《漆の話 2008年版》

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11月29日(土)

酒を飲んだ時、眠れなくなるのは、酒に覚醒作用があるからだそうだ。
飲んだ時に限らないが、最近は眠れなくなった時は、自分の時間が持てると考えることにしている。
睡眠不足には違いないから、肉体的には辛いが、、、
漆で作業をすることがあまりない(水指を仕上げても仕方ないことになった=出品に間に合わなかった)が、次の作品のアイディアが全くない状態。
「まず形」と言われるが、アミカル展という、作品は作家に依存するだけで、会としての傾向が全くないのを経験すると、まず感動と思う。
外界(自然)を取り込んだり、に入り込んだり、と関わったり、、、
視点を変えれば、百済観音だって、空間を取り込んでいるといえるかも、、、

朝は晴れ渡っていたので、自転車にしようかと思ったが、寒いし車で眼科に行く。
出血の方は治りかけていて問題ない。
かゆいのには、別の眼薬にする。
治療をすることがないし、薬を60日分もらうことにした。
キャッシュコーナーに寄り、買い物をして帰宅。
午後から、R8、山側環状を通って、長坂3丁目あたりで右折。
中野先生の時行ったことがあったので、何とか間違わずにグリーンアーツギャラリーに到着。
「艶の形 林 曉 作品展」、木工の林先生も来ておられた。
以前、金工か何かの展覧会に関連して、高岡に講演に来られたT尾さんがプロデュースされているとのこと。明治のデザインの、温故知新をもじったような、何とかだったが、、、?
金工より漆の話が主だったようなかすかな記憶がある。
1987年の「乾漆朱塗食籠」は、たぶん以前の石川県立美術館でだったと思うが、なんと斬新なと驚いてみた記憶がある作品だった。作者名なんか知らなかったが。
自分に関して思い出せば、スクールに漆を習いに行って1年余りの頃で、乾漆とか伝統工芸展なんて全く無縁の世界と思っていたころだ。その頃知っていた名は「松田権六」だけだろう。
初入選という「乾漆梅形椀」を含め、売るというより、個人の展覧会というプロデュースとのこと。
緊張感と柔らかさ。
教え子らしい人への話で、木工の仕事そのものというのがなされているようだ。
林先生の仕事で、細部のすごさもあるが、一番感心するのは、平面が鏡面のように仕上がっていることだ。
私のように技術のない者は、何か良い方法がないかと、邪道を歩む?
漆の仕事19の終わりの方の画像がその一つ。
デザインしている車も展示してあった。
図録をいただき、少し刺激を受けて、会場を後にした。
帰り左折専用車線に入ったついでに、金沢の街の中に入る。
少し遠回りになったが、高野漆行前に行くと、シャッターが閉まっていた。
土曜日も休みになったのかと思ったが、少し進むと店の方が見えた。
スプリンクラーの設置問題で、結局、仕切りを作り、店を狭くしたらしい。
半分は車庫にしたそうだが、漆の将来を暗示する感じも無きにしも非ず、、、
摺り用の生漆と濾し紙を買う。

半分折れてというか、下の方で裂けてしまい、倒れれば枯れてしまうだろう紅梅の根元を縄で巻きなおす。二年間巻いてあったのだが、全くくっついてはいなかった。
革漆の実験は、少しずつ硬くなることまでは分かった。
形を作るのは、作品ではなく、ゆるい変形ならなんとかなる程度。
「うるしの話」(岩波新書)には、漆皮のことも書いてある。
同じ読み方のこのHPとは、まったく水準が違う。

11月24日(月) 第21回アミカル展

20日(木)から北陸電力サービスセンターのエルフ富山一階アートギャラリーで始まった「第21回アミカル展」が終了した。
22日(土)の午後から会場に行く。
デンマークの彫刻家・画家のラウス・ソガードさんも特別参加(3fでは、個展も)。
横山先生との合作の盆をマスの寿司の源に寄贈し、アミカルを支える会(?)に入ってもらうことになり、その作品が常設展示になるとのこと(場所は、メインのとこらしいが、よく分からない)。
23日(日)も午後から行く。富山駅前の8番らーめんで昼食。
雨が降り出したので、マリエに入り、無印良品でポケットに入る折りたたみ傘を買う。1050円。
金沢から早目に来られたとのことだった。
東京からもご夫妻が到着された。
一点一点丁寧に鑑賞され、代わりに吹分技法の説明をしたりもした。
金色に見えるのが真鍮で、黒っぽいのに金が混ぜてある、、、
ラウスさんが抹茶を飲みたいと前日に言われていたので、道具を持って来られた。
着物姿で茶を立てられ、いろいろの説明は英語で島さんがなさった。
後でソガードさんが、彼女の英語がvery wellと言われたので、for one yearと言って間をおいて、she lived in Americaまた間をとって(when she wasと言ったか、記憶にない)teenager
american field service
付け加えるようにin New York で、エー、正しいかどうかも分からないまま
exhibition また間をとってtwo or three years ago
古田さん夫妻、柳田先生は日本語の会話も英語の会話も上手い。
94歳の同年齢の元東工大教授の方もおいで、見学された。
二人ともninety-four years oldだというと、my uncle is ninety-nine
祖父か祖母か忘れたが、died two days before one hundred and fourとのこと。
夕方からは自遊館で懇親会。
昨年よりお客さんが多く、かなり混んでいた。
富山駅の北口で時刻表を見ると、金沢方面は1時間半ほどない。
高岡止まりのに乗り、降りると勘渓さんらしい後ろ姿。
少し飲もうということになり、また飲むことになる。
迎えに来てもらっていたので、一緒に行く。
今日は、飲み過ぎで起き出したのは10時過ぎ。
三日とも11:27福岡発の列車で富山へ。
アートフェスタにちょっと寄ると、大会の副委員長をして、ずっと世話に出ておられる萩中さんと会う。
らくらく(このところ全く行ってない)のおかーさんの、並べ紐で縛った板に字を書いてある受賞作を見る。新聞の写真とは全く似ていない。
解説が始まるというとき、彫刻は堀田先生だと言っていた。
ちょっと顔が合うと、おっと一言。
すぐに県民会館を出、エルフ富山に行く。
買っていただいた紐胎杯の代金をいただく。
これで今年の漆の収入は6万円弱。支出は計算したくないほど多いのに、、、
中学の同級のkさんが友達とお出で、堀田先生のことや椀と交換した話など。
芸大卒業後5年間フランスにいたという話が出たとき、横山さんがフランス語を話された。
英語よりうまいのではと感じた(聞き取りだけは一応できたので)。
4時の飛行機で帰るので、とうとう知事に会わずに会場を後にされた。
終了30分前の3時半に知事がお出で、作者のそれぞれの説明を聞きながら、鑑賞されていった。
4時過ぎに帰られ、それから片付け。
ラウスさんは、来年も来ると仰る。absolutely
雨だったし、Hさんに高岡まで乗せてもらい、列車で帰る。
夢のような3日間だった。

11月9日(日)

休みの日に漆芸の解説があるのは今日だけだったので、2度目の金沢展に行く。
朝10時過ぎに家を出、途中のポストにアミカル展のはがきを投函(昨日、切手を買う)。
R8は混んでいて、スピードがあまり出ない感じで車が連なって走っていた。
山側環状になるとやっとすいた感じだが、鈴見の交差点前のトンネル内で、後ろから救急車のサイレン。トンネルを出るしかない。
美大の手前で曲がってしまい、兼六園の方に行ってしまい、遠回りで美術館へ。
駐車待ちで少し時間を取られ、更に駐車場所が、奥の奥で、今は何とかいう施設になったところの庭。
解説が少し始まっていた。
Tさんの姿が見えた。
小森先生の解説で、本人の作品は黒根来とのこと(朱の上に黒の塗りたて)。
余韻という言葉が何人かの作品に関して出ていた。
Yさんもお出でたが、R8が混んでいて、かなり遅くなったとのこと。
作品を一通り見て、また漆のところにいると坂下先生がお出でた。
館長の解説を聞きに来たとのこと。片付けにも出なくてはならないとのこと。
水谷内さんの箱の甲の肩は力があってよい、よく覚えておきなさいといわれる。
被せ蓋にしている水指のことも話す。
蓋の形にしても、全体とのバランスで決まるとのことだった。
昼食もまだだし、館長の解説を少し聞いてから、帰ることにした。
昔の習慣が出て、街の中を通る道にいつの間にか出ていた。
東茶屋街あたりまでは観光客で混んでいた。
途中で買い物により、帰宅、昼食。3時ころだった。
あまりすることがないので、白漆を練ったり、刃物を研いだり、クジラ箆を砥石で整えたり、、、
作業より、何をするかを考えねばならない。
展覧会を見て、技術的なヒントはあるが、デザイン的には自分で決めるしかない。
微妙なグラデーション、線などの交差的な表現が、この展覧会に多いのはよくわかる。

11月2日(日)

不況のせいか、残業がなくなり、多少は漆の時間が増えた。
今のペースでしか作業が進まないので、今年も不出品となりそう。
昨日は昼少し前に家を自転車で出発し、電車で金沢へ。
時間もあったし、天気もよかったので、歩いて県立美術館へ行く。
伝統工芸展の記念講演会「伝統工芸について ―日本の美と工芸の伝統―」(安嶋日本工芸会会長)。
正倉院とセカンド・カルチャーの話では、前段階の単純なコピーではない、凌駕している、、、
ヨーロッパとの比較での話が多かったが、ファースト・カルチャーはエジプトやオリエント、セカンド・カルチャーはギリシャやローマ、英・独・仏などはサード・カルチャー。
遣唐使の中に技生(ぎせい)という人々がいて、中国から学んできたが、日本的なものに変えていった。。
宮殿、庭園など、西欧や中国は左右対称なのに対し、日本はそうではない。
池泉回遊式庭園(借景もする)は、人工の限りをつくし、自然に見せる。
茶室は、万金を投じながら、質素、あばら屋に見せる。
講演は長かったので、纏めるのは難しい。大雑把に話をまとめる。
仏像や絵画も、貴族政治や武士の政治のエネルギーを反映している。
琳派は、武士の力強さと町人の隆盛を反映している。
工芸会も、そうしたエネルギー、大胆さ、力強さから学ぶべきである。
ヨーロッパは二元的に理詰めで考え、細かい要素を積み上げる。
日本は、物事を一元的にとらえる。
円成(えんじょう)とか何とか言っておられたが、、、?中国の老荘、禅
宇宙を直感的に捉えるようなことの意味。
窮極と普遍に於いてアジアは一つと天心の本にあるそうだ(漢字は?)。
左右対称ではなくても調和している。
結局、時代を反映しながら、普遍的な宇宙観を含む作品を作りなさいということだろうか?
講演後、研究会がすぐ始まらなかったので、展示会場に行く。
東京と違い、見るだけなら疲れないほどの展示数。
外が薄暗くなりかけたころ、ビデオを見ているとき、たくさんの足音がした。
暫くして行くと、漆芸の作品前での批評が行われていた。
私のに関しては、3人とも、つまみが気になる(大きすぎる)とのこと。
入落以前に仕上がらなくてはならない(搬入)。
7月の支部での研究会でも言われたが、入り隅の形を横切るような線はどうか、、、
金曜日のNHKの金トクを見ていたのは、たぶん自分だけだったろう(その頃は金沢展の懇親会)。
水谷内さんの箱の中に波の模様があるのは、テレビで見ていた。
5時閉館で、まちバスで駅まで戻ろうかと思っていたが、バス停が分からず、結局、歩いて戻る。
お金を持っていなかったので、生漆はほしかったが、高野さんには寄らず。

今日は、新日曜美術館で正倉院展の番組を見てから、招待券とアミカル展のはがきを持って出かける。
小矢部の作家展にも寄り、農業祭の会場に行く。
チャリティの方ものぞいてみたが、ほとんど人はいなかった。
ほとんど色紙で、最低5000円からとなっていた。どうなんだろう?
昔のエンジンやクラシックカーなども並んでいた。
帰宅後、写真をメールで送ろうとしたが、エラーとなってしまった。
そんなことに時間がとられ、またも漆をあまりしなかった。
寒くなったせいか、漆の乾きも悪くなってきている。

10月18日(土)

時間が無かったり、時間が勿体なかったり、ほとんど書かなかった。
3時頃、電話があり、新制作を見に行ったことへのお礼。
伝統工芸を見に行ったとのことで、こちらもお礼。
アミカル展の予定などについて話したり、、、

9.26(金)、残業の途中(8:50pm)で抜けさせてもらい、11pm砺波市役所前発の加越能高速バスで上京。
リクライニングシートの操作が分からず、ほとんど眠れないまま、5am過ぎに練馬区役所前に到着。
勘で練馬駅の方へ行くと、あっていてコンビニで弁当などを買う。
どこから行っても大丈夫だろうと歩いて行ったのだが、方向感覚がなくなり、また高架の所に戻っていたが、どこがどこかさっぱり分からなくなった。
坂を下りたり上ったり、同じところをぐるぐる回り、、、
若いころは地理感覚に優れていた気がするし、35年前とはいえ、住んでいたはずの地域の感覚が消えてしまっていたのに衝撃を受けた。
なんとか西武線の踏切を見つけ、何とか子供のところにたどりついたが、6時を過ぎていた。
後で分かったことだが、最初に迷っていたところからすぐ近かった、、、
仮眠もほとんど取れず(これは昔からのことで、瞬間的な熟睡ができない)、三越に向かう。
昔東京にいたころは、池袋にはそれしかなかった丸ノ内線でいき、大手町で降りる。
古い感じの残るガード下で写真を撮ったりして、日本橋本店に到着。
エレベーターで会場に行き、漆芸の方を遠くから眺めるだけで、自分の作品が分かった。
単純に朱だけで仕上げた。
漆と木工のあたりを見て、昼食に外に出る。
あまり高くないところで済ませ、また三越に戻る。
全部をさらさらと回る感じだけで疲れを感じた。
保さんのは、手提げの蜀台を感じさせすごいと思ったが、賞は無し。
図録を3冊買い、6階の個展。本展の方はほとんど売れていなかったが、こちらは違った。
新制作展にも行かねばと、地下鉄に向かう。
乃木坂駅で降りるとの記憶しかなく、携帯で調べた子供の指示に従い乗り換えたり、、、
1年ぶりの国立新美術館、野村さんの招待状で入る。
よく話題になった学長のSさんの抽象的な感じの作品。
細部を省略し、ほのぼのとした野村さんの作品。継いであるのは何故?
広い会場だし、残業と上京の疲労で、休んでは見ての繰り返し、、、
Tさんのがあるか名簿を見たり、、、
絵の途中で閉館時間が迫っているとの館内放送。
池袋に戻り、混雑する道を電気店に。
半袖は自分を含めて、数十人に一人の感じだった。
厚着をしながら、地下鉄などは冷房をしていた。まともな世界?
食品などを買いにいろいろ回り、帰宅後は冷蔵庫にあったYEBISUをかなり飲ませてもらう。
翌日の日曜は、NHKの新日曜美術館で日本伝統工芸展の特集を見る。
それから池袋に行き、西武の専門書の店に偶然入る。
優勝セールのものを見たり、電気店へ行ったりしているうちに、時間がなくなり、お土産、昼食にパン、、、マツモトキヨシで茶、、、バスの所へ行き、、、
バスが発車すると、まだいた子供の笑顔が目に入った。
昼のバスは、車に乗せてもらうのと同じで、疲れはそんなにない。

記憶が薄れたが、先週の土曜は眼科。
医療費補助の限度が2000円ほど上がり、無いのと同じというか、受給以前に、全く届かない。
つまり、普通の人の医療負担と同じになった。
12日(日)は、天気が良かったので、自転車で高岡市美術館に行く。
少しでも変わった道と進むので、反って遠回りになる。
「日本近代洋画への道」 支部から招待券が送られてきていたので行ったわけだ。
ワーグマンのは、漫画(後で図録をよく見ると vous avez raison)と風景画だけが見るに値した。
司馬江漢のは、江漢司馬の順で銘があった。帰宅後図録の解説では、アルファベットによるサインもあるとあり、見直すと確かにそうだった。
紫式部は生々しい感じがしたが、実際生きている世界では、そうなのかもしれないと思い直した。
日本人なら日本文化が身についているかというとそうではないのと同じように、日本人だからと言って西洋文化が身につかないとは限らない。
単純に技法や視点と考えると、試行錯誤で人間的に成長できる。
時代と格闘するとは、先が分からない中で、自分の価値観の生きる道を探ることかもしれない。

今週は、依頼のあった福祉方面の作品の仕上げ、同時に子供の椀の仕上げ、、、
予想外に乾きが早く、縮みが発生したが、塗り直す時間もないし、熱湯による2度の臭い消しで済ませた。
昨日は佐野さんの受賞祝賀会のはずだが、欠席。
その会費や2次会の費用で9月末に上京した(JRよりバスの方が1万円以上安い)。
昨年末に高いと言われ気分を害し、受け取ったのをそのまま、今回依頼のあった方面に送ったりしていた。
使った日本産漆を買い戻す余裕もない。
今日の午前中は、荷造りなどで時間が過ぎ、宅急便で送るため叔母のところまで持っていく。
お椀2個や増村先生の図録などの依頼関係。
好天が続くし、何となく外に出てしまう。
母の所で、今年もあまり柿がなってない、、、
家に戻って暫くしての電話だった。
下地仕事を少しして、また外出、石動の町、ほんとに寂れている。
漆の生きていく世界はあるのだろうか?

9月20日(土)

午前中に透漆の上塗りを済ませ、今日の午後だけ有効な優待券(友の会)を持って、雨の中出発。
クリカラあたりでは、路面さえ濡れていなかった。
ラジオで午前の開会式に300人が出席していたと言っていたし、混むだろうと予定通り高野さんへ行く。
前の県庁あたりの様子がかなり変わっていた。
美術館の方は、外観は変わらず、エレベーターや配置が変わっている程度に見えた。
展示室そのものは前と全く一緒の感じ。
リニューアルオープン記念「法隆寺の名宝と聖徳太子の文化財展」(石川県立美術館)
出土した瓦、百万塔、仏像、曼陀羅、、、
玉虫の厨子。小さいものと思い込んでいたのだが、2メートル以上もある大きなものだった。
学芸員の方がライトで照らし、透かしの間から玉虫の翅が見えると示されても、最初は分からなかった。
会場に入って、向かって左側面(施身問偈図)側から見る。
二階に当たる扉の上の3本ある長押(?)の真ん中の物の右端付近に青緑っぽい輝きが見える。
学芸員の方が7月に金沢で捕らえたという玉虫の標本を持っておられた。(4日で死んでしまい、標本にしたとのこと)
今でも日本各地に生息しているとのこと。
黒漆螺鈿卓も、予想外に大きかった。
他の漆器も、展覧会的な形式化は感じられなかった。
印刷用板木にしたって、作るとなれば大変だろうと思う。
出品だけでフーフー言っているのと、崇高なものに心を込めるのとでは大違いだ。
疲れたので、2階の展示は流し見(見たことのあるのも多かったし)。
中央公園付近も、四高記念館(近代文学館)とつながった感じで、かなり感じが変わっていた。
高野さんで生漆100匁、糊づけした麻布があったので5メートル買う。
目新し物でもないかと店内を見回していたら、白い車が店の前に止まった。
輪島在住のUさんで、生徒らしい人二人と一緒で、やはり県美に行っていたとのこと。

3日ほど前に子供が体脂肪なども表示される体重計を買ってきた。
使わせてもらうと、筋肉や骨のミネラル分が不足らしい。
その一方、体内年齢というのは33歳と出た。
内臓脂肪が少ないせいらしいが、筋肉があればもっと若いと表示されるようだ。
労務者の生活で筋肉がつかないのは、過ぎたる肉体の酷使といえよう。
体外年齢というのが適切かどうか、歩くだけでもゆるゆるし、すぐ息が切れる。
スポーツ的な肉体とは大違いである。
この前、Yさんが私の収入の為の仕事をアルバイトといったが、そういう位置づけで生きない限り、本当の創作なんてできないのかもしれない。
いつまでも残り続けるような品、法隆寺展で一番感じたことだ。

9月14日(日)

昨日は、7日に持っていき、裏書をするため持ち帰ったY氏創作盆を持っていく。
中に入るとNさんがいた。
昨日届いた新制作展の案内のお礼を言う。
近所の井波彫刻師のYさんが略歴書をもらいにおいでる。
Y・Zさんの彫刻刀は、普通のより半分も切れない(研いでない)など、ざっくばらんな話が続いた。
一流になるには狂気に近いものがないと、、、
11時ころには、Uさんがおいでる。
来客の多いお宅である。
帰りに眼科に寄る。ガラガラだった。
来月からの自己負担が2000円ほど高くなることを話す。
もういけないようなきぶんになっている。

午後、はがきに宛名などを書いてから、運転してもらって外出。
ファックスを見ると、先週より2700円高くなっていた!し、在庫確認との表示。
店に入ったときのスロットで500ポイントがついたとはいえ、買う気にならなかった。
Jへ行ってみると、更に800円高い。
Hへ行ってみると、最初の店より100えんたかいだけだが、SDカードが高い。
結局高岡の店に行き、最初の店と同じ値段で買う。
イオンで買い物をした後、帰宅し、説明書を読み続ける。
暗くなった頃からやっと設置を開始する。
印刷用のインクが高つくから、今回は選んで印刷するのを買う。
電話の方も、今までのが話すことができる以外ほとんど機能がなかったのとは違うようだ。
一日漆の仕事はしなかった。

今日も少しファックスなどの設定を続ける。
漆で滑らかな面を作る方法がないかと、相変わらず試行錯誤中。
ファックスの値段が上がるなんて全く読めなかったように、漆の品でどういうのが求められるか全く分からない。
プレゼントや寄付するにしても、人に感動してもらえるものでないと意味がない。
この前の水曜日からまた腰痛が悪化し、今も痛い。
昨朝、今朝と1時間以上、新聞を読みながら、サンマッサーをし、インドメタシン入りの湿布薬を貼って、どうにか動いている(ほどでもないか?)感じ。

8月31日(日)

部屋のビニールシートをカーテンのように楽に移動できるようにしたが、上塗りではゴミだらけ。
Y氏創作盆の朱も黒も同じだった。
部屋を2重に仕切る感じにする目的だったが、それ以外にもゴミの原因はいろいろあるということだ。
掃除機にブラシをつけないで、強い吸引力でゴミを吸ったつもりだったが、、、
塗る前に洗った刷毛の漆を搾り出したもので撫で、ゴミを取ることさえしていないから、当然の結果と言えなくも無いが、、、
雨続きで、湿度を落とすため、エアコンをつけ、ゴミが舞ったのかもしれない。
朱の蝋色研ぎは、研ぐ部分にペーパー(古い#1200ほど)を置き、静岡炭をそこの形に研ぎ合わせ、それから研ぐようにした。
同じ炭を使って、少しずつ移動しながら研いだので、炭の減りは大きいと言える。
胴擦りしてみると、研ぎ傷が深いのに気づく。
蝋色炭とかペーパー#2000だと、刷毛筋やゴミが消えない。
静岡炭での研ぎを丁寧にするか、胴擦りで磨きこむことで傷を消すか(ペーパーとかクリスタル炭で研いでかかるが)、、、前者が正しいと理屈では分かってはいるが、、、
#15000の研磨シートを持っていたので使ってみるが、歯が立たないというか、何の変化も無い。
朱だから、漆が硬いためとは思えない。
後数日でやっと仕上がりそう。

今日は久しぶりに朝から晴れ上がっていた。
読売新聞の集金のときいただいたので、Picasso展に行く。
新聞で数日前に3万人を超えたとあったので、9時半過ぎに入場したのだが、中は行列状態。
人のいない、小さいブロンズ像の所へまず行く。細く上に伸びる姿。
芸術家ならいろいろな表現をしたいと思い、実行するから、それなりに表現に連想できるところがあるだろうが、自分にはよく分からないというのが本音。
岡本太郎や横山さんと似ていると感じるのは、皆さんがピカソに感動したからかもしれない。
エッチングの「母と子どもたち」の子供は、日本の挿絵の雰囲気がある。
陶器の闘牛は、線で見事に動きを表現している。
エッチングでも、解説では「絵画の平面の中に立体を再現するのではなく、再構成する。対象の各部分を同一平面にどう置くかを課題とする。」とあるが、影の付け方は平面の中に立体を表現する技法のままの気がした。
燃えるものを内に持っていたから、多彩な表現を追求できたのだろう。

昨日は午前中に眼科。
また2時間以上待ったまま。
おかげで「兼六園を読み解く」(桂書房)を読み終えることができた。
何にも頭に残っていないが、最後に年表があり、史料に出てくるのが列記してあったので、何となく、流れを思い出すことができた。
まだ時間があったので、最初の所をまた読み直し始めた。
兼六園はいつできたか、果たして六つのことが兼ねられているかとか、いろいろ書いてあったが、全体像が分からない状態では、意味さえ分からないだろう。
蓮池庭は後から取り込まれ、結局、竹沢御殿とその取り壊しによる庭園化が始まりのようだ。
名はp146に記述があるように、中国宋代の「湖園」より取っただけとのこと。
幕末近くに完成した大名庭園と言えるようだ。

8月10日(日)

作業環境を変えようと約1週間かけた。
定規を作った残りのアルミ片やアクリル片が何箇所かにバラバラになっていたのを纏めた。
漆も使っているのと保存しているのがあちこちにあったのを、黒・透き・朱などに纏める。
箆や艶消し用具などもバラバラだったのを近くに集める。
地の粉の在庫が思ったより少なく、輪島地の粉は使わないという方針(?)を続けざるを得ない。
作業机を部屋に出し(椅子は廊下に置く)、ラベルを貼った道具ケースは台車に載せているので、必要に応じて移動でき、塗りを広いところでできるようにした。
ケースというか棚が多すぎ、配置に困るというのが現状だが、移動して使うしかない。

昨日は眼科で、2時間近い待ち時間に本を読んだりしていたが、ピントが合わなくなったりした。
眼鏡をはずしてみたりもしたが、乱視の所為か、、、?
先生に話すと、老眼鏡がいるようになっているとか。
肉体労働のときは老を意識しないことは無いが、精神的には漆年齢で生きているので、老眼鏡なんて言葉は驚きだった。
漆を習い始めたのが36歳でそれから20年余りだ。普通の人は大体20歳位で習い始めているとすれば、20年余りで約40歳になっている。それが自分の漆年齢と思っている。

今日は午前中、自転車で福岡駅、列車で富山まで行く。
県民会館でのオリーブ展というのを見に行ったのだが、2Fのギャラリーでは別のが開催されていた。
小矢部の人の作品らしいなと思ったら、その通りだった。
名前だけを知っている人のもいくつかあったし、船木さんのも展示してあった。
下に下りると掲示してあったが、入ったのは北川鉄人という内科医の絵の個展だった。
天女というのは、厳しい環境を生きるとか、悟りへの道に耐える力を与える希望なんだろうか?
右側の展示室に入ると、知事の書、アミカルの田中さん、能島さん、島さんの絵、、、
松倉さんとか見覚えのある雰囲気の絵、橋本さんという方は故となっていた。
帰宅後図録を見直すと、11年ほど前に高岡市美術館で開催されていた。
NHKのギャラリーでも何かやっていると田中さんが言っていたので寄る。
西島さんのレインボー工房で習っているステンドグラス3人展。
インターネットのナロウバンドで、表示される画像が途中から×印になってしまい、目にしていなかった柳田先生のビタミンなどの数十面体も並んでいた。
駅に戻ると、高岡止まりの列車はすぐあったが、金沢までのは30分以上。
中田屋書店で書名を眺めたりしていた。
本はそれなりに売れているようだった。
買いたくなるようなコメントがマジックで書かれていたり、、、

糊漆が古くなっていたので、新しく作ったのと混ぜる。
貼りなおした麻布片の乾きが悪かったので、作り直した。
黒漆も、丁寧に始末をしてこなかったので皮が厚く張っていた。
寒冷紗と漉し紙を重ねて漉したが、量が多すぎ、5回ほどに分けて漉す破目になった。
手も黒くなってしまった。

8月2日(土)

例年、7月はいつの間にか過ぎてしまっているというのが感想だった。
今年は明るいうちに帰宅できる日が多かったし、空梅雨で日も長い感じがした。
細かい点にも余り拘らず、強引に作業を進めたことも、追い詰められた感じを薄めた気がする。
お通夜、水・木の8時半過ぎまでの残業で、昨日は5時間半の睡眠のまま肉体労働。
不思議と疲れは感じなかった。
送別会を兼ねたバーベキューで、約2週間ぶりにアルコール。
私が漆をしていた(している?)のは初耳だったらしい。
伝統工芸士でも半分は仕事がない業界だったことも話す。
(実際、基準が甘くなる以前に認定された高岡漆器の伝統工芸士で、、漆で生計を立てられるのは半分程度。私の頃はさらに低下していた。)
春の富山支部展では、今の会社の会長とか思いもしない人がおいでたりで、《落差》の大きさに驚かれていた。

今年の作品は、朱の拭ききり5回、仮摺り落としの後、摺りをし、摺り落としで蝋色はあがった。
小節が残り、技術的に駄目だろうが、上塗りが大切だと痛感した。
今までの作業空間の配置では駄目で、上塗りのための位置占めが最優先だと感じている。
廊下の片隅ではなく、部屋の一部に堂々と座るべきだと思う。
全てが面倒な気がしているこの頃だが、空気の流通を止めるビニールシートもカーテンのように楽に開け閉めできるようにしたい。
ムサシで、S字の鉤を見つけ、利用してみると、上手く動いてくれた。
移動しやすいように台車を作れば、、、と、キャスターも買う。
作業台の下にも棚を作れば、今回の作業のように、「現在作業用・・・」という桶を置いたりもできると思いつく。
今年の区切りが一応付いたので、気分転換も兼ね、いろいろやってみようと思う。

一週間前の集中豪雨でいろいろあったとは新聞などで見ていたが、月曜の城端付近の集中豪雨の後1時間半後ぐらいに、好天のところで床下浸水、、、
100mほど下流にある貯木場からも、木材が逆流、、、
今日行って見た限りは、見た目には被害甚大では無かったが、床板を捲くり、、、

姪が加国の1次試験に通り、来春2次試験を受けるそうだ。
全世界で国際化が進んでいるようだ。

7月19日(土)

パソコンに接しない生活がかなり続いている。
暑い上に、あばら骨が見える体で肉体労働、自分に向いているとは全く感じない。
不況が始まった感じで、帰宅はそんなに遅くは無い。
漆の作業はついつい長くしてしまう。
疲れで食欲不振、不眠気味。
昨晩は、研ぎと朱塗りのため、眠気が来るとまずいと、コーヒーを飲み重ねた。
今日の午前0時半頃塗り終わったが、またも不眠症。
昨日のファックスで、人間国宝のニュースがあったと知ったが、新聞が来ない。
販売店に電話しても通じず、ファックスで来ていない旨知らせる。
後で新聞を見ていると、紙面の中央あたりに、輪転機の故障で配達が遅れるお詫びが載っていた。
配達されない限り、遅れることが分からないのに、、、
他の新聞の人間国宝の認定の記事を見せてもらいに出かける。
北陸中日と北国のをもらってくる。
増村先生のは、2週間前にそのような話だと小森先生が仰っていた。
ひとつのロータリークラブに同業者は入れないと10年前(乾漆について話したとき)に聞いたが、人間国宝も同じ感じで同じ技術で二人は指定されない。
独自の世界を開けばよいということだろう。
それ以前に漆を生かしうる世界を作り出すことが必要だ。
今のままでは消滅へと、、、

7月6日(日)

昨日は部会の研究会が何年かぶりに開催された。
ファックスで注文してあった桐箱を受け取りに行く。
2年ぶりだったが、伝統工芸のほうは全部駄目という話だった。
それからキャンパスにある会場(・・苑)へ行く。
ガソリン代の節約でこういう順に動いた。
暑い日で、車の中で桐箱が歪むかと心配していたが、毛布をかけ、窓を少し開けておいたので、大丈夫だった。(帰宅後のこと)
高速バスで金沢へ2時間、高岡まで20分ほどだったそうだ。
小森先生を迎え、形やデザインを検討する。
蓋と親(身)を並べたとき、親が高くなるのはよくない。
隣との図が少しつながる感じにしたほうがよい。
足を後からつける場合、後から付けた形が浮き出てくるから、脚をつける部分を彫り、刻苧で埋め、それから取り付けるとよいそうだ。
形に合わないデザインを付けたいなら、それなりの主張が分かるようになっていないといけない。

今日は、最初朝の4時半から、盛り上げ模様作りの作業。
6時にまた寝て、、、4回ほどに分けて、いろいろの部分の形を作る。
蓋の裏を研いでいると、また亀裂音らしい音。
はっきりは見えないが、それらしいところを彫り、麻布片を貼る。
次々と遅れる事態が発生し、仕上がらないかも、、、
唯一の受注品であるY先生の樟の立体表現の盆、凹み気味となる表側に次々と小さな浮きが出てくる。
径で50センチぐらいだし、もともと彫りだけで仕上げる予定だったものなので、布貼りを小分けにすべきだったと言える。
裏も一枚で貼ったのに、今のところ浮きは無い。トントン彫りや高台があるのに、、、

昨日ファックスで注文した生漆などが届く。
予想以上の値上がりで、収入の無い漆、続けられるのだろうか?
展覧会で出費だけというのは当たり前と思うしかないが、何もかも値上げでは、、、

6月28日(土)

時たましか見なかったが、北国新聞の漆はジャパンであるという長々と続いた連載も終わりらしい。
新しい漆の提案が必要だというのが結論のようだ。
自然を生かすという伝統文化の面と、人々の生活に何をもたらし得るかという創造性の面が必要だ。
それが分からないから衰退しているのだが、無料とか安物と同じ価格で提供できるとかなら、漆器を使いたいという人はいくらでもいるだろう。
紺屋の白袴というのとは逆に(そのもの?)、漆で生計を立てていないから、自分で漆器を使っている。
孟宗竹に漆を何回か塗っただけの湯のみは使い易い。
年に一回の視野検査の必要な案内が来たので、眼科に向かう。
天気がよかったので、自転車で行ったが、漆の必要性が見えてこなかった。
受付で、視野検査の予約と薬だけと言ったのに、そんに混んでいなかった所為か、受診となる。
裸眼での視力は、0.07と0.08で、矯正視力は1.0。
パソコン画像で、僅かに白っぽい輪郭が見えなくは無いが、白内障はまったく無い。
眼底検査もすると言うので、瞳孔を開く目薬。
各三方向から撮影した画像をパソコンで見せてもらう。
水曜日のためしてガッテンのいっていた黄班付近だけが赤っぽかったのか、出血?
結局、赤っぽいところだけが正常で、残りは萎縮と黒い小さな斑点。
瞳孔が開いたままの霞がかかった状態で帰る。
昼寝してやっと普通に見えるようになった。
心の奥底は自分でも分からない。
生命体としてではなく、作り手としてのこされたじかんがかぎられているとはかんじさせられた。
自分のしている漆がこの世では必要とはみなされていないということだけは分かる。

6月14日(土)

パソコンも展覧会もほとんどパスというか、時間を使わないで済ませている。
面倒と思うこともあるが、漆の時間が足りない点と睡眠時間の確保。
先週の土曜日は、ISO何号かの更新の準備で出勤。
日曜には、売れなかった大和展の作品を受け取りに行く。
作品はそれを集めた場所に展示し、売り物は作者名も付けず、値段だけを付けて別の場所に並べたあったのだそうだ。
結局、手頃な陶器が主に売れただけだったらしい。
午後は石川支部展に行った。
当番で淳次先生がおいでた。
解説の川北先生によれば、自分のイメージに合う木を探すというより、木目を見てそれを生かす形を考えるとのこと。
自作について、轆轤の回転軸をずらし、それを3つ重ねる技法で説明されていた。
内の立ち上がりの山というか谷というか、それらが連なっている。
見込みは平面としてできている。
考えてみれば驚異的な技術である。
形の説明では、端反りにより大きく見えたり、肩や鍔の線で締めたり、、、

水曜朝は、T字の交差点で一時停止し、右折した。
しばらく進んだ後バックミラーを見ると、自転車の人が目に入った。
右折前に前方にいたはずの自転車、右折中に左側にいたはずの自転車、まったく気づかなかった。
木曜には、塗料缶を棚にしまうとき、軽かったので、左手一本で3段の高さまで持ち上げた。
突然、右目の右隅の激痛。塗料が、めがねにかからず、直接目に飛び込んだらしい。
涙で流そうとした。夜にも、目の奥に鈍痛が走ることもあった。
翌日には何とも無く、今日久しぶりに眼科に行く。
混んでいて待ち時間だけで2時間以上。
本を読んだり、地震のニュースを見たりしていた。
診察で、まだ塗料が目に残っている、明るいスカイブルーだと、パソコンで画像を見せてくれる。
焼付け塗料の怖さを知らされた気がする。常温では硬化しない。目から流れ出すことは無い。
大体取り除いたそうで、後は洗ってくれた。
好天の中、帰りも自転車。
途中から、追い越していって信号を少し無視して先に行った中学生、100メートルほど離れていたが、久しぶりにスピードを上げてみた。
抜こうと思えば抜けたが、やめた。
結局、出町から家の前まで同じだった。
自転車から降りた後から、疲れがどっと出てきた。
昼下がり、車でとなみ野美術展を見に行く。
一週間の疲れと午前の自転車の疲れで、気がのらない。
さっと見て見直したいともあまり思わず、椅子があればすぐ座った。
新作を作る暇が無く、本展出品作(県内未発表の、1年以内の近作)を出したので、見劣りしているとは全く感じなかった。
印象に残ったのは、正面にあった東山さんの筍みたいと勝手に感じた作品。
本人の作品解説を読むと、時の形跡。痕跡を表したかったらしい。

買い物をし、またずれたらしいアンテナの方向を直す。
それからやっと漆の仕事を始める。
引き箆を使い、下地でだいぶ形を直して来ていたので、今までに比べると研ぐのは楽だ。
問題は、原型でどこまで正確に造形できるか、つまり石膏原型をどうすれば精密に仕上げることができるかという点に尽きる。
漆での修正でさえ、こんなに時間がかかるのに、石膏の場合は、方法さえ分からない!
16日(日)朝6時から、神社の草むしり。資源ゴミ回収に出しに行く。
埃まみれになったついでに、土手の草刈もする。
それから水指の身の外側を研ぎだす。
疲れで、昼頃まで横になっていた。
かなり形のできていないところがあり、また削ったり、下地で直したり、、、
風でずれるアンテナの方向を直す。
一時外出し、花菖蒲を見、ヒメナナカマドを400円で買う。
またアンテナの方向を調整し、針金で固定。
水指の研ぎの続き。形直し、、、
気分転換ばかりしていては、制作が進まない。
制作ばかりだとあきてしまうし、、、

5月18日(日)

富山大和の会員展に出す品を作っていないのに気づき、昨日は朱塗り。
今日は白漆塗り。
チュー杯とは、紐杯のことだが、熱が伝わりにくくするため、かなり麻縄を2重巻きに使っている。
今日午後から支部展に行く。
Y君が解説を聞いていた。今日しか休みがないとのことだった。
研究会に行く。
釜を作るには、まず茶の精神を学んでかかる必要がある。
他から姿を借りるなら、生かすようにすべき。
変形した原型は、石膏で丸く作り、まず経線を引き、次に緯線を交差させて、目指す線を引く。
それを削って作っていくそうだ。
展覧会に合わせるのではなく、自分でしたいことを信念を持ってやっていくこと。
自分のことばかりでなく、人間国宝の先生の作品を見てどう感じたかと逆に質問され、外側から付け足していくのではなく、内側から湧いてくるような作品に感動したことを話される人もいた。

乾漆素地の形直しばかりしている感じだが、石膏原型段階できちんと作るにはどうしたらよいのだろう?
かなり使いこなせる漆でさえ時間がかかるのに、石膏で直すには何をしたら良いのか?
増村先生は、漆分を弱くしたこくそなどで、足りないところを盛るような話をされていた気はするが、そういうときに限って、後から素地にくっついて邪魔をしたりした気がする。
金尺で線を確かめることと、平面なら平たい物を利用して形を決めることかもしれない。
後は多分、いくつもの定規を作り、それに合わせて削ったり、盛ったりを繰り返すしかないのかもしれない。

4月19日(土)

平日の夜にかなり頑張った気はするが、予想以上に素地が狂っていた。
修正により、つまり新たに付けた漆により、また素地が動く。
毎回同じことを繰り返しているというしかない。

アミカル会の件で、参加とファックスを送る。
今日の眼科は、何時になく混んでいた。
視力は、自分の眼鏡で0.7、眼科の調整ので1.0ほどだった。
仕事先で月曜に激突してできた眼鏡の傷を見てもらう。
薄暗いところではあったが、つい無防備に物を取ろうと動いてしまった。
眼鏡にグサッときて、レンズが割れたかと思ったが、深い傷だけでおさまった。
眼鏡をかけていなければ大変なことになっていたとのことだった。
2時間以上かかったが、その間、桂書房より頂いた兼六園に関する本を読んでいた。
加賀藩何代というのは、異常な短期間、兼六園というのも松平定信によるらしい。
そのもとは、中国宋代の李格非の「洛陽名園記」の「湖園」、、、
宏大と幽𨗉、人力と蒼古、水泉と眺望。
最初は、竹沢御屋敷の取り壊しと庭園化の、格式の高いところを指していたと推定されるらしいが、真龍院を金沢に迎え入れるのを機に庭園化を進めたらしい。
徐々に蓮池庭との境をなくし、一体化したらしいが、兼六園という名は、明治の初めでも確定していなかったらしい。
(ずっと前に読んだところから、今日読んだところまでの概略)
買い物をして帰宅。
出品などいろいろの書類に記入し、散乱していたものをファイル。
漆の仕事は、修正的なことばかり。
自分の意志ではどうにもならない遺伝子レベルのことを当人の責任であるかのように攻撃し、自分の意思でどうにでもなるとは言えないまでも、何とかなることを自然現象とすり替えて自己正当化をしようとする。
人種差別をはじめ、人の世は不条理で満ちている。
どうしようもないことは宿命として受け入れるしかないが、そうではないことは、自分の足りなさや甘えを自覚できる分、自分を責めるということも伴う。
治る可能性のある世界である。
20日(日)凹みも深いし、かなり強引に埋めているので、今日空研ぎしたのは、一部乾きが悪かった。
加温湿を強制的に行い、数時間で硬化させる。
この前買ったダイヤモンド砥石というのを使ってみるが、#1000でも粗過ぎる。
結局、キング#1200で研いで、仕上げる。
修理やら内に紐を巻いたのやら、いろいろな椀を塗る。
朱か溜塗仕上げの予定のを朱で塗り、残りは黒を塗る。
タイマーで加温湿を強制的に行う風呂に一緒に入れるので、黒が縮む可能性が高い。
これまでも黒を塗って同じ条件で乾かして大丈夫だったことが多いが、今回は?

漆が売れないので、せめて我が家では漆器を使うべきだと、お碗をやめ、お椀を多用することにした。
かなり以前から、総布貼り椀を台所に持っていってあったが、使い方が不十分だった。
安物ばかりを使うから、心も安っぽくなる。

4月13日(日)

収入の為の仕事に行かない日は、いろいろな行事で漆の仕事の時間があまりとれなくなる。
平日に無理をすると、疲れが蓄積していく。
平日夜の漆の仕事は別というか、その時だけは疲れが気にならない。
昨日は、午前中に下地付けとか凹み埋めとかをする。
午後からは、会社の花見で八尾まで(バス)。
旧福岡町あげての(?)新人歌手の応援が花見内容。
カン歴に近いデビュー。
飲み過ぎの感はあったが、今朝はけだるい程度で起きることができ、バスで戻る。
帰宅後、下地付け。
縄目を残しながら、昨年のような露骨な縄表現をどこまで消すかが課題。
午後からは総会。
桜はまだ残っていた。
帰宅後、少し回ってから、先週型から抜いた素地にくっついている石膏を削るが、なかなか取りきれない。
石膏を滑らかに研いで修正してから素地作りを始めれば、こんな事態にはならないだろうが、研ぐと形が変わってしまう。
漆下地での形の修正は何とかできるが、石膏段階での修正が苦手というか、下手すぎる。
総会でファックスを送ってあると聞いたので、コンセントを抜いてリセットしてみた。
受信記録がないので、その旨ファックスで送る。
何とかアミカル会の案内を受信できた。
工芸会にいるからアミカル会へとつながった面もあるので、今は両方にかける方が良いだろう。

4月5日(土)6日(日)

2週間前に行ったとき気づいたが、眼科で働く人が少しかわっていた。
今日は目が痛かった。
最近は、兎に角早く終わる。
買い物袋を持っていかなかったので、カーマにだけ寄る。
芸文報を入れるアクリルの額を買う。
ラミー紐を目がきれいな縄にするため、いろいろやってみるが、思ったようにならない。
砥石を見ようとムサシへ行くも、カーマの方がましな気がした。
同じ品ならムサシの方が安いが、取り扱う商品はかなり違う。
今日行くのは二度目になるが、カーマでダイヤモンド砥石というのを買う。
サンキューで食料品。オハヨーの牛乳は売ってなかった。
帰宅後、ラミー縄をまた作ってみる。
素地に仮貼りした紐を取り除くため、上に貼リ、布目摺りをした麻布にカッターで切れ目を入れる。
麻縄を貼り直す。
締めるところは、内側から紐を出し、縄をぐるっと巻いてまた内に戻す。
縄目の少なくとも半分は消すというための作業、意味はあるのか?
6日(日)石膏雌型を壊す。
熱処理で石膏がかなり劣化していたのか、すぐ壊れる(蓋の方は、水の中でバラバラになっていた)。
変わった物好きなので買った砥石を試してみようかとも思ったが、今必要な仕事ではないので、朱を練ることにした。
粉がなかなか混ざらないので、木槌で叩いて混ぜ込む。
練るより叩く方が時間短縮になるかなと、そのまま叩く。
少し練りを加えた後、梨地などいろんな漆を混ぜてみた。
付けも取っていないので、どうなるかは不明。

午後からの会合に、この前より早めに出発したが、駅前から古城公園にかけて、車が進まない。
桜がもう少しで満開という感じで、青空のもとピンクが冴えていた。
またも少し遅刻となってしまった。
支部展のポスターやチラシ、招待葉書など。
富山大和での支部会員展、美術館の売店、、、
帰りは古城公園を避け、R156を多く通るようにした。
ポスターの掲示を頼みに2軒回る。
買い物の付き合いもあり、夜の仕事は高台作り、ラミー縄巻き、下地付けだけ。
Y氏の創作盆、日中の太陽のもとに置き、少しでも痩せ込が進むようにした。
生漆を吸い込ませても、麻布を貼っても狂わなかった。
今日も全く狂わなかった。

3月23日(日)

一週間余り、ほとんどパソコンに触らなかった。
先週の日曜(16日)は、アミカル会の会合に、自転車、列車、徒歩で行く。
近くでバレーの試合があり、車で来た人は駐車に困ったようだ。
退会会員と新入会員もあり、新たな会として再出発という面もあるそうだ。
院展を観たいと思っていたが、乗せてくださったY先生の車で行くと、駐車場への入場待ちの車が並んでいた。
まず近代美術館へ行ってみようということになり、戦後美術の何とか、昭和は遠くなりにけりというのを見る。
自分が小学校に入る前のころの絵でも、何かつかみどころがない不安を表現している感じのもあった。
高度成長を押し進めていたような時代だったらしいが、芸術家の心は別の所にあるようだった。
70年頃は懐かしいはずだろうに、ポスターといい、あまり感じることはなかった。
フィルム、2Fなどの常設展、結局、4:45頃になり、県民会館には行けなかった。
カツ丼、それから工房まで走り、削りすぎて亀裂が走ったという、樟の創作盆を預かる。
家まで送ってもらい、家からは駅まで送ってもらい、自転車で帰る。
この一週間は、また残業が長くなったりで、疲労が蓄積していった。
主に樟の創作盆の刻苧と修理丸盆の仕上げ作業をしていた。
昨日は、床屋、タイヤ交換、眼科など。丸盆の胴擦り、摺り渡し1回目まで。
今日は、摺り落とし、摺り渡し2回目をしてから、郵便物2通を出す準備。
投票と掲載されたのを子供に送るのと。
青井美術館の彫刻2人展へ行く。
立体を平面でとらえる訓練が必要な気がしてきた。
その逆もだが、今の自分は何もしていない。
生活の方は、作品とは別の仕事でしているとまでは言えないまでも、工業製品とのかかわりでしているそうだ。
観におい出た日本画のO氏というのは、多分「繁」という字のついた方だろうと思いついた。
家で調べてみると、確かにその通りだったが、顔を見たのは初めてのような気がする。
帰宅後、書類をファイルしたり、アルバム整理など。
摺り落とし2回で蝋色が上がったので、拭きあげ、持っていく。
新品見たい、、、修理品とは言え、新品に違いない。
樟の創作盆、ここらあたりで固めようと、リグロインで薄めた生漆を吸わせることにした。
削ったりしやすい木だったが、これで良い香りともお別れとなる。
思ったほど漆を吸いこんでいかなかった。
余ったので、椀やら何やらにと吸わせていった。
木目を見せる木彫と、漆塗りでは、隅角の処理といい、ぜんぜん違う感じなので、果して見るに値する作品に仕上げられるか自信はない。
表側の表現を生かせられれば、良しとしてもらわないと困るという感じである。

3月15日(土)

今朝の新聞の回顧録に「お前は欲張りですぐ損得の計算をする。その癖をなくさんと成功せん。人間の宝は金ではなくで事業だ」と諭された、という体験談を聞かせてもらったというのが載っていた。
誰がということは書かないのは、いつものこのページのパターン。
人真似をする・損得だけを考えるという高岡商人とは大違い。
思い起こしてみれば、自分が漆で生計を立てていた事は人生に於いて無い。
今は塗料缶の運搬人、その前はカシュー塗りの職人。
お金という尺度でみれば、漆は常に支出超過のシュミの世界にすぎなかった。
産業社会的に、塗料として、漆の出る幕がないことは明らかだ。
石油の枯渇がすぐそこまで来ない限り、製造業に漆は必要ない。
漆が主役となる作品が、誰かに受け入れられる以外、今のところ漆の生きる道はない。
 さる事情で、車のラジオ受信用アンテナが折れ、通勤時、それまで聞いていて、何とか記憶をつなげていたフランス語講座が受信できなくなり、唯一受信できるFMのNHKでクラシック音楽を聞くしかなくなった。
感受性が悪いので、音楽からイメージがわいてこない。
言葉として、激しいとか穏やかだとか、そんな感じを対応させるだけだ。
作品の説明を言葉でするよう求められることが多いが、どう見ればよいか見当もつかない世界に近づくヒントにはなっても、人の心をうっている訳ではない。
水墨画を見て、色を感じると得意そうに語る人もいる。
色を捨象して、わざわざ白黒とその中間色で表現しようとすることには、何らかの意図があるはずだ。
色を感じたり、言葉を介在させることには、何かずれがある。
表現者、感受者、どちらも未熟ゆえ、言葉が必要なのかもしれない。
表現そのものと直接対峙できる感性、たぶん生そのものが必要なのだろう。

3月9日(日) チュー杯?

昨日は昼過ぎまで塗装滓の掃除というか、運ぶ仕事で出勤。
帰宅後、風呂、昼食、少し寝転んだが眠れず、買い物へ。
帰宅後、火曜に届いた書棚に棚をつけたりし、本を片づける。
お通夜に行く。前を横切って歩く姿がゼブラ状に見えたり消えたりした。
生前の朗らかな表情を思い出したり、、、

今日は月曜に届くように、送るものを書いたり、箱に入れたり、、、
駄目だと知ってはいても、日向ぼっこをしてしまったり、、、
給油してから、叔母の店へ持っていき、手続きをする。
大根などをもらってくる。
収まりきらなくなっていたファイルや書物を棚に移す。
今までの書棚にあまりスペースができないのに、もうほとんど一杯になってしまった。
少し買い物に行ってから、またいろいろ片づけをする。

修理丸盆が冬仕事で痩せ込が早く来ると思い、少し熱処理。
硝子板に挟み、クランプで固定し、直接ランプが当たらないところに置く。
素地を作るべきだと考えながら、ずっと実行していなかった。
ラミー紐を巻いて杯を作るのだが、正確には縄ではなく、紐で素地を作っていた。
縄を使うところがあるのもあったが、ほとんどがラミー紐と麻布だ。
紐胎杯、ネズミ年のチュー、焼酎のチュー杯・・・名前の変更をしようかと考えている。
今回は、作業台の上で、麻布の両側に糊漆がつくようにし、離型用にビニール紐を巻いた型に貼る。
太めのラミー紐を上から巻始めた。
糊漆を多めに渡し、手で紐を回しながら1センチ幅ほどを巻き、上から刷毛で糊漆を渡しながら、均す。
巻いたのを巻き戻し、もう一度多めに麻布の上に渡し、今度は刷毛で押さえながら巻き直す(貼り直す)。
*紐の間に隙間ができないようキチンと刷毛で貼る。
糊漆の渡っていない紐の部分にも渡し直しができる。
粘りが増すようで、貼り直しの方が失敗が少ないようだ。
*ずっと上手くできなかった腰から底にかけての貼りも、巻き戻しをもう一回ほどすることで何とか紐の隙間を作らずにできた感じがする。
*底は手に持たず、台の上に置いて、貼るようにすれば何とか隙間を作らずに済んだ。
*少し締まってから、硝子板上で、底を押すようにして、底の水平を作る。
◎新しい試みは、麻布貼りで試みた、捲って貼り直すという作業である。
ラミー紐は、麻布と違い、伸びることはないので、最初に貼った時と違う感じになることはない。
時間は2時間ほどかかったが、見た目は整っている。
人を惹きつける感じがあるかどうかは?

3月2日(日)

昨日は、大島絵本館へ小雨の中、向かう。
貰った案内はがきの地図を見ても、どの辺かはっきり分からない。
変わった感じの建物があったので行ってみたが、小さい子供と親で、違う感じだった。
公共施設らしい建物のそばを通っても、看板が見当たらないし、、、
そこの受付へ行き、聞くと、反対側の道路から入るのだそうだ。
駐車場という小さい案内板に従うと、同じところに来た車が前にも後ろにもいた。
昨年夏に亡くなった竹内先生の遺作展、11時からオープニングセレモニー。
アミカル会関係の人も来、絵を描く人は、動きのある線だから、現地でスケッチしたものだと言っていた。
ピエロは人間と自然を結ぶ触媒だと語っていたとKさんが挨拶で述べた。
「放射能のかく模様」だったか(?)いうタイトルの退官記念の冊子に、予科のとき、インターハイの110米高障害で入賞したような記述があった。
家が近くだというので、アミカル会の何人かでTさんの所へ行く。
生活の中に芸術が置いてあるという感じ、別世界。
戸出経由で帰り、眼科に行く。
ガラガラだったが、後から後から人は来る感じで、受け付け開始に少しでも早く来ようと皆が集まることがなくなっただけかも。
薬だけの受け取りでもよいとのことだったが、目がしょぼしょぼしていたし、目を洗ってくれる。
使い道に困っていた御膳を両面テープで固定して棚のように積み上げ、電話とファックスを置く台にした。
電話帳なども置けるようにした。
残りの御膳は、オブジェのように積み上げ、その隣に置いた。
塗りを少々しただけ。

今日、母の所に行くと、お椀を電子レンジに入れると、パーンと音がして、壊れてしまったという。
見ると、漆の膜が膨らんでいて、かなりの重傷。
裏と内の底あたりの膨らみが目立った。
木にある小さい穴が空気を含むので、お汁を入れても熱くないのだが、電子レンジなどで加熱すると、木地の中の空気が膨張し、爆発するのだろう。
切れかけの蛍光管の換わりのを買いに、好天の中、自転車で戸出まで行く。
DVDもついでに買う。
午後はパソコンと格闘。
ビスタから98SEへデータを持っていくのが上手くできなかった。
何とか出力用のデータに変換し、CDに保存はできた。
今日の漆の仕事はしないに等しい。
休みにこんなことでは、販売見本さえ作ることができない。

2月24日(日)

昨日の麻布貼りで、暫く貼る予定はない。
中心付近は厚めの麻布を貼ると書きながら、実際はあまり厚い麻布を使っていない。
古い蚊帳は持っているが、展覧会向きの布ではない。
適当な布を持っていない所為もあるが、一枚で厚いより、枚数を増やした方が都合が良いと思う。
単純に考えれば、漆の層が増える。
経験的に素地の動きを止めるのに一番効果があったのは、リグロインで薄めた生漆を吸わせるのを5,6回繰り返すことだった。
(かなめ)は漆である。
母に先週子供が帰ってきたことを話す。
午後は美術館での会合に行く。
腰痛の飲み薬はやめたとのこと。

今日の午前中は、叔母の所に行く。
BSが全部受信できるテレビだとわかる。
昭和の映像や歌を放送しているのを見ていた。
映っている顔で戦争で亡くなってしまった人も多いのだろうと、、、
帰宅後、壊れたという炬燵を買う代わりに、パソコンの台になっていた家具調炬燵をわたす。
小さい台になったので、プリンターさえおけなくなり、何か台を買いに行く。
家具調炬燵用の布団などが置いてあった半坪ほどがあいたので、置き場所に困っていた作品を入れた箱をしまっておく場所にすることにした。
下に置くスノコも買おうと考え、出かける。
テレビ用の台で、自分で組み立てるのを買い、帰宅後作る。
プリンターの台にちょうど良い大きさだった。
次に作品をしまう前に掃除をし、積んでいく。
空いた所の掃除をし、やっと片付いた頃は夕方。

自分で使っていた内紐巻き椀の端の一か所が欠けていたので修理をしていたのだが、高台にも欠けがたくさんあるのに気付いた。
最近凝っている、高台にラミー紐を巻く修理をすることにした。
高台の外回りにクッションのようになるのでは、、、との期待と、紐目は滑らずもちやすい。
麻布貼りと同様、一度巻いて、巻き戻し、また貼り直すようにしてみた。
4分刷毛を初使用してみたのだが、あまり糊漆が厚く渡らない。
最初で紐回りに糊漆が行き渡らないでも、貼り直すとき、刷毛で厚味を調整しながら、紐の隙間もできないように注意してやると、割合きちんと出来ていくようだ。

2月17日(日)

昨日は雪の中、輪島へ行く。
途中は晴れたりもしたが、路面に積雪が残るところもあった。
市街地に入る前の二つのトンネルは暗かった。
2年連続作品が作れなかったので、人の作品を見に行ったことになる。
全く知らなかったが、漆芸研修所40周年記念とかの講演会があると表示してあった。
県美の島崎館長の「作家のこころ」。
写生ではエネルギーまでもとらえる。
観ようと努力する者にしか観えてこないものがある。
自分のものとなって初めて生きた図案になり、人を感動させられる(というような意味のこと)。
自分の周囲の自然、四季など、テーマはいくらでもあり、いろんな切り口で図案化する。
写生のエネルギーを残して図案化する。少しだけ強調的に表現した方が本物らしく見える。
自分が感動したことを表現すれば、人も感動してくれる・・・
松田・木村両先生とのかかわりの中からの講演だった。
遅くなるので美術館を出、道具店を探すも見つからなかった。
それらしい感じの所へ入ると漆店だった。
ずっと以前、漆器青年会で行ったことはあり、誰かが爪盤を買ったはずだった。
生漆200匁を買う(6400円)。
帰りは運転をかわり、横に座っていたが、、、
買い物などをして6時半頃帰宅すると、下の子がいた。
一瞬何が起きているか理解できなかった。
朝出張で小松まで飛行機で来て、昼過ぎに仕事が終わったのだそうだ。
頂いたDVDを一緒に見る、東京でのこと、よく覚えているとのこと。

今朝は昨晩からだけの積雪分で30センチはありそうだった。
午前中から昼過ぎにかけて麻布貼り。
午後はキトキトへ行き、その後グーグルアースをしているのを見ていた。
インターネットの僻地なので表示は遅いが、細かいところまで写っている。
夕方、雪の中、富山空港まで送る。
飛び立つところは見ることができなかった。8:50頃帰宅。

2月9日(土)

朝の9時半頃に眼科に行く。
以前ほど混んでなく、18番目の受付だった。
ようこそ先輩という番組で、宇宙物理学者の池内先生が母校の小学校で教える。
なぜかと感じることと、その答えを自分なりに考えることと、それを絶対だと考えないこと、、、
30分で診察になる。
アダプチノールが原料となる植物のマリーゴールドの不作で、供給量が減るとの話。
後でもらった説明書によれば、暗順応改善剤らしい。
iPS細胞による網膜再生の話も出た。
一週間前の新聞記事には、網膜色素変性症のことが載っていた。
実験台になれば無料だろうが、後からだと治療費が莫大になるのでは、、、(心の中では家一軒?)
特定疾患として国の補助が出るのは、そういう研究に協力する約束を通してのことだ。
実用化はまだまだ先だろうというのが先生の話。
指先の黒いのを見てどうしてかと聞くので、本にアカギレに漆を付ければ一晩で治るとあったので、指のひび割れに漆を付けてみたが治らなかった、、、
2日遅れで同じ会社に勤めだしたDさんが来ていた。
ここで会うのは3度目だと思う。
油断すると何時病気が逆転するか分からないのが人生。

カーマによるが、あまり刺激を受ける品物はなかった。
洗濯物が消えていくので、勿体ないが仕方なしに靴下などを買う。
サンキューで食品を買い、帰宅。
このところ土曜日にDIY的な生活をしていたのに、今日は特別することがない。
何日か前に電話で依頼があった原稿の草稿を400字詰め原稿用紙で始める。
別のノートで構想を乱雑にメモ的に書いてはいたが、1000字程度というのが、今までのを見るとあまりに少ないと気付き、字数をチェックするため、原稿用紙にした。

漆継を割れた陶器の小鉢でする。
黒ロイロ漆を断面に塗り、草稿中に乾きを待った。
外は雪でも、ファンヒーターのおかげで、漆は乾いていく。
漆の色を見て、少し遅れたかと思ったが、まだ指に漆がくっつく程度だった。
断面同士を貼り合わせると、ずれていかない状態でくっついた。
水分を使うものである限り、漆継は糊漆では弱いと思う。
糊が水分で溶けるからである。漆と混ざっていても、糊は糊である。

空研ぎをしてから、麻布貼りを始める。
一度貼ってから、捲り直し、麻布裏の白いところに糊漆を渡し直し、素地側にも渡し直し、貼り直す。
麻布裏に糊漆の付いてないところが散見されるのを見ると、今まで、「また浮いていた!」と何度も苦しんでいた原因が分かったといえる。
捲った後貼り直す際、捲る前の位置に麻布が来るように調整するのが大切な点である。
あとは貼り直しがきちんとできているか見直すこと。

2月3日(日)

ミニファンヒーターと加湿ヒーターをタイマーで通電調整して使っている所為か、自宅に日中居ない(つまり、暖房を使わず、低温のまま)割には、糊漆が乾いてくれている。
先週もだが、昨日も窓際の冷気を感じないように、何とかいう段ボールのようなもの(サンプライ)を貼る。
玄関のガラスには両面テープで貼り、上の方にはアクリル板を貼り透明状態を残した。
昨日の午前中は、先週の件が心配だったので、連絡を取り、安心できた。
午後からムサシに、上記の物を探しに行き(買いに行き)、Nさんと会う。
店内で1時間近く話していたような、、、漆のことなどや本のことや、、、
今日はファイルの整理、年末の件の処理、、、
石膏雌型2個に麻布を貼ったのだが、最初のは2時間15分ぐらいかかる。
部分ごとに丁寧に貼り、捲ってはまた丁寧に貼り直した。
疲れたので、楽な蓋やホタテガイに麻布を貼ってから、また身にかかる。
どうせ捲り直すのだからと、内脇を大体貼っていき、余分の布もかなり切り取っておく。
それから捲り、貼り直すと、全体で1時間ぐらいで終わった。
見た目には大丈夫な気はするが、乾くまでははっきりしない。

1月27日(日) 「途中が見えない時代に・・・」

昨日は、夕方からの工芸会の新年会に行く前に、麻布貼りを進める。
少しばかりの積雪があったので、長靴で行く。
記憶がはっきりしないが、数年ぶりの出席のはず。
北日本新聞の社長の挨拶で、「3,40年前は、いろいろな仕事のやり方が見えたが、今は途中が見えない時代になってしまい、中身がどうか分からない、見かけの出来た姿しか見えなくなった。伝統工芸にとって不幸な事態になっている・・・」というような意味のことを述べられた。
物作りの過程は大切だし、技術の伝承の上に、新しい創作性を付け加えるのが伝統である・・・
というような話の展開になっていったような気がする。
木魚のことを思い出せば、戦前の仕事でも、下仕事には全く漆が使ってなかった。

隣の席のTさんは、問屋が倒産し、去年の10月頃より働きに出たと話していた。
その前に、額の所を見て、あ、禿げている、、、
最初に仕事を習った方も、仕事がなくなり、働きに出たが、、、と、反対側の隣の方が言っていた。
救急車で運ばれたという話も聞いた。
ほんの一握りの人を除いて、伝統工芸で生計を立てることは無理なのか?
駅に行くと、数分後に列車があったので、そのまま帰る。
帰宅後は、飲み続けた。

今日は、午前中にムサシへ行き、金曜に見たDIYで言っていた商品を探す。
アルミチャンネルというのは見つかったが、何とか段ボールというのが見当たらない。
大物が展示してある倉庫から、通常の店舗に戻ると、桐のスノコもあり、何とか段ボールもあった。
帰宅後、南の出窓の内側にその半透明の段ボールを利用して、2枚目の窓を作る。
3000円で二重窓になった。
仕事をしている廊下の硝子戸の所からも冷気が来るので、以前買ったシートを、今吊ってあるシートと重なるように吊るし、防寒できるようにする。
糊漆を合わせ直すと、新しい所為か、刷毛で伸ばしてもムラなく渡る。
昨日と今日、石膏雌型の身に麻布を貼ってみたのだが、まず、見込を貼る。
半分ずつ持ちあげ、麻布の裏に糊漆のくっついていないところに糊漆を付ける。
石膏側に糊漆を渡し直し、浮かないように麻布を押さえ直す。
次に腰から側面にかけて貼っていくのだが、2辺分ぐらいに糊漆を付け、麻布を重なりを作りながら貼る。
布の重なりをハサミで余裕を残しながら切り、貼る。
両側を切り分けた布を捲り、糊漆をつけ直し、浮きが出ないよう貼り直す。
そんな感じで隣へ移っては、貼り続けた。
1時間半かかったが、見た感じでは浮きはないような、、、?

1月19日(土) 木工芸展

乾漆の方は、まだ余りすることがないので、昨晩はフレームのページを作ってみた。
あまり漆のことを書かないのに「漆の話」としているページにフレームを作成してみた(説明書に従い)。
細かいところの表示でエラーが出たり、何度かやりなおして、やっとできたのが0:30AM過ぎ。

午前から昼頃にかけて、建物共済の推進で担当区域を回る。
地震保険のことを質問されたが、研修から2カ月ほどたつと、忘れてしまっている。
詳しいことは、専門の職員に尋ねてくださいと答えるしかない(電話番号は載っている)。

案内をいただいた「木工芸・刳物 米道正幸展」を見に北日本新聞砺波支社へ行く。
朝から晴天で、暖かいとはいえないが、雪の白もきれいで良い日ではあった。
会場を回っての印象は、井波彫刻出身らしく、立体表現が優れているというものだ。
レリーフ的な表現について質問すると、そこに合った形の鑿、それに合わせた形状の当てゴムを作る、、、
こちらが、形に合わせた砥石を作らず、手加減で研いでいる(様になった)という話をすると、米道さんも最近はそういう感じだとのこと。年は米道さんの方が二つ若い。
一昨年の支部展以来で、娘さんのYさんに会う。
子育てもあり、漆はしていないとのこと。
帰ろうかと進むと、休んでいったらというので、そうする。
Kさんという方がいて、かなり話す。
作品に人格が現れる、美を決めるのは品格、、、難しい話をされる。
アミカル展の話をして、amiと聞いて、「友達」と分かる人である。
東京では、喫茶店の名でモナミ(mon ami)とは、、、というと、あぁmy friendという会話もあった。
こちらが対応できるのは、漆(乾漆)とか工芸的に表現の話をするときだけという感じ。
基本となる技術を身に付けた上に、何を表現するか、、、
工芸では手抜きは許されない、手間がかかるからよいものができる、、、
骨董品蒐集をしているだけあって、あらゆることに詳しい。
自分に関しては、漆で飯も食えないし、以前の業界からは相手にもされず、生活費がほしいだけで、人格なんてないに等しい。
言葉だけではなく、生活費の支えなくして、作家なんてできるわけがない。
さもしい根性を自覚している「善人」は、悪人より劣る(らしい)。
狂人のように本心ではなく、冷めた目で見ている分、嘘っぽいのである。
この前届いた画集への出品の誘いは、チャンスなのか、今後は作家として伸びないとの諦めとして受け入れるか、無視するか、、、
かなり以前、別冊太陽だったか何だったか、有料での掲載の誘いの電話があったことがある。
今思えば、チャンスを逃したことになるのかもしれない。
何の宣伝にもならないなら、無視するのが正しいが、どうなるかは予想できない。
今のままの生活を続けていては、漆をまともにすることは無理だと感じる。
何かで壁を破らないと、新しい人生は開けてこないことだけは確かなことだ。


米道さんがどうしても展示したかった(意地仕上げた)という天神様。
井波彫刻出身の証。
20日(日)今日は曇りで、寒い日だったが、自転車で残りを回る。
空研ぎをいろいろしたが、乾きの悪いものがかなりあった。
結局は、厚過ぎが原因のようだが、低温のせいもある。
風呂にミニヒーターと加湿ヒーターを入れてみると、25℃、60%ぐらいになっている。
1軒だけ回るところが残っていたので、漆には触らず。(かぶれてもらっては困るので)
写真を印刷しようとすると、インクが無くなっているのに、交換画面が出ない。
結局、2回目のリカバリーをしたパソコンでインク交換をする。
USBメモリーでデータを古いパソコンにもっていき、印刷しているが、灰色っぽく、汚い。
買い溜めたインクがたくさんあるので、このプリンターも使い続ける必要があるし、、、

1月12日(土) もっと光を

北からの雨を受けながら眼科に着いたのは9時半を過ぎていたのに、受け付けは14番と早目。
10月以来という視力検査と眼圧検査の後、しばらくして診察。変化はない。
昨日、仕事をしている廊下の電球型の蛍光ランプが突然消えたし、玄関の灯も弱っていたので、ヤマダ電機へ行く。
何の目的もなくカーマへ行く。自転車のランプを見つけ、買う。
サンキューで食料品を買う。
帰宅後、自転車のランプは、電池別売、その上、取り付けはダイナモの所と説明にあった。
夜道の自転車は限界に近い感じがしていたから買ったのに、今までのランプが使えないなら意味はない。
昼食に善光寺七味唐辛子の生そばをおいしくいただき、ムサシへ行く。
ステンレスの金具と和紙のコピー用紙を買う。
金具を途中で90度曲げ、自転車のかごの中にランプを取り付ける。
ダイナモと合わせ、これで夜道もかなり明るくなるはず。
季節がら、自転車に乗ることはあまりないだろうが、、、



灯油を入れたりした後、今日届いた年賀状が最後だろうから、一つに纏める。
乱れていたりした、以前のもまとめ直したりもする。
それからやっと漆にとりかかる。
乾漆用の石膏原型は水分を抜いてかかる必要があるから、修理で預かっているのをする。
ただでさえ狭まっている漆の世界に、今から参入しようとしても受け付けてもらえないだろう。
展覧会への出品作ほどには仕上げないにしても、どうせ生活ができないなら、漆の仕事をしたという程度までに仕上げようと思う。
実験という意味もあるから、手抜きというか、必要最小限の見極めのために試すことはあるが、、、
坂下先生から、やっても駄目だからやめときなさいと言われても、麻布2枚貼りに、自分で納得できるまで挑戦したように、いろいろやってみることは必要だ。
簡単にいえば、麻布1枚でも器を作ることはできる。
日本伝統工芸展(本展)で通用する、狂わず、壊れにくい素地ができるかどうかがポイントである。
納得のいく仕事で、かつ時間が証明してくれる仕事を目指すしかない。

1月7日(月) 麻布貼り

乾漆作りが生き甲斐であることに間違いはない。
粘土原型や石膏原型を作ることはそんなに楽しくないのが本音。
蓋と身のバランスは、、、と考え込むことは、ないことはないが、深くは考えない。
作家というよりは職人的ということだろう。
新聞に名前が載っていると教えられた「となみ野美術展」の案内が今日届いた。
自分が何かをしようという生きる上での意識が足りないのだとは分かっている。
作品創りにはなっていない水準のものしかできていない。
工芸品作りではなく、表現を工芸的にするのが作家だろう。
原初の生命感を表すのに、麻布を見せるなんていうのは陳腐な発想だ。
つまらない事を書くのはここまでにして、漆の仕事でいちばん楽しいのは麻布貼りだ。
浮いて失敗ばかりしているが、漆と布で形ができるのが面白みである。
 昨年末でこりた感のある修理だが、そこでも麻布を使いたいというのが本音。
元のものが新品だった時よりも、丈夫できれいにしたいということ。
まさに職人。これでよいのでは、、、
今年は、どんな一年になることやら?

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