の感じの職人と若年の職人に二分されている感じがした。
説明が大事なのか、技が大事なのか。
全国で競り合う世界と、特定の地域だけにある世界。
5F「長谷川塑人彩磁扁壺展」
絵だけでなく、形も踊っている感じ。
横で聞いていた話では、形に対し、どれぐらいの大きさの模様にするか、線の強弱(すっーと引いた線は弱くなる)、色、、、円の中(一つの世界)に収めようとしてもはみ出てしまう、、、
図案は、食事と取るように毎日描けば良いだけで、深く考える必要はない。
二次元の平面図でデフォルメして描けば、立体に付けたとき丁度よくなる、、、
ゆとりがあることが大切、、、
本展のときは緊張し、手の震えの止まらなくなることがある、、、
(手を浮かした状態で絵を描いていく)
隷書の練習、紙を千枚買い、一日10枚書いていけば、紙がなくなる頃には上手くなっている。
お茶も頂いたりして、めいてつを後にする。

近江町市場を通り抜けて、吉井商店に向かう。
カーテンが閉まり、休みのようだった。
錫金貝などを買おうかと考えていたのだが、駄目だった。
すぐ先の橋場町に行く。
家でインターネットで調べても、場所は分からなかった。
読売新聞に載っていた金澤画廊を探して細い道を歩く。
見当たらず、郵便配達の人に聞くと、区域が道路の反対側なので、分からないとのこと。
浅野川辺に行ってみればあるかもしれない、、、
すぐに目に入ったので、画廊に向かう。

「若島孝雄漆芸展」
蒔絵とか、沈金の作品も並んでいたので聞くと、輪島では塗師が木地から加飾まで取りまとめているのだそうだ。小さい問屋の感じなのだそうだ。
形が良ければ加飾に負けない、自信もって良いと話して下さる。

浅野側をわたり、旧御歩町には行かず、道路沿いの地図を参考にして彦三、瓢箪町に繋がる道を進む。
知らない道を歩くのは、昔はよくしていた。
浅草から新宿まで歩いたこともあった。
横安江町アーケードから金沢駅に向かう道のところについたので、迷子にはならなかった。
駅のうつのみや(書店)で、漆の修理の本を探したが、美術関係の本は少ししかなかった。
帰りの列車では、読む本もなく(その本があるはずとの前提で、何も持って行かなかった)、その上、津幡でまた10分も特急の通過待ち。
金沢駅7番ホームの公衆電話で家に電話するも、案内放送がうるさく、ほとんど聞こえなかった。
石動駅で電話するも、呼び出し中に切れてしまう。
小雨は降っていたが、歩いて帰ることにした。
6キロぐらい、昔は走っただろうし、散歩と考えるなら大した距離ではない。
しかし、雨が強まったり、暗くなったりしては困るので、無理に回転を維持して歩いた。
1時間15分程で帰宅。足はかなりガタガタしていた。
雨は上がってくれた。
夜、法事のお華足を届けに来た従姉がAコープのところで似た感じの者を見たが、、、と言う。
駅を出るのが3分ほど遅ければ歩かなくても良かったことになるが、歩いてしまえば、運動した方が良いに決まっている。(3/25足が痛い)
夜は定期的にすべき仕事を少ししただけ。

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4月10日(土) まとまりのない

少し早めに家を出て、8:50am前には受付を済ませるも、14番目ほど。
視力検査もなかったので、10時過ぎには呼ばれる。
「わざの美」展のチラシと入場券2枚を渡す。
先祖が輪島で塗師屋をしていたというのは、お祖父さんのことだそうだ。
科は違うが、親子2代の医者。小学生の頃、輪島で沈金をしたことがあるそうだ。
目の話をほとんどせず、世間話のような感じの声を聞いて、順番を待っている人はどう感じただろうか。
気楽な患者というところか。実際、今はどう感じていれば良いのか分からない状態。
来月は連休明けに人間ドックに入るというし、展覧会は行くつもりだが、診察は出来ないかもしれないとのこと。
それで2か月分の薬と目薬をもらうことにした。
10:30amには病院を出ることが出来た。

生漆がほとんどなくなってきたし、早めに終わったので、金沢に行くことにした。
12:30頃美術館前に着いたが、数台が中に入れず、待っていた。
高野さんのところに止めさせてもらおうと、尾山神社の方に向かう。
そこで頼んで、石川県立美術館まで歩く。「現代美術展」 県展である。
絵を見てもほとんど何も感じない。自分が欲しいと思うのはどの作品か?何か参考になる作品はないか?この人は何を言いたいのだろうか?ほとんど流し見という感じだったが、工芸を除けば、石川県はどこか弱い感じがした。これも鑑賞力のない人物の感想に過ぎないが、、、
どこか憂いを含んだような表情、姿を描いた絵は、ひきつけるものがあった。円地さんなど、、、
なんとなく日展などの絵のイメージが頭に残っているから、足りないと感じるのだろう。
書店により、Javaの本を探す。高いが買う。
(家でやってみたが、メルマガのと同じerrorになっただけ)
土谷ロープを探したが、この辺だと思うところにない。
どう考えてもこの辺りだったと新しい店を見ると、小さく文字があった。
ロープは問屋町に移転し、午後は休みとのこと。
生漆を200匁、真綿、リグロインを買う。錫金貝は、今では扱っていないとのこと。
裏道を橋場手前まで行き、車の流れの隙間を狙って左折すると、隣車線から警報音。
多い歩行者と、自分の入ろうとする車線の車しか見えていなかった。
特別危ないほどではなかったが、そのタクシーは全く見えていなかった。
複雑な状況になる町の中の運転も限界かもしれないというか、世の為には止めるべきと言うしかない。それでもなかなか止めない。

前日に始めた米糊と生漆の混合比率と麻布の脆さの関係を調べる試験。
混合比が、今までやっていたのに近付くにつれて、乾きが悪くなっていた。
失敗してやり直している布貼りを見ても、漆は布と相性があまり良くないのではないか?
木綿より麻の方が多少ましだという程度なのだろうか。

11日(日)糊と漆の混合比の試験は、残り4枚の布目摺りまで。
盛器の裏の中塗り。湿度がなくても、また乾くのだろう。
午後から、源さん宅に会費を届ける。自動集計する表をフロッピーに入れて持っていったが、CDしか入らないとのこと。CD−RWがもったいない気がして、フロッピーにしたのだが、、、
その後、総会に行く。「わざの美」のポスター、券、チラシを預かったいたし、役の引き継ぎもあるし、駐車した高校の庭から運ぶ物が沢山あった。
当番は5月4日だそうです。
林先生が中国へ行った話をしてくれる。2000年前のマオタイ(馬・・だろう)の漆器の水準の高さ。
あらゆることで伸びていて、日本は追い抜かれてしまっている。
美術教育も、細く生き生きした線を描いたり、、、宋代の模写、、、
関係ない話だが、前の席の細川さんが視野の中で霞んでいたり、、、

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4月4日(日) 失敗ばかり

Javaの方は、上手く行かない。
プログラム名とファイル名が同じであるべきだというが、どうして違うようになっていくのか、、、
メルマガからコピーしても、違うということになる、、、?

下の子がラーメンばかりを食べているというので、栄養失調が心配になる。
東京で買う米は炊いても味気ないというので、午後、富山県産コシヒカリを買い、缶詰などと共に送る。
中高年のパソコン講座(NHK)で知った「縦中横」の話をする。
パソコンを立ち上げ、「割注」などを実際に確かめたり、、、
家で午前中、A4で電話番号メモを作る。
表を作るのも、網掛けするのも、テレビで教えてもらった。
ハガキサイズに縮小して印刷するというのもそこで知った。

パソコンで時間を潰すより、漆の仕事をすべきだと、自分に言い聞かせている。
一番のショックは、麻布と漆の関係の思い込みが間違いだと気付いたことだ。
失敗の記録」で書いているので、詳細は略すが、麻布二枚貼りへの挑戦から、何かが狂ってきている感じがする。
他の人にはこんなことは常識として分かっていたことかもしれないが、自分にとっては予想外のことと言うしかない。
木地にバイアスに布を貼れというのは、木目が柾目だから、斜めに布目がくれば全体的に安定した力をもたらすだろうということで、受け入れられる。
乾漆の場合は、バイアスに貼り重ねる事を教えられた。これも感覚的に縦・横・斜めの組み合わせが安定した強さをもたらすと理解できる。建物の筋交いの類比である。
糊漆を吸い込んだ麻布が脆くなるとは思いもしなかった。
布目に斜めの方向から布を裂こうとしても裂けなかった以外、思いがけず脆くなっていた。
木地に布を貼る意味が、どの程度あるのか。
乾漆は果たして丈夫なのか。
布目に斜めの方向が持つ、どうにか残る耐久性を生かすしか、意味を持たせようが無い?
こんなに微妙な世界とは思いもしなかった。
布目に斜めに力を加えると、縦・横の二本の糸で力を受け止めることになる。
数だけの問題なら、目の細かい布が強いことになるが、そうとばかりはいえない。
糸が交互に絡み合っているから、撚った感じに少しは近いと言えるから、糸の数以上に強いのだろう。
金曜には、Tさんという方からメール。漆をしていると言うし、何か関係があるのかな、、、?
HPを見ると、精神科医とのこと、、、掲示板を見る。
リンクのページに載せておきましたので、どうぞ。
(検索を避けるため、名字か名前の一方を表示することはありますが、全体を表示することは、必要ない限り止めています。迷惑をかけることもありますし、、、)
(わざといろんな表示法を混ぜてみたり、、、)

別に間違いを探しているわけではないが、自分の知っていることに関係があることには頭が動く
市報で、明治35年生れの者が明治5年にT大医を卒業したとあったから、おかしいと感じとことがあった。
…work of weという英文に出会った時は、寒気がした。語感の上で違和感があるからである。
限度を超えているので、訂正したらどうかと知らせた。
自分でも間違いは多いだろう。漢字が正しいか自信が持てないときは、平仮名表記にしている。
仕事でも、言葉でも失敗が多い。

3月27日(土) パソコンは難しい

残り1枚のポスターをどうするか、、、陶芸教室とかをやっているところはどうか、と思いつく。
車のエンジンオイル交換、空気圧(この前の日曜にスタッドレスタイヤを外した)。
郵便局のポストに総会出席のハガキを投函。
旧病院跡の文化スポーツセンター(名を知ったのは、そこへ行った時だが、、、)で、ポスターの件を頼む。
誰かと聞くので、パソコンで作った名刺を渡す。
床屋に行く。終わる頃入って来た人、話からすると下の子の同級生。
近視に乱視では、鏡に映った姿を見ても分からない。
終わって側に行って見ると、慶ちゃんだった。
「赤ちゃん、可愛いけ?」 名前は「央」の字を使いたかったのだそうだ。
従姉のところでスキャナーで取り込んだ書類の背景が灰色になるのをどうするか、、、
家の古いのとは違い、便利になっている分、使い方が分からない。

パソコン超初心者からはじめるJavaというメルマガで、Javaをインストールしようとした。
最初、容量の関係で、Dドライブに入れた。うまく行かない。(3/19)
また2時間以上かけて、今度はCドライブに入れた。(3/24)
その前にCからDにフォルダをかなり移動し、容量をあけた。
インストーラというのは動くのに、インストールできない。
何度やり直してもダメなので、アンインストールする。
また2時間以上かけて、ダウンロード、今度は保存にした。
開いてからインストール、検索でどこのフォルダに保存されているか、調べる。
メルマガの説明の感じになっているようだ。

openofficeの以前にインストールしたのが古いので、これもアンインストール。
新しいのをダウンロード。これも2時間半以上かかる。
その間、仕事をしていたのだが、途中でまたパソコンの前に座る。
解凍が出来ない!解凍するソフトを幾つかダウンロード。
古いのはそんなに苦労しなかった気がするが、今度は何をしても反応なし。
2時間近くやっていて、結局、Lhazで解凍出来た。
何が問題だったのか、さっぱり分からない。
Dに解凍、セットアップをクリックしてインストール開始。
これもDドライブを指定。
古いファイルやフォルダが残っていて、非常に分かりにくい。

Javaのパスというのも、原始的な(?)方法で調べてみる。
pathというのも、山の谷間をイメージして、コピーして貼り付けた。
チョット狂っているだけでも、機械は嫌がる。
何とか一通目のメルマガに嘘は無かった。
二通目のメルマガ、最後のプログラム名というのが合わない。

28日、午前中は江浚い、後半は排水路に埋まっている石ころを上げる作業でぐったりとなる。
午後から、柿山を食べに(買いに?)行く。
Javaの本を探してみるも、レベルが高すぎた。
夕方、少し漆を触りるのみ。
夜、削除してやり直しても、ERRORと出る。
メルマガからコピーしてみたが、フォルダに入っていなかったようだ。
意味も分からないし、どこまで続けられるかも分からない。

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3月20日(土) 砺波市にて

この前のUホール、総合会館、クロスランド回りに続いて、今日はコミュニティプラザに「わざの美」展のポスターの掲示を頼みに回る。
頼んで回ったところのチラシ各20枚を預かってくるのを忘れていたので、荒木さん宅へ貰いに行く。
今年の旧盆過ぎ、日本橋三越6Fで個展をするそうです。お楽しみに!
午後は、得地さんの個展に寄る。優しい感じ。
木目を波のように生かした鯉の作品など。
その前の道を富山方面に進むと、美術館の前に来ていた。
砺波市美協展・郷土ゆかりの作家展。入場無料。
書が目立った、数の点で。力強い線が印象的なのもある。
堀田先生の「フローラ」、上へ向かう感じというか、崇高さへと向かう感じ。

2pmよりの「祖父・川辺外治を語る」(清泉女子大学助教授 高野禎子氏:旧Kawaiヨシコ氏)、15分ほど前に入る。
荒木さんが学校のマドンナだったと言うのも宜なるかな。
隣に座っていた人が、高3の時の担任だそうで、紹介されていた。
2、3年前、支部展のとき会って、少し話をした堀田先生、見たとき気付かなかった。
会長として挨拶をされ、やっと分かる―何という生徒!
中学の時の美術と体育の先生だったが、その当時も彫刻家としての人生があったのだなと思う。
descriptionが授業の基本だそうだ。
言葉で全てを表現(説明)する。
高岡市美術館に現在展示中の「忙中の食事」の画面説明、表現への影響、表現の特徴、、、
構図の類似、マチエールの類似、、、
普通はありえないような壺などを置き、構成のバランスなど、、、

ルオー、レンブラント、ジャコメッティなどの影響を受けていた。
ベロニカ(ルオー)を日本的な観音像に表現してみたい、、、
構図、色彩、、、空気に色があるように描きたい。
光、すなわち空間を描きたい。(レンブラント)
マチエールmatière、絵の肌合いを大切にする。(ルオー)
人間とは何かを追求していた。母子、老人、自画像、牛、、、
マチエールの重視、構図、温かな空気・光が空間を充足する、、、
見えないもの、形の無いものを大切にする、、、
生活画、具象画、明るさ、抽象画、、、
エピソードとして、絵は徒ではくれなかったそうだ。
出来る範囲で最大どれだけ支払えるか。
元手もかかっているし、支払えば大切にする。

3月13日(土) 卒展

退官記念展を知らなかったので、卒展の方は、インターネットのホームページで調べておいた。
2月の前半は寒く、その後異常な高温。
3月も9日頃まで寒く、また暖かくなっている。
今日は風が強かった。外出に不都合は無かった。
会場に入ると、まず炎のような金属作品(彫刻といえる)が目に入った。
漆の作品が多くある場所。水準が高いと感じた。
例年のことだが、部会展ぐらいなら問題ないという出来栄えのが幾つかある。
根本先生が歩いて来られる。
帰ろうかなとしていると、橋本さんがおいでる。
いろいろ話していると、小浜から来たという卒業生。
金工はアクセサリーを作れるし、木工も人気がある。漆は人が集まらない、、、

弟子入りしたり、系統的な教育を受けているなら、布2枚で出来ているかもしれないという記述を見ても反応しないだろう。
と言うより、そういう記述があっても、気が付かないだろう。
年齢だけで、自動的に中堅になる。
経験年数、それより経験時間でいえば、私の場合、まことに惨めなものだ。
補いようが無いから、直感的な仕事をする。
日本語でだが、”Vous avez peu d'amis.”とIl me devine.
物作りでも同じことだろう。情報さえも集まってこない。
本流にはなれないとしても、下手さを売り物にする気もない。
斯界の権威には出来ない反応や発想だけは自分のものだろう。

端の水平を作るにはどうすればいいかと、初めてG先生に聞いた時、スリガラスを使うのだと教えてもらった。
スリガラスと言ったて、、、
窓ガラスの曇っているのを使うのかな?と考えたり、、、
13年前は、この程度の知識しかなかった。

3月2日(火) もっとゆっくり見たかった

昨晩の電話で知った根本先生の退官記念展、終了したが、午後2時頃まで展示とのこと。
昼に行き、まずあった奥出寿泉コーナーに入る。
各種丸鉋、刀、刷毛、ブリキ製引き箆、、
図、松田先生の椀の制作依頼、、、
木型原型は、それ自体が漆塗りの完成作の感さえある。
良い作品だけを見ることといわれるが、緊張感のある作品。
退官記念のコーナー。
和紙を模様に切ってあるのが、分類して展示してある。
綿毛かと思うほど繊細に出来ている。見たのは初めてだった。
日常使うような品を見たのも、あまりなかったような気がする。
展覧会で見る感じの作品。自分の作品ではまだまだこんな展示は出来ないと感じさせた。
あまり時間が無いので、サラサラと見るしか出来なかった。
この前輪島であった人が歩いてこられ、昨日で終わった、、、
電話をもらって知り、、、机の上の図録を2冊くれる。
まだ12:40頃だというので、教官室に行ってみると別れる。
後で林先生に聞くと、Taro君だとのこと(大場先生の時に会い、覚えた人)。

教官室へ入ると、知っている3人。
わざわざ連絡くださり、ありがとうございますだけのつもりだったが、二人して展示場までついて来られる。
たくさんの人に見に来てもらったのに、地元の人の入場者が少なく(芳名録)、それでもしかしたら、、、と気付いたのだそうだ。
刷毛の切り出し方も長短いろいろ、幅も各種。
大場先生は、泡消しがないなぁと言われたそうです。
松田先生との手紙のやり取り(お椀)。
補強というか、支えのないブリキの引き箆で綺麗な仕事をしているということは、通常の漆の技術が卓越していたからだろう。
刷毛の厚みは、どれも極めて薄いというのが印象です。

「奥出寿泉 遺品調査 技術記録」の方を少しずつ読んでいる。
和紙の水貼りというのを松波保真の解説で読み、やってみたことがある。
初めて乾漆を作ったとき、石膏型と、木製の丸盆の裏を使った型とで、二つ作った。
石膏型は、本にいろいろな離型剤の名が書いてあったが、それについての記述がない本もあった。
「漆芸の伝統技法」(佐々木)だと思うが、無くても出きるのだと、石膏に直接麻布を貼っていった。
丸盆の裏に、和紙を濡らして貼ってみたが、乾くと皺皺になってうまくくっつかない。
たぶん、多少くっついていたので、そこに布を貼っていったと思う(記憶が定かでない)。
後で、少し糊を混ぜないといけないと教えてもらった。
しかし、それだけでも剥がれなくなり、離型の役には立たなかった。
今回もらった冊子には、もっと詳しい方法が載せてある。

木型に菜種油を極薄く綿で摺りこみ、水糊(米糊2:水8)に浸けた和紙を貼る。
更に米糊を2回塗る。
離型後、水で和紙と糊を溶かし取るのだそうです。

立ち上がりの作り方も、そのような作り方を根本先生がしているらしいとは聞いていたが、具体的のことはこの本で初めて分かった。
引き箆の使い方も、細かい。

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2月28日(土) 外出

天気がよかったので、外出。
高岡郵便局へいくも、振り込みは機械が動いていないので出来ないとのこと。
工芸高校の卒業課題展。
「和風折脚テーブル」は優れていた。
蒔絵は、指導者がいないことによる未完成さを感じさせた。。
教育的に、出せる力を伸ばさせない体制は何とかしなければならない。
次の機会に習えばよいともいえようが、ここでやめる人もいる。
文化ホールの「郷土の作家たち」展。
何故特選なのか分からないのは、こちらのせい?
「鳥と少年」、何度R君から聞かされても、空間をつかむということが分からない。
午後、城端のつごもり大市。
本屋に入ってみると、「文藝春秋三月特別号」が一冊あったので、買う。

2.29(日)雨だったが、あまり仕事をせず、昨日から少し読んでいるのを続いて読む。
「蛇にピアス」 波長が合わない感じ、換言すれば分からない。
芥川賞の作品なんか今まで読んだことが無い。読んだ中にその賞を取ったものはあったかもしれないが。
登場人物が異界で活動しているというだけなら、筋としてあって良い。
生きる意味を自分の中だけで完結したいのだろうが、そうはいかないから、愛を求める。
無意識の世界を突然感じさせる出来事との出会い、喪失による愛の自覚。
最後は優しさにいきつくことを暗示する結末、筋からいくと、甘いのでは?
異界では生き得ず、人生は生活の中にあるとなるのだろうか。
どこが画期的なのか、分からない。
「蹴りたい…」方は、まだ途中。

3.1に読了。何度も出てくる「気怠・」を何と読むか分からないままだった。
読み終わって、けだるい・けだるげ、、、かなと気付いた。
こちらの方も全容を理解するのは難しいが、自分にとっては小説と感じられた。
前に知事の名にあった筈なのに、平仮名表記を使うねらいも分からない。
何か一方ばかりを見ている二人が、そのうち1人は「私」だが、主な登場人物。
友達作りも、何か空虚を埋めるだけ、、、孤独。
自分の内から発する何か(意欲)で生きたいのだろうが、どれも外のもので埋めているに過ぎないと感じられてしまう。
オリちゃんで埋まっているに過ぎないのに、もっと自覚しろと蹴りたくなるのか。
この「私」を連想させるような人、昔いたような、、、
城端の本屋に無ければ、読んでいないままだったろう小説である。

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2月15日(日) 輪島にて

朝、少し荒れ模様の感じだったが、そんなにひどいこともない。
結局、輪島に向けて出発することにした。
正得スタンドで給油、空気圧。
コンビニ、アルプラザに寄って、3時間ほどで輪島到着。
美術館の駐車場で昼食。
開会式の招待状と友の会のカードで、2名無料で入館できるとのこと。
3室とも回り、まだ1時前。少し休む。
いろいろ気になる作品はあったが、「裳」が一番自分にとっては、目についた。
形は違うが、模様が支部展のアイディアに似ていた。
衣文線の数は自分のほうが多い(石膏原型段階)が、仕上げは今日の展示作品の方がはるかに丁寧だった。
自分の支部展の作品は、途中でデザインを変更したので、記録があるだけで、作品はない。

解説が始まる15分ほど前に第1室へ行く。
知った人がいない感じだったが、そのうちに奥の方に見えた。
側に行くと、「何で…」。すぐ、展示してある場所に動いて下さる。
腰が少し外に出過ぎている感じ、底に向かう線が畳ズレのままなので、もう少し丸い方が良い。
少し暗すぎると思った朱は、こんな感じで良いのではないかとのこと。
模様に関しては、これ以上強くしない。この前、G先生は、もう少しハッキリする方が、、、
塗り立てに関しては、部会展だからというしかない(本展は無理と分かっている)。
素地の狂い(麻布2枚貼り)は、そんなことが問題になるのは、もう止めた方が良い。
漆皮が廃れたのは、狂いと木地が割合簡単にできるようになったことによると思う。
漆皮が狂わなくなって、10年余りだが、それまでは狂いとの格闘だったとのこと。
テストピースとして、硝子板に素地と同じものを作るべきだとのこと―これは知らなかった。
Ne先生の形は、狂い易いところを丸くして、狂いを逃がしてある良い形だとのこと。

1:30pmより坂下先生の列品解説。
「気韻生動」ということを述べられた。
全体として訴えてくるものがあるかどうか。
白黒の写真に撮って、素人に見てもらい、大きさを言ってもらう。
平均を取り、実物とどちらが大きいか。実物の方が小さい場合、大きく見える作品といえる。
松田先生は基本技術があれば十分といわれた。
基本ということの水準が、普通より極めて高い。
漆皮の解説では、竹と曲輪による覆輪とによる補強のことを述べられていた。
解説できるのは、結局、自分の作品だけだとのこと。
へぎ貝を自分で作っている。
ホタルをイメージしているそうです。
車のウインカーの点滅が、平家蛍の光り方と同じで、そこへ集まってくるそうです。
和紙を20枚ほど貼り重ねるはりぬきの仕事は、壊れないほど強い。
蕨の根っこからとった糊で貼っていく。
それに漆を混ぜるのかどうか、説明はない。
以前、貼り重ねた物を見せてもらってのは白かったので、漆無しか?

解説後、SaさんにJ先生を紹介してもらう。
麻紐での模様、麻布二枚、、、可愛い感じがする。
自分の形だとすぐ感じてもらえるようになりたいが、、、とのこと。
Ok先生のは、誰が見てもそうだと分かる、、、

美術館を出るとき、白っぽい階段の段の位置がはっきり見えない。
違う病名でも、症状はいろいろ共通しているよう。
帰りは助手席、3時前に出発し、能登自動車道だったので、明るいうちに小矢部につく。
一つ目の料金所を過ぎてから、今日はお金の減り方が少ないなぁ…図録を買うのを忘れていた!
(2/17、息子さんが研修所にいるMさんに電話:買ってきてもらうことになりました)
朝から石川県は雪が少なかったが、家の方の積雪は夕には極端に減っていた。
輪島は割合穏やかだったが、小矢部は雨続きだったらしい。

14日(土)は、午前中、桐沢眼科。すいていた。
視力が、0.8と0.6。近視が進むわけがないから、乱視が進行したのか?
もうすぐ夕方の暗さがなくなる、、、そんなに話すこともない。
砺波市美術館で、砺波地区の高校生の美術展。
細かい表情をつけたいというような、意欲を感じはした。
名字だけが、先ほどの病院と同じ方の絵。
光の種という柔らかい感じの作品群。
手が動くというか、別世界の人種=本当の画家を感じました。

気韻:気品の高い趣(広辞苑)、とある。
空気、雰囲気、気配、気品、気力、、、
韻を踏むということは、詩歌で習った。リズム感のようなものといえるかもしれない。
その人らしい感性といえようが、品がない人とは無縁の言葉となる。

2月11日(水) 「1940年代 富山の美術」(高岡市美術館)

昨日午後から晴れ上がり、今朝はかなり冷え込む。
昨晩の生漆の仕事が乾いていない。
それで高岡市美術館へ行く。
「襲」(光瑤) 逃げまどう白鷺の姿と追う鷹の悠然とした姿の対比。
雁の方はそんなに慌てふためいていない。
「夕雲」(千靱) モチーフということではなく、親子の姿が面白い。
「忙中の食事」(外治)食事しながらも、視線は我が子に。
「納屋の前にて」(洋) 巌さんも、こんな風だったのかなと、関係ないが、感じた。
「無名政治犯」(廣) 確信に満ちた姿。R君なら空間のことを言うのかな?
「漆兎屏風」(覚太郎) 生き生きとした動き。
「爛春譜」(四郎) 戦前の絵とは思わなかった。
見学者の方が、「李朝の壺」(通季)の題のことで疑問を呈されていた。
Fさんも顔を出され、描かれている壺は李朝のものではなく、高麗時代の形だとのこと。
どこで間違いが生じたか、、、調べてみますとのこと。
同じ作者の「夫人像」 1945頃とあるが、戦中なのか、戦後なのか、分からなかった。
凛とした表情、守る気持ちなのか、終わった後からきた安堵の気持ちなのか?
作品をみて、戦前、戦中、戦後の違いがよく分からなかった。
時代というものは、意識的に追求するものではないのではないか。
外から強制された意識的な形は、時代を反映していることになるのだろうか?
権力の気持ちが反映しているだけではなかろうか。
2Fの常設展、「問いのうつわ 第3期:工芸はどこへ行くか?」
自分の「乾漆食籠」も展示されていて驚きました。
久し振りに見たことになる。
何を考えていたかは覚えているが、細かいことは忘れてしまっている。
友の会に入っているので、今日は無料でした。
帰る頃には、曇り出していました。

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2月8日(日) 漆が乾きにくい…

5日ほど降り続いた雪も弱まり、日がさしたり、雨になったり。
降った時点で湿っぽいので、積雪はそんなに増えていかない。
それでも漆が乾くには低温すぎ、仕事がはかどらない。
昨晩、暖房もせずに貼っていた布は、あまり乾いていない。
おかげで読書をしたり、雪すかしをしたり、、、
玄関の屋根雪だけは下ろしたが、瓦屋根のところは滑って登ることが出来なかった。

1月24日(土)に文苑堂で買った「年をとるのが愉しくなる本」(森毅 ベスト新書)を読了。
今日はp99から最後まで。洗濯を乾かすためのファンヒーターと除湿機の側で読む。
「ぼくは、跡継ぎの思想はとうていうまく機能しないと考えている。大仰に言うと、生命の原理がそうだからだ。純粋培養でクローンを何世代もつくっていくと、じょじょに生命力は劣化していく。つぎの世代は自分のクローンじゃなく、親と違う人生を歩む子を育てなければならぬ。現象面では跡を継ぐにしろ、自立とはそもそも、親とはべつの自分の道をつくりあげることである。」(p109)
「・・・『わたしの真価を認めてくれない』と言う若者がいる。ぼくからすれば、『それ、得やんか』。認められたら、つぎに使うカードがない。」(p162)
「心の教育にしろ、自分が人づきあいの中で気配りひとつしていないのに、もっと他人にはやさしくしましょうと説教を垂れても説得力があるはずがない。
少年問題にしろ教育問題にしろ、あまりにも相手を加工する対象として見すぎている。親がどうあるべきか、先生がどうあるべきか、自分の改善もふくめて考える視点からアプローチしたほうが、はるかに解きやすいと思うが、どうか。」(p169−p170)
「結局、なにをしても、人間は多少は迷惑な存在だ。ところが、いまの若い人たちは一種、流行語のように、『誰にも迷惑かけるわけじゃないし』とうそぶく。そういう君らが、ぼくにとってはすでに迷惑でしゃあない。世の中、原理的に迷惑をかけあいながら、なるべくスムーズに物事が動くようにするしかなかろう。人に迷惑をかけずに生きようなんて、思いあがりだとぼくは思う。」(p175−p176)
「・・・なにごとも、改革すれば、たいてい悪くなる。だから、ぼくはヘルメット学生をヤジった。
『造反有理で革命は正しい。しかし、これでは前半の真理だけだ。後半をつけとけ。革命政府は悪い政府や』」(p212)

いろいろな生き方がある、それを認めなさいというような事が書いてある気がする。
各自が自立的に生きていけばよい、いつも能動的である必要はない、、、
自分のことで言えば、出発が遅すぎたとの思いがあるから、カリカリが残っている。
別の意味から言えば、迷惑をかけすぎる人生が待っていることを自覚するしかない。
森先生に関しては、R君が入学した頃一度講義に出席し、あまりに興味深く、このままではのめり込んでしまいそうになると、以後行かなかったと語っていたことがある。
1+1=2になることを数学的に説明することだった気がする。
3つの条件というか何かで説明できるらしいことを、1と1の間と何やら…
理数的(受験用の)にはホドホド派の典型だっただけに、、、

2月3日(火) 今年の乾漆をどうするか

昨年までの約2年間は、麻布二枚造りに挑戦していた。
丈夫さに欠けるという根本的欠陥に気付いた。
大工をしている与史樹君によれば、床板の12mm厚はプカプカしてくることがあるが、15mm厚だと滅多なことはないそうだ。
麻紐を併用することに何か可能性があると感じた。
布の貼り合わせや1枚に糊漆をつけて動き具合を見る試験をして、布に癖があるらしいと気付いた。

完成している技法を習って、そのまま続けるのも一つの道だろう。
自分には、まだ解明できていないことが残っている。
型から抜いた乾漆素地は、刳り木地の類比なのか、それとも指し物木地の類比なのか。
たぶん前者であろうとは言える。
狂いの少ない指し物木地のような動きをする乾漆素地は出来ないだろうか。
側面と平地の布を、意識的に違うものにしてみたらどうか。
今のところ技術的には、そんなことを考えている。

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1月20日(火)  雑感 (−2/6)

全国紙ということでとっているY紙、正義の代理人面をしていて詰まらないのだが、一部には有益な記事が載っている。
「時代の証言者 日本画 平山郁夫」が連載中。
「私のつらい経験を、平和への祈りという一歩超えた形で表せないものか。玄奘の姿が漠然とイメージされました。心身とも逆境にある立場から救われたいという気持ちが、生涯のテーマとなる仏教との出合いに繋がったのでしょう。」
「『弓をぴんと張ったままでは、弦が切れてしまう。必要でない時、弦は外すもの。緩急をつけなさい。』
一生懸命上手に描こうとするのと、精神性を入れることの兼ね合いです。この言葉の意味は、ずっと後になって分かりました。」
「『戦争で日本文化が敗れたんじゃない。科学技術、生産力で負けた。日本文化は中国、朝鮮半島から伝来して何千年という背景がある。価値は不変。伝統、古典をしっかり勉強せよ』・・・『毎日写生せよ、一流のものを見よ、一番いい画材を買え、卒業までアルバイトをするな』と。」
「・・・谷・・教授・・・『誰しも一度は底に落ちる。人より早く進んで、落ちたと思えばいいじゃないですか。私が絵を描けるなら、美術史なんかやりません』と言う。」

「一歩超えた形」というのは,生きる上で大切なことだろう。
「緩急」をリズムのことかと思っていたが、はるかに深い意味があるらしい。
類比とか言葉の対応で(急―上手に、緩―精神性)捉える表現とも違う。

「先生は『最高賞をとった作品を見てみなさい。自分の絵と紙一重と思うようでは、まだまだ』とおっしゃる。」
「油絵には、ギリシャ・ローマからルネッサンスを経た西洋美術の分厚い伝統があります。・・・日本画は元来、飛鳥、白鳳、天平時代から外国のいろんな影響を受けてきました。・・・分母が東洋全体、分子が日本なんです。・・・文化はどうかと言えば、西欧が優位とは限らない。近代という分類では普遍的かもしれないが、多様性や質の面では必ずしも優れているとは言えない。ものを見るという場合、自分がないと相手の良さもわかりません。・・・表現のノウハウだけを輸入した文化は、本家に振り回されるんです。・・・」
「あの玄奘も不案内な土地に入り込み、・・・」

「千年にわたる仏教美術の粋を今に伝えるのが敦煌にある莫高窟です。・・・帰国後、国内で支援を訴えました。・・・先ず私財を注ぎ込んで自ら行動すると、迫力が違います。・・・
ある石窟で…色感から手の指の表現まで、法隆寺金堂六号壁の観音像とそっくりの菩薩像を発見しました。」
「楼蘭遺跡・・・千六百年前まで人々の暮らしがここで息づいていたのかと、何か懐かしい思いがしました。・・・
シルクロードを歩き続けたのは、日本の文化の源流を探るために必然的なことでした。・・・日本からはるか遠く、全く異なる風土の中にも、日本に通じるものを見つけることがあります。・・・」

「法隆寺金堂壁画を再現する・・・第三号壁の観音菩薩像を担当・・・
描かれた当時を思い浮かべ、本来の姿を想像する能力が問われます。絵の具…の退色、変色の具合を読み取る・・・」
「『広島生変図』と題した作品は、下の方に焼けた町並みをシルエットにし、全体を真っ赤に燃える炎で埋め尽くしました。右上には、超然として炎を見つめる憤怒の形相の不動明王を配しました。『生きよ』と叫ぶ不動明王は、不死のシンボルなんです。
生き残った者として何ができるのか。いろんな人のお蔭で突き動かされている自分に気づきました。・・・」

「・・・文化財や遺跡を守るには物だけではダメ。そこで暮らしている人々を救わなければいけない・・・
クメール文化の歴史を教える。私は小学校を寄付しました。自国に誇りを感じ、経済力もついてきます。やがて自力で立ち上がっていくでしょう。・・・
国際交流基金は日本文化を紹介したり、欧米の文化を入れて啓蒙したりすることに偏っています。・・・」

「高句麗古墳・・・世界遺産に登録されれば、開放政策をとり、一帯の非武装化も進めなければならない。
そんな条件でも『受けたい』と言う。守らなければユネスコで取り消せばいいのです。」
「・・・それが勉強です。余計と思われることもやらないと、自分がやせていきます。・・・優等生のまま文学者になれても、物書きにはなれません。仕入れがないと面白くない。・・・
生のものを浄化し、沈殿させることでその真髄を描く。非常に次元の高い日本画の表現です。自分たちのアイデンティティーを見失うことなく、外から吸収する。今後もしっかり自覚すべきことです。」

1/15に輪島漆芸美術館より届いた第21回の漆芸展。
受賞者がほとんど輪島関係、蒔絵・沈金作品。
自分の作品について思い出すと、朱が木魚の修理のままだったら、きれいな塗り立てになった気がする。
その朱が少なくなり、中国産の朱合い蝋色漆を使うのはこんな時ぐらいだろうと安易に考えて混ぜたのだが、予想以上の悪影響をもたらした。
Uさんはぐんぐん伸びている感じ。
色んな表現ができる人だと感じる作品もある。
エンレイソウといえば、北野先生から、入学した時の記念品などとして考えられないだろうかとヒントを与えられて以来、ずっと頭にある花である。
インターネットで写真を見ても、ハッキリしない感じだった。
「四季の山野草」の写真をスケッチしたりしていた。
去年のノート。


(デフォルメ 貝)強くする  次強  大きく目立たない色

大雑把に言えば、人の考えることはそんなには違わない。
アイディア倒れになるか、デザインとして完成するか。結果は大きく違って来るが、、、

1月4日(日) 北陸の人間国宝展(石川県立美術館)

石川県立美術館開館20周年記念「北陸の人間国宝展」の開会式が、今朝9時半に行われた。
8:35頃に家を出発。曇りがちだが、空が明るく、見易かった。
石川県に入ると晴れ出した。R8と旧道の分岐点で旧道側に入ると、道がすきだした。
遅れるかなと思っていたが、5分前には入り口についた。
駐車場がもう一杯なのか、待たされる。バックミラーで見ると、後ろはI先生。
割り振りが上手くいかなかっただけらしく、後からの車も何台も入ってきた。
中に入り、招待状の封筒を出し、パンフレットをもらう。今回図録が無いことは知っていた(友の会の案内)。
石川支部のH先生が、知らない顔ばかりだと横の人に話しておられた。
知事、市長、大場先生の挨拶などのあと、初代の為楽先生の銅鑼を鳴らし、テープカット。
3室のうち、中間にあたる部屋が漆であることが多いので、そこへ行ってみる。
正面に「蓬莱之棚」。こんなに身近でみるのは初めてだった。
意匠の意味は、蓬莱に松竹梅、鶴亀などを配しているそうだ。
亀は後亀山天皇の歌で表現されているそうだ。
構想からして別世界という感じである。
「平文薄の棚」を初めて見たのは、石川県の人間国宝展のときだったが、それまで悟りの世界の感じがする作品しか知らなかったので、こんな大胆なことを以前はしていたのかと、衝撃を受けたのを覚えている。
「鮒蒔絵水指」の説明を読んでもよく分からなかったが、他の所を廻って戻ってくると、鮒の形がはっきりと見えてきた。
僅かの線のズレが締まりをなくしたり、生命感を奪ったりする。
そういう決めるべきところをキチンと決め、柔らかく流すところもある。
デザインとは難しいものだが、テーマがはっきりしていることが前提だろう。
絵画の表現法を、技法に転換して表現するのが工芸だろう。
昨年の支部研究会で、甲の丸みが話題になっていたが、横から「竹叢」を見ると、緩く穏やかな形で、決して丸く盛り上がってはいなかった。加飾で膨らみを感じさせている。
個々の作品を論じる力は無いので、ピンポイント的に書き出してみた。
見応えのある展覧会です。
2月2日(月)まで、会期中無休。観覧料:一般600円…
大場先生を見かけたが、話中だったし、他の所を観ているうちに姿が見当たらなくなる。
最初にみた漆の部屋を出ようとしていると、ちょうど前先生がおいで、少し見てからニッコリとなさる。
新年の挨拶をしてから、遠くから、、、と仰ったので、近いですよ、、、
津幡の反対側あたり?そうです、、、
昨日、御利益があると有名だったので、倶利伽羅不動寺へ行ったそうです。
ひるどきのことは、そのとき思い出しもしなかった。
美術館を出るとき、かなり人の数は減っていたが、何時の間にか2時間以上経っていた。
対向車線は、金沢に向かう車で混んでいたが、こちらはすいすいと進む。
晴れていたので、倶利伽羅トンネルは暗く感じた。
後ろの車のライトも邪魔になった。
トンネルを抜けて富山県にはいると、曇っていた。
その先のトンネルは、新しい所為もあるが、明暗の差が大きくないので、苦痛ではなかった。

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