漆の話 2005年版

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パソコン作図〕 〔二つの展覧会〕 〔当番〕 〔高野山〕 〔アマチュア〕 〔石川支部展
案内状〕 〔いろいろ回る〕 〔形合わせ〕 〔1日目〕 〔二日目
三日目〕 〔1週間目〕 〔8日目〕 〔人間国宝〕 〔一筋の
熱中症〕 〔初の…〕 〔木工展〕 〔輪島での講習会〕 〔見学に〕 〔秋分の日
かすかな〕 〔祝賀会〕 〔オペレーター〕 〔算数〕 〔試験〕 〔雑感
電子レンジ〕 〔訃報〕 〔詐欺〕 〔試験結果〕

12月23日(金) 試験結果

洗濯物を乾かすため、ファンヒーターをつけながら除湿機をかける。
以前ラジオで、石油を燃やすと水分が出るから、除湿機をかけても無駄だといっている人物がいたが、事実として洗濯物は乾く。
現実と合わない理屈は、どこかが間違っている事になる。
同じ室内で気温が高ければ、飽和水蒸気量は多くなり、湿度は下がる。
放出される水分よりも、温度上昇による余裕の方が大きい。
落下する位置に洗濯物を吊るしてないとはいえ、監視の為にずっとその部屋にいた。
作品の箱書きをする事があるので、練習を兼ねて年賀状の宛名書きを筆でする。
相変わらず斜めに傾いていったり、、、
今までは2年続けて反応がない場合に切ることにしていたが、お金もないし、その上パソコンをリカバリーして住所録や年賀状の記録も消えてしまったので、前回ないのはそのように対処する。(喪中は葉書を保存している)
二日に1回ぐらいで軽い頭痛が続いている。
ひょっとしての可能性もない事はないだろうが、子供のときも割合頭痛を感じていた。

夕方郵便が届く。
残る試験の結果だった。
当然の事ながら1級のはない(どう考えても、2割前後しか作図できてない。甘く見ても3割。)。
2級の方は点数予想まであたり、丁度80%の正解だったとある。
座標の問題は、落ちついて少し時間をかければ何の問題もない(といっても、時間内には出来なかったが)。
三面図で立体を想像する問題は、それまで何とかこなしていたのに、あの時は見当もつかなかった。
同じできないでも、意味が全く違う。
3DCADによるモデリング問題、積で、最初の答えであっていたのに、直前に直し、時間切れ寸前に直さなくてよいと気付いたが、後の祭だった。
総合7割で合格と事前に発表してあったが、最低9割取れないといけない。
いちゃもんをつければ、作図法の問題にしたって、わざと面倒な方法を使っているとしか思えない。
多分解答を見てしていたのだろうが、講習中の図形(数学)問題の解答も、簡単な事をわざわざ回りくどくやっている事が多かった。
だいたい中学程度の数学で十分な世界なのに、全体を関連付けずに、その問題毎にバラバラな解法をしている。
兎に角、社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(Japan PersonalComputer Software Association)のCAD利用技術者試験2級の合格、「CAD利用技術者補」の称号が付与された事になる。(合格率は例年4割から5割で、難しくはない)
エクセル2002スペシャリストとAutoCADオペレーターと3つ合格。
それでも仕事はないというのが現実。
仕事は自分で見つけるもの、作るものというのが、人の生きる道なのかもしれない。

12月21日(水) 個人情報保護法詐欺(?)

CADの仕事がないかを調べに行く。
県西部で22件あり、一つ家から近いのがあった。
窓口に持って行くと暫くして、この募集は女性と指定があるとの事。
書類上は、どこにもそんな事は書いてなかった。
CADの仕事自体が女性の応募を求めている感じがする。
講習でも、少し図が複雑になれば、個人差が大きく出ていたから、募集する側の単純な思いこみ通りに仕事がこなせるわけではない。
叔母の所に寄り、どうなる事やらと話していた。
知人に電話してくれると、そのお宅の200メートルほど離れた所にあり、何やらガタンガタンと音を立てているそうだ。
ホームページがあると書いてあったので、帰宅後、見る。
CAD/CAMの専用ソフトを使っているようで、こりゃ何とかならないかと電話しても駄目だと思った。

午後、エクセルのエキスパート向けをしていると電話が鳴る。
親しげに「にほんりサーチです。・・・(私の名)でいらっしゃいますね。、、、」
しんし録に掲載しているのが、個人情報保護法で掲載を希望されないなら、そのように手続きを取る。北陸地区の担当の者が回ってきても、その手続きの書類を見せれば、断ることが出来る。今まで掲載していた料金、日本画や陶芸と違って漆だから4万5千円で手を打ちます、、、」
平成7年に申し込み、それから5年ごとの更新の申し込みがない、年の掲載料は3万5千円とか、ありえない話が続く。
実際に申し込んだことがあったのは名古屋でそっちの方は必要なときに書類が届く。
北陸というし、社名が違うし、「申し込んだ事があるのはコージュンシャだ。そんなら、どんながに載っとるがかユーテミィ。」「漆、、、」具体的な事は答えないので、「詐欺やろ。どこにある会社かユーテミィ(言ってみろ)」と興奮して怒鳴りつけたら電話が切れた。
メモしようと鉛筆を手にしたが無駄になった。
今度は書類で送ってくるかもしれない。
掲載後に請求するなんて聞いた事はない。一度も請求書が来ていない。
もし本気でしているなら、その会社は倒産寸前になろう。(詐欺以外考えられない)
有料で申し込んだ事があったのは3つある。それ以外は、全てそこから情報を無断使用しているのだけだ。
個展でも開くときに利用できると思い、申し込んだのだが、無駄だと分かった。
東京にでも進出する機会があれば、役に立たない事はないだろうが、、、

12月17日(土) 訃報

昨晩、工芸会の支部から連絡があった。
訃報というのは大抵会員の家族(親)の場合が殆どである。
名前を聞かされても何の事かわからない。クモ膜下出血だったそうだ。
父の入院中に病室のテレビで、受賞後、制作シーンが地元のニュースで流れていたこともあった。
還暦で何とかと話されていた。
10月の祝賀会が終わって、ホテルの通路(ロビー?)でちょっと話したのが最後になる。
以前、水差しの蓋を塗ってあげた事が一度だけあった。
カシューとは別世界と感じたものだ。
雪がひどそうだし、インターネットで場所を調べると遠い上に、山にも近い。
弔電だけにさせてもらう事にした。
まだまだしようと思われていたことも多かったはずです。
野崎さんのご冥福を祈ります。

12月1日(木) 縄胎は電子レンジに対応できる?

石膏の水分を抜くために香合の作業は休止中。
次の作品も浮かんでこない。
エクセル講習になり、帰宅後の復習に3時間ほどかかる。
完全に漆の仕事は停止中というところ。
頭で考える限り、縄胎は電子レンジに耐えられるはずだと思っていたが、自信は無い。
作業途中で放ってあったのを利用して、牛乳を温めてみた。
一昨日は30秒ほど、昨日で100秒ほど。
何か音がした感じで止めたが、どう考えても別の所の音としか思われない。
今日は覚悟を決めて、150秒待つ事にした。
何ともなかった。熱くなってはいた。
どう考えても、乾漆の熱処理よりは刺激が弱い。
問題は何回耐えられるかという点だ。
酒の燗が出来るかどうかも、今のところ分からない。
余り飲む事がなくなったので、あまり関係ないが。

11月27日(日) 雑感 

もうすぐ12月だから寒いのも当たり前かもしれない。
基本的に日中は暖房をしないので、たまに日が差しても、雨が降ったりで、やはり寒い。
オペレーターの練習の作図の復習。
次の作品の事もあるし、四大文明展の図録を見たりしていた。
壺や碗など、日本でいえば、弥生時代を思わせる形が多い。
縄文時代のような火炎をつけたようなのはなく、具象的なのは、動物や人物。
形は機能で決まる感じで、それに具象的や抽象的な模様をつけている感じだった。
砺波支社のギャラリーで今日まで開催中のNさんの色紙に、美を追いかけて逃げられるより、仕事を追いかけて来る美というような意味の事が書いてあった。
A紙(日曜版)に、鉛筆画のKさんの言葉に「良いデッサンはモノトーンでも色を感じさせる、色をも凌駕する」
色を感じると得意そうに言う人がいるが、それだけならわざわざ白黒で表現する意味がない。
感じる事を色を作ることで表現しようとする人は、何をしている事になるのかと思ってしまう。
こういう深い言葉には、理解できなくても、別の世界があると感じさせるものがある。
時流に乗っているものは、昔から、これを見てどこが優れているか理解でいないものは、この世界にいる資格がないと得意そうに言っていた。
説明しない事で、自分の優位性を誇示する。
引用した言葉が示す世界とどちらが残るのだろうか。

11月20日(日) 利用技術者試験

CAD利用技術者試験の日の朝。
県美連展作品が戻ったとのTELが金曜日にあったので、取りに寄る。
どんな仕事でもするしかない感じかもしれない。
30分前までに集合するようにと受験票に書いてあったのに、集まりが悪い。
最後の人は開始時刻定刻に入室。
2級試験。甘く見ていたという感じで、分からない問題がかなりあった。
立体を想像したり、それから図面を想像するのは、2級レベルでは対応できたはずなのに、全く駄目だった。
隠れ線なんて、考える気にもならないくらい(焦り)。
すらすらと進むのは、苦手のはずの記憶に依存する知識の方だった。(合っているかどうかは別)
座標を細かく書いてあるのは、方眼紙にでも作図するか、時間をかけるしかないのはいつもの事。
今日は時間がなく、勘で答えておく。
図形の計算問題も、一題が分からず、後回し。
最後までいって、解き残しの数題をしていく。
作図法の問題なんか、半径80の円と60の円の間に半径25の円を2個接円で配置するというので、解答を二つ比べて、25が共通するから80の方の同心円を55、60のほうの同心円を85にしてしまった。
帰ってから作図してみると正しかった事にはなった。
(二つの円の配置を決めるため、80の円を描き、内側に接する25の円を描き、それらに接する25の円をもう一つ描き、二つの25の円に接する半径60の円を描く)
図形の思いつかなかった計算問題は、考えてみると、中心角と円周角の関係が気付き難く描いてあるだけだと気付き、簡単に分かった。
自分としては95パーセントはとるつもりでいたのに、分からないのだけで数題、確信が持てないのもかなりで、80%がよいところかもしれない。

昼はIさんと昼食に行く。
生まれは駅南だそうで、昔は田圃しかなかったなか、前田墓所や瑞龍寺などを遊び場にしていたそうだ。
どんな仕事をしていたとか話す。
伝統工芸は不況(昔は鍛金をしていたが、その後図面関係、、、)

1級試験。
問題を見た途端、これは駄目だと感じた。
円を円弧に沿って並べる方法は、全くわからず。
斜面に段をつけて並べ、その中央を正方形を45度傾けた状態で突き抜けている。
分かる範囲で作図したが、平面図は考える気にもならなかった。(時間切れ)
実感として、5時間かけないと作図できないような問題。
これは100パーセント駄目でした。

帰りの車で、円を並べる方法を思いついた。
CADで、計算式を立てるはずがないと思ったとき、接・接・接(線)だと気付く。
円弧を円の個数に対応するように区分けし、円の両側を通る中心線を引き、それを延長する。
その2本の線と円弧に接する円を描けばよい。

作図してみました

問題はそれからも続いているし、仮令、時間内に思いついても、合格ラインは遠い。
それさえ出来なかったのだから、、、
帰宅後、庄川の鮭まつりに行き、柵で上流にのぼれないようになっているのを見てきました。
庄川は岐阜県から新湊まで流れている川、場所は・・・
今日は漆をする気力はありません。

11月13日(日) 算数を作ろう

今度の日曜が、CAD利用技術者試験。
よほど簡単な問題でない限り、1時間に作図するのは無理と分かってきた。
火曜日のは、絶対に受からないと確信できるレベル。
木曜日のは、七割ぐらいは出来たかなという簡単さ。余りに違いすぎる。
合格率の資料で、12%のときもあれば、28.7%もある。大体20パーセント弱。

出品の方も、昨晩の上塗りが、今朝は乾いていなかった。
今日の荷造りは諦め、少しだけ暇になった。
ゴミがつかないように、金曜は拭き掃除だけ。
昨日は、掃除機をかけ、塗る前にまた床の拭き掃除。
品物のゴミ取りは、掃除機の吸い口ブラシをつけず、ノズル取り付けの管で直接吸い取るという方法を何時の頃からか実行している。
この前Yさんに話した方法。
乾かし方も難しい。早くても遅くてもいけないので、アクリル板の窓から覗いている。
朱は少し黒ずんだが、今のところは縮んでないような感じ。
刷毛跡に少し力がないような、、、
透き漆は粘り、朱はそんなでもないので、轆轤での暈しがうまくいかず、最後は手で回して塗った。
半ば乾いているとき見ると、すごい糸屑がついていた!

昨日は、「算数をつくろうコンクール」金賞の、中学生が作ったという問題を解く。
Y紙の11.9(水)のサイエンスに載っていた。
「半径6センチの円を基にしてできた6つの菱形あります。菱形同士が接していない一辺に菱形と一辺の長さが等しい正方形を12個描きます。正方形同士が重なって出来た四角形には小円が内接しています。」
正方形からその重なり部分を除いた部分と、円の合計面積を求めよという問題。

こういう形が6組ある。(赤の三角形とその左の三角形が正方形の重なり部分、つまり「正方形同士が重なって出来た四角形」)
半径6cmの円の内側には、菱形の半分、つまり正六角形(正三角形が6個)。
菱形の一辺が半径になっていて、正方形の一辺の長さも6cm。
面積を求めるのに必要な部分を取りだし、その一塊が上の図(6組の内の一つ)。

正方形から重なり部分を取り除くためにまず赤い三角形の面積を求める。
全体の図があれば分かり易いのだが、正三角形の60度と正方形の90度の関係から、赤い三角形は正三角形を半分にしたものと同じ。
一般的に言えば、斜辺:底辺:高さ=2:1:√3の直角三角形。
図で言えば、右斜め上の辺が2√3になる。(右斜め下は正方形の一辺なので6cm)
赤い三角形の面積は、6×2√3÷2=6√3
それがもう一つあるので、12√3.
一つの正方形から重なり部分を除いた面積は、
6×6-12√3=12(3-√3)
それがもう一つあるから、24(3-√3)
全体では、こういう塊が6組あるから144(3−√3)

内接する小円の半径を緑の線で示している。
緑の線と赤い右斜め下の線は、接線の関係から直角。
最初の赤い三角形と相似の三角形を作る一辺になる。
小円の半径をyとする。緑の下側の長さは√3yになる。
緑の線の上側の長さは、右斜め上の赤い線が接線でもあるから、y。
√3y+y=6
y=6÷(√3+1)=6(√3−1)÷(√3+1)(√3−1)=3(√3−1)
小円の面積は、3(√3−1)×3(√3−1)×π=18(2−√3)π
それが6個あるから108(2−√3)π

求める答えは、144(3−√3)+108(2−√3)π
正確な数字は出ないが、だいたい273.4977平方センチメートルとなる。
AutoCADでの面積計算でも同じような数字が出た(CADはmm単位だが)。

今日は、3要素(円とか円弧で3個)への接円を作る方法を考えていたが、無理だった。
金曜の講習の作図問題で出来なかったのも、出来るだろう接円の側からどんな円(同心円)を描いていけば接円になるかという発想の感じがしたので、そう考えたりしてみたのだが、、、
高校の数学なんて全く残ってないし、そのレベルで可能かどうかも見当もつかない。
漆の方は、これで暫く楽になる。
CADがデザインに使える感じが全くしてこない。
製図としてもどうなのだろう?

10月31日(月) オペレーター試験

土曜日はAutoCADオペレーター試験。
午前中は自宅で緊張のしっぱなし。
午後からの本番は、逆の落ちついた感じでいられた。
最後に来て難しい問題にあたり、解けなかった。
県の美連展の出品作を預けに吉川さんの所に行く。
久し振りに黒漆がどうの、透き漆がどうのと漆の話をした。
薄暗くなりかけ、庄川沿いを帰る。
解けなかった問題を解くヒントが浮かび、帰って試す。
上手くいった。

昨日は酒も飲まないのに二日酔いの感じの頭痛が続いた。
子供も見たいというので、母と3人で金沢に行く。
雨なら一緒に行くと電話のあった利喜夫君は、曇りで駄目になった。
丁度9時半頃美術館に着く。
まだ駐車場に余裕があった。
頭痛の所為で見ていても余り感じる事はなかった。
自分の作品は、甲の朱があと2oほど外に広がっていればよいなと感じた。
疲れたので、2階のコレクション展は行かず(一応、無料招待券2枚あったが)。
曇り後雨どころか、晴れ出した。
帰宅後、食籠の中塗り。
夕方からは、妹の家の祭りに行く。
飲めなくなったというより、アルコールが分解できないようになったのだろう、たまに自宅で1合(換算で)ほど飲めば、翌日は確実に(?)二日酔いになる。
ウルソ入りの胃腸薬を飲んで、酒に備える。
3回ほどに分けて飲めば、酒はほとんど残らない。
それでも今日は、何となくだるかった。
昨日の頭痛よりはずっとましだったが。

10月18日(火) 昨日、祝賀会

前を歩くYさんに追いついて、一緒にエレベーターのところへ行く。
係の人に案内され乗ると、S藤さんもおいでる。
4F全体が貸切状態で、見なれない人で溢れていた。
会派を超えて好かれる人柄もあるだろう。
県内在住者としては2人目の認定(出身者としては5人目らしい)。
原稿も見ないでにこやかに挨拶をする知事から始まって、会が進行して行った。
熱く燃える心という御本人の挨拶が印象に残った。
席の名簿からいえば240人以上の出席(新聞記事では230人余り)。
横に座っていたKANADAさんにCANADAの話を少しした。
日本人の方が麻について知らない。
京都出身のKさんから、東京と関西では金銭感覚が違う、関西の1000円が東京では10000円、東京の人は平気で10000円を使う(関西人の1000円の感覚で)、東京へ出るべき、、、
一輪挿しに縄胎杯を使っている(ビールの季節が終わったので)というので、水漏れが心配だというと、今のところ大丈夫との事。
お開きになり、下の喫茶店で話す。
今パソコンを習っていると言うと、驚いたようだ。
ピンチこそチャンスという意味のことを言われる。
自信を持って、にこやかな顔をして、、、
パソコンなんかをしないで、生活の為に小さいものを、、、
Yさんとまず二人で来年にやってみようかという事になる。

人間国宝認定記念祝賀会

10月9日(日) かすかな

講習のCADと家のCADでは、作図の能率が10倍近く違う。
数分で終わるのでも、家では1時間以上かかる。
2級公式ガイドブックに載っている作図程度なら、時間はかかっても、家ので出来る。
正面図のみDesignCADより直接画像を取り出してみた。

電話があり、東京から戻って来たので、何時でも取りに行ってとの事。
ほとんど諦めムードなので、冊子の受け取りもあるし、午後から出かける。
東京で認められないなら、職業とすることは不可能だとの思いはある。
自分では好きだし、内底に貝の模様を貼ったりしている。
ただ筒に紐を巻く何て言う安易な仕事をしているわけではない。
寄付したのは喜んでもらえたような反応が無い事も無かった。
駄目なら、CADの仕事で何とかするしかない、年金や保険の掛け金、税金、、、
人のしない事をして認めてもらえないなら、説明すればよいのかもしれないが、使う立場から言えば、感覚の問題であろう。
帰ってきたものの写真です。

9月には、ひょっとして、、、が上手くいかなかったし、、、
少しだけ心にゆとりができたような感じがしたので、戸出のhyakumanボルトに寄る。
CADの説明書は並んでいたが、問題集は見かけなかった気がする。
たぶん春以来で、miraにワックスをかける。
椀の内の麻紐巻き(貼り)を終わらせる。
こういう仕事は初めてだが、有効かどうか?
役立つと思うからしてみているのだが、、、

9月23日(金) 秋分の日

昨日までは少しずつ下のギャラリーに顔を出していた。
少し出かけたときに限って、来客があったりしたそうだ。
地元のケーブルテレビの収録があり、この3日間の連休も来客が多そう。

昨日は、郵便が多く届いた。
人間国宝認定祝賀会、この件は荒木さんに少し前に聞いていた。
知事の予定に合わせて日が決まったとも聞いていた。
庄川美術館の件も、以前館長から電話があったので、知っていた。
祝いを頂いていたお礼に贈った縄胎杯への礼状も。
壁に吊るす花生けに使いたい感じがするが、縄はもっと荒めのほうが向いているかも、、、
もっと深い方が良いかも、、、思いもしない見立てといえる。
弱気にならず、個展をすることですとのこと。
値段がたぶん合わないのだろう、現代とは。
今日から始まっている工芸士展で今後の道が決まるだろう。
純粋な作家(金銭とは全く関係のない作品制作)しか道はないかもしれない。
CADを使いこなせれば、実際楽しい感じはする。仕事は別だろうが、、、

今日は曇り勝ちの上、雨も降る涼しい日だった。
午前中は、腰に低周波治療器を当てながら、家のCADソフトをしていた。
空間図形は、高校のときは不得意という事は無かった記憶がある。
今は何も残ってないが、、、少なくとも恐怖感は無い。
といっても、自分で数値設定して描きたい画像が描けるわけではないが、、、
イラストレーターでも、昨日の五角形の回転をしてみたが、苦労した。
操作法をほとんど知らないので、はっきりは言えないが、線の削除が出来ない!
(今日のCADのページにも、少々記述)
難しい作図は出来ないくせに、簡単だと阿保らしい気がする、、、

9月17日(土) 見学に

昨日は、昼に下のギャラリーの荒木さんのところに行く。
Oさんが見学中。新聞にかなり大きく出たそうで、来客も多いそうだ。
Oさんはある事情で、こちらは手元不如意で東京へは行かない。
夕方また寄ると、Hさんが見学中。
芳名録には知った名が並んでいた。
Tさんという方もおられ、土で作ったものがン百万になり、それこそ何百年とか千年以上育つのにかかった木を使うものは安物に見られるのか、、、家元の、、、
倒産などで機械がそれこそ一万円程度で売りに出されているそうだ。
輪島のスーパーのリサイクルの店では、大きい膳のようなものが何千円だった。

帰宅すると電話があった。見学に行っても良いかというもの。
盆から一応可能性はあると思ってはいた。翌日(つまり今日)かなという気もあった。
棚の上に積み上げてあるダンボールにしまってあるのを下ろす。
乾漆食籠の箱を並べる感じになる。あと水差しとか、、、
向こうの両親と友人夫婦、それに3人で、計7人。
本展初入選の作品を箱から出す。反応がある。
もう一つ食籠を出し、48回展の水差しも出す。 beautiful !
hempも見せる。
石膏原型も残っていたので並べる。11月までの乾漆食籠の素地を並べる。
小さいものが無いかと言う。
bowlとか棗とかの中塗りまでのを出す。
完成品として、亀を出すと、友人のwifeがturtle好きと手に取る。
瓢箪に漆を塗った(垂らした?)のもみせる。plantと説明していた。
出品作の値段を聞いて、手がさがっていった。(安い)車一台。
どこで習ったとか、何年かかるかとか、友人の方も、一月前のDさんと同じ質問をしてきた。
物事にチャレンジしたい気持ちと合理的な計画性があるのかもしれない。
自分の経歴はかなり異常なので、説明は難しい。
小品にしても、まず売ることを考慮に入れてないから、自分でもはっきりしない。
あまり安く売るくらいなら、プレゼントした方が増しとも思える。
また元のように積み上げる。無理な姿勢をしたからか、数日前のくしゃみで始まった腰痛が悪くなったようだ。

今朝も腰痛が治らないまま。資源ゴミを集積場所まで運ぶ。
昨日までのCAD講習の復習の続きというか、赤い線を引いて弱いところを目立つようにする。
砺波へ米とおかずの材料を買いに行く。10キロを運ぶのはそんなにひどくは無かった。
座っているのから立ち上るのが困難なのである。
インドメタシン入りのを買いに行く。
腰痛体操を習う。伸ばしたりする感じと腹式呼吸の組み合わせが大事だそうだ。
帰宅後、昼食作り。また悪化。
低周波治療器を久し振りに出し、こうしてパソコンに向かっているのです。

9月10日(土) 輪島の講演会に

スタンドで給油。空気圧を高速用にしてもらう。輪島へ行くと話す。漆?・・・
津幡経由で2時間半ほど。パンを買う。
駐車場で昼食を取っていると、車が増え出す。
見た事がある気がする人はかなりの人を連れて来た。
いろいろ人と話していることから類推すると輪島にいたTさんかもしれない。
図録1000円と入場券500円。
一回りしてもアナウンスが無いし、疲れてくるし、、、(時計が見つからない―後から見るとビデオの後ろの壁にあったが)
会場に行くことにした。まだ空いていたので、スライドが見やすい場所に座る。

小さい頃から石に色をつけたり、手で物を作ったり、絵を描いたりするのが好きだったそうです。
中学3年のとき、美大出の先生が、5×5×10(高さ)ぐらいの石膏を渡し、彫らせたそうです。白の美しさに魅入られたそうです。
地球を何人かで支える、誰かの作品を真似たような彫ったのだが、裏を掘る刀は自分で裏が削れるよう工夫して作ったそうだ。
認められ、県工への進学を奨められ、そこで陶芸を習ったそうです。
九谷の上絵作家になりたくて、美大の日本画科に入ったそうです。
地元に戻り、中学の先生、養子に入り、沈金(漆)の面白さを知ったそうです。
実業高校の先生として18年勤められたとか。
作家として、伝承だけではなく、何か新しい技法が無いかと試行錯誤したらしい。
角鑿という、中央が少し山になったようなのを考え付き、竹の葉などが切れ味良く彫れるようになったような話(違っているかもしれない―1度に中央付近が深くなるように掘れるような、、、)
創意工夫が必要だという話でした。

展示会場に場所を移して、続き。
階段で会ったOさん、昨年は冒険をしすぎた、、、
最初の受賞作、「稲穂に雀」。寺井先生に葉の先を鋭くしすぎないようにとアドバイスを受けたそうです。金地は蒔絵の人にしてもらったそうです。
作品を改めて見なおすと、別に丸くなっている事は無かった。微妙な差、感覚の問題なのだろう。
金を細かく使い分け、微妙な差を表現をするのが日本的なのだろう。
白漆に素彫りの「朝霧」が一番好きだそうです。彫ってないところはない。
保持者賞の「十六夜」と、「萩衣」も好きだそうです。
同系色的な中に陰影がある表現、いわば墨絵的な感じが好きなのかもしれない。

終わり階段を降りると、前先生がおいでたので、挨拶に行く。
暫く考えてから、富山の、、、
友の会に入っているから講演会の事を知ったことを話す。
3時頃に輪島を出た事になるが、雨が降り始めていた。
途中、前が見えなくなるほどに降っている事もあった。
高速は危ないと考え、その上、暗くなるまで時間があったし、下道を帰ることにした。
田鶴浜辺りで雨は止んだ。
羽咋から氷見経由で帰る。こちらの方が少し近そうだ。
冬は山道だから危ないだろうが。

画像はここを見てください

8月27日(土) 砺波・高岡と回りました

眼科検診。内科の方が混んでいる感じだった。
職anで言われた認定に関しては、視野に関しては厳しいそうだ。
途中が無くなっていることは考慮に入れられてない、つまり法律の不備らしい。
少し条件が悪くなると、対応力が極端に落ちることは問題にもならないらしい。
早めに終わったので砺波市美術館へ行く。
「第8回 NEXT展 日本画・京都からの表現」
大作がほとんどで見応えがあった。
縦長(3メートル以上あるか)の、炎の感じのが一番気に入った。
揺らめく光にひきつけられるのとその先や下が消えていったり、暗かったり、、、
常設展で開催中の米道さんの木工芸展。

 北陸の匠に掲載
土日は来るつもりだそうです。
香合から大きい座卓(2メートル以上?)まで。刳り物、彫刻物。
木の種類が130ぐらい、数で200以上の木片が並べてもあります。
欅でも目の詰ったのがあり、欅ではないと言われる事もあるそうだ。
崖とか砂地とか悪条件で育つとすぐには成長せず、目が詰ったものになる。
植物でも甘やかせて水ばかりで育てられたのを、厳しい条件で生き続けられるようにするには半年から2年ほどかかる、、、
ウルシノキを手に入れるまで10年探したとか。
黄檗皮は水分がたっぷりとついているうちに加工する必要があるそうです。
隙間埋めには、欅のサンダーがけの粉を漆と混ぜて使うそうです。
蔓で留めを作ったり、リングを作ったり、、、

午後はファックス注文しておいた木箱を受け取りに高岡に行く。
自分で運転していくのは久し振り、途中無くなって整地中になっている建物もあった。
昭和町で左折した先の工事中のところは、相変わらず進行していなかった。
受け取ってから、”スペース”での堀田先生の個展に行く。
デッサンと彫刻(彫塑)の小品。
I先生に値段がついてないと言われ、後から付けたのを見てみました。
一番気に入ったしなやかな感じの横座りのトルソ、40となっていました。
山歩きが好きで蘭系統を集めたりしているそうです。
中学校の宿直の話、プール掃除の後の事、、、
戦後民主主義がどうだったと一まとめにしていう議論がまかり通っているが、いまどきこんな先生はいない。

8月12日(金) 初の受注製作に・・・?

二日前に、帰ってくると妹から間接的に聞いたので、その日に上塗り。
電話をしてから、夫婦椀を持って行く。
紹介で聞いた名にeasy。
椀を手にしてcool。
見学したいような話。
裏底を見て(signがない、、、という感じで)、artist何とか、、、
woodの椀に麻布を貼っている。hempと言うと頷く。
貝で名前を入れていると姪が説明すると、shiny。
材質は何か?多分栃と言う。電子辞書を見てchestnut。
乾漆は麻布5枚から8枚ほど貼って作る。
粘土で形を作り、石膏に置きかえる。石膏は、、、plasterか?
(話が前後している。石膏を調べるために電子辞書を姪が取りに行ったのだった)
型を抜くとき、石膏をbroken?と聞いてくる。
お母さんが伝統的なものが好きらしい。
jewelry boxを作ってくれというかもしれないそうだ。
9月に皆で見学に来るかもしれないとの事。
それまでに椀の裏にsignをする事にして持ちかえる。
speechを頼まれたが、、、

カブレが一番怖いというところ。
どんな気候にも耐えられるためには、麻布だけではなく、麻紐の補助がどうしても必要だ。
収入にはつながらないかもしれないが、本物を世界に広めるのは大切だと思う。
何かのつながりが始まるかもしれない。

8月3日(水)、4日(木) 暑い

昨日、漆を語る会から郵便物が届く。
まだ会費を払っていない気がしていたので、やめようかと考えていた。
会費の振り込み用紙とともに「漆かき職人の一年 -大森俊三の技術」という冊子が入っていた。
まだ少し読んだだけだが、興味深い感じである。
ビデオもあるらしいが、今は物を買おうという気持ちはわかない。
IさんのHPのOさんもそこで習ったのだろう。
Oさんには、漆芸展の最終日に会場でUさんに一緒に働いている(当時)と紹介されたことがある。(以前 Iさんに確認)
曲輪のOさんと関係あるのかと聞き、無いとのことでした。
「備中 漆掻き」(丹下民雄著)といい、この会は思いもしない本などを送ってくる。
今年は城端の白漆(蒔絵)が漆文化セミナーの中心という案内も先日あった。
参加はできないが、今年度の会費は払うことにするか。

このところ35度を超える日が続いているようだ。
風が通ると何ともないが、あまり流れがよくない。
朝は日が入らない風呂で作業をしたりする。
エアコンは昨日の上塗りで使ったのが、今年の初使用。
生活では冷房は使わない。

金曜に修理に送った複合機ファックスがもう直って届いた。
印字のズレが問題だったらしい。
今日は縄胎の仕事を主にしていた。
昨日の上塗りをなるべく乾かすためである。

8.4 昨日のためしてガッテンで熱中症についてやっていた。
汗をかいて塩分が出た後、水分を取ると、血液が薄くなると脳が判断し、うまく吸収されないらしい。
塩分を含む水分を飲むことで、血液濃度が上がるのを防げるらしい。
生活で、冷房に慣れすぎていると、汗をかくのが上手くできなくなるらしい(脳)。
無駄な汗をかくだけで、体温の低下に役立たないほどらしい。
年をとると、温度変化を感じるのが悪くなるそうだ。
温度計を見て、適度な水分補給(血圧を上げない程度の塩分を含んだ)。
足とか下の方から順に汗をあまりかかなくなるのが加齢といえるようだ。

ためしてガッテン
今日は、朝2階の窓などを拭いていてかいた汗は無駄な汗だった?
少し塩を混ぜて麦茶を飲むと、だらだら流れる汗は出なくなったが、、、?

7月21日(木) 一筋の・・・

午後から、職anの初回講習会。
若い人から老齢者(?)までかなりの人が集まっていた。
受付をしてから、番号札を受け取り、呼出し後、パソコンで探すのは求職にあたるそうだ。
仕事は専門職と労務はあるが、事務系統はほとんどないそうだ。
職業訓練の案内もパンフレットに載っている。
CADというのがあり、目をつける。
4時頃に終わり、ほとんどの人は帰っていく。
担当の席に行き、CADの件を聞く。
まだ一人しか申し込みが無く、大丈夫だろうとのこと。
月曜から金曜、朝9時から夕4時まで。8月23日から12月19日まで。
エクセルができることが条件だそうだ。
仮受付をし、来週の認定日に申込書を持ってくればよいそうだ。
これでぶらぶらした生活から解放される気がする。
自営といっても、見通しはゼロ。
どうするか、かなり苛立っていたが、猶予ができる。
computer aided designを独学で身につけるのは、無理だろうと思っていた。
習うことができれば、仕事につながるかもしれない。
高度な講習ではないらしいが(別のは、半年コース。10月から)。
自分で売るという自営は、はっきり言って向いてないのはよく分かる。
使ってもらいたいという気はあるが、値段に関しては、確信が持てない。
買ってもらえるという当てが無いまま、作ることには張り合いが無い。
プレゼントして、感想はどうですかとなってしまう。
問屋の下請けや、カシューの世界なんていう、過去の繰り返しはあほらしい。
(もっとも、問屋の仕事はまず無いが)
CADの基礎でも身につければ、仕事の可能性は高まる。

7月16日(土) 高岡に鋳金の人間国宝誕生 (7.17にコピーを追加)

毎日

7.13(水) ジオログの曇り一時雨の日に よりコピー。括弧に説明を追加。

昼少し前に、自転車で郵便局に現金書留を出しに行く。
昼過ぎに、郵便物が届いているのに気がついた。
最初、何が書いてあるのかわからない。
(重要無形文化財保持者・・・の特集紙面協賛のお願い)
(お祝いの)電話(を)し、それからY川さんに電話で(どうするか)相談。
(賑わしい方がよいとのこと。前日に高岡支社の人が直接来ていったそうだ)
結局、fax送信。
夜、別の方面から電話が入る。
(支部で、15日夕に新聞写真などをかねてお祝いに集まる、来られる人だけだが)
仕事の始末をしてから、電話連絡。(Hさんの代わりに漆芸部会の人に)
あと2日間は発表できないことです。
全国ニュースですから、お楽しみに!

7.15(金) rpのページから関係部分をコピー。 全体は7.15

3時半頃家を出、叔母の店へ寄り、祝いの清酒券を買う。
従姉に昔あげた縄胎コップへの感想を聞かせてもらう。
軽いし、熱の伝わり方も柔らかくて良い。お年寄りに向いているかもしれない。
旦那(従姉の夫のこと)さんは、中が黒塗りだとお茶の色がわからない。白にならないかとの事。
母もいて、口がきちんとしていないと安物に見えるとの意見。そうしてないのが自分の感覚だったが、、、
4時10分過ぎに出発し、下伏間江へ。
Y川さんが見えたところに駐車できそうなところがあったので、そこにとめる。
タクシーの運転手さんが出てきて、何があったのかと聞いてくる。
今度、人間国宝になることになったと言うと、にっこりと納得した顔。
庭に入り、支部の人と顔を合わせたりしていると、知事が出ておいで、孫さん達に愛想を振りまいておいでた。
新聞社の取材、撮影、、、
作業場は、仕事内容が分かりやすいように並べてあった。
年に1回、美連展の作品を預けにいき、3,4時間話していた場所。
市長もおいで、光民さんがステンレス釘のことや少し融けて柔らかさが出ることなどを話されていた。
写真を少し撮ったが、全部手ブレ。
ずっと中継車がいて、テレビで以前よく見ていた顔の人がいた。亜由美さんだった(元アナウンサー)。
その中継は6時22分頃からで、皆でテレビで見ていた。
暗くなる前に帰る。他の人はほとんど残っていた。

焼き型鋳金師

7月8日(金) 8日目

後3日しか残っていなかったので美術館へ行く。
「天使がいた時代 ヨーロッパ絵画−バロックから近代へ−」
10時頃着いたがあまり人がいない。そのうち人が増え出した。
説明書きを読みながら観ていったが、時間がかかるので絵だけにした。
描くものに含まれる意味があるらしいことは、西洋画に関して聞くが、岩波新書のことはとっくに頭から抜けてしまっている。
第1室の終わり頃、T沢さんとY本さんがおいでる。
目のことで製作に向かう心構えが違っていますかと聞かれたが、自分はまだ甘いですと答える。
時間があるようなので、ゆっくり観ていってください、、、
次の部屋に向かうところでT川さんが出ておいでる。やぁ。
宗教画より観なれた近代的な絵の方が心地よく感じられる。
三角の構図、遠近法などきちんとした絵が多い中、緩やかに川か池沿いに木々が自然に描かれている絵が一番好きな感じがした。
印象派の雰囲気が感じられるとか肖像画、工芸でもこんな感じだと感じることはどこから来るのだろう。
見慣れている形、自然界にある姿、、、?
2Fの常設展、ぬりもの(漆芸)も18日までだし、観ておく。
この前見たときとは違う印象をそれぞれの作品に関して持つ。
しっかりした仕事は必要条件。
所蔵してもらうと時々展示してもらえるので見る機会ができる。
DNAの二重螺旋の感じを表現したかった。
降りてくるとき、F井さんがおいで顔を合わす。
何故か知っている人(美術館の)によく会った。
11時頃だったので、Y川さんのところに寄る。
一人で孫を抱っこしておいでた。
今年は研究会が中止だということをそこで聞いた。
問屋が二つ、ちょっと顔を出し、仕事少々。
自分で仕事を作るしか道はないなと感じた。
車で帰っておいで、駐車の邪魔になるので、こちらは帰る。

午後は米糊を作る。生漆と混ぜ糊漆、漉す。
縄胎杯の素地を1日1個は作っていくつもり。
乾漆食籠の方は、側面の研ぎ合わせを昨日に続いてしているが、合口付近が研げない。
三和の#600ほどで蓋と身にかかる砥石を作り、一緒に研いでみるが、しっかり研げない。
作図のことから考えると、合口の角の線は予定の位置にあるはずだから、側面が少し外に出過ぎていると考えるしかない。
少し研げば、またどこかに狂いが移る感じ。

夕方、組合のN田さんより電話。
伝統工芸士を更新するかという内容。
会費も払ってあるし、今年度だけでやめるつもりだと話す。
一度向こうで相談して、秋のいろいろの行事はやはり手伝って欲しいとまた電話。
伝統工芸士という資格があっても漆の仕事がない業界。
世間では、どちらが通用するのだろう、伝統工芸士と日本工芸会正会員と。
日本伝統工芸展といっても、知っている人は少ない。人間国宝の多くが関係しているといえば、そうかと見直されるが。
日本工芸会といっても何かわからない。住所に東京国立博物館のいうのが混ざっているから、何かすごそうという目でみられるが。
正会員なら日本橋M越とか池袋S武で個展を開く資格があるそうだ、売れそうな品があればの話だが。
今秋は、伝統工芸士として最初で最後の出品を東京にするつもりでいる。
反応を見たいわけです。

7月7日(木) 1週間目

晴れのち曇りの天気予報が外れ、朝方から雨が降り出した。
職anへ振り込み関係の書類と写真を持って行く。
最新の求人情報を3ヶ所分取ってくる。
この前、途中までしか見ていなかったので、「となみ野美術展」へ行く。
駐車場から美術館まで歩くときはかなり強い雨だった。
日本画、彫刻、洋画と観る。
人物が三重みたいになって描かれている絵が少なくない。
何を考えているのだろうと考えているうちに、急に苛々としてきた。
彫刻の何かを考え、何かを心に抱いている姿にも違和感を覚えた。
人間性を追及する余裕なんて無いのだろう。
書道は小矢部市展の方がレベルが高いのではなかろうかと感じる。
工芸が途中だったので、全部を観て回る。
かなりが日展と伝統工芸展の出品作そのものだから、レベルは高い。
美術館を出る頃には、やんでいた雨がまた降り出した。
帰って求人情報を見ると、該当するものは極めて少ない。
仕事自体でさえそうなのに、通勤可能かという事も考慮に入れると、一つだけだった。
安物家具の組立て作業。
競争で安くなったと自慢する族の、裏事情を見せ付けるような時給が、運輸関係の運転手に示されていた。素人仕事と同じの800円前後。

縄胎の素地作りを少しする。
売りたいというより、世の中にはこんなものもあるから使って欲しいという気になる。
今度遠くからおいでる方々にとすぐ思ってしまうが、そんなに数を作れないし、無理だろう。
食籠の方も、研ぎ合わせているが、まだまだというところ。
出品だけでも辛いのに、商売なんてできるのだろうか。
1年後には、漆で生きているしか道はないだろう。
昨晩は下の子から励ましのメールが来ていた。

7月3日(日) 三日目

昨晩、入院中の父の顔を描き続けていたノートが見つかったというメールが来ていた。
3年前のことになる。いろいろな表情が残っていた。
そのまま仕事の話。基本的に1万円以下の品は無いと言うと、半ば呆れられる。
紐を巻くだけで1時間以上かかる、時給千円としても、その作業だけで千円以上になる。
人の真似のし難い形、泡が残りやすい形、自然の素材で作る、、、
現物を手にしてどう感じてもらえるかが勝負とはいえる。

雨のやんでいる間に昨日の草刈の続き。
乾漆食籠の形合わせはなかなかうまくいかない。
稜を基準にしていたのを、途中から入り隅を基準にすることにしてみた。
中心を通る面で切ったときに、その正面から見ると直線になるだけで、形に膨らみがある場合、平行線は基準となる線によって歪められる。
縄胎杯の麻紐巻き。
口を広げた部分がビニール紐を利用しているので、安定しない。
側面になるとただ巻いて行くだけなので、楽だしすぐ終わる。
小さいので轆轤を使えない。久し振りに直接糊漆を手にした。
底にかけての仕事法は未だによく分からない。
繰り木地から指物木地に変わった理由が分かる気がする。
別々に作り組み合わせた方が楽である。
昨日中塗りのをビール飲みに使ったのは、どう作ったかはっきり思い出せない。
明日からどう過ごしていくか。仕事を作り出すことから始めなければならない。

7月2日(土) 二日目

昨日の天気予報が外れ、朝から時々日が差している。
自転車で砺波市美術館に向かう。
文化会館駐車場の時計が正しければ20分さえかからなかったことになる。
予定外に早かったが、開会式の席には楽に座れた。
彫刻は水準が高い。
新作以外は、上の展覧会出品作が主なので、見応えはある。
H川さんが話し掛けてきて、時間が無く、本展の作品を出したとのこと。
失業の話をすると、展覧会どころではなくなる、、、
別の場所での話を含めると、個展なら7割以上が手取りで無いと合わないとの事。
絵画展も含め、あちこち出かけ、素晴らしい点を嗅ぎ取っているようだった。
私の作品に関しては、中心の輪が目立ちすぎるというのが共通した感想だった。
坂田先生は、外のを強くすれば、広がっていく感じを受ける良い器になるとのこと。
堀田先生は、側面の形をもっと丸みを帯びさせ、稜を太くした方が良いのではないかとのこと。
お碗で磁器なら薄く、陶器なら土だから厚くするが、形に応じた厚み・薄みもあるとのこと。

家へ寄っていけと仰るので、車に案内してもらいながら、自転車でついていく。
近いといえば近いが、歩けば10分ほどか。
何とかいう金魚をめだかぐらいのから1年、2年のまで飼っておいでた。
仕事場は別棟で、彫刻をプラスチック仕上げにするそうだ。
家に入ると、ブロンズ仕上げを頼んでおいたのができて来たと見せてくださる。
玄関辺りからいろいろな作品が並んでいた。
普段いるという部屋で、京都の八坂神社辺りの骨董店めぐりで見つけたのを見せてくださる。
スズメとかアユの絵が気に入り、買ったり、それを軸装したり、、、
一筆で描いたアユが素晴らしいとの事だったが、よく分からなかった。
自分の場合は、何かを感じるものにしか反応できない。
絵で苦労でもしている生活なら、何か感じたかもしれないが、、、
この名簿だけには載せておいた方が良いと見せてくださる。(お客様向けに)
一回だけ申し込んだのが、まだ残っていた。
先生のお姉さんが入院したので来て欲しいとの電話が入り、帰る事になる。
庄川美術館で会い、支部展でも会った漆の話をした人の名を聞いたが分からなかった。
芳名録を見ても分からないとの事だった。
今度会ったときに聞けば良い、別に失礼には当たらないとのこと。

砺波市は道がかなり変わったので、少しずれると分かり辛い。
砺波高校がすぐ近くだったと分かる。
駅の近くへ行くのも迷い、かなり遠回りになる。
帰ると1時近かった。
午後は食籠の仕事。作図に合わせて、箆という道具に合わせて、狂いを確かめる。
それから錆で形作り。
途中外に出て、雨で予想以上に伸びていた草を刈る。
紐が無くなったので、新しいのに付け替えたが、草刈は止める。
縄胎杯の口を広げるために紐を巻いたり、捩ってみたり、、、
口を広げられなかった中塗りまでのを使ってみると、泡立ちは良かった。
飲み難いほどではなかった。鼻が高いとつかえるかもしれないが、、、

7月1日(金) 暇になった1日目

離職票をもらってなかったので、電話する。
二日前に、製造部門閉鎖による解雇とか書いてある書類に印を押していた。
まだ何やら手続きがいるとかで、後から電話してくるとの事だった。
雨の中、高波郵便局へ行き、満期の手続きなど。現金封筒も買う。
JAの正得支店で入金。赤字直前。知らない顔ばかり。
市役所へ行き、市税の残りの通知を提出。
年金と健康保険の変更の手続き。
特定疾患関係のために必要な住民票をもらったが、帰ってから見ると、家族全員のが必要だったので、また取り行かねばならない。
職安に行けなくなったので、早目に終わった。
叔母のところに寄る。仕事はなさそうだ。
誰もやっていなくて楽しいような感じのものができれば、、、とは従姉の意見。
麻紐を巻くのを売り出したいとは思っているが、、、
自営ができなければ、失業者のままになるだろう。
帰宅して、書類などを片付ける。

午後は仕事をする場所の片付け。
方針として、キャスター付のは仕事に応じて移動させることにした。
床に固定的に物をあまり置かない。
棚にかなり詰め込んだりして、シートで仕切った空間は大きくしない。
空風呂は後ろ向きにして、使わないときに埃が入らないようにしてみた。
よく使うものはキャスターですぐそばに持ってきて使い、終われば元に戻す。
石膏の仕事のときは広くし、塗る前の掃除もしやすくなる予定だが、、、

売り物の予定で、縄胎杯の型を作り始める。
石膏をブリキの蓋に渡し、そこへ紙コップを押し込むだけだが。
ビールの泡持ちが良いよう首のところを絞る予定。
抜け型でない素地で勝負をしない限り特徴は出せない。
凹み状に紐を貼る形の品物も考える必要がある。
木目を生かす木工の品が売れ、手技が目立つ漆は売れない。
どこかに自然な感じを受ける柔らかさが必要なのかもしれない。

6月29日(水) 形合わせ

イラストレーターで作図してあったのに中心線を入れる方法がわからなかった。
一昨日から、何となく線分を角度を決めて順に回転させていけば良いだろうと思いつく。
回転の中心を、今までの作図の中心と重ね合わせればできるはずだと考えたわけだ。
この前の作図も、12角形のパンクと膨張を15度ずらして重ね合わせて作った(中心を合わせて)。
入り隅から外へ出る点で、たまたま中心線と近くからの接線の交差するところをクリック。
反対側の同じ地点でもペンツールでクリック。直線(線分)を確定し、選択。
そこで回転ツールで15度ずつのコピーを繰り返す(オブジェクト・変形の繰り返し)。
少しして気づいたが、その時点ですでに中心は一致していたことになる。
懸子用に勘で95パーセント縮小のも印刷しておく。
今日置いてみると大体良い感じだった。

外形の作図(それも実際の作品=平面定規と同じではなく、要となる山と谷の位置が正確なだけで、面の形は大体似ている程度)に鉛筆で中心線を入れていたのだが、必ずずれる。
昨晩印刷しておいたのに合わせると、入り隅に位置がかなりずれているのが分かった。
丸くなっているので、正確な一番深い位置が決まっていなかった。
位置だけでなく、谷(入り隅)の形も決まらない。形定規を作るしかないが、どうすれば良いか?
寝転んで、素地を手に持って、見ながら考えると、山から谷までをカバーする定規(箆)を作るしかないという結論になる。
素地の一番形のよさそうなところに合わせて、薄いアクリル板を鋏で切って作る。
うまくできず、作図に合わせたり、素地に合わせたりして調整していく。
薄いアクリル板なので、鑢で削りにくい。
何とかできたが(錆を渡して使ってみなければ出来は分からないが)、谷の深さの狂いが問題。
蓋を作図に合わせ、身を蓋に合わせて深さを大体揃える。
疲れたので、今日の合わせ作業はそこまで。
立ち上がり端幅が揃うよう錆で作る。
谷や面の合わせ直しでまた狂ってくるだろうが、極端なことは無いはずだ。

明後日から失業になるが、今日、漆を貰ってくる。
今後、そこで使うことはほとんど無いから、出来れば欲しいと頼んでおいた。
黒400匁、透き250匁ぐらい、生漆350匁ぐらいは置いてきた。
刷毛はこの前から芯が固まったりしていたので、切り出し直しをしておいた。
主に広重の中塗り刷毛で、切り出してすぐ上塗りに使える状態に切り出す。
このHPのどこかに書いているはずだが、長くなりすぎ、どこか分からない。
高岡で開かれたS多先生の講習会で、角を落とすことを言われた。
よく切り出した後、中塗りなどに使ってから上塗りにまわすというが、その減らし方を叩いて柔らかくする前にしておく、それも合理的に。
刷毛洗いも、石鹸をつけ、掌で洗えばゴミはかなり出てしまう。
石鹸の泡だけになれば、中にはほとんどゴミは無くなっている。
アルバイトで残る人がいることになったので、刷毛は置いてくる。
支部展初出品で奨励賞になった作品を退社記念に返してくれる。
しっかりした状態のままだが、今の自分ならもう少し丸みをもたせるかもしれない。

6月25日(土) いろいろ回る

眼科の受付20番目。本を持っていくのを忘れていた。
となみ野美術展の招待券2枚(昨日10枚送ってきた)と「御挨拶」3枚を渡す。
漆は難しいとの事(売れないという意味)。受付ロビーにおいてくれるそうだ。
検査の予約。結局2時間20分ほどかかる。
郵便局ポストに工芸士関係の返事のはがき。
プリンターのインク、ワープロソフト、作成ソフトの値段を見に寄る。
Sさんに頂いた招待券でJACQUES HENRI LARTIGUEの写真。
100年ほど前のパリでの生活、子供の頃に撮った写真から始まっている。
動きをうまく捉えている。自動車。飛行機。競馬場。3人の妻。・・・
2Fでデッサン会展、人目で違うと分かるのもあるが、得手不得手もあるようだ。
工芸の秀作、啓一作品など見応えがあった。
空間と主役の関わりとは、生かし合いかもしれない。バランス。
帰宅後、スタンドへ。オイル交換も。
思いがけず会ったOさんに仕事が無くなることを言う。
帰宅後、寺の米を預けに行く。
乾漆縄胎盛器の外側の上塗り。
紐目を見せるためには、最後に貼るしかないようだ。
作品作りはずっとしてきたことだ。
生活の方はどうなるか、、、

6月12日(日) 案内状

酒も飲んでないのに朝から二日酔いのような弱い頭痛。
案内を出してみてどんな効果があるかわからないが、出さない限り知らせる方法は無い。
昨日gif画像に転換した「御挨拶」は、一部はがきに印刷したのと違っている。
麻布麻紐による漆工房」で、〈と〉が抜けてしまっている。
〈敬具〉の位置が一字分ずれ、次の行に移っている。
郵便記号であるFAXメールの下線で示したのも消えてしまっている。
今日は午前から昼過ぎにかけて36人分の宛名書きなど。
母のところに印刷したのを預け、配ってくれるように頼む。
はがきをポストに。
叔母のところにもかなりの枚数を持っていき、頼む。
運転のことや今までやってきたことから、今の方針がよいと言ってくれる。
どんなものができるか見本のようなものがあるとよいとも言う。
自宅では売る品をほとんど作ってこなかったので、つまり準備が全くできていないので、いざ工房を始めると言っても、どうなるか見当もつかない。
お茶関係のヒントを貰って帰宅。
少しだけ漆の仕事をする。

6月11日(土) 3週続けて金沢へ

昨日、ムサシで買った私製はがき80枚ほどに両面印刷。
切手が5枚しかなかったので、その分だけ宛名を書く。
端などを固める仕事をしておく。
雨が降っていたので、車で石動まで行く。1日の駐車料500円。
金沢は雨の所為かそんなに混んでない。ポストにはがき。
名鉄エムザへ地下から入る。
8Fの石川支部展。
漆に関しては富山支部とは極端に違う。蒔絵、沈金が圧倒的に多い。
決まっている!と感じる作品は目に入る。
5Fで陶芸展や展示品を見て回る。
何と自分が塗った(真菰はkさん)のも並んでいた。
これから何を作っていけばよいか、、、?
建物の外は屋根がある部分は百万石祭りの見学者で歩けない程。
弱まったとはいえ雨が降っていたので屋根が無い歩道は空いていた。
多分1年ぶりに高野さんへ行く。
木地呂漆、漉し紙、リグロインとカヤ布。
印刷したはがきを置かせてもらう。

高級料亭、文化財、骨董店などには修理があるらしい。
教室、教員、、、個展を年に1回ぐらい。
お茶をご馳走になってから大和の方へ行く。
尾山神社前から急に混雑し出す。雨も上がり始めた。
馬に乗った武将らしきものが見えた。
何となく写真を撮ったりしていた。
市役所前で利家役が入れ替わるというので、行ってみる。
尾崎神社付近を歩いて駅まで帰る。
コンビニで切手40枚を買う。
帰宅後、和紙を貼ったりする。

6月5日(日) 金沢へ行く

朝6時より排水路の草刈。
何やかやとしているうちに昼近くなる。
午後0:20頃自転車で出発。約30分で石動駅着。
晴れ出した金沢を香林坊に向かって歩く。
多分2時頃大和に着き、まず6Fへ行く。
博多人形展かと思っていたが、掛け軸や茶道具だった。
(帰って新聞を見なおすと、8日から始まるのだった)
8Fのアマチュア美術展。
水墨画もあり、根っ子をモチーフにした作品が目立った。
作家との差は繊細な表現をしているかどうかという感じがした。
精神性なんてものは、人によって様々だから、作家を持ち上げる必要は無い。
彫刻、北國賞のは、得能先生の小矢部市展での指摘を思い出して見ると、立体的な表現はできているが、同じように耳の位置はズレていた。
漆の作品も一生懸命仕事をしている感じはした。
陶芸の感じがしたのは、もう少し訴えるものが欲しい感じがした。
Tさんがいるか少し探したが、表彰式が開かれていてよく分からなかった。
また同じ道を戻るのは面白くないので、高野さんの横を通る。
途中で、多分歩いたことの無い道を歩く。
毎日が日曜日になるにはまだ早い。
玉川町とか方斉とか。3:32発の列車に乗る。

5月29日(日) 割合忙しかった二日間

昨日は眼科に8:39am到着、受付は15番目。
午後から用があるので早目に行ったのに、予想外。
あまり変化は無いとの事。
午後は市展関係。かなり疲れる。

今日は金沢へ行く。
2週間後にいくつも回るのはひどい気がしたので、美術館へ行く。
昼過ぎだったので空いていると思ったのに、道路沿いに待つ車の列。
「霊場高野山 弘法大師空海その信仰と名宝展」
直筆は流れるような美しさがあった。
奈良博で以来11年振りになるだろう孔雀明王像。
かなり薄暗くよく見えないことが多かったが、帰ってから図録で見るとかなりはっきり写っている。
工芸的にははっきり見えた方がよいのだろうが、信仰的には雰囲気でよいのだろう。
帰宅後、ノートにメモ。
市展の作品を取りに行く。昨日はもっといるべきだったらしい。
夕方、Y村さんがおいで話をしていた。

5月22日(日) 支部展当番

3個同じ形で作っている縄胎盛器(内1個は乾漆素地)の二つ目のを昨晩塗った。
夜の11時半頃、下に湿らせたスポンジを入れる。
今朝は、少し光は残っていたが、かなり艶が落ちていた。22℃、65%。
盛器を下の段に移し、朝6時からの神社の草刈に参加(草集め)。
家での雑用を済ませて、正得スタンドに寄る。26リットル余り。
美術館に着いたのは9時半少し前。
最初は暇で当番同士で話していた。
昨日までは入場者が少なかったそうだが、今日はかなりこんでいた。
廊下の椅子に座っていると、前に立ってじっと見る人。
堀田先生のとき会った、大谷中にいたことがると言っていた人(先生)だった。
名前はあの時にもう頭から抜けていた。
砺波市教・のOさんもおいでた。
午後2時からは金工と漆芸の列品解説。
それぞれの作品の特長、技法などを述べられていた。
暇のときに見ておいたのを思い出しながら聞く。
砂張は落とすと割れるそうだ(ガラスのよう)。
喜一さん一家もおいでる。
朝、宮で少し話していた。
木工の賛助作品の蓋をまくってみる。
他の人も集まってくる。
Y川さんの孫さんも顔を見せる。

Kさんと話していることが多かった。
桜は固まって咲き、はらはらと散っていく。写生していないのでは、、、
緊張感のない、ただ可愛いだけというのもある(本展で)。
逃げ場のない抽象模様の方が好きだそうだ。少しでもずれると緊張感が切れる。
絵の中に図案化されていないのがあるのも何か変、、、
自分には思いつきもしないことが多く、興味深かった。

駅までKさんを送り、帰宅。
盛器は十分乾いていた。
紙で包み搬入。66番だそうだ。
特別何をしたわけではないが、疲れました。

5月1日(日) 二つの展覧会へ

券が二枚ずつあったので利喜夫君の運転で富山市へ行く。
(画像はu_ru_4のホームページ2005年5月の写真のページとジオログに載せました)
9時過ぎだったので、まず城址公園の方へ行く。
女性客が多かったのは、2Fで茶会が開かれるためらしかった。
細かすぎてよく見えない繊細な仕事が並んでいた。
黒塗りの面に映るように工夫された屏風があり、深みを出していた。
仏像の立体への截金の仕事は、それがまずあったとはいえ、高度な技術だと思った。
図録2000円。
ホールの工芸の会の作品も丁寧な仕事のが並んでいた。

少し雲がかかる感じだが、晴れている中を県民会館の方に戻る。
日本画が最初に展示してあった。
赤い網がたたんであるのは、立体的に見え、雰囲気があった。
「牡丹 洛陽の朝」、滝のようでもあり、丸っぽいのは花のようでもあった。
右下に小さい二羽の鳥。上の方遠くに残月の感じ。
離れて見ると中央に縦部分が浮かび上がってくる。
よく分からないというのが正直な感想。
賞の「道」というのは一番好きな感じ。
乾漆彫刻の作品は、顔だった。刻苧盛りなのかもしれない。
図録3000円。もう一人の乾漆作家の方の作品は遺作になっていた。
折角の伝統を受け継ぐ人はいるのだろうか?
「窓辺」(洋画)、「入我我入」(彫刻)などが印象に残った。
肩に力が入りすぎているのかなと感じてしまうのもあった。

4月28日(木) パソコンによる作図

25日から27日までイラストレーターで作図してみる。
食籠の入り隅が貼り重ねていくうちに埋まってしまったし、角度が正確にわからない。
中心からの距離も正確にはわからない。
手書きだと、鉛筆の太さの変化によってさえ、狂っていく。
素地作りを終えたものを修正するための基準となる図をパソコンで作ろうとした。

多角形で12角形にする。山(出)と谷(入り隅)を別々に作り、二つを組み合わせる。
こういう方針で大体の径を基に作図、印刷、現物との比較。数値変更してまた比較・・・
二つの12角形の中心をどう揃えるか?
定規を表示し、縦横の実線が、破線になる位置を中心に決める。
最終的に、半径96.5mmでパンク−0.4%で山。
半径95.5mmにフィルター・パスの変化・パンク膨張で6%で入り隅。オブジェクト・変形・回転で15度。
編集・全てを選択。オブジェクト・グループ。
消したい線があったが、消せず。パスファインダー・合体は効果が無いとか出た。
正確な位置が確定できることだけが素晴らしいと言える。
作りたい形を作図する使い方は上手くできない。
2月頃だったか、ジオログで書いているのができた程度。

縄胎の仕事に関しては、いろいろ反省点・不明点に気づいた。
石膏原型が正確であることが全ての前提になる。
漆の仕事による形の修正法は知っているが、石膏ではあまり上手くできない。
石膏原型に直接麻紐を貼ると、糊漆が石膏側に残ってしまう。
その膜が非常に邪魔になる。麻紐の表情を消してしまう。
どうすれば良いのか?削ってみても全てが取れてくる訳ではない。
素地の上に貼るなら紐の表情は残るが、雄型の場合、後から内に巻いていくとすれば、素地自体が乾漆素地でないと狂いなしで型から抜くことはできない。
そこまでして縄胎素地にする必要があるだろうか。
まだまだ分からないことが多い。

(4.29)研ぎ出し蒔絵のように、糊漆の膜を砥石の水研ぎで研ぎこみ、麻紐を研ぎ出すしかないのかもしれない。
紐を巻くだけで手間なのに、研ぎ出しまでして効果はどこにあるのだろう。
麻紐と麻布を組み合わせれば極めて丈夫であることぐらいだろう。
狂い防止ということには、特別役立つということは無い。

4月17日(日) 庄川へ

午前中は、種籾蒔きの手伝い。20年ほどしていなかったので、手作業が減っていて戸惑った。
あまり仕事ができないし、インターネットで見ていた堀田先生の「塑造展」に行く。
旧庄川町の町中は道が狭いし、曲がりくねっていた分かり辛い。
大きい道は混んでいるだろうと避けたのだが、どうだったか?
水記念公園あたりは混んでいてどうなるかと思ったが、美術館の下の駐車場には何とか駐車できた。

入場料400円を払って、外次郎作品を観ていく。
中の部屋が堀田先生の展示室。
最初の作品が「おんな」(1963)とある。中1の時の作品になる。
向こうの入り口から誰かと話しながら入ってこられる声がしたので振り返ると、今も何か作っているかと近づいてこられた。
50年もやっているとこういう展示ができる(君もがんばれよ、という意味)。
トルソだと、省略してある腕の先、顔などがどんなものか想像しなければならないが、はっきりイメージできなかった。我ながら感性が乏しい。
作品には、憂愁の感じが無いことは無かった。
希望に燃えた明るいだけという感じは無く、過去を背負って未来に向かうというような感じの作品が多い気がした。
意思を持ちながらも、それが空回りすることがない。芯が強いのかもしれないと思った。
別の見方をすれば、人間にはいろいろな表情があるなという雰囲気があった。
利喜夫君のよく言う空間のことを考えたが、よく分からなかった。
憂いを含みながらも遠くを見つめる姿は、先の世界を取り込んでいるのかもしれないが、、、?
ポーズが精神と一体であるのが彫刻とも感じた。

帰ろうと少し離れたところで声をかけると、お茶を飲んでいけとのこと。
先にいる人に紹介して、その人たちの紹介もしてくださる。
この頃は名前を聞いてもすぐ頭から抜けてしまう。
小矢部で砺波の中学に行っていたことは常に話題になる。
七社と言うと以前大谷中にいたことがある(先生として)という方がいた。
漆に興味があり、乾漆にも興味があるとのこと。
自分でも塗っているが、蝋色が上がらない、何で最後は磨くのか、、、
日展の彫刻に乾漆作品があるようだと言うと、その部門の方が長江録弥先生がしていて、その弟子にあたる人もいるとのこと。
最近の新聞記事の訃報欄に長江先生という方が載っていて、そこに乾漆彫刻という説明があったので、こちらから口をきった訳だ。
本当に知らないことは多い。
人の出入りがいろいろあってから、そこを離れた。
向かいの庄川河畔の桜は満開だった。

4月13日(水)−15日(金) 漆刷毛の働き

薄塗りすることが多い漆の場合は分かりにくいが、厚塗りするカシューの場合、見えてくることがある。
刷毛の塗り面に接する側の反対側(裏側)に、塗り面には余分の(厚過ぎる)塗料が染み出してくる。
次に逆方向に刷毛を動かしたとき、やはり反対側(裏側)に余分の塗料が染み出す。
漆刷毛には厚みを調整する働きがあることがわかる。

粗渡しをするときは、漆の付いた側を塗り面に当たるようにする。
箆渡しでも同じだが、なるべく均一になるように広げる。
塗り残し(渡し残し)を無くするためと、渡す手数を減らすため、多少厚めに渡す。
それを平均化するために漆刷毛を上手く使う必要がある。
逆方向に刷毛を引くのを繰り返すわけだが、塗り側の反対側に染み出す塗料(漆)をどう扱うかが問題になる。
染み出したままの状態で、今度はそこが塗り面に接するように塗るとすれば、その反対側に染み出す塗料(漆)は何を表すことになるだろうか?
塗り面にあった厚過ぎ分と、先に染み出していた分と、どちらかはっきりしなくなる。
その両方を含めて、厚みを調整してくれるほどの働きは無い。

無駄なく塗り面の厚みを均一にしていくためには、染み出し量が多い場合は、逆方向に塗り出す前に染み出し分は茶碗の角などで取り除く必要がある。
一方向に塗る動作が終わった時点で、少し経っても染み出したままなのが問題なのである。
少しして刷毛の中に沈みこんでいくなら、茶碗の角で均す必要は無い。

問題は染み出す側だけではない。
塗り面に接していた側にも余分の漆が付いていることが多い。
それをそのままにして、逆方向に塗り出すとすれば、塗る前から染み出しがあることになる。
それは次の塗りの厚み調整の邪魔をするだろう。
この最初から残っている余分の漆は、逆方向に塗り出す前に、茶碗の角で取り除いておく必要がある。

刷毛の中は、一種の貯水池と言えるかもしれない。
染み出す直前の満水状態では、染み出し分を取り除く手間がかかる。
刷毛の中に含む量が少なすぎると、塗り面に必要な厚みが残らない。
勘で言えば、7−8割ぐらいが適正な含み量と思われる。

刷毛に含まれる漆の量が適正のとき(刷毛の中から漆が垂れ落ちないし、刷毛の両側に見える漆の量が同じとき)、刷毛を動かして、塗り面の反対側に漆が染み出してくる状態を見れば、塗り面の厚さムラを見ることができるとも言える。
左右、逆方向に順に刷毛を引いて塗る理由は、刷毛の中に含まれる量が中で少しずつ順に移動しながらバランスをとるからであろう。

刷毛に加える力の具合、刷毛の立てる角度に関してはどうか。
漆の粘度、その漆の縮まない厚みの限度内で、どれくらいの厚みに塗るか、などでそれに合わせるしかない。
力を加えすぎると、必要以上に刷毛の中の漆が染み出してしまう。刷毛筋が残る。
棗の内などは、刷毛を立ち気味にして塗るしかない。
貯水池の例えで言えば、満水状態で、刷毛の両側に漆が見えるようにして、力を入れないで(中の漆が染み出さないように)そっと刷毛を動かすしかない。

刷毛の特長は、素地の形になじんで動くことである。
下地付けの場合、箆付けの難しい形に刷毛を利用すれば、便利である。
箆付け同様、下地の刷毛付けでは、厚みの調整は刷毛の力ではできない。
手業で平均に付ける(ことを目指す)。

(4月15日)刷毛の厚みに厚い・薄いがある。
切り出す形は相似形であると思われる。
厚めの刷毛は切り出す毛の長さも長い。
薄めの刷毛は切り出す毛の長さは10mm以内である。
薄めの刷毛と言っても、別に腰が無いわけではない
特殊な場合を除いて、相似である限り、大した違いは無い感じがする。

毛先が塗り上げるときに一番関係してくる。
あまり細いと塗っている内に擦り減る。平均的に擦り減るなら問題無い。
腰と毛先の間が塗りのときに使われる。そこも滑らかである必要がある。

薄めの刷毛は、切り出す長さを極めて短くでき、それなりに用途がある(合口、中塗りなど)。
多少柔らかめに切り出し(腰あたりも薄くする)、暈しに利用することもある。

厚めの刷毛は、貯水池の例えで考えれば、含む漆が多い。
少し力を入れ気味に塗れば、厚塗りになる。含み過ぎていても厚塗りになる。
縮みに注意が必要になる。縮まなければ流れが良くなると言えるかもしれない。

漆の粘りに対してはどうだろうか。
粘り過ぎる漆に対しては、厚めの刷毛(それを少し厚めに切り出す)の方が対応できるだろう。
薄い刷毛だと漆に負けると言うか、浮いてしまう。
厚めの刷毛は豪快な塗りに向いていると言えるのかもしれない。

漆の粘る原因に関してはよく分からない。
何度も使い、空気に触れる機会が多く、酸化して粘ることはある。
これは溶剤で薄め、中塗りに使うしかない。
素黒目漆を作るとき、水分を抜くから粘るのか、均一になるように混ぜ続けるから粘るのか、何故粘りが出てくるのか、、、科学にあまり強くないので、よく分からない。
澱粉で糊を作るのとは違う感じがする。
漆桶に長期にわたって放置すれば、粘った漆になる(特に黒漆)。
透き漆の場合は、粘った漆の方が流れが良い感じがする。
本朱や赤口の場合もそうだ。
古い黄口は粘るが流れない(乾かない)。

薄い刷毛は含み漆の量があまり多くないから、塗り面の様子を反映しやすい。
それに気づいた時点で調整しやすい。
繊細な塗りに向いていると言えるのかもしれない。

4月9日(土) パソコンのリカバリー

だんだんと調子が悪くなって、セーフモードでしか立ち上がらなくなる間隔が短くなり、4月2日の夜に立ち上がった後、翌日はエラー、再起動、セーフモード、再起動、、、の繰り返しだけ。
パソコンが駄目になったとすれば、移動できないものは全て無くなることになる。
4月3日に従姉と話していても、結局、リカバリーするしかないという結論になった。
午後の工芸会の会合の後、支部展のポスターの掲示などをUホール、総合会館、クロスランドなどに頼んで回る。
帰宅後、説明書を見て、一人でCドライブのリカバリーを始める。
普通に立ち上がるようにはなったが、パソコンの状態が原始時代に戻った感じさえした。
インターネットへの接続の前にタワーメイトの設定。上手くできない。
外出する用があったので、ちょうど帰宅した子供に後を任せる。
定額の番号への接続を除いて完了していた。
IE6のSP1へのアップグレード(リカバリー前の状態)、ウィルス関係の修復、重要な更新。
ウィルスの方やリーダーの方、FFFTPは、たまたまセットアップがDに残っていた。
ソフトの入れ直し。前のはほとんど自分ではしていなかったので、勉強にはなっている。
スキャナーも、設定をしないと動かないとは知らなかった。

ホームページを作るソフトが消えてしまった。
CDに保存していた中にFrontPage Expressがあったが、上書き保存ができない。
メモ帳に開いて、少し書きこみ、上書き保存してみてもできない。
ただの保存になり、本を見て、htmlをつけて保存。
アップロードしてみると、indexが二つ。一応、新しい記述になっている。
Geocitiesの方で、少しはhtmlのことは分かるようにはなっているが、面倒過ぎる。
前のソフトは、マイクロソフトの製品情報(無料の方)を見ても無い。
インターネット上に何かあるのではないかと最後の望み。
リンクのページに載せておいた二つのページで、何とか手に入れることができた。
相変わらず、上書きができない。
保存場所が悪いのかと、デスクトップにし直すため、ダウンロードをし直す。
結果は同じ。質疑のページを見ると、対処法があった!
考えてみれば、CDに保存するとき、ほかのパソコンでも見ることができるようにしてやっていた。
それでプロパティに読取専用になっていたのだろう。
説明に従い、そのチェックを外すと、上書き保存ができた。
ページによって、もともとチェックが無いのもあり、正確な理由はわからない。
昨晩indexへ戻るのが、上手く行っていないと気づく。
よく見ると、htmlとhtmと二つの拡張子になっていて、それがアップロードで別のものとして認識されていたのだろう。
メモ帳で書き重ねて保存したときにhtmlの拡張子をつけたことで、紛らわしくなったのだろう。

リカバリーしたことで、お気に入り、メールアドレス、筆王の住所録などが消えてしまった。
動作上不都合だったことがかなり回復した面もある。
後は使うことで古くなる、これはどうしようもない。

3月26日(土) 院展と辰砂

朝9時頃眼科に着く。受付21番目。
待ち時間が長かった。別に変化はない。
サンキュウで買い物、昼食後、富山へ向かう。
近代美術館の角を左折して駅方面に向かう。
県民会館・県庁への交差点が渋滞していたので、以前半峰さんから聞いた事がある駐車場に向かう。
勘で曲がるとあっていたが、県民会館など用と一般用のどちらの券を択べばよいか咄嗟の判断がうまく出来ない。一般用から入ってしまった。後で420円の支出となる。
「院展」700円。駐車場は混んでいたのに中は観覧に適した入場者だった。
全体的な印象は静かな感じであった。
過度な自己主張はない。
写生や心情のそのままの表現ではない。
聖化されている感じがした。宗教性。
「三聖人 平和の祈り」中央にいるのは釈迦。地図の中央は日本、太平洋。
一番気に入ったのは「ベナレス」 人の姿が半透明に聖化されている感じ。
高水準に感じたのは、同人の作品が多かった所為かもしれない。
細かい表現が画面全体を被っていた。
何も描かないとか省略とか言って空間を表現していると言う人がいるが、全体を描ききっても空間、空気、雰囲気を感じさせていた。
単純化といっても省略する事ではない。
人生の全てを含んで、それを聖化するような過程を経て出てくる水準にあるのが、単純なものが美しいという意味であろう。

会場の入り口付近に日本画の顔料や材料、筆などが展示してあった。
辰砂の原石もおいてあった。
濃い朱色とでもいう感じで、本朱より少し暗い気がしたが、、、
上面は切ったのかすべすべした平面で、側面は斜めになっていて、細かい縮れ筋のような感じになっていた。
瓶の中には、明るさ(辰砂)毎に分けて入れてあった。
多分漆で使うのよりは粒が大きいだろう。
漢の時代に使っていた大きさは日本画ぐらいだったのだろうか?
出土品の本を見れば粒の大きさは分かるはずだ。
発色のためには、粒が細かい方が良いだろう。
練りを十分しない限り艶は出てこないはずだ。
辰砂という漆塗りの原点に戻ることが出発点になる。
別の軽い粉を混ぜるのは、ごまかしの一種と言える気がする。(3.28)

3月21日(月) パソコンvs外出

パソコンの立ち上がりがおかしくなり、セーフモードと再起動の繰り返し。
再起動といっても、ショートカットがあるかどうかも知らないので、電源を落とすだけ。
エラーの原因が分からない。(原因を追求する方法も知らないが、、、)
土曜深夜に何とか回復したが、何とか持っていた昨日も夜にはまた立ち上がらなくなる。
セーフモードでできる作業は、「URUSHIの仕事」の記述とかメールの「名前を付けて保存」ぐらい。
メールの保存の仕方がわからなかったが、子供が調べてくれる。
「名前をつけて保存」を一つ一つ、日付けを打ち込みながら、人毎にフォルダに分けてしていった。
windowsからApplicationData、Identitiesといってから保存しても開き方が分からない。
今朝は一度だけセーフモードの後うまく立ち上がったので、ずっとメールの保存作業をしていた。
たいていの物はCDにバックアップを取っていたが、やっとメールの保存もできた。

昨日もパソコンの件で仕事があまり出来ず、午後からヤマダ電機へ行く。
パンフレットを持ってきただけ。値段は安くない。
新聞社の支社で彫刻作品を観てくる。
石膏雌型が置いてあった。
忠良のレベルにはないと感じた。
帰ってから空研ぎ、布目摺り。麻紐巻きなど。
直ったと思い、夕方一度パソコンを終了させた。
それがまたおかしくなった。

今日は、院展を観に行くつもりでいたのに、パソコンの所為で止めることにした。
午後はタテヤマへ行く。金切刃や布砥#40などを買う。
垂直に穴をあける装置もあったが、、、
花粉症ではないはずと思い、好天の下、外に干しておいた蒲団を取り込んだりする。
ウィルス検索で、何も出ず、スパイウェアがひとつ、詳細情報を見て、削除。
結局、機械としてどこかがおかしくなったのだろうか?
子供がいろいろ削除し、容量が無くなりかけていたCドライブの容量を増やす。
デジカメ画像も最初からDドライブに保存できるようにした。
仕事はリグロインで薄めた生漆を吸わせる事と麻紐巻き少々のみ。
パソコンが立ち上がっているうちにいろいろ使っている。
更新が出来ていない日は、パソコンが立ち上がらないということになるかもしれない。

3月12日(土) 工芸

例年今頃なので、昨晩インターネットで確かめる。
今日から卒展と分かったので出かける。
高岡インターから高岡北インターと能越道を通る。
会場に入るとまず金工の作品があった。
朱の乾漆食籠、本展にも入る感じがした。
クジラとか人体、印象的な作品もある。
N先生が抜けた穴は大きいとも感じた。
帰りは逆戻り。正得のスタンド、冬場は燃費が落ちる。

高水準の乾漆作品を見て、自分の過去を考えた。
最初の2作(盛器と皿)が全くの我流。1990年。
技展をきっかけに後藤先生に時々見てもらうことになった。
「乾漆盛器 朱と黒」 多分高岡市展に出した乾漆盤もその頃していたのだろう。
ノートを見直すと、1990年末、初めて後藤先生を訪ねた頃、もう乾漆食籠のデザインを考えていたらしい。
支部展が終わり、部会展用に捻じり形の鉢。見事落選後、食籠の制作にかかった。1991年末。
名古屋の漆芸部会展を見に行き、ビデオで「きゅう漆 増村益城のわざ」を見て、道具が全く違う事を知った。
松波保真の解説を読んではいたが、全く理解できなかった。視覚的にかなり理解が進んだ。
ノートを見直すと、蓋と身の合わせの遊びをどうするか悩んだり(身の内側に布を2、3枚貼ればよいとも数日後思いついていたようだが)、石膏原型の蓋と身が合わないと何度も直していたようだ。
素地が動き、1mmズレ、蓋と身の重なる部分が無くなったと悩んだ記憶はある。
我流に近い形で2年で食籠を完成させたのだから、あまり落ち込む事も無いか。

工芸とは何かに付いて纏めなければならないとは以前から考えていた。
広辞苑 〔工芸〕1.工作に関する芸術。製造に係わる技芸。2.芸術的な工作物を作ること。
〔工芸品〕芸術的要素を含む工作物。美術意匠と技巧とによって、美感を与えると同時に日常生活に役立つ物品を指していう。
brain stoming的に思いつくことを並べてみる方が良いかもしれない。
人が生きる為に作り出した物が工芸品。
美術が抽象化とか分離する元が工芸ではないか。
最初は全て工芸品とも言える。
工芸は文化の一部。文化culture:1advanced development of the human powers;development of the body,mind,and spirit by training and experience 2evidence of intellectual development (of arts,science,etc.) in human society 3state of intellectual development among a people;particular form of development 4cultivating;the rearing of bees,silkworms,etc.
人類の歴史は道具を作り、利用してきた事になるから、博物館にあるものの多くは工芸品と言えるかもしれない。
美的だと意識的に作ることが美を保証するわけではない。
遺跡から出土する物がそういうことを示している。
大きい建物や彫刻は工芸とはいえないが、その技術とか表現を利用してはいるだろう。
漆に関しては、「日常生活に役立つ物品」の歴史は浅く、宗教的儀式とかハレの時とかに使われたと言える。
技術は工芸の必要条件。
アーツアンドクラフト運動というのが、近現代の工芸の評価の始まりだったか?
意図とかいうものに意識的であるのが、今言うところの工芸。
作品は作者の手を離れると、それに接する者の解釈に委ねられるはずだ。
遺跡から出土する物は、その当時、捧げるつもりとか、最上の仕上げにしたいとか、、、要するに、作り手の自分という意識がなく作られている感じがする。
地域や時代が違っても、雰囲気が似ている事が少なくないような気がする。

サクラガイそのもの、石を加工したもの(勾玉)など、素材そのものの感じを生かすのが昔の方法。
素材の中に隠されていた姿を加工して見つけ出したり、雰囲気などを素材を利用して表現してみるのが今の方法。

同じような図なら、絵の方が一番良いのか、蒔絵が良いか、写真が良いか、、、
工芸的表現が一番似合うなら、それが適切な表現と言える。
ある特定の作家ならどう表現するかと考える事も有益かもしれない。

2月27日(日) 高岡市へ

二日続けて高岡に行くのはガソリン代が勿体無いので、会合のある今日動く事にした。
昼前から二時間ほど麻紐貼り。
工芸高の卒展。いろいろな物を作っていた。
漆のは、「身近な写…」に合成画像で載せておきました。
u_ru_4のホームページ 2005年2月
著作権がありますので、雰囲気が分かる程度の解像度にしました。
二階には湿度を一定にする装置(上手く出来なかったそうだが)とか、サーブマシーン、、、
挑戦するという事は大切な事だ。
まだ時間がありそうだったので、文化ホールへ行く。
何処でやっているか掲示を見ていると、人が近付いてきて行こうと思っていたところのチラシをくれる。
3F「大規模発掘調査の速報展 古代のかたりべ」
写真の掲示を見ると、五社、石名田、木舟など、、、
縄文土器、弥生土器、古墳、中世、、、
形的には胴が膨らむ感じに変化。
弥生時代には轆轤の使用を感じさせるのもあった。
大きな鉢は、先週の話では、轆轤で半分ずつ作るしかない事から考えると、積み上げて作ったのかもしれない。
漆塗りのは、刳り木地の椀に黒漆、それに弁柄朱で葉などを細い線で描いていた。
帰宅後、パンフレットを見ると中世の仕事らしい。時代の中では、水準が高いほうではないようだ。
玉に穴をあけてあるのは、小さい物に貫く穴。
鳥浜貝塚の木製のでも驚いたが、何か方法があったのだろう。見当もつかないが、、、
壁の時計を見ると、会合の10分前。
少しだけ急いで車に戻り、場所に向かう。

2月20日(日) 富山市へ

以前言っていた積雪量でははるかに少なかったこちらの方は、まだ田圃に雪が残っている。
富山市は除雪による山が残っているだけだった。
少し出発が遅れたので、県庁前に着いたのは9:25am頃。
何か行事があるらしく、それ関連らしい車だけが入っていき、かなり待つ必要があるとのこと。
諦め、新聞社裏の駐車場に行く。まだ少しあいていた。
ギャラリーのマンスリーアート「作陶展」へ行く。

和紙を1mm幅に貼ったり、緻密な仕事がしてある。
いろんな技法の作品があり、教室で教えている生徒の参考になることも考えているそうです。
陶画(多分こう書くのだろう)糊 latex利用の事を教えてもらう。キレイ堂にあるそうです。
市民プラザ、道がすいていたので何とか駐車場を見つけて入ることが出来た。
ガラス造形研・卒展。エレベーターで上ると目の前だった。
ガラスの層を生かす感じが見受けられた。
舟に花が立っているのは、鳳凰の印象を与えた。
楽器、映像との合作、、、
帰宅後、作品配置図を見直すと、行っていない部屋もあった。

駐車料金100円。時折、日が照ったり、雨が降ったり。
風邪気味か、少し頭が痛い。
午後からは、身の側面への細い麻紐巻きの続き。
和紙を貼った貝を縄胎杯の内底(口径5.5センチ、首はもう少し細い、深さ10.5センチ)に置く。
竹箆で亀裂を付けておいたので、何とかなりそう。

2月12日(土) 砺波市へ

9時過ぎに出かけた頃は降っていた小雪が止んで、青空が広がっていた。
駐車場に車が無い。車で前へ回ると、そこの駐車場にも車が止まっていない。
もう少し進んで、正面玄関を見ると「本日休診」とあった。
何処に寄るにも早すぎるので、結局、家に戻った。
乾漆素地の仕事で、漆の乾きが良くない。
空研ぎをし直し、また湿りへ戻す。
音がしたので見に行くと、思いがけないものが届いていた。
米がなくなっていたので、また砺波へ出かける。

インターネットで見ていたので、まず行く。

虫を大きくし、デフォルメした作品が特徴。
立山連峰の感じの山並みの重層化、月とか宇宙への広がり、、、
叢などの自然。虫の視点というよりは、人間の夢想空間という感じ。

食料やコシヒカリを買い、帰宅後、昼食関係。
片付け、掃除、、、
昨日の「夢の美術館」で見た、エジプトの書記像が、東大寺の良弁僧正の像と似ている感じがしていたのを図録(東大寺の)で確かめる。
また漆の仕事を始める。
素地に凹みが目立ったので、錆を見る。
乾いているのには布貼り。
昨日の糊漆が石膏に出ている部分がまだ乾いていなかったが、麻紐巻きの続き。
入り隅があるので、時間がかかる。

2.13(日)新聞にNさんの記事。
創作におけるこだわりは「モチーフにほれ込むこと」との事。
なるほどと思った。

2月6日(日) 輪島へ行く

思ったほど雪が降らず、冬型の気圧配置も弱まる傾向にあるというので、輪島へ行く事にした。
10時に出発。能越道、小矢部東インターより。150円。
北陸道で森本インター。550円。家から約40分で、白尾。思ったほど時間の短縮になっていない。
能登自動車道で、50円+160円+210円+310円(軽四)。輪島着、12:05頃。140km。
ファミィ-でパンなど。美術館駐車場で昼食。

友の会の招待状で入館。友の会の二年分、図録。
第22回漆芸展。
穴をあけた作品が目立った(側面などに)。
細かい技術。差が大きいともいえた。

作品解説。最初、あまりに人が少ないのでどうなることかと思っていたが、徐々に増え出した。
脚の位置への疑問を話された。長い方向にある方が安定するのではないか。(K氏作品)
受賞作の内側が見えるように展示換えがこの日だけなされた。(M氏作品)
外の形を受ける懸子、その裏に掛止め(重箱の裏のような感じ)。
作品名は、自分の意図を示すものにすべきではないか。
模様は良いが、肩の落ち方が長辺では違っている。これを黒塗りだけで仕上げた場合どうなるか?(N氏作品)
私淑しているという話。(S氏)
箱の内底が金地で顔が映る工夫。(U氏作品)
技法毎の代表的作品。
輪島の初入選の紹介。
来館作家による作品説明。
6年以上前に会った方、顔を全く覚えていなかった。
地元の人でも、毎回入場料を払わなければならないなら、何度も解説を聞きに来られる訳が無い。

帰りは助手席。125kmほど。2時間半弱というところか。
能越道が全部開通しない限り、高速を利用しても、輪島はかなり遠い。

1月30日(日)−2月2日(水) 早くも一ヶ月が過ぎる

昨日は、支部の新年会。
Sさんは、スクールで教えていて、素人の発想に感心することが多いと言っていた。
技術的に難しいこととかを考慮に入れないで、してみたいと言うそうです。
それに何とか対応しようと、、、見本の道具を作り、本人にも作らせ、どっちが使いやすいか、、、
昨夏の、貝の影絵的表現が生徒だけでは出来なかったことをこちらは話す。
Aさんは、模様の数を減らすのではなく、沢山つけてもうるさくないなという感じになるようにしているそうです。
具体的には線を細くしているそうです。
そういう意図は気付きませんでしたが、上品な感じを作品からは受けていました。
問屋との関係などの問題もあるし、、、

午前中は、何となく二日酔いの感じ。
ハシ本attorneyの番組を見たりしていました。
重要なことに線を引くのではなく、自分が覚えていないことに線を引いたり書き出したりし、それを読み直す。
それを繰り返したそうです。苦手をなくしていく。
自分で勉強法をあみ出せる人は強い。
試験や資格、予備校的know howだけでは限界がある。
新しい事柄に対応でき難い。

麻布二枚貼りなんて、普通なら、するはずがない。
自分の場合、乾漆は誰にも習わずに始めたから、二枚貼りにも挑戦した。
麻紐の効用(冊子箱にも4条巻いてあると本にあった)、麻布の意外な弱点、いろいろ勉強出来た。
このことは4人でいた二次会で話した。

自分でこれからどういう仕事の仕方をしていくか。
中心に目の粗い(少し厚めの)麻布を貼る代わりに麻紐を巻く。
雌型とか凹面とかに、効果ある貼り方ができるか、そもそも浮かずに貼れるのか。
兎に角、作品で練習且つ本番としてやってみるしかない。

1月2日(日) 読書

パソコンの本は、使うときに参考書として開くだけのことが多い。
大した操作は出来ないから、どうすれば良いか分からない時に開く。
今少しずつ読んでいるのは「いつ手だっ」(日本評論社)
題名から、そう感じていた人が何らかの道を通って数学者になった話かという先入観があった。
全く違っていた。期待外れの印象は否めない。
内容に関しては、分かる感じがするところとそうでない所がある。
いつものことだが、分かる感じがしても、それを人に説明しなおすことは出来ない程度だ。
真偽表の形式的な点は馴染み難いとも言える。
p36には、1+1=2にも証明があるという記述。
p20の幾何学と座標のことも35年以上前にR君に聞いている。
p26の「交代的横断和」というのは初めて聞く言葉で、11で割り切れることと関係があるのも初耳だった。
p54の素数が無限にあることの証明、R君が言っていた1+1=2の話と同様、そこまで言う必要があるかどうかが分からない。
サッカーボールの話も、側に実際のボールがないし、分かり難い。
p138のチェス盤、証明とは何かわからない。
p140からのトリックの話、わざわざ言う程度でないことを細かく言う。
p143からの魔法の引力、説明がしてない。輪の部分に入る前の9の尻尾の部分の数と黒点の隣から尻尾の合流点までの数が同じだということを説明しない。
今日まで、ここまで読んだだけだが、訳者と同級生だったR君に比べると説明力は足りない。
筆者の話としても、p39に纏めてあることが数学の姿なのだろう。
「論理のもっとも基本のレベルでやるなら、ほとんどの定理は証明できないだろう。しかし、たとえ普通の数学でもっと高いレベルで証明しているときでも、ときには論理的にもっと基礎の議論に切り替えなければならないのだ。」

(1月4日)p147からの「数学者」の記述は面白い。
講演は分かりやすいこと。p167や168に纏めてある。
p86「・・・ペンローズは・・・数学では単にシンプルであることはそれほど美しくなく、予期しないシンプルさこそが美しいと・・・」
p170「・・・数学者の仕事は複雑な状況を、実は単純なものだと見ぬいて、理解することである。・・・」
昨夕は、知人3人と飲む。共通する話題がないので、数学の問題を出して考えたりしていた。
基礎を積み重ねて問題が解けるようになる人間は、それがなくなるとかなり脆い。
このところ飲み過ぎなので、今日から断酒生活に戻ることにする。

(1月9日)一応、読了。
いろいろなタイプの数学者がいるなど、割合面白い本だった。
p161には、それぞれの専門分野には世界に30人のエキスパートがいるとある。
講演は、聴衆が正しく連想を働かせられるように比喩を用いたり、本質的な部分を話す。
p217に、数学を学んだり使ったりしている間に手に入れた能力、厳密に考える力のこと、抽象化すること。
p224にプロトコルという言葉が書いてある。パソコンで聞く言葉。通信制御手順。
暗号理論と一方向関数ということでp228に例が書いてある。書いてなければ何のことか見当もつかないだろう。
NHKでピーター・フランクルさんがコンピューターは因数分解が苦手だ言っていいたことと関係があるのだろうか。
素数が無限ということも関係しているのだろうか。
情報伝達のサイコロを使った方法というのも面白かった。
それに続くp243からの一般化となると、類比としてそうかなと感じるだけで理解できるのかどうかさえ分からない。
学校の勉強で落ちこぼれの原因は、他人との比較による劣等感が一番大きいと思われる。
その結果が、基本的なことさえ身に付いていれば、誰でも考えられるという生活を奪う。
小さい子はキチンと相手さえすれば、大抵のことに関心を持っている。
世の中の教育で一番の誤解は、できの良い子には恩師なんか必要ない、できの悪い子を導くのが先生の仕事だという事が分かっていない点にある。
基本をきちんとすれば、それを基に考えることができる。基本がないから考えられない。

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