漆の話 2006年版

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掲示板

初仕事〕 〔黒の迷宮〕 〔縄胎杯〕 〔仕事〕 〔北陸スペシャル 布の浮き〕 〔漆芸展〕 
漆の抗菌作用〕 〔西に東に〕 〔布と糊漆〕 〔布貼り〕 〔持ち上げてみる〕 〔全貌展〕 〔香合の立ち上がり〕 〔ずれる
いろいろと〕 〔支部展〕 〔車で〕 〔列車で〕 〔となみ野〕 〔外出も〕 
麻縄〕 〔〕 〔きゅうようび〕 〔輪島へ〕 〔信貴山縁起絵巻〕 〔自転車で
金沢での展覧会〕 〔白漆〕 〔茶釜〕 〔意見を聞く〕 〔手が黒くない
院展〕 〔縄胎杯

12月9日(土)10日(日) 縄胎杯の長所

仲介してもらっての受け渡しの縄胎杯、今朝で全て完了となった。
職業から連想した加賀鳶を貝で内底に貼ったもの10個。
お礼に行くと、人にもいろいろ勧めておいたとのことでした。
こんな感じで広がってくれれば有難いのですが、、、
毎日使って壊れてしまうようなものではないし、例えば車が高いといってしまっておく人はいないのだから、同じように使い続けてほしいのが縄胎杯です。
西中経由で眼科に行く。
10時過ぎで38番目。遅くなりそうな感じ。
本を読んだり、場所が遠すぎ、音声が届かないテレビの画面を見たりしていた。
98歳だかの画家、古信楽の再現に取り組んだ陶芸家、退職者の作った会社。
自分には執念が欠けている気がした。
診察で見る方向が黒っぽくないかと聞かれるが、分からないと答える。
名前は何かと聞くと、今までと同じだが、多く見られる症状とは違うタイプだとのこと。
この前届いたM協会のメールにも、網膜の萎縮が見られる人があるとあったと話す。
話しはしなかったが、昨日もぶつかり顔に擦り傷ができたし、このところ頭にたんこぶができたり、、、
カーマとサンキューで買い物。帰宅後、片付けなど。
富山県に帰って最初に仕事を習いに行った方のところへ行く。
自分には直接関係ない用事だったが、頼みごとは了承してもらう。
Sの会で出かける用事があるとの事だったので、暫く話していただけ。
最近は近くの塗料屋より、漆屋さんのカレンダーが多いそうだ。
親戚の方からの貰いものだが、先代の泉刷毛を二本持っているが、使ってないそうだ。
せめて一本は使った方が良いのではと話す。
帰宅後、小雨の降る中、センサーライトを勝手口付近に取り付ける。
屋外用の線を買って、繋いだ方が良いかもしれないと思う。一応、人が近付くと点灯するようにはなったが、一部雨風対策が不十分なので。
縄胎杯や椀を安定的に作る手段として石膏型があった方が良い感じがして、作ってみる。
椀の方は、型として使った漆漉し用の碗から抜けず、失敗。
石膏原型そのものに巻くのではないから、何度でも使えるはずとの思いである。
先週のamical展で聞いた蕊、それが自分のこれからの世界かもしれないと思う。
木曜のテレビでやっていた、無肥料・無農薬のりんご:自然界の柔らかい土、雑草の中での益虫と害虫のバランス、無農薬のおかげの酢による殺菌、育つのをお手伝いするだけ、愛情、、、

(10日)軽四2台のタイヤ交換をする。
叔母のところへ行くと、良い話があるという。
縄胎杯を見た人が、、、と来たので、注文かと思いきや、商売の話。
誰も知らないので、値段をつけたチラシを作り、年配者に送るべきとのことだった。
陶器と違い、持っても熱くない
徐々には熱くなるので、お茶などが熱くないと勘違いする事もない
以前従姉が言っていた長所。(年配者向き)
軽いし、落しても割れる事はない
値段は仲介業者を前提にしないで、五桁の一番小さい数にしている。
作り手としても、買い手としても、ギリギリ折り合いがつく感じのところ。
生活できるほどの注文がないから、ただ持っているより手放した方が、、、となるだけ。
午後から福光、砺波。インクや蛍光灯の管、延長コードなど。
屋外用のコンセントからセンサーライトに電気がつながるようにする。
暗くなった頃からやっと石膏型の作業に取りかかる。
サランラップを当てても、碗から石膏が上手く抜けず。
1/3程だけ切り分ける感じでノミで彫り、何とか抜け、後から石膏を流し直し、何とかくっ付ける。
後は乾漆素地の空研ぎなどをしただけ。困った状態と自分について思う。
夜、母から電話。叔母の知り合いの人が縄胎杯を2個ほしいとのこと。
はははくびがくびれているのはすきではないらしい。ひとそれぞれ。
今までは記憶だけで受けていたが、エクセルで記録していくべきかもしれない。

11月26日(日) 昨日、院展へ(27日追加)

朝、電話があり、巡回しない事になった作品をYさんが持って来てくれる。
どこかへ行くついでとの事で、少し話しただけ。
エプソンからダウンロードしたもので、昨晩、今晩とハガキの印刷。
この前と今日は宛名書き。
乾漆の仕事でやり直しばかり、錆で形直しでは、重くなるし、脆くなる。

昨日はR359経由で金沢へ。
好天だったので、歩き回りたい気もしたが、車で出かける。
美術館前で少し待ってから、やっと入場できた。
「院展」金沢展。自然、遺跡、古い時代の姿、同系色による微妙な表現、、、
逆光的なのには惹きつけられる。夕陽、月光。
「夕想」(田渕俊夫)が一番感じが良かった。
夕陽のところの木は、一つの点で描かれているところもあった。
白黒の世界に色を感じるべきなのかもしれないが、人それぞれの色感があるはず。
左下の白い部分が何なのか、、、?
月と夕陽とクロスするように濃い杉林と対応しているのだろうか?
大自然の奥深さ、自然の持つ生命感、、、
枝を通した月、桜の花を通した幹、滝を通した修行者、古木に咲く花、、、
現代を生きる事があまり感じられないのは、自分の所属する会と似ている感じがした。
城端のOさんと会う。日本画家でもあるおとうさんが良いと言ってという絵も良かった。
雪に映る枝と実際の枝の、微妙な表現。
後で見た図録には、「影綴り」というのがあり、梢を雪の上に描いていて、尚、印象的な感じ。
「Z・O・O」では、一人紙片を見ている小さい子が目立った。
「花ノ辻」、上から見たような図で、違う花が出会っているような、、、
2Fで横山大観のが展示してあるというので、また見て回り、帰宅。
荷造りをして、注文を受けていた縄胎椀と縄胎杯も持って行く。
スタンドで久し振りにOさんと顔を合わす。
市役所に貼ってあったポスターに名前が載っていたそうだ。
多分今月初めの総合会館でのだろう。言ってみればイジメそのもの。
仕事は決まったが残業が多く疲れが残るというと、「漆できないですね、、、」
従姉はこの前の酸化チタンがどうだったかと聞いてきた。
漆屋で買うのと全く同じ、安いだけ良かったが、、、
縄胎杯の方がもう少し引っかかりがあったほうが良いとのこと。
極薄の和紙を貼っていたのだが、春以降は、口回りと底あたりを除いては、紐or縄だけにしている。
作り方でも、形でも、かなり変化していく。
また一つ縄胎杯の注文を受ける。

11月19日(日) ファンヒーターを出す

朝から宮の雪吊り。参加者がかなり少なかった。
斜めになっている、かなり高い松を3人で、円錐状に縄が見えるように張る。
例年通りにできるまでの間は曇っていた。
昼前に帰宅したが、その内に雨が降り出した。
公民館へ市関係の投票に行ったり、用事で出かけたり、、、
金沢の展覧会に行きたい気もあったが、外出は止め、雑用もない。
ファンヒーターを出し、給油。
珍しく昼下がりから漆の仕事を始める。
数日前、寒くエアコンをつけたことはあったが、作業中は無暖房。
研ぎ、亀裂彫り、刻苧、錆。
箱書きを始める前にファンヒーターをつける。
注文のあったものに関しての箱書き。
御膳を机代りに葉書に書いてみると、腰が痛み出した。
宮でも少し感じてはいたが、、、

昨日、YAHOOのジオログで書き残した事。
家族が漆にカブレルかどうかという話のとき、手が黒くなっていないと指摘される。
「最近仕事をしてないので」
陶芸のRさん、手が荒れてないと指摘され、「…と同じで、仕事をしていない、、、」
以前は素手で拭き漆とか紐巻きをしていたが、最近は手袋をして作業するようになっただけだが。
T・宮への献上品で、高岡塗りの箱の製作に関わったものの名として、木地は誰某、螺鈿は武蔵川さん、塗りは私となっていたとかいう話。
宣伝になるなら何でも良いかとでも思う事にした。

11月12日(日) 寒い一日

午後、雨が止み気味になった中、砺波市美術館に行く。
American Photographers:
Exhibition from the Collection of the National Museum of Modern Art, Kyoto
月と岩山など、日本画の構図と同じ感じのもあった。
水墨画の感じがする写真もあった。
記録写真、イメージを表現したようなのも。
2Fでは市民ギャラリーでも写真展。
常設展では、道明生まれの立雲の書。
斉藤さんの方向性を感じさせる漆芸。
木が自然にもつ造形性を生かした作品が良かった。
昨日の続いて大阪屋で買い物してから帰る。

朝、輸送会社から電話があり、やっと戻ってくることになった。
開梱して取り出すと蓋が滑り落ちたが、壊れはしなかった。
人の意見を聞こうと出かける。母、叔母、、、
下の黒が透けて見えることを言っておいたからか、日が差し込むとき分かったとの事。
帰省していた姪にどう言うかと聞くと、"didn't win"
"blossom"と、見たとき。"cool"とも。
他のものと並べて比較すると漆の良さが分かるとの事。
縄目に関しては皆気にならないとの意見だった。
子供にも見せたが、大体、問題点がはっきりしてきた。
蓋の掛が少なすぎる。蓋が滑るというか、安定しない。初めて気付いたが、最大の欠陥。
朱の塗り重ねが足りない。この事は8月の時点で分かってはいたが、体力的に無理だった。
縄目の模様を錆で薄いレリーフ状に表現していたら文句は出ないとは最初から思っている。
ramiによる模様と補強が自分の課題。
戻るのが遅すぎ、部会の方にだすものがないことになった。

11月11日(土) 雨の一日

そぼ降る雨に紅葉も深まり始めた。
9時過ぎに家を出ると予想通り駐車場は混んでいた。
内科の方も多く、割合早く診察になった。
眼球の向きをいろいろ変えての診察などから病名が違うかもしれないとのこと。
右目にはほんの少し色素の沈着がみられるが、網膜の萎縮が感じられるらしいだけ?
どっちの方が軽いのか聞くと、あまり変わらないような?
夕方インターネットで調べてみると、網膜の萎縮は犬猫の病気のような、、、
遺伝のような?統計的に意味がある伯父母・叔父母は一人、従兄弟姉妹はもともと一人。
それより少し離れた血縁のことなんか、付き合いのある人々を除いて全く分からない。
普通の生活では何の不自由も無いことには変わり無い。
運転に十分気をつけるべきなだけ(それと慌てない事)。
カーマに寄り、シナ合板や長靴(今までのは水漏れしていたが、我慢して履いていた)などを買う。
サンキューでマスの寿しを探したが、気に入るのが無く、ジャスコ、大阪屋と回る。
帰宅したのが12時40分ころ。
いろいろしてから2時少し前に富山に向けて出発。
40分ほどで水墨美術館に着く。
昨日の開会式に行けなかったので、受付に封筒と招待状を出すと、入場券をくれる。
茶釜という伝統の制約のある世界でも、こんなにいろいろな仕事ができるのかと感心した。
鐶付きやつまみに遊びというか、大胆なことができるようだ。
驚くほどやつれておられたが、薄茶の席にご夫妻と同伴。
生活、出品の事などを話す。体力の限界が今年の自分の現状だろう。
小矢部での展覧会、多分新聞で見られたのだろうが、のことも話題になった。
謀(本来は某)・の誰某がさっきおいでた、、、そういえばみたような、、、
帰りはかなり薄暗くなっていた。

10月22日(日) 二度目の県美  (10.27追加)

もう一度行かねばと思っていた「人間国宝 松田権六の世界」(石川県立美術館)に行く。
山側環状を通り、兼六園への案内がある交差点で右折。
美大前を通り、小立野方面の案内を見て、適当に大き目の交差点で右折。
松バラ病院が見えたのでやっと見当がついた。
厚生年金会館横を通り、それなりに混んでいる駐車場に入る。
「蒔絵玉すだれ文盤」の白漆、城端蒔絵の白漆と同じほど白いのでは?と感じた。
本に書いてあった漆を使ったのかな、、、と思った。
(今、図録の解説を見ると、やはりそうだった。図録では老木とだけあるが、本では冬に採取したとあった気がする)

(10.27追加)掲示板でTERAIさんに岩波新書にあった気がすると書いたが、間違いでした。
「うるしのつや」(日本経済新聞社)p144 「玉虫厨子」の記述に関連して載っていた。
・・・老木の茶が濃茶になることや、生薬、染料、香木など、ことごとく老木にして初めて妙薬になることを知り、老木の漆を採集して使ってみると若木の漆に比べ、透明度の高い点で、大変相違のあることがわかった。更に、その採集時期も常識外れの真冬に、日当たりのよい南側斜面の老木からわずかの液を得て、これに朱やチタニウムを加えたところ、かってみたこともないほどに鮮やかな朱や白い漆が得られた。・・・

「蒔絵螺鈿有職文飾箱」は、蓋をまくって展示してあった。
身の端の線が僅かに内に入っていた。蓋の方に動きは見えなかった。
「蓬莱之棚」網代にどうやって鶴を描くのかと考えていたのだが、斜め下から見ると網目が見えた。
泥絵の波模様もすごいが、平面でないところにきちんと盛り上げるのも驚異的。
脚先が水の中に消えるあたりがどう処理されているか見たが、よく分からなかった。
左の方のは泥絵の線で終わっていたが、右の方のは水の中だった、、、
多分見納めになるだろう「草花鳥獣文小手箱」を何度も観た。
ギャラリートークというのがあり、X線で見ると、入っているということになっていた金網はないらしいとの事。
型として使っただけで、素地は完全な乾漆らしい。
図録では、蓋裏の獅子の咆哮に脅え逃げまどう鳥や動物と解説してあるが、鳥の方はそんな感じがしなかった。
特に大空を飛んでいる感じの雀はのんびりしている風にも見えた。
図録の解説の通りというか、通説のとおりなのかもしれないが、対比は草花と鳥獣だけなのか、地上と大空にもあるのか、、、?
楽浪漆器も斜め方向から光を受けるような位置から見ると、素地としての木地が無くなっていて、その両側の漆層が残っているのだと分かった。
布目は見えなかった。
漆鏡はこ何かは、私の説なら当然麻布で、側面と底面(天板も)を補強してあるべきなのに、そうなっていなかった。
指物木地ではなく、刳り物木地なのかもしれない。
ギャラリートークで1時5分からこの前の「漆聖 松田権六の夢見た世界」の再放送があると言っていたし、緻密な世界に触れた印象をそのまま残したいと思ったので、2Fのコレクション展には行かないで帰ることにした。
帰りはいつものように街の中を最短で通る。こっちの方は早いのでは?
1時4分頃帰宅し、NHKをつける。5分になっても別の番組。
石川県だけの再放送だった!画面は悪かったが、見た。
「傳移模写」、、、

9月30日(土) 金沢

今日だけは好天という天気予報。
9:50AMに出発。
昨晩、インターネットで地図を出し、印刷。200mのから5kmのまで4種類。
この前金沢へ行ったとき、山側環状というのが、右折ではなく、感覚と逆の左折で入るらしい案内を見ていた。
案内に従い、左折すると、道はギュット反対方向に回り、自動車専用道の感じで出来ていた。
金大の角間キャンパスへの看板が見えるあたりは町だったが、また山の中を走る感じ。
また町の感じになったあたりで、なんとか長坂3丁目東の交差点を見つける。
右折するとすぐ郵便局が見える。
グリーンアーツというのもすぐ近く。
駐車スペースが分からず、空いている所におく。
違うかもと建物の前に移動しようとするとガス―ンという音。
コンクリートの仕切りがあり、それにぶつかったらしく、車の側面の下部分が凹んでいた。
結局、空いていた場所に戻しただけ。
2Fに行くと、すぐ記帳してほしいとの事。T*oさんがおいでた。
自分の場合でも、何時も会っている人の名さえ度忘れすることがある。時間を置けば思い出すが、、、
自分の場合は、出品作とそれ以外の作は大違いな仕上りになるが、そういう事はない。
月曜日にT*iさんがお世話になっているS先生もおいで、「小矢部で乾漆をしている、、、」と挨拶。
側で聞いていた話のメモ。
10号紛を蒔き、なしじ漆をのばしたもので紛固め、ティッシュで拭き取る(2回)。
磨けば光るが、使っている内に光ってくるし、塗り立てにも合うからそのままにしている。
背景の部分の金を蒔くための塗りは、細い筆で塗りこんでいくそうだ。そんな感じがうっすらと見えるのが良いらしい。
変わり塗りに関しては、たんぱく質で絞漆はできるが、ゼラチンは細かくなるし、豆腐は粗くなる。
錆も作ってすぐでは駄目だし、配合を変える(水と漆)だけでも大きく変わる。
S先生が左折して行かれたし、地図を見てもよく分からなかったので、左折して中心部へ向かう。
野町広小路を示す案内板が見えたので、左折。
泉野町のS先生宅への道と同じ所に出、何とか美術館に向う事ができた。

正午少し前、美術館の駐車場は、信じられないぐらいガラガラだった。
図録ではよく目にしていた作品が並んでいた。
100点エピソードの卒業作品も初めて見た。
金の輝きもあったし、引っ掻いたところが面の部分もあった。
ウサギの逃げ方にも変化があった(あまり驚いていないようなのも)。
図録には余情の美のような解説がある。

一番見たかったのは、蒔絵ではなく、楽浪遺跡からの出土品。
よくは見えなかったが、麻布二枚の感じの薄い素地のもあった。
縁周りは太く、補強をしてある感じ。
仕事道具も展示してあり、参考になる。
コレクション展(2F)も漆器関係が多かった。
Hさん、前先生もおいでた。
長時間いて外に出ると、駐車場はかなり埋まっていた。
石動でパンなどを買い、昼食代わり。3時20分は過ぎていた。
帰宅後、湯来楽に乗せていってもらう。のぼせた感じになる。
帰宅後、急いで白漆を塗る。

9月23日(土) 自転車で 24日(日)

ガソリン高騰の折、サイクリングの感じで、強風それも向かい風の中、高岡に向かう。
11時10分を美術館の時計は指していた。1時間10分かかったことになる。
「四大浮世絵師展」(写楽・歌麿・北斎・広重)
解説を読みながら見ていく。
線による輪郭と細かい描写で、言わば決めのポーズ。
動きが感じられる。
北斎は、西洋画の透視図の研究もしていたらしい。
教科書で見たことのある絵も多い。
富嶽三十六景の甲州石斑沢の斜めの岩の構図は大胆。
隠田の水車の水、波の表現と同じ感じというか、ラーメンみたいというか、何か変
今は都会でも、当時は農村か漁村がほとんど
北斎、広重は別格の感じ。
「憂世」が、景気復興の中で、浮き浮きと楽しむべきだと「浮世」になったらしい。

知り合いには合わずに会場を出たとき0時50分を過ぎていた。
下のショップで図録を買うとき、やっとFさんがいた。
すぐに帰るのもつまらない気がしたので庄川方向に向かった。
パンでも買おうと思ったのに店が見当たらなかった。
車3台をみて家族団欒の邪魔かと一度別のところに向ったが、結局戻る。
奥さんが外にいて、中に入ることになる。
展覧会や支部の事をいろいろと話していた。
人間国宝の話になり、昨年の事は誰も予想していなかったと言うので、話す。
10年以上前頃、箱屋の和田さんが、地元で一番可能性が高いのは大沢さんだと言っていたことを。
私自身信じられない話だったが、その後作品を注視するようになり、何時かはという気だけはあった。
3時頃に帰る。階段状に右折を繰返していくと、見た感じの神社。
何度か訪れれた家の前を通り過ぎ、兎に角あまり通った事のない道を追い風に助けられてペダルをこぐ。
それが逆にかなり遠回りになったが、1時間ぐらいで帰宅できた。
縄胎杯の作業に取り掛かったのは6時少し前。
水砥粉をつけ、刷毛で艶消しをすると、幾つか貝が取れてきた。
漆が乾きすぎに近いときに貼ったものがほとんど。

(24日)家から200m以上は出なかった。
貝がまた取れてきたりした。
ゴミを取り除くとき、ブラシを付けると吸いこむ力が弱いので、ノズルで直接吸うことにしている。
その所為もあるだろうが、使う物である以上、かなりの刺激に対応できる必要がある。
普通なら、貝の回りに薄く塗り、補強してかかるのだろうが、、、
白漆の発色の為、不乾漆を混ぜてみる。
不乾漆の正体は、硫化水銀朱を練った後、時間が経ち、漆も乾かず、粉とも分離した漆のようだ。
桶の底(能作)に朱の粉が少し沈んでいたので、そう思う訳。
漆を焼くよりは、乾く漆と混ぜる事で強いのでは、、、

9月16日(土) 健康診断 17日(日) くろめ? 18日(月) 美術館

腰痛に悩まされたままの1週間。
26,7年前に買った低周波治療器サンマッサー、医者よりの湿布薬、医者よりの腰痛用コルセットで対処してきた。
今日は塗装滓の片付けで半日強。
どうなる事かと思っていたが、何とかもった。
子供に乗せてもらって湯楽来に行く。
低周波が流れているところ、薬湯、泡(ジェット)、サウナなど疲労を取るため回り、1時間ほど。
帰り新規開店のジョーシンに寄り、パソコンやテレビを見たりした(買う予定はない)。
8日前立ちあがれなくなったとき医者に乗せていってもらったお礼の梨などを買いにも行く。
帰宅後、またサンマッサー少々。
縄胎杯の外側の中塗りをやっとする。
この4個はまだ耐電子レンジの試験をしていない。
漆の世界に何時自分が戻るのか、、、熱意が感じられない。
昼下がりに帰る時、8月10日の健康診断の結果を貰う。
検査した事に関してしか結果は出ない。
既往症で自分で記入しておいたものは検査の対象外だったから、病気ではないことになる。
問題点らしいのは肝臓関係のGOTで32。31までが異常なし。
二年ほど前までの数値に比べれば劇的に回復;しているのに、今のところでは初の健康診断になるので軽度の要所見となる。
アキレス腱反射異常などもあるらしい。膝を叩いても反応しない。
HDLコレステロール(血管の内壁に付着したコレステロールを肝臓に運び去る善玉コレステロールです)、40以上が異常なしのところ、65。
中性脂肪、149以下が異常なしのところ、45。
半年で運動不足と言われていた面は、著しく改善した事にはなる。
1,2回しかできなかった腕立て伏せが5回は出来るようになった。
腰の過労、立ち続けによる脚の過労が新たに出てきた事になる。

(17日)今日はパソコンが立ちあがるのに1時間以上!
1週間振りの酒で二日酔いもあっただろうが、腰の痛みはかなりあり、動くのが面倒な感じ。
天気予報が外れ、雨はほとんど降らず、自転車ででかける。
梨を持っていき、叔母と話していた。
1週間違いで親子とも同じことを言ったことになる、物作りをしろという合図かも、と。
午後から石膏を買いに行く。5460円(25kg)。
郵便局のポストに、返事が必要だった件のものを4つ投函。
ついでにヤマダ電機に寄る。昨日の店よりは狭かった。

午後でかける前から、弱い晴れ間と風に期待して、3,4年前の生水漆をくろめてみることにした。
勝手な想像で、縄文時代のように(?)、天日のもとに放置する方法。
時々攪拌するだけ。それにしても真夏にすべきだったろう。
生漆は半年から1年で不乾になるから、それから水分を取り除けば、流れが良い不乾性の漆が出来るのでは、、、?という期待である。
途中で重量を計っておけば良かったと気付き、計ったら1.1kg(入れ物とも)。
風が強く、針の動きが大きく、正確ではないが、、、
帰って家の中で計量すると、重量は同じままだった。
外においてあったのは3時間ぐらいで、半分ぐらいは曇りの状態。
この前の出品で流れなかった、黒+透に混ぜて付けを取ってみた。
この前のは3時間で艶に変化が見えた。
この前のに2,3割の今日の漆を混ぜたのは、5時間ほどで艶に変化が見えた。
7時間後には、厚い部分は両方とも縮みが出ていた。
まだ結論をいうほどのことはしていないといえる。

(18日)金沢に向けて8時半過ぎに出発。
カードで給油、リッター141円。
「国宝 信貴山縁起絵巻」
混んでいるというより、ゆっくり見られる人数だけ入場させ、その結果待つ人の長い列。
拡大した写真やビデオなど、丁寧な解説も掲示。
絵も丁寧に描いてあったが、読み取りは困難だった文字も流れるような感じだった。
「延喜加持の巻」 住吉模本と国宝の詞書の位置が違うそうだ。
皺を合わせると、元々は住吉模本のように並んでいたらしい。
時間的に過去である、宮中へ向って走る姿が後から出てくる。
国宝の並べ方だと、「山崎長者の巻」の、俵が戻ってくる描き方と同じ(左から描かれる)だといえる。
では何故、剣の護法童子は時間の流れが逆に描かれたのだろうか。
タイムマシーンで過去に戻った姿を描くようなものだろうか?
右から順に描かれるはずが、逆になっているのは、描かれる内容が人間の世界ではないことを示す為ではないのだろうか?
法力というか、仏の世界を表現する方法ではなかろうか?
そうなら、元々の姿を残す住吉模本の方が、詞書の後に宮中に向って走る童子を描いている点、絵巻を見るものに、法力を納得させるのではと思うのだが、、、
絵を並べた方が理解はしやすいだろうが、人間中心思想とでもいうべきものを感じてしまう。
言い換えれば、人間中心的発想が力を持った時代に、国宝のように並べ替えたのかもしれない。
奈良の大仏の前の、時間の経過を描く方法も斬新な気がした。

台風13号でフェーン現象、晴れで風が強く、暑い日だった。
昼頃帰宅し、食事関係。
昨日に続いて、生水漆をブリキの菓子箱に入れて、天日だけに頼るくろめ。
なやしというキメを均一にする作業、圧を加えるべきというくろめ作業を省略。
200匁の内、底に沈殿したのは混ぜてなくて、今日は5グラム減っただけ。
1%前後という事は、生水漆のままに近いのか?
昨日は、どんぶりにあけておいたのだが、ブリキの菓子箱にくっ付いて残っていた生水漆は乾いていた。
という事は、まだ摺りに使えたという事になるのだろうか?
腰のほうは、湿布薬を貼り続けているのにまだ痛い。

9月2日(土) 輪島へ 3日(日)

いつものことながら出かけるかどうかは直前まで決まらない。
少し曇り出したが、何とか持ちそうなので、9時半頃出発する。
多分最短距離の氷見市大野を経由する道を行く。
丁度12時頃ファミィに到着し、パンやコーヒーなどを買う。
美術館駐車場で昼食。
「木工芸と漆 ―木目を生かす技と艶―」
展示室を観てから、講義室でパンフレットを見て待つ。
メモを取らなかったので記憶が正確かどうか。
木には、台風などにより折れたのを修復しようとしたり、雪に耐えようとしたり、他の植物との生存競争(太陽に向う)、生える場所(重力)という環境などによる癖がある。
一皮向けば、木の持つ表情が見える。濃い赤とか黄は病気を示す。
時代大椀の再現で、薄い糸目柾は漆で固めると中に空気の層が残り、熱を逃げ難くしていると気付いた。
欅は適した材がなかったが、白山スーパー林道の工事で見つかった。
神代杉を除けば、地中から出たのは狂いやすい、、、
槙を人生の終わりに使うのは、弥生時代のものがそのままに近い状態で残っているように、何時までも大切な人にいてほしいという願い。
彫りこむなら黒曜石でもできるが、雲(渦)形に浮き彫りにするには鉄の刃物が必要
その事を奈良の館長に話したが、弥生時代には鉄はなかったというのが定説で、相手にされなかった。
しかし、その1,2年後に砂鉄からのと、鉄鉱石からの鉄があったという記事が新聞に出た。
それを館長に送ったそうだ。
技術的な視点の大切さ、再現できる事、それが科学であるということになるだろう。
展示室に場所を移し、列品解説。
来歴の分かる木の方が良い。
持ち手にあたるところの曲げ方、手で持つところを砂で荒し傷つき難く持ち易くしていることなど、、、
四角いのもそのまま轆轤にかけている(非常に危険だが、、、)。木を無駄にしない為。
漆をかける回数は、捨て掛けを含まない(ビデオを見ていると、リグロインでのばしている感じ)。
若い頃の挑戦として、毛筋。3oに24本。幅も深さも同じでないと、漆を掛けるとムラが出るそうだ。
氷見先生の文鎮の形の話は、観ても良くわからなかった。
寺井先生の蒔絵は、I医院の院長さんの依頼のきっかけに、川北先生がお願いしたのだそうだ。
家宝にする、、、
sさんが案内してくれるというので工房長屋に行く。
依頼を受けた修復作業、個人工房、販売など。
生きる道がない身にはうらやましい感じがした。
帰宅は6時50分頃、かなり薄暗くなっていた。

(3日)朝6時より宮の草刈など。
1週間振りに富山に行く。少し咳をしていた。
昨日やっと菌が減り、今日は無くなったとか、、、?
体温も37度を切るようになったそうだ。
縄胎杯を使っていないので聞くと、お茶を飲むとき臭いがするとのこと。
使っている内に無くなると話す。漆の抗菌作用の事も話す。
今日使ってみると、臭いは感じなくなっているとの事。
戸出でキャッシュコーナーを探したが見つからず。
ぐるぐる回って戻ってくると、マークが見えた。
昨晩の縄胎杯の塗りで隅が縮んだのかと思ったが、削ってみると、錆が残っていただけだった。
外側の紐目を研ぐ。
この前貝を貼った縄胎杯と縄胎椀の艶消しをすると、二つで貝が剥がれたので、貼り直す。
二分刷毛が擦り減っていたので切り出しなおす。
それから外側を研いだ縄胎杯の中塗り。
白漆を練ろうかと思ったが、昼でさえ寝転んだくらいだから、やめた。
入選が目的か、自分の信じる漆器の作り方を完成させる事が目的か。
これからはもっと絞っていくしかないだろう。

8月26日(土) きゅうようび? 27日(日)

朝から片付けで時間を取られる。
順番を変え、まず砺波支社へ向う。
晴れ続きだが、通りぬける風は秋を感じさせるので、自転車で出かける。
一年程前にCADの講習に通い始めた建物である。
彫刻を観た後、記帳し、入り口前の休憩所へ。
訪ねて来ないなという話を始めた頃に、また次の来客。
見たような感じの人だとは思ったが、誰かは分からなかった。
庄川美術館の館長とのこと、漆展(前回の)のときに会っていた!
この前の螺鈿の講習(I先生)のことや堀田先生が彫刻塗りを習った事など、、、
漆がカブレる事がネックになっているような話だった。
自分で表現したい人には、漆である必然性はない。(カシューで十分というような話)
工芸の生きる道は、素人ができる範囲で作品作りに参加する。
この二つが道のようだ。
学校の先生をしているとき、昼はバレーボール、夜の8時から12時まで彫刻、帰宅し1時に寝る。
朝は6時半には起き、、、土曜から日曜はずっと彫刻、、、を十数年続けていたそうだ。
特定の師匠はいず、富ダイはレベルが低く、金美で石膏どりなどを見て身につけたそうだ。
油絵をしていたが、彫刻なら、、、なので、、、
自分との決定的な違いは、そうした努力を続けたという年齢に、こちらはやっと漆をスクールで習い始めたというてんだ。
関係ない話になるが、いくら習い始めが遅く、その上、漆をしている時間なんて非常に少なくても、40を過ぎれば、何時の間にか「中堅」になってしまう!?
普通なら15年から20年経験して呼ばれる状態に2,3年でなってしまった、呼び方の上でだけ。
別の人々がまたお出で、同じ苗字の人の話から、海軍の下士官が砺波駅に降り立ったときの思い出。
それで同姓同名の人が多い話。
彼女からの郵便物がその有名な人の家に届いてしまい、、、
富山大空襲を見た時のこと、B29の機械音が今でも聞こえてくる、、、
6月に県展の出品に4日ほど徹夜して、心筋梗塞になり、運良くすぐに病院に搬送してもらった話。
般若中の教え子が外科の先生で、血が通ったときに極楽になった、、、
会場の受付にいた人に、築40年の漆塗り(よく聞くと拭き漆のこと)ができないか、、、
先生には、髪に挿す何か(笄?)の修理を預かっているが、何かできないか、、、
収入の為の今の人生と、漆で何とかしようとしたかもしれない人生。
自分の最大(?)の欠点は、値段が決められないことかも。
昼頃、眼科。特定疾患のおかげ(?)で、月の負担は1回のみ、今日は負担なし。
サンキュウで買い物。
帰宅すると2時を過ぎていたが、少しは栄養を摂る昼食。
疲れで昼寝。結局、1時間半ほど寝転んでいた。
湯来楽へ行くというので、一緒に行く。
足の痺れが少し軽くなったような、逆に少しのぼせたような、、、
ジャスコで買い物。
夕食で飲んだりして、結局、仕事はせずじまい。
本当の休養日になったかどうか。「り」が挟まる日ならよかったのだろうが。

(27日)夜パソコンを立ち上げようとして、7,8回勝手に切れてしまう症状を繰返した。
1度コンセントを抜いてやり直すと何とか立ちあがる。
富山へ縄胎杯を持っていく。朱と白を混ぜて塗ってあったのだが、色が良いとのこと。
少し位置関係を知ろうと、街の中に向う。
中央植物園という看板が見えたので行ってみる。
写真は沢山撮ってきたが、池と芝生が目立つところともいえる。
真夏の日差しが強く、花の数は多くはなかった。
どこを走ったか不明だが、何とか知っている音川線に出たようだ。
給油し、叔母のところに行く。富山での様子などを話す。
魚釣、包丁研ぎなどと話が飛び、昨日の話もする。
漆の仕事は受けた方が良いといとこがいった。
時間的というか、体力的というか、困難には違いない。
夕方からやっと漆の仕事に取り掛かる。
貝をつける前に、必要数の塗りを進める。
最初に作った和紙を離型に使ったのに亀裂が見えていたのを修理する事にした。
補強にラミー紐を端から巻く事にした。10周ほど巻く。
これで大丈夫になるはず。

8月6日(日) 終わる

いろいろな事が大体終わり、疲れが残った。
午前中は荷造りまでし、結局、営業所まで持っていく。
米とコーヒーだけを買い、帰宅。
午後は、佐藤さんの追悼文集をやっと読了した後、昼寝。
差は自宅を訪れたかどうかで出ている感じがした。
個人的交流は漆器を通してだけあった。
運動は苦手な方だったが、脚力を使えるのだけは何とかなってはいた。
人生、何をしても一流にはなれなかった。
ゴミの分別などをし、部屋に散乱しているのを片付けたり、、、

今までの経験で、練って半年以上経った本朱と透き漆は割合流れが良いはずだった。
気候の所為もあるだろうが、透き漆が全くと言ってよいほど流れなかった。
付けの感じでは何とかなりそうと判断していたのだが、全く違ってしまった。
残業続きの中で無理をするにも限界がある(体力がもたない)。
別のこともあり、それに合わせたりと、、、
逆に視野検査の前の晩は無理をしてみたり、、、
右眼の上に残っていた細い線がほぼなくなっていた。
毎年何%かずつ進行はしているのだろうが、100%になるとはっきりする。
いろいろな意味でこれから何をしていけばよいのだろうとおもうだけ。
作品作りなら、ギリギリにならないよう早めに作っていくしかない。
収入のための生活が終わるころには大事なことのせかいもおわるしかないのだろう。
いろいろかさなったことがおわってもあんどかんはない。

7月15日(土)・16日(日) 麻縄

人のことなら本気ならできないはずはないというだろう。
できない言い訳としてなら、それなら同じ状態でやってみろというだろう。
何も生み出さないぎろんより、できる範囲でやるしかない(できる限るとは言えない)。
テレビを見ない生活はかなり長くなったが、パソコンをつけないことも多くなった。
12時頃に寝、6時過ぎに起きる日が二日続いた。
寝た日で言えば月・水・金、起きた日で言えば火・木・土、一日おきに不眠状態の感じ。
漆をする時間のためにも短時間でも熟睡したい。
日中の水分不足感の反動か、帰宅後アクエリアス、牛乳、医王石の水を飲みまくる。
精神的な事も含めて、全て悪い循環に陥っているのだろう。
今朝は、昨晩の中塗りの錆を見る。
7時までの資源ゴミの回収に行く。洗濯物。
麻縄を貼る前の中塗りのため、名倉砥で研ぐ。
余り使っていなかった一寸刷毛がまた固く固まりかけていた。
一番高い刷毛だし、物を大切に使うとは、こまめに使い続ける事だと実感。
11時半頃になり、急いで眼科に向う。
年に1度の申請の書類を持っていったからか、先月に続いて視力検査。
一人の看護師さんだけがこちらの事を覚えているのか、二日ほど前に札幌から届いた追悼文集を読んでいるとき、直接座っているところに呼びに来られた。
左目の視力がよく見えなかった。
矯正すればそれなりには見えるから、乱視が進行しているのかもしれない。
視野検査の予約、午後は都合が悪いとの事。
漆の仕事時間確保の為には午後の方が都合がよいのに、、、
帰宅し、昼食。疲れで廊下で寝転んでいた。
静岡炭で研いで、麻縄を貼ろうと作業を開始するも、上手くいかない。
張りがあるようにできないというか、縄をかなり締め気味にしているので、思う様に扱えない。
リグロインで薄めた生漆を吸わせたのがまずかったかと、また縄を作ってみる。
やはり上手くいかないので、明日まで別の方法を考え付くしかない。
今回のには使えそうな方法は考え付いたが、全てに使うには面倒過ぎる感じ。
半ば漆を捨てざるをえなくなったとはいえ、自分で完成させるしかない。

(16日)麻縄貼り。
昨日上手くいかなかった原因は、撚りを十分かけていたため、固く締まっていた点にある。
穴を縄が柔軟に形を変えながら通りぬける事ができなくなっていた。
これが支部展のときとの違いだ。
穴を大きくすると素地を壊す事になる。
結局、入り隅に径1ミリの穴を所定の位置にあけ、細い麻紐を通し、小さい釘を内側で縛る。
細い麻紐で麻縄を内に引っ張るため、釘を回して締めつける。
リグロインで薄めた生漆を吸わせておいたのは正解かどうか?
細い麻紐で外側に輪を作り、そこへ麻縄を通すのだが、その前に入り隅付近に糊漆を渡しておけば、穴の中にも糊漆が入る事に途中で気付く。
麻紐と麻縄を同時に引っ張り、締まった状態にしてから、内側で釘をできるだけ締まるように縛る。
やっている内にそういうことを思いつき、何とか貼り終えた。
側面全体に貼るとするなら、一体どれぐらいの時間がかかるのだろう。
乾漆よりは丈夫になることだけは確かだといえる。

7月8日(土) 外出も

1週間以上、インターネットとメールを見ない生活。
HPの更新を1度し、迷惑メールの受信・削除だけをした。
具体的に書くべきか迷うので、曖昧なままにする。
分け隔てなくせっしてくれていたかたがなくなり、おおくのひとにみおくられた。
今日は、出品申し込み書を書き、郵便局の窓口へ。
平日の体力回復(?)のためのスポーツ系飲料などを買う。
足先に痺れ、痛みが残るのでインナーソールをまた買う。
1000円入金しチェックをしようとするも、ジャスコのでは出来ないと画面に出る。
福岡まで出かけ、1000円入金し通帳のチェック。なし。
電話すると、とりに来てもらえればありがたいとの事で、出かける。
廃業に近い状態なので、漆桶をもっていく。
肉体的に完成が90パーセント以上無理と分かるが、早々と敗北宣言をするとどうしようもなくなるので、という話をした。
結局、始めたのが遅いから精神的に若いだけ。
4時間近く、漆や自分らしさのことを話していた。
帰宅後、午前に続いて水指の研ぎ、形作り。
アイディアだけはある。

6月17日(土) となみ野美術展2006

このところ疲れが残るので7時間以上寝るようにしていた。
昨晩は8時間以上寝ようとまた少し早めに寝たが、途中で目覚め3時間ぐらい眠れなくなった。
体調が重い感じのまま6時15分過ぎに起き、資源ゴミを出しに行く(準備の残りも含め)。
今日から始まる美術展の開会式に少し早めに家を出る。
入り口付近に向かう姿がYさんらしい人が見えた。
向こうも気付き、修復関係の仕事を受けようかという話を聞く。
出品でさえ危うい状態だが、かといって今の体力を極度に消耗させる平日に負けていては、数年後、最長10年(考えてみれば9年余)後に漆を再開(?)する道がどこにも無いことになるだろう。
今でも細々として注文は受けてはいる。
ただ何時仕上がるかは我ながら当てにならない。
昔の技術に触れる機会も今のままでは全く無い(過去も無かった)。
正会員なら文かチョウから云々とTa先生は言っていたが、地元からも相手にされない。
Hoさんとの話でも、後のSaさんとの話でも、諺と違って、近い親戚だけという感じ。
話としては、仕事の反応は全く無かった、何人かが対応してくれたが、、、
会場に入って、図録にあったZeさんの日展出品作が目に入った。
開会式での講評を聞いていると、新しい解釈が必要らしい。
批評の基準としては15年前の津山さんから進歩しているのだろうか。
日本画の一点毎の講評、遠くで聞こえていたとはいえ、すごいものだと思った。
具体的に対応できる事が審美眼を感じさせる。
小矢部のSiさんがおいで、一緒に工芸の所に行く。
顔は覚えていたが名を完全に忘れていたYaさんも一緒だった。
そのまま会場に残ると、工芸の解説が下(1F)から回ってきた。
工芸会は工芸会で、作者がいるから作者にということで、一番先に自分の番がきた。
県内未発表、この前の漆芸展の作品(という事は言わなかったが)。
輪花の形、麻紐で変化、塗り立て、最近の傾向とは逆に地味を目指している、、、
造形に主眼を置く日展と制約の多い中での創作を目指す伝統工芸展、気持ちの上では同じかもしれない。
3Fでコーヒー券。Saさんと仕事が無い(卒業生の就職も無いはず)ことや椀の内側に麻紐を貼って使っている、、、
美術館を出るとき、To先生と一緒になる。漆では生活できないでしょうねと言われる。
駐車場でまだ正午前だったので、眼科へ行くことにした。
正午のニュースをしていたが、まだ受付できるか聞くと大丈夫とのこと。
眼圧、視力検査の後、診察。
今使っているメガネでの視力は0.7だそうだ。
症状は安定しているそうだ。
となみ野美術展の招待券を二枚渡す。
1時間余りで出て、買い物。帰宅後、昼食。
2F廊下窓のカーテンが届いていたので、古いのとつけかえる。
疲れが出てきて、玄関前の廊下で寝転んでいた。
3時過ぎにやっと起きて、水指の地研ぎというか、定規に研ぎ合わせる。
後でリグロインで薄めた生漆を吸わせたが、明日までまた狂うかもしれない。

6月10日(土) 列車で金沢へ 11日(日)仕事をしないで、、、

朝6時から宮の草刈。疲れを感じずにできた。
二人のKさん(一人は苗字、もう一人は個人名)、支部展を見に行ったとのこと。
倶利伽羅駅に車を止め、金沢に行く。
石川支部展。華やかというのが感想。
文化が親子で遺伝するとは思えない。
石川県に在住する事が百万石の文化を継承する所与であるはずがない。
時代とか展覧会(会派)の影響(その前提に感動がある)とかライバル意識。
単なる物真似まであるだろう。
研ぎ出し蒔絵でありながら立体感が二重に感じられる作品もあった。
16Fで昼食。4代前の先祖の一つのいた浅野川辺りも見えていた感じがする。
もう一度会場を見てから、尾山町へ。
生漆200匁、生正味漆25gなど。
有名人が利家役だというので、付き合わされる感じで駅前に5時頃までいた。
見えてはいたが、車道4車線分ほど離れていたし、前に人の頭が並び、よく見えはしなかった。
肉体的疲労感と徒労感、帰宅後もほとんど仕事をしなかった。
納品書をエクセルで朝の続きで作っていたぐらい。

(11日)「乾漆縄胎香合」を送る準備で、エクセルで納品書の直し。
聞いてもらったが、メール便では送れないし、輸送の保証も無いとの事。
砺波市美術館から県内未発表かとの確認の電話。
少しして、香合の納品書の件で電話が来て、また作り直す事になった。
袋に入れてガムテープで留めただけとはいえ、荷造りのし直しも。
となみ野の方の作品を預けてから、香合を持っていく。
その内に高岡へ見に行っていたいとこが帰ってきた。
もっと縄が目立つように高さがある作品の方がよいし、模様もいろいろ工夫した方がよいとの事。
午後から庄川美術館へ搬出に行く。
途中、ジャスコで肘当てを探すが、分からず、聞く。
薬品売り場にあるとのこと。980円ほど。
作品を取り出してくるまで、展示中の県西部日本画展を見ていてくださいとの事。
この前の方がまだ覚えていてくださったようで、漆展の礼を言われる。
戻ってすぐ母を乗せて高岡市美術館へ行く。最終日。
Oさんに母を紹介する。
陶芸を習っていた方の受賞作を見たりしていた。
疲れたようなのでビデオを見ることにした。
練り上げ、羅(経糸を絡ませるらしいが、難しく理解できず)、、、
手の感覚、道具を使いこなす、技術を見せたがるようでは品物になってしまう、、、
Tさんがビデオを見に来られ、こちらが帰るとき少し話す。
目の事を心配してくださる。
作品も期待しているとの事。
母に紹介したとき、美術館はやめられたとの事。
今年は会わないなと思っていたが、年月が経ったということだろう。
帰宅後、腕当てが一つしか入っていないのに気付き、また買いに行くことになる。
いろいろ回ると結局7時近くの帰宅。
それから少し錆を見た程度。
素地が、二度リグロインで薄めた生漆を吸わせたにもかかわらず、まだ少し動く。
歪む動きではないので問題無いのかもしれないが、、、
人から見て頑張っているようでも、何かが足りないし、身体は疲労と痺れ。

6月4日(日) 車で金沢へ

何とか目覚めたので、日展を観に行くことにした。
出発は8時24分頃。石川県まで8つある信号の内、7番目でひっかかっただけ。
50分もかからず、美術館に着く。
「国家の品格」を読んでいる間に駐車場に車が増えていった。
友の会で、800円。
下の彫刻の展示へまず行く。
最初の作品「陽光」は、いかにも特選という感じで、堂々としている感じを受けた。
「日ざしを追う」斜め上に向かう姿が印象的で、木肌とともに祈りの感じがあった。
「はんなりと石庭に」とか「明日を夢みて」とか「Sunny Days」とか「波紋」とかが良かった。
そんななかで「明日」、目が合う作品は珍しい気がした。
遺作となっていたふくろうのは、よく観るとユーモラスな表情に見えた。
洋画は、風景とか人物が多く、斜めを見るというか視線が遠くを向いているのは、何かを考えている感じを与える。
二階の日本画。
「耀」が神秘的な光を感じさせ、一番気に入った。
「海鳴り」も、空の雲、海の波、手前の細い茎の傾きと、構図とともに迫力があった。
「豊後里道に月を見る」近くで観ると細かいのが、離れて見ると暖かい雰囲気を感じさせる。
「water」金魚らしいのの他に足先が見え、よく観ると誰かが水槽を覗いている。
疲れたので休憩の椅子に腰掛ける。
休む人が増え出したので次の展示室へと向かう。
形として造形的に面白いのかもしれないが、緊張感がない感じで、自分向きではないと思った。
加飾的には「朝陽の響」が感じがよかった。
書は、一生懸命書いている感じとゆとりのある感じに差がある気がした。
Art Guideなどを買う。
工芸というものには「作者が何を表現しようとしているのか、何を訴えたいのか、、、」という解説が付き物。
素材というものがあるから、どうしても精神性だけでは説明がつかないのだろう。
正午直前に帰宅。
麻縄による表現を考えたりしている内に眠くなってしまった。
昨日試みた幾つかの撚り方、生漆自体と灯油で薄めた生漆を吸わせた比較。
技法が評価されない以上、風とか波とみなすしかないのかもしれない。
平日の時間がない上に、、、

5月27日(土)28日(日) 富山支部展

火曜日に搬入。その日の午前2時まで裏の塗り直し。
3時間40分後にはもうしまっていた。湿りを強化し、8時頃包装。
会場での作品展示準備(チェックも)。午後は鑑査。予想外の結果を覆す力のない無力。
木曜は午後から、ポいンと倶らブの申し込みに駅前出張所へ。
美術館で審査結果の出るのを待つ事、1時間半ほど。
前先生の話を聞いてから、作品の最終陳列。写真撮影の為の作品の移動の手伝い。
タクシーでニゅーおータに、懇親会。
知事は、美術館で展示作品を見てからおいでる。
前先生のところに行くと、隣の市長に何年か前に授賞式に行けなかったときの思い出を話された。
出品作について聞くと、内側に出ている山が強過ぎる感じだとのこと。緩く、緩く、、、
二次会で中川先生が遊び心の事を話されていた。
どんなに真似ても本物の蝶には敵わない、、、
昨日は深夜11時頃から1時半まで香合の上塗り。
睡眠不足の上に熟睡が全くできない日が続いている。
自覚できるストレスもあるが、そうでないのもあるのだろう。
ミュージアムショップに並べる品が足りないというので、今朝持っていく。
貝の貼ってない縄胎杯を2個。
9時半から会場当番。講評とかキャプションの間違いに気付き直してもらう。
賛助出品でも名前の漢字間違い。直してもらってまた別のを発見したが、そのままにする事になった。
受付あたりに戻ると、見た顔の人がおいでる。
すぐ覚タ郎のときのYさんだと思い出す。
もう見てしまったそうで、私の作品の前で少し話す。
あの作品は、手元から離した後すぐ7桁近い値段で売れ、もう少し手元に置いておけばと残念な、、、
知った人はたまにきた程度。
午後2時からの列品解説が近付くと親子で、、、
半年前まで隣の席でパソコン講習を受けていたOさんのにこやかな顔も。
個々の作品についてどうすればよいか分かる力量はないのに解説?
受賞作などについては少し話したが、あとは技法に対応する作品の簡単な話だけ。
終わって少しOさんと話す。
下の喫茶店でご苦労さんのコーヒー。
会場に戻り、少ししてから芳名録を見るとKさんの名がある。
何回も会えない事が続いている。
15枚ほど渡した招待券のうち、今日は3人。
帰宅後、大和に出す水指を探し出し、少しだけ漆の仕事。
縄目、結局、デザインのようだ。
見た目だけのためなら、木綿を撚った縄の方がきれいに見えるのは間違いないが、そんな脆いものは漆器に値しない。
麻縄でも人を感動させる事ができるデザイン・・・

(28日)朝は6時から雨の中、宮までのゴミ拾い。
睡眠不足のままの一日がまた始まった。
今度の土曜朝のために、草刈機の刃を金属のに換える。
燃料を買うついでに給油も。
試しに長く伸びた草を刈ってみると、何とかなりそう。
漆の仕事は素地の形直しでこくそなどをつけただけ。
美術館に2時10分過ぎに着き、列品解説の声を聞く。
作り方や発色の温度など、分かりやすい解説に沢山の人々。
駐車場がほぼ満杯など、昨日とは大違い。
3時から出品者研究会。
元々良いと感じる作品に対してしか反応できないタイプなので、ああいう場は苦手。
若い人の技術に対してはすごいと感じるだけ。
自分で全部刳って作ったという話は3日前に聞いていた。
朱(すみあか)との関連で中の蒔絵は必要ないと感じていた。
写実的な花の蒔絵のは、技術的には何の文句もないと感じていた。すごいという感じ。
淡い感じが好きという話を聞いて、尚日本画の方が向いている図だと思った。
見当外れな意見とは分かっていたが、日本画の方がより繊細な表現ができる。
そこまで微妙な表現ができないので、もっと工芸の技法を生かせる図のほうが良いのでは、、、(強弱、大小の差など、思いつかないわけではなかったが、具体的には何もアドバイスはできない。一般的に言うしかできず。)
何の役にも立たない事を言い、気が滅入る。
乾漆の箱もきれいな仕事がしてあり、気になった中央の6弁の花への、素地の形からの繋がり方のことを言っただけ。
中のを薄く目立たないようにするか、何か間に繋がるようなものを持ってくるか、、、
結局、本展で通用する感じになるにはどうするかということが問題なのかもしれない。
終わって会場で、印籠合口の塗り方の説明を聞いたり(見たり)してから帰る。
家に寄り、預り証をとってクロスランドに行き、搬出。鷲か鷹のような金色の彫刻がまだ残っていた。
同窓会欠席の返事を出して、午前中に預けておいた荷物の件で行く。
火曜午前中必着、近くなのに1000円以上。どうせ売れないのに、、、
研究会、不眠、疲れとぼやいてばかりきた。のんびりしたい、、、

5月20日(土)21日(日) いろいろと

疲れを残さないため、パソコンの時間を削除するしかない。
支部展でこんな感じでは、先の見通しは明るくない。
昨日は、というか今日というか、午前1時まで塗り。
このところ続く不眠症の感じのためか、疲れが残ったまま、6時過ぎに起床。
資源ゴミを出しに行ったり、、、
眼科には8時53分には入ったのに受付は21番目。
読書。空間とは抽象的な意味なのか、具象的なものとの関連の意味なのか、、、?
疲れか涙が出てきたので読書を止める。
変化はない。11時頃には帰ることができ、サンキューに寄り、スポーツ飲料などを買う。
平日の水分補給が完全に不足しているし、正しくないのは分かる。
1度帰宅し、正午前に行こうと、高岡に向かう。
相変わらず工事中の所がある(1年前と同じ所)。
そうした関係で行くこともなくなった建物の前を通る事になった。電気はついていた。
ファックスで注文しておいた桐箱を受け取りに木箱屋さんに行く。
痩せた感じだといわれる。支払いは合計16000円ほど。
帰宅後、会費やらの準備をしたが、今月だけで作家関係だけで9万円ほどの支出になる予定!
午後2時頃耐えられなくなり、畳の上に寝転ぶ。約30分でかなり回復。
研いで上塗り。相変わらずゴミがつく。
降り続いた雨も夕方からあがったようだ。

(21日)昨日塗った朱を乾かすため、湿度調整。
縮みを発生させてはならないし、午後から作業ができるほどまで乾かさないといけない。
日曜美術館で琉球王朝の美術工芸を見たりしていた。
伝承されないと再現に時間がかかるという事を言っていた。
地域の文化を売って交易していたそうだ。(武力ではなく)
作っていないのに、新作とあるし、食籠で使えなくなって放ってあったのを塗り上げた盆を持ってクロスランドに行く。
郵便局のポストに、宛名をこの前書いたのと今日書いたのを投函。砺波市美術館への書類も。
カーマで棚を見たりしたが、結局、桜の苗木だけを買う。
縄胎杯につける犬の顔の写真を撮ろうと寄る。
なかなかタイミングが上手くいかない。
何時になるか分からないが、5枚の写真から表情を作り出すしかない感じ。
午後になると朱は乾いてきている感じだが、作業に耐えられるまで湿度を強化して乾燥させる。
その間、錆を合わせたり、糊漆に皮が張ったのを漉したり、、、
生漆も不足気味なので、チューブ入りの極早を混ぜたり、、、
研ぎ込むには形ができていない水指に切り子地を付けたり、、、
上塗りをするまでの時間潰しの感じで作業。
裏底を研ぐと、縮み跡がまくれた感じでガサガサが顔を出したので、錆。
この時点で、裏底は上塗りが不可能になる。
錆が乾くまでの時間潰しに布を切ったり、真田紐の準備をしたり、、、
外側の上塗りを後回しにしたのは、内の朱塗りに十分時間を取りたかったのと、乾き調整を細かくしたいため。
今の生活では土曜日に朱塗りをするしかない。
その結果、今日の塗りは塗りにくい作業になる。
付くでも付ければ楽になるとは分かっても、ゴムの吸盤で塗ってしまう。
問題は端の塗りに関してだけだが、、、

4月30日(日) 麻縄がずれる

ジオログに書いたら、またパスワードの確認ときた。
馬鹿らしいので、こちらに書き直す。
昨日の疲れと痛みが残る。
午前中は、配り物を渡して回る。床屋に行く。
午後は急に疲れを感じ、暫く寝転ぶ。
鉢改め盛器の高台の位置、形(内・外・幅)を揃える定規を作る。
時間があるつもりだったが、何時の間にか制作が進まないまま、4月が終わる。
平日の作業が思うように出来ない。
昨晩失敗した麻縄は取り除き、また張り直す。
続けて作業をし、6本張り終えてから、糊漆で貼り出す。
2本目くらいから、また長さが足りない!
6本張っていた時点では、余裕がない事はないはずだった。
各隅でも締めてずれないようにしたつもりだった。
何故か貼り出すと長さが足りなくなる。
下の方で、貼る作業も終わりに近い位置だから、切って、別のを貼り足した。
だんだん狭くなっていく方向に貼るから失敗しやすいのはわかる。
狭いところから段段広くなっていく方向に貼れば失敗し難いのはわかる。
しかし、二方向から貼り始め、途中で上手く出合うように貼るのは簡単ではない。
まだまだ問題点のある仕事である。

4月23日(日) 張り

平日の生活がないと考えた方が良い状態なので、実際、予定も頭に残らない。
一つのカレンダーに展覧会関係、地域関係の予定をメモしておいて、それを見てこなすだけ。
今日の午前、庄川美術館に「2006年じゃぱん展 県西部漆芸作家」の搬入に行く。
展覧会の名前さえ知らなかった。
今日までやっていた紫藤さんの日本画展を観ることが出来た。
塊を感じる絵が多かった。縦と横の線、明と暗などとして。
それぞれの中で細かい表現というか、グラデーション的な感じがあった。
全体が淡い感じで表現されていた高原の湿地のようなのが良かった。
インドメタシン入りのインサイドテープを買いに行ったりもした。

朝から思いついては、ノートにメモし、昼にもっと良い方法ではないかとメモをした。
実際やってみては、隅が締まらなかったり、何度も麻縄が通るわけがないと気付いたり、、、
12周分張ってみたが、毎回とまではいえなくても、かなり色々な方法を試した。
結局、隅に2ヶ所麻縄より少し大きめの穴をあける方法に纏まり出した。
それでも能率は非常に悪く、仕上がるのかと心配になる。
まだまだ解決しなければならない作業部分もある。

4月15日(土)・16日(日) 香合の立ち上がり

予定の立てようのない生活に負けてたまるかと、10時に5分前に帰宅した昨晩は、酒を少し飲んで、麻紐巻きをする。12時頃になっていた。
今日は月に一度の資源ゴミ回収(7時まで)、睡眠時間6時間弱。眠りは浅い。
8時から種籾まき、ビニールハウスまでの搬送の手伝い3時間ほど。
体力はついているので、昨年に比べてずいぶん楽だった。
(年齢的にボケてきているのに、更に塗料に含まれるシンナーで脳細胞が死んでいくのが問題。)
ここまでに耐えられるかが、昨晩の思い。
(平日に出来るかという実験でもある)
来週行けないので、1週間早いが、眼科に行く。
テレビでインターネットの駄菓子屋で成功した人のをやっていた。
駄菓子を作る工房の記事と駄菓子の思いでの記述のページで広がっていったそうだ。
いつもは月に一度といえるぐらいの読書で過ごす時間だが、何かヒントはないかと見ていた。
視力は0.07ぐらいだそうだ。いつもより見えないのが自覚できた。乱視が進んでいるのだろう。
午後1時10分ぐらいになっていたので、いつもより遅いねと先生に言われる。
午後から受診に行けば夕方になると、昼少し前に出かけたのです。
生活費と夜道の運転が話題。

薄曇だったのが小雨模様になったので、洗濯物を中に入れる。
ガチャガチャのを片付けたり、、、給油にも行く。
何となく疲れを感じたので、エクセルのエキスパート模擬試験をしてみる。
第3回は97点。何度もリセットをして、残り2分ほどだった。
シナリオの数値入力が違ったのだろう。やっているときも、小数点の入力を何度も間違えていた(かなりやりなおした)。
それからやっと漆の仕事にかかる。
香合という小さいものの立ち上がりをどう作るか。
金属粉末を蒸着した装飾用テープを何周か巻けば型になるのではないか、、、失敗だった。
厚めの両面テープはどうか?何とかなりそうな、、、?
途中、駅まで送ったりして、また作業の続き。
麻布貼りの問題も、少し前のことで、大体解消できた感じ。
存在に値しないと外的に言われたに等しい状態だが、本当にそうなのか?
時間が無くなっていることに対してだけでなく、この事に対しても負けてたまるかと思う。
三日月の形を張りがあるように作る方法をどこかにかいたかかいていないか記憶にないが、明日試みる予定のこともかくかどうかはきめてない。
それいぜんにデザインがきまってないが、、、

(16日)出品関係の書類の一部に記入したり、、、
福光美術館の「工芸の『今』展」(南砺市と金沢市)を見にいく。
火炎か蓮弁か、「05平和への思考」が印象に残った。
様々なレベルの作品が展示されていた。
2Fの志功、光瑶、秀太郎。
ささらやに寄って帰宅。
市報に国保の事が載っていたので、郵送する事にした。
すぐに仕事をする気にならず、またエクセルのエキスパート模擬試験。
第2回目のは、何と89点と出た。ショックだったが、本当に間違っているか、自分で確かめようが無い。
入り隅のある形に張りのある麻縄(ラミーを撚って縄にしたもの)巻き(貼り)ができるか。
ドリルの刃で穴をあける予定だったが、いぜん試した素地は麻布二枚造りの失敗作だったので、素地が壊れながらも、縄が通ったのに、今回は通らない。
もう二種類の径の違う刃を買いにムサシに行く。
結局、そのうちの大きい径のでやっと縄が通る。
それをどう締め上げるかも、頭で考えていたのでは駄目で、やりながら方法を考える。
結局は、裁縫の戻り縫い(という呼び名があるか不明だが)の感じにした。
それから糊漆で貼る(固定する)ことになってしまい、1周だけで作業が出来なくなる。

4月8日(土) 全貌展

木曜夜に思いがけず、お土産を貰う。
火曜日の開会式での図録も受け取る。
今日は風が強く、雨も降る。
エクセルのExpert模擬試験を久し振りにする。第4回のは、96点。
ほとんど覚えていない。間違いは、シートの保存をブックの保存にしていたもの。
その前後に、欅の皿に拭き漆をして、仕上げ直そうとした。
数年前の生正味漆は乾かず、結局、中国産の極早の混じった生漆を使う。
外付けハードディスクに保存してみた。
時間がかかり、外出から帰ってもまだ保存中だった。
正常に終了したと表示されたが、何処にあるのか分からない!

全貌展の講演会。大滝先生。
北京の何とか寺の梵鐘、高さ6メートルあまり、径3.3メートル、重さ40トンあまり。
肩付近の厚みは少し薄くすると音色が良いそうだが、それをどう作ったか不明。
錫の配合も15%から17%(だったろう?)が一番引っ張り強度が強いが、軽いので上にたまりやすいのに、その比率は上の方も下の方も同じ。どう作ったか不明。
下の方は水平ではなく、波形になっている。
経文23万字とか。南無という文字が目立った。
上の吊るす方に鋳ぐるみらしい技法も使われているらしい。
外型を積み重ねるとき、湯(900度とかの銅合金)が漏れ出さないようにするのも?
ロシアには200トンを超えるのがあるような、、、
この前の日曜に貰った招待券で入場。
初期の鋳ぐるみは、非常に細かい感じがした。
別の金属がきちんと線を残すように並んでいるのもあるし、流れているのもある。
高岡銅器のビデオで、焼型鋳造の仕事をしておられた。
大寄せ、小寄せとか、中子を作る分の厚みの残し方とか、すごい技だと感じた。
その一方、自分が別世界へ行ってしまった感じがしてきた。
Yさんだけが近付いてきて、少し話した。。
帰ろうとすると、横浜からの懐かしい人(Kさん数人)が来られているようで、図録を何冊か渡されていた。
開会式に見てなかったからだろう、私にも図録を出されたが、いとこが貰ってきたと話す。
外に出ないと滅入りからは脱出できない。

4月1日(土)2日(日) 布を貼ってすぐ、持ち上げてみる

木曜から金曜にかけて積雪。普通タイヤに換えてしまっていたので少し不安だった。
スピードを出さず、早目のポンピングブレーキを心がけた。
今日は、澄みきってはいないが、一応晴れていた。
洗濯を外に干してから、ムサシ。手袋やマスクを見て回ったが、あまり良いのはなかった。
銀行に行き、一万円未満を残し、下す。通帳記入すると、手数料が105円引かれていた。
Y電機で外付けハードディスクを買う。ファックスのインク4色も。
昼頃、全貌展の開会式の出席の件で行く。
午後、先週に預けてきた縄胎杯の見本と全貌展のことで自転車で出かける。
上がすぼまり、口のところで開いているのが良いとの事。
抹茶椀も良いとの事。持ち易さを大事にしているようだった。
火曜朝の開会式への出席は出来るのとのこと。
後は変わってしまった生活や仕事のことなどを喋っていた。
帰宅後、洗濯物の片付け。それからやっと漆にかかる。

先週の布貼りの続きで、水指(雌型)に6枚目の麻布を貼ってみる。
側面の貼り始めから2/3くらいまで、向かい側の貼ってない布が垂れてきて邪魔になる。
何かで仮止め出来ないか。洗濯バサミ?
その付近を貼った後すぐに布を持ち上げ、布が白っぽい付近に糊漆を渡し直す。
効果のほどは?香合の布貼りでも試してみた。逆に膿まないこと。
外付けハードディスクはインストールしただけで、使い方は分からない。

(2日)昨日のの付属ソフトのインストールや説明の印刷など。
支部展のポスターや葉書の配布などの会合。
高岡市美術館で4日から始まる全貌展、ぜひ沢山の人に来てほしいとの事。
Hさんが助手をやめ、東京方面に戻るとの事。
壊し始めていた石膏原型を壊し、素地を取り出す。
昨日の布貼りは浮きがない感じがするが、、、(空研ぎで)
貼ってすぐ持ち上げて、糊漆の渡っていない部分をチェックし、刷毛で薄くのばし直す。
確実にくっ付くように押さえ直す。
最後に浮きがないか、十分注意して見直す事。

3月25日(土)・26日(日) 布貼りの続き

好天なので外に洗濯物を干してから眼科に出かける。
いつもより15分ほど遅かった所為もあるのか、受付が30番。
一般の待合室から診察室の待合室に呼び出されて待つ事50分以上。
こちらはただ経過を診てもらうだけだから、時間がかからないのに、疲れてしまう。
花粉症関係の受診者が増えている感じだった。
Y電機に寄ってから、食品を少し買い帰宅。
軽四のタイヤ交換をしてから、自転車で出かける。
インドメタシン入りのインサイドテープ(しっぷ)を二箱買う。
縄胎杯の形を見てもらおうと、製作途中のを幾つか持っていった。
抹茶用の縄胎椀(上塗りはしていない)は、泡立ちが良いと叔母が言った。
注文主が不在だったので、見本としておいてきた。

深さのある雌型の布貼りが上手くいかない。
目の細かい布の場合が特にそうである。
空研ぎすると鈍い音がするので分かるが、下地などを付け足したときに気付く場合もある。
以前あったように、石膏原型から浮いている場合もあるが、、、
この前、山の形の両側に切れ目を入れて、山付近を貼ってかかり、その間を後で貼る方法でも、減ったとはいえ、失敗が目立った。
布の裏に糊漆が付いていなくて、白いままのところは確実に浮いていた。
布を所定の形に合わせて切ってから、もう一度糊漆を刷毛で厚くならないように渡し直してみた。
貼るときは、軽い浮きでも残らないように注意して、内隅から押さえなおした。
この前の浮きは、隙間が目立たないぐらいだった。
結果は明日わかる。

(26日)午前中は江浚い。排水路から1.2mほどの上の搬入路まで土砂を上げる作業もあった。
耐久力はついているほどではないが、何とかもった?明日は?
軽四のタイヤ交換、もう一台。消雪ホースの片付け。散乱していた書類の整理など。

昨日の麻布貼りの結果は、小さい浮きが3箇所見つかった。
今日も、鉢(雌型)で、内隅・内脇を貼る前に、もう一度糊漆を刷毛で渡す方法でして見る。
貼って見直すと、何箇所か浮いているのが見え、布をまくり、浮いていたところ(黒っぽく糊漆が変化しているので、すぐ分かる)に糊漆を渡し直し、そっと押さえ直した。

糊漆を貼る面に渡し、平地の麻布を糊漆で貼る。
腰(隅)・外(内)脇に麻布を貼る頃には、糊漆がかなり締まったり、吸いこまれたりしているので、もう一度刷毛で薄く糊漆を渡し直す
一番浮きやすい辺り(山とか谷)に一定幅の麻布を貼る事ができるよう切れ目を入れておいてから、貼る。
一通り貼り終わってから、注意深く、布目の間に隙間が見える感じのところがないか探す。
見つけたら、布を持ち上げて剥がし、周辺を含めて注意深く貼り直す。

4月1日・2日にも続きを書きました。

3月19日(日) 布と糊漆

所謂休日に体を休めるしかない。
いつものように生活の用事をかなりした後、約1ヶ月振りにエクセルのエキスパートの模擬試験をしてみる。
ランダム問題でしてみたが、覚えていない事はないが、すらすらとは出来ない。
97点で、違ったのはシナリオの名前入力か数値入力らしいが、信じがたい。
解答の途中でname?というようなのが出たのは、vlookupをvloolupと入力ミスをしているためと気づいた。(直したから正解)
米がなくなったので、買いに行き、ついでに近くで塩ビシート(0.5o厚)を買う。

石膏雌型の内側に目の細かめの麻布を貼る。2個。
この前買った生成りの麻布は目が粗いし、余り丈夫そうでもない。
内隅で浮かないように、内側の山になっている両側約2cm幅ぐらいで布に切れ目を入れる。
二つの山付近でそのように貼ってから、その間の布を貼る。
今までより浮かないはずと思って、貼り終わってから見直す。
刷毛先で内隅付近を軽く押したりして見ていくと、小さいものだが、浮きが何箇所かあった。
布を持ち上げて剥がすと、布の裏が白いままの部分がかなりあった。
素地の空研ぎしたところに渡した糊漆は接着力を残していないし、目が細かいからか下まで糊漆が通っていないところがあった。
浮いて見えるところと、見た目にはくっ付いているところがあった。
熱処理で平地が浮き上がる原因がこんなところにもあった!
思い出してみれば、浮きを削り取ったとき、布の色が見えていることはあった。
漆は麻布の芯まで浸透しないから、糊漆がもう一方にくっ付いていったのだと解釈していた。
解決するには、一度布を貼り、少しして持ち上げ、素地側に薄く糊漆を渡し直し、上から布を押さえ直すしかないのだろうか?
糊漆を渡し過ぎ、それが膿む事ばかりを心配していたが、逆に素地に浸透してしまう事も問題になる。
2つ目のとき、写真に記録を残した。参照用画像

3月4日(土) 西に東に

昨日の午前中の雪は、午後から晴れ出した。
そのまま今日も晴れ。
案内を受けたので、金沢に向かう。
何時ものように(?)高野漆行に行き、暫く駐車させてもらう。
近くでいろんな卒展や展覧会があるのを教えてもらう。
来週はD和で漆芸会展だそうだ。
Mザの工芸展。正面に受賞作が並ぶ。
多分見るのは初めてだろうが、高水準のもあった。
金工の作品が多い感じがした。
デザインである以上、写生的なことに引きずられる必要は必ずしもないから、卵殻の間に細い線を残す(運河のような?)感じの方が生命感に繋がるのでは?と思った。
連日の疲れで、左腕の力瘤の下のあたりや踝に痛みを感じながら店に戻る。
話しているとき、若い人が来て、生漆などを買う。
G大を出て、卯辰山にいるMさんだという。
さっき見てきた6つの花弁の作者で、このHPを見たことがあるとの事。
defeatedな感覚に捉えられているとき、少し元気が戻る。
生成りの麻布が安いので買う。
予算が余ったので、生漆、夜光貝なども買う。
石動のホームセンターでぼうどくマスクのつもりで買ったが、後で見ると防塵だった。
1時15分頃帰宅し、2時半頃また出発。
呉羽まで楽に行ったが、旧R8の交差点で渋滞。
1本北の橋を渡り、新聞社に向かったが、少し道を間違えたようで、電車通りに出た。
駐車場が満杯で、第二駐車場に行くとすいていた。
野崎さんの作品展。
ほおずきの赤い実と残る葉脈の対比、一見当たり前の事を新鮮に捉えなおす。
鮮烈な印象を与えながら、違和感がないのが、工芸なのかもしれない。
ほたるいかも、泥釉で隠した下もきちんと仕事がしてある。
何を考えながら、幾つも制作をしておいでたのかなと、にこやかな表情を思い出しながら見ていた。
3人のYさんがおいでた。仕事のことを話しておく。
一時的にmoodyな感覚を忘れられ、またやってみようかなという気が戻る。
電話ボックスを探し、去年講習で隣の席だった人のを見る。支部展の案内?
帰りの車の中は、金沢の帰りと同様暑かった。窓をあけて走った。
帰宅後、麻布貼りをする。
糊付けされていない所為か、切り口がぼろぼろになりやすい。
貼っているうちから、浮いているのが分かり、糊漆をわたしたが、膿むか?

2月17日(金) 漆の抗菌

少し前にうるしやというところからきたメールで、漆の抗菌作用について知った。
2005年8月26日の北國新聞の記事だそうだ。

『漆の抗菌効果は本当 金沢工大・小川教授 比較実験で伝承を立証
 漆器に付いた大腸菌は二十四時間後にほぼ死滅するなど、漆に優れた抗菌効果があることが金沢工大環境・建築学部バイオ化学科の小川俊夫教授の比較実験で明らかになった。漆は古くから防腐、防虫効果があると言い伝えられてきたが、プラスチック樹脂など生活用品に用いられる他の素材と比べた結果、大きな効果が確認された。漆の機能が科学的に立証され、輪島塗など漆器関係者は地場産業の活性化に期待を寄せている。
 実験には、黒、朱塗りの輪島塗と山中塗、伝統的工法によらない単純な漆膜、ポリウレタンなどの樹脂、桜や杉、ヒノキなどの木材計三十種類を用意。五センチ四方にした実験材料に大腸菌群とカビをそれぞれ付着させて気温三六度の下で二十四時間放置し、菌数を比較した。
 プラスチック製品に使われるポリプロピレン、ポリウレタンなどは大腸菌群がほとんど減少していなかったのに対し、漆器と漆膜は平均約千分の一に減少した。漆の抗菌活性値は、JIS規格の抗菌加工製品として認められる二・〇を大きく上回る三前後を記録した。カビについても一定の抗菌性が確認された。
 木材では、ヒノキやヒバ、アテで菌の減少が認められた。
 大腸菌群とカビをそれぞれ加えた培養液に漆膜を浸した実験では、菌の増加が漆膜を入れない培養液に比べて二分の一から八分の一に抑制されることも分かった。漆の主成分であるウルシオール自体に殺菌効果があるが、培養液からは検出されなかった。このことから小川教授は、ウルシオールが水に溶解してできる化合物も殺菌作用に大きく関係していると考察した。』

昨日、インターネットで調べてみると、福井県工業技術センターでは、平成14年にそのことを発表していた。(4ページと5ページ)
情報が届かないと、何も知らないままだ。
静岡でやっている伝統工芸展でも、北國新聞の記事が掲示してあったそうだ。
昨日の会合でも、箕輪から聞いて知っていたそうだ。
こういう事は、もっと大々的に発表してもらわないといけない。
japanを漆のことだと、古語になった外国語を持ち出すより、大切な事だ。

・・・ポルトガル人は伊万里焼をたいへん喜び、大量に輸入しました。また塗り物、漆器もそうです。
 漆器はヨーロッパに全然ありませんでしたから、日本の漆器に初めて接触するポルトガル人が漆器に「ジャパン」、つまり、日本という名前を付けたわけです。
今はそういう呼び方はないですけれども、十九世紀まで残っていました。
ジャパンというのは日本あるいは漆器のことだったんです。
(「世界の中の日本文化」ドナルド・キーン 富山県民生涯学習カレッジ 平成四年)
漆の話参照

漆が食器に向いているという自分の感覚が合っていた事にはなる。
今、弁当箱が発表されているらしいが、良い企画といえる。
化学的に合成された抗菌剤は善玉菌も殺すそうだ。
人類がそういうものに対応出来るようになるには数百年必要だろう。
そういうものが次々出てきて、更に対応できなくしている。
漆という自然塗料に人は長年付き合ってきた。

2月12日(日) 漆芸展

朝にかけて少し積雪があったが、延ばしてばかりいられないので、輪島へ行く。
節約と、運転中のスリップを避けるため、下道を行く。
2時間45分ほどかかって着き、スーパーでパンなど昼食を買う。
座ってみたプラスチックの椅子は冷たかった。冬には向かない。
駐車場で昼食、K学院のバスが入ってきた。
図録を買ったあと、受付のところでIさんに挨拶。
一通り見てくると、列品解説の案内。
前先生の解説。用と美。
額はいけないと作者自身が語っておられたとか。
用とは視覚的なものではないとの解釈なのだろう。
混色で、明度が上がる点描。
漆皮、曲げ輪、籃胎、乾漆や沈金、蒔絵、漆象嵌、、、
始めの頃見かけたYさんに挨拶。
回りのは和紙紐かと聞かれ、麻紐、ラミー紐、、、張りがあるように貼れなくて、、、
帰りは横に座って、写真を撮ったりしていたが、景色が上手く撮れなかった。
帰って、下に落ちたという蓋を探そうとすると、ハンドルにぶつかり、眼鏡の柄が取れてしまう。
修理だけで6000円から9000円との話。
気付きようが無い範囲にあるものに、動く前から注意するなんてこと、いつもできるだろうか。

1月28日(土) となみ野   布の浮き

ジオログの方に書いたら、またパスワードの確認と来たので、あちらは止めた。
眼科の受付は13番で、かなり早い方だった。
目のほうより仕事の方が心配だと言われる。
駄目だった事を話す。残業がある仕事なら無い事はない。
麻紐を巻いたのは認められている気はするが、売ってくれるところを知らないとも話す。
パソコン講習に行っていたところのギャラリーに行く。
1月にあるのは聞いてはいたが、開催中と知ったのは、昨日のインターネット。
カンナに蝶々、何か幻想的な感じがしたのは、飛んでいる蝶々が止まって表現されているからかもしれない。
写真で撮ったのとも感じが違う。独特の感性なのかもしれない。
壊れかけた古い土塀と手前のヒガンバナ。去るという感じの世界と生きている花との対比かもしれない。「彼岸」という言葉で考えれば、現代ではない世界なのかもしれない。
モノトーンの感じの冬の木立は感じが良かった。

車にガソリンを入れてから帰宅。
昼食関係、エクセル関係、大事な漆関係は何をすべきか、余りすることがない。

香合が電子レンジで浮き上がったのを、小さい穴をあけてリグロインで薄めた生漆をいくら吸いこませても、研ぐと浮いた音しかしないので、貼り直すことにした。
中央から紐を引き上げて剥がしていっても何処にも隙間は無い。
布の上を爪で擦ると、まだ浮いた音がする。
そこを切り取っても、まだ浮いた音がする。
結局、最初の布貼りが浮いていたのだ。
布貼りの失敗が多いのは、甘く見ている所為ではないのか。
兎に角、浮いたときは切り取り、貼り直すのが一番早い。

1月27日(金) テレビ:北陸スペシャル

パソコン横の、子供からのお下がりのテレビが横方向の線の状態になってから暫く経つ。
叩きつければ広がり、普通の画面に戻る事もあったが、今日は全く駄目。
音声でMATSUDAGONROKUと聞こえたので、茶の間のテレビへ行く。
北陸スペシャルで、漆、二千年のいのちだったかの副題を持つ「松田権六・漆を極めた人間国宝」だった。そんな放送があるとは全く知らなかった。
楽浪遺跡出土品が東大にあるそうだ。木地は2mmほどで麻布が貼ってある。
木地が薄いほど狂わないことは、夏に砺波市美術館で個展をしていたYさんに教わった。
厚みをもっていると木の癖が残るというか、生きているというか、動く。
輪島の椀の木地は向こうが透けて見えるほどだ。
テレビ番組に戻れば、朱が鮮やかに残る、粘性の高い漆で盛り上がった線(絵)が描いてある。
このHPを作った頃にも書いたが、漆の起源は何処かとか、何処が古いかとかばかり議論して、塗りに値する漆器は何処で生まれたかという質的に違う事がマスコミとか所謂学者間では問題にされない。(素グロ目漆は辰砂の発色のため、指物木地の補強のために麻布というのは全くの私見だが、、、)
現在に通じる漆芸技法は中国で生まれたというのが、楽浪遺跡の調査をした松田先生のおかげでわかったといえよう。
正倉院の優美な装飾から、大き目の金粉を使い、立体感の出る蒔絵を研究した。泥絵も。
蓬莱の棚の扉の裏には、錫の一枚板から作った平文が鶴の胴体や翼に使われている。
銀の錆を避けるため、白金を使ったり、いろいろ工夫があるそうだ。
光琳の丸という限られた中での図案、空間を取り、主題の部分を中心を少しずらして描く。
日本的な伝統を学びながら、新しさを模索する。
デザインが一番大切である、、、

生活のための仕事に関しては、相変わらずである。
火曜に相談に行き、家から四キロほどで、これはどうかと聞くと、電話をかけてくれた。
機械の操作をした事がないなら駄目だとの事。
その後1時間ほど一緒に調べてくれ、一つどうかとなり、電話をしてくれる。
きつい仕事だろうから、通って見るだけにしますかともいわれたが、いちおう聞いてもらうことにしたので。
les yeuxのことがあるので、暗い道は駄目だが、そうもいっていられない。
面接は翌日になったので、車で場所を探してみる。
約9キロ、ほとんど消雪道路。建物は古い倉庫(元Sアルミの倉庫)。
水曜の朝行く。ほとんど機械の仕事で、立ち通しだけが辛いらしい。
結果は今日電話があればとの事だったが、なかった。
首になったところよりかなり条件が良かった。
4月からの目途は全く立たない。
私の品を持っている人が、知人の前で使って下さり、手に入らないかという気が芽生えるようにして下されば、、、
自分の知り合いでない人に評価される品でないといけない。

1月21日(土) 仕事

今日は複雑な印象が残る日だったといえる。
何もしないでいるのではなく、仕事をすべきであるという人が二人来た。
仕事にいくなら、できないのは当たり前だから、出来るようになるという意欲が当然である。
こういう話をr君は朝、夕にした。
飲もうという事になり、話しているとき下の子のことを何やらいうので頭に来て店を出、5キロほど歩いて帰った。
短気という自分の本性が現れたというところだろうが、根本的に相容れないところがあるのも確かだろう。
精神的に強気と弱気の分岐点は乳幼児での体験だろう。
弱気に属する自分よりも更に質的に違うのが、精神的な問題を抱える人だろう。
脳の異常は専門家に任せるしかないだろうが、後天的なものも、思ったようにはならない。
r君に関しては、理数系的には異常に出来たとは思うが、人間の分析も同じように出来ていると思っている節がある。
こちらが漆でやりたいという思いがあるというのを、作家と思いこんでしまう。
こちらは漆職人として生活を成り立たせたいと思うだけだ。
心の問題も動機とか何とか理屈をこねるが、思いもしないことを言い出す。
深層心理のつもりかもしれないが、新興宗教が意表を突くのと同じで、不安にし、人を洗脳するだけだ。
個人にとって切実な問題ではない事を、人間性の問題点だといいだす。
それが当ってっていることもあるだろうが、そうでないこともある。
兎に角、いろいろ言い訳をして何もしないでいる現状は打破しなければならないのは指摘された通りである。
販売網がない以上、収入の道に向かうしかないのかもしれない。

1月11日(水) 縄胎杯

縄胎杯と名付けたのが、ミルクや酒を温めても大丈夫だったので、かなり気楽に何も入れないで耐久試験をしてしまった。
その結果、中に残る空気の膨張か、糊漆の乾き不十分で、弱い部分が膨らんでしまった。
麻布が浮いたのは、取り除いた(それと一緒だった荷造り用麻紐の方は、形さえ歪んでいないしひび割れも何も出来ていない)。
ラミー紐の方(香合)は、小さい穴をあけ、リグロインで薄めた生漆を吸い込ませる事で修理ができるか試しているところ。
急激に温度変化する電子レンジに耐久性を持っているかは、かなり危うくなっている。
作り方にも問題があるのかもしれないと考え直している。
普通の漆器としてなら何の問題もないが、せっかく丈夫なラミー紐(苧麻)を使っているからそれを生かす作り方を考えなければならないだろう。
縄のようにきつく綯ってないから、ラミー紐(糸)を巻く限りは空気は残らないだろう。
失敗の可能性は、糊漆が厚過ぎて膿んでいるときか、凹面とか平面に貼るときにあるだろう。
荷造り用の麻紐の場合は、太い分どうしても麻布との間に空気の層が残る点と、ラミーに比べて脆い点だろう。

昨日はCADの仕事がないか調べに行く。この前目をつけておいたのが、まだ募集中だったので聞いてみる。経験者か高校の機械科出が条件だといわれ、また門前払い。
収入源を二つぐらい持たないとやっていけるわけがないというのがほんね。
いくらボケてきていても、講習中はそれなりに対応できていた。
道は一つしかないのかもしれないが、どんなものが良いか?
紐目がはっきりしていれば滑らないし、太い紐のほうがどっしりした感じがあって良いそうだ。
ビールなら薄いのでも良いかもしれないが、、、
夜のテレビを聞いていて、どの層をターゲットにするかも大切かもしれないと思った。
品を置かせてくれるような人も店も全く知らないし、、、
逸品ならいざしらず一品だけではどうしようもないし、、、

昼、屋根雪下ろしの話をしていて、叔母の思い出話。
辰男伯父さんが20前の頃、屋根雪を下していて大屋根からゴーッと音がしたので急いで下に飛び降りたそうだ。
そのまま雪の下に埋まってしまったそうだ。
祖母(本人の)に聞かされたように腕を上に伸ばし指を立てていたそうだ。
雪の中では叫ぶ事も出来ないそうだ。
近所の人がたまたま見ていて助けに来てくれたそうだ。
スコップで人に傷つけてはいけないので、そっと掘る。
そのとき見つけてもらう目印に指を伸ばすのだそうだ。
命拾いをしたもう一つの話、青年学校で外で活動しているときだったか、雷雨になった。
大きな木の下で立ち・・・をして離れた直後、その木に落雷があったそうだ。
最後の手紙にあった父上の霊にはいつも護られている気がしますということの意味になるそうだ。

1月4日(水) 金沢 (5日追加)

8時20分頃家を出る。弱い雪模様。
開会式の10分ほど前には到着。友の会の招待封筒を出す。
「黒の迷宮 −凝視の刻−」(石川県立美術館)
館長の墨のグラデーションという挨拶。
木下晋氏は、油絵をしていたので、9Hから9Bまで20種類の鉛筆を使い分け、筆圧ではなく、鉛筆自体の濃さで描くそうだ。
朝日町のふるさと美術館での小林ハルさんの絵の印象が残っていたから、金沢に出かけた訳です。
福岡町のUホールの印象同様、皺の無い若い人は、表現が難しいのかもしれない。
見えない目を描くことは何を示すのだろう。それでも目に人生があるのだろうか。
表現技法だけでなく、人をつかみとる力は圧巻である。
木口木版というのを見るのは初めてだった。
小林敬生氏。土佐の薄い雁皮紙で同じのを摺り、一つを裏返して並べたりもしているそうだ。
兎に角細かい。沈金の人はぜひ見るべきだろう。
小動物、魚、鳥、人などが、根と枝が絡みあった中にいる。
珊瑚に見えたりもした。都市が廃墟、生命力のあるものの共生。
最初に始めたという日和崎氏のは、木を輪切りにした中に彫ったのから、だんだん細かくなっていく。
抽象的曲線というか、輪の調和が問題?
小林氏の、動きのある具象物が、全体としては抽象画の印象なのと、かなり違う。
細密といえる作品を目で見る。目が見えないという事は、目をつむれば分かるというものではない。
目からの情報が無いとすれば、絵とは何なのだろう。
言葉で説明できるのだろうか?余りに細かいので、そんな事を考えた。
視覚的表現の極致。
実際の人にしたって、象徴的な動物にしたって、それなりに生きてきている訳だろうし、生命の歴史と考えれば、地球を受け継いでいる。
独自性とともに普遍性も持っている。
絵は独自性に近付けるのだろうか?
自分には、問題意識が無いとさえ感じさせる。

中心街に向けては、車が混んでいたので、後ろにつくのを止め、小回りし、結局、商工会議所の横を通り、高野漆行に行く。
生漆の乾きの悪いのを持っていることを話すと、100匁だけ極早にしてくれる。
夏に頼んで置いてもらっていた葉書は、この前なくなったそうだ。
反応が全くないと話す。
高級料亭の漆器の修理:この前石亭で、高級品は修理に出さず、使っていると聞いた話をする。不揃いになると困るという話しだった記憶がある。
金継ぎは好まれる:麦漆より、漆の粘りが出て、乾く前に付ける方が、水にも強いと話す。
公民館などで教室を開いたら:そんな風に出来たら良いが、麻紐を巻いて湯呑のようなのを作ると、手は漆で黒くなるし、、、
いろいろアイディアを出してもらった。
唯一反応があるのが、縄胎杯。5桁の場合も、チャリティの場合も。
一昨日、昨日と、その由来と作家歴を纏めたりもしていた。

1月1日(日) 初仕事

早朝から長岡神社の元始祭。帰宅後、新聞を読んでいたら7時頃。
カーテンを明けても曇り空。沢山ある新聞から目を離すと、外が明るい。
初日の出をデジカメで撮る。
そのうち雲もとれ、青空が広がり出した。
ゴォーと音がするので見ると気球(写真は撮りませんでしたが)。
出してなかった年賀状3つを筆で書く。(出す気のないのは出さない)
エクセルの第3回模擬試験、時間内では77点。
10分ほど延長して、間違いは3ヶ所だった。
新聞に何年か前に載っていたO先生を真似て、初仕事を切り出し刀(塗師屋刀の一種)を研ぐ事にした。
刃物によって切れ具合が違う。研ぎ方だけの問題とは思われない。
年末には、床屋で鋏は何故切れるかと聞かれた。
裏刃のがさがさを残す事と答えると、違う、交差によると言われる。
怪我をしないようにプラスティックの鋏を考案したのは、地元の人だったそうだ。
商品にはならなかったが、今はS学館の子供の付録になっているらしい。
日がまだ残っている頃、生家に行く。
肝臓が回復していないので、胃薬を飲んでいった。
エクセルのIF関数の話などをしていた。
いろいろ神社などを回ったが、混んでいて行けなかったと戻ってきた。
昨秋プレゼントしたのに、お礼のメールが届いていたらしい。
日本語でないメールは全て削除していたので、気付かなかった。
スペルはどうか知らないが、junk mailというらしいのと区別は出来なかった。
漆のスペルも、urushiでよいそうだ。
siとshiの区別が出来ないので聞いてみたわけです。

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