《漆の話へ》 《2001年版へ》 《2002年版へ》 《2003年版へ》 《2004年版へ》 《2005年版へ》
《2006年版へ》 《2007年版へ》 《2008年版へ》
《ホームへ》 《分岐図へ》 《ジオログへ》 掲示板
〔2010年版〕
12月30日(水)
今年もあまりカブレないまま、漆との付き合いが終わりそう。
作品的には、何かピカリと光るものがないとどうしようもないとは頭ではわかるが、どうするかが出てこない。
制作的には、ramieを生かしきれないところが問題。
昨日、今日と、収入が激減なのに正月用の買い物に出かけたりしていた。
それでも年末に二つ注文が入ったので、エクセルで受注表を作ってみた。
ずっと使っていなかったので、関数を入れようとしたが、全く思うようにならなかった。
E4=IF(OR(C4="",D=""),"",C4*D4)となればよいところを、falseのところでE4=""と入力したり、trueのところにE4=C4*D4としたり、、、
名刺の印刷もしてみた。
QRコードのところは、試し刷りの時は読み取ってくれたが、自分では携帯を持っていないのではっきりはしない。
花弁鉢は呂色研ぎに入ったが、明日から暫くいろいろ出かけなければならなくなるので、あまり進まないだろう。
多少線の乱れはあるが、経験的に何とか仕上がりそうな感じは受ける。
立体ということは3次元的な変化の中の調和が大切だということになろう。
12月20日(日)
連日冬の雷が鳴っている。
昨日積もった雪が車庫の屋根からズリ始め、エゾ松を弓なりに傾けたりしていた。
風が吹き込む感じが続いているが、雪の方は水気を増し、かなり減った。
昨日に続いて今朝もブルドーザーの除雪の山を崩した。
鉢の静岡炭研ぎを始めようとしていたら、来客とのこと。
Y君がcalendarを持ってきたのだが、エルフ富山のアミカル展に来てくれたお礼を言う。
15年ほど前のグループ展「漆麗展」で買ってくれた漆椀が壊れたので、ほしいとのこと。
修理するというと、高台が取れてしまい、お母さんが捨ててしまったとのこと。
総布貼り椀、内紐巻き椀、螺旋紋椀の製作途中のままなのを見てもらう。
製作時期で、どんな仕掛けをするかが順に変化している。
内紐巻き椀は、腰のあたりでキチンと木地にくっ付いていなくて、欠陥が出て、家で使うしかできないと話す。
子供に送ったのもかなりひどい状態になったらしいし、、、
高台に麻紐を巻いたのは、滑り止めの考えだったが、補強にもなっている。
端の外回りにも細い麻紐(ラミー紐)を巻き、内の螺旋状の紐模様は、浮きを防ぎながら、実用的な補強を兼ねている。
内側は黒にしてほしいとのことで、外は木目を残す(溜め塗り)にすると伝える。
依存症で入院したらしいが昨日は外灯がともっていたし、どうなのかはっきりしないという話もしていた。
昼ころまで静岡炭研ぎをしてから、午後は地区の万雑の関係で出かける。
除雪が必要だろうとスコップを持って歩いて行く。
雪透かしをしていると、スコップの持ち手が折れてしまった。
アルミで軸は木製だったが、持ち手部分がプラスチック製。
別のを使い、何とか終えることが出来た。
集金の確かめと種類別の分けて保管する役をしたが、何とか一発で書類上と現金が合っていた。
指先に脂分がなくなり、紙幣などもスムーズに扱えなくなっている。
そのおかげで漆を塗る前に触ってもハジクことはめったになくなったが、、、
来年の予算案関係の会合も終わり、帰宅。
例年ならまた飲むことになるらしかったが、今日は延期となる。
帰宅後、静岡炭研ぎの続きをし、ほぼ終わったが、刷毛筋はまだ所々残っている。
明日は上塗り予定だが、小中塗りより、赤口・黄口の差がかなり出ることになる。
朱練りを小中塗り前にすべきだったが、間に合わなかった。
12月14日(月)
紐胎の仕事は、誰でもできることを目安にして今までしてきた。
離型用にビニール紐を巻いていたので、どうしても締まりのない雰囲気が残る。
彫塑用粘土で型を作り、それに直接麻布を貼る方法で今やってみている。
その粘土を原型に使うのは、麻布2枚貼りで乾漆作品を作ろうとしていた時以来だ。
今回はチューリップ形の小さい盃なので、粘土でも不都合はないと思う。
麻布2枚貼り、中の太さのラミー紐を、端をガラス板に接して、巻き始めた。
素人にもできるような仕事を続けていては進歩がないと考え始めた。
問題は、型から抜くときの水分が素地を歪ませないかという点にある。
紐の上から糊漆を2回刷毛付けし、できるだけ紐目を残す予定。
昨日は地区の万雑の関係の委員会。
帰宅後、下地付けの仕事をするつもりだったが、飲むとのこと。
結局、今日の午後から帰宅して後、下地付けなどをしたが、一日予定が遅れてしまった。
昨晩、また飲み足りない気がして、飲み続けた。
この前から、コーラルネットのHPにつないだつもりなのに、fc2のHPが不完全な状態で表示されるような気はしていたが、昨晩グーグルから繋いでみても同じ状態になると気付いた。
fc2の方に問題はないかといろいろやってみたが、全く分からなかった。
今朝、ひょっとすると自分の名前が出ているHPが二つあることで、検索エンジンが混乱したのか?と思いついた。
今夕、fc2の方から名前を消してみたが、やはり不完全な表示のページが出てしまう。
アップロードされているコーラルネットの内容をインターネットにつないで表示し、パソコン内のと比較してみた。
インデックスのページが二つアップロードされていて、容量から見てfc2のと思われるのを削除した。
やっと元に戻った。htmlの方が、htmより優先的に表示されるようだ。
11月29日(日)30日(月)
小さい型がいくつかできているのに、放置したまま。
花弁が重なっている乾漆の鉢の作業を少しずつ進めているだけ。
今日は朱塗りまで進むことが出来た。
下地の段階で形をきちんと研ぎあげることが出来ず、黒塗りで凹みなどに気付くことも多い。
端幅がなかなか揃わないのに、幅定規を使わず、目測だけで研ぎ、何とかしようとしてきた。
端の上に少しばかりの上下の変化をつけることで(切り込みを入れたりして)、表情に変化をつけようとしてみたりしている。
仕上げは、朱の色の変化による塗り分けの予定なので、今日は黄口(が主の朱)だけで塗ったが、塗り分けの練習のため、色違いのところを抜かして塗り、それから残りを塗る順にしてみた。
昨日は、宮の雪吊りで上手くできなかった小柴結びを縄で実際にやってみながら、手順を図示したり、御簾の飾りつけの向きなどについて纏めたりしていた。
昨夜、今日と、ロシア記録の抑留中のカルテ(厚生労働省より)の中の日本語表記の読み取りの続きをかなりしていた。
大体同じような内容のが二つあるので、それをワードにコピーし、比較しながら漢字を読み取ろうとしているのだが、読み辛い。
入院させてもらった時点で、自力で動くことが出来ない状態だったと何となくわかる。
多分捕虜となっていた日本人軍医がたまに診察し、ほとんどはソ連の医師が姿を観察していただけなのだろう。
「羸痩ス」とか「咳嗽」とか「肺部打診・・・聴診・・・」とか同じような表現が目立つ。
体温の記入はアラビア数字なので変化が何となくわかる。
アミカル展の方は、最終日に行けなかったので、誰が来てくれたかよく分からない。
日曜に中学の同級生のY君が午前中に来ていったと芳名録で分かっただけ。
土曜日は、顔の広い方がいて、少し紹介してみようかというようなはなしもでた。
懇親会では、会長、元町長、元学長が、よく通る声でマイクなしで挨拶された。
隣の高松からの来客は、キンマ塗りのことなどよく知っておられた。
昔は瀬戸内の魚もうまかったが、今は淀んでだめだし、栗林公園も、日本一の水不足県なので、緑があまりさえないとのこと。
富山は良いですよというはなしだった。
日曜午後は、二人の方が、詐欺にあった話をされたが、やっと自分にも陽が当たるようになったかと喜びが先になり騙されてしまうそうだ。
チャンスが突然やってくることもあろうが、そういうことはまずないということだろう。
(30日)昨日の朱塗りは、朝全く乾いていなかった。
加湿シートで湿気を与えると、1時間後ぐらいで70%に。
病院へ行くので、通電をやめた。
3週間前の胃カメラの結果は異常なしとのこと。
ピロリ菌も癌もなしとのこと。
下の方が赤く腫れているのも、生活の中で出る程度の変化らしい。
タンパク質と鉄分が不足しているから、食べるようにとのこと。
噛み続ける感じで食べるようにしてから、食べている途中から感じた吐き気はほとんどなくなった。
漢方薬を1カ月ほど飲んでみることになる。体重も51キロぐらいに回復し始めている。
彫塑用粘土で作った型を利用する乾漆紐胎盃を作り始めた見た。
麻布貼り1枚目は何とかできた。
11月1日(日)
先週は7時少し前の帰宅という日が五日間続いた。
漆の方は、鉢の形の修正というのがほとんど。
30日(土)は、金沢へ昼少し前出発。
伝統工芸展をまず解説前に見て、それから漆芸の解説を聞こうとの考え。
会場に向かう階段を下りていくと、林先生がエスカレーターの方へお出で、にっこりと。
陶芸の新人賞の作品は、前の晩にテレビで見たいたのと全く印象が違っていた。
浮きあがりの線は薄く、間の細い線の方が予想よりよく見えた。
かなりの力量を感じさせた。
この前の祝賀会で、石川県の金工がほとんど駄目だったと聞いていたが、その通りだった。
解説では、遠くから、また近くから、更に接近してと3通りに楽しめるとのこと。
確かに漆芸展の図録の表紙などを見れば、実際の大きさの数倍に拡大した写真が載っているが、それでも線に破綻がない。
Oさんとはよく出会う。
ビデオで螺鈿の伝承講習会のをやっていた。
以前一度HPを作るつもりだとメールをもらった方が映っていた。
15年前、青年会で奈良に行った時、どこを回るか知らなかったので表札を見て驚いた北村先生宅。
お世話になった山本さんなど。
(3行目からは今日2日に続きを書き始めたので、何があったかほとんど忘れてしまっている)
1日(日)は、乾漆箱の石膏雄型を壊して素地を取り出す。
石膏にドライバーの先で溝をつけ、ブロック毎に石膏を取り外す感じにすると、割合楽にできた。
花弁鉢入り隅付近の形を揃えるように少しずつしている。
石膏の小物の方は少しずつ削って模様をつけている。
今日2日(月)は、体調が何となく悪いままなので大きめの病院へ受診に行く。
健診での血糖値の異常な高さで糖尿病の恐れもあったが、全く問題ないとのこと。
エコー検査でも何の問題もない。
二月に3度目のレントゲンでも、小さい頃にできた影で今の病気ではないと、個人医院の診断と同じ話。
来週胃カメラで残りを調べてみることになる。
問題は体重の減り方が、検診の3年間の変化を見て、大きいことだとのこと。
実際はこの2,3カ月に4キロ近く減った感じ。
腹がふくれたとは感じないが、何となくむかむかし、食べたくなくなる。
好き嫌いがほとんどなかったのに、最近は好きだったものでも嫌になったり、、、
今日は寒い日だ。
10月24日(土)
曇りがちの中、自転車で高岡へ行く。
検診で運動に躊躇する気が起き、スロージョッギングをやめていたが、ゆっくりとした感じで行く。
清水町あたりで道路工事中で通りにくかった。
大和に着き、案内を見て6Fの「工芸都市高岡2009クラフト展」会場へ。
新聞に挟まれていた広告に麻紐を巻いた器がグランプリとして載っているのを見ていた。
予想以上に大きく、紐は和紙で作ったようだ。
口周りのは麻紐か縄のように見えた。
大変な仕事ではある。
一番気に入ったのは、漆マテリアル賞の、少し撓めたような皿セット。
審査員によるらしい解説に、ぼかし塗りを装飾的に使っているところが新しいような記述があったが、見当はずれな見方。
普通の表現であり、形と色のバランスが良いと評価すべきところ。
表現はシンプルであるが、素材感を転換している傾向があった。
乾漆かと思えば、金属であったり、折り紙に似せたり、、、
共通点は数点セットと綺麗な仕事。
大和の中はそれなりに混んでいた。
組子細工の繊細な照明の個展もやっていた。
帰りにウイング・ウイングに寄り、テレビニュースで見たドッキンググラスなどを見る。
会場当番に、美術館でよく会っているSさんがいて、裏側にも展示があると教えてくれる。
帰りはかなり疲れを感じたが、何とか帰宅。
もらってきたチラシを見ると、金屋町でも何やらやっていたようだ。
行ってみる価値はあったかも、、、
クラフトコンペを見に行ったのは久しぶりというか、あまり行ってなかった。
20年ほど前、その会期中に講師として青森からKuさんがお出でたことがある。
そのときKoさんが顔を出されていた。
少し前、業界の変わり塗りパネルの展示を見にAXIS(だったはず?)にお出で、すごいすごいを連発されていた。
その後、金沢の高野漆行で会い、その翌日が高岡だった。
受賞者だとそこで知った思い出がある。
二人とも消息が分からないことはない。
今日は母から電話があり、少し出かけた後、小物の石膏取りをやってみた。
石膏関係はどうも苦手で、その点、築地さんのHPは非常にありがたい。
合口を金貝をさして準備しておき、上側に薄く石膏を渡すという点が思いつきもしない。
明日にならないと、どういう結果になるか分からないが、、、
(25日)石膏の方は、部分的に薄すぎ、粘土を取り出すとき、一部壊れてしまう。
その付近に石膏をつけなおし、十分乾いてから粘土を取り出す。
雄型を作り、後から取り出して、修正。
その後どういう表情にするかはまだ未定。
まだまだうまくいかない。
10月12日(月)
昨日は久しぶりにアミカル会で集まる。
砺波市美術館の「加賀谷武展」鑑賞と丹羽さんのデンマークからの帰朝報告。
昔パリでつき合いがあったという横山さんがお願いして、先生の解説を聞くことができた。
制作は言葉で考えながらする。
大岡先生より「宇宙」を感じるといわれた、最初の個展の同心円的なのが凹凸表現されている作品。
その言葉が頭に残っていて、浮遊する丸く半折にされた布のような作品につながったらしい。
枠だけを展示したとき、評論家からどういう意図があるのか問われ、それに対して言葉で納得させることが必要だった。
目立たなく数字をいれてあったのだが、年月でも経済でも、生きていることは数字で表される(だったか?)、、、
自分の思いを表現する、ひとから「 なんだこりゃ」と感じられ、いろいろ想像してもらえるような、、、
見えるものを表現するのは簡単、見えるものと見えないものの境をどう表現するか、、、
展示とはどこかでするのだから、高さ(位置)、隣との幅、壁の色(そこから広がる、混ざる、、、)、照明(反射)などが大切になる。
野村さんが気づいていた内上側の色が壁に反射している表現。
2Fで、城端美術協会展。織田さんの漆芸展。
パソコンのスライドショーをみながらの、自然に風化していくことを条件とする制作展の報告。
日本的な文化を表現しようとし、天と地の融合(だったか?)からうまれる「気」を砂を使って表そうとしてそうだ。
3つの盛り上がりとその間の砂紋で目指したが、悪天候もあり、完全にはできなかったらしい。
見学にあまり時間のかからない範囲での展示は良いと感じたし、人それぞれを認める態度が良い(日本的ということかも?)。
昼食中、健康診断のことを話すと、検査をしてもらった方が良いと野村さん。
息切れがしやすい気がしていたが、上肺の萎縮など原因はあったことになると思うだけ。
自転車で砺波支社ギャラリーの芝さんの絵画展へ行き、細密な絵を見てから、別れて自転車で帰宅。
今日は午前中、台風で方向が狂ったと思われるアンテナの向きを何度か直す。
石川県の放送がきれいに入らなくなった感じ。
約束通り午後1時頃、取材にお出でる。
麻布貼り4枚目を固い目の粗めのでしてみたが、固すぎる感じで何度も糊漆で押さえ直さざるを得なかった。
糊漆で布が柔らかくなるまで待つ感じで、どこかで浮いているかもしれない。
蚊帳ならよかったが、幅が少し足りず、その布を使ってみたが、失敗に近い。
後は作品の撮影、参考に芸文報に「乾漆とともに」が載っているので渡す。
次回は地研ぎ作業が取材になる予定。
9月27日(日)
19日に2回目の内科、その薬を1週間ほど飲み続けたからか、咳は弱まりはした。
副作用か、何となく吐き気が続く気がするし、金・土にだけ飲む酒も少しで嫌になるだけ。
昨日は、開会式に出席したときだけ無料だというので、金沢に行く。
曲がる交差点を通り過ぎたりして、遠回りになるし、駐車場待ちで数分が過ぎる。
博物館の建物の間まで誘導された。
知事は国体の開会式で新潟に行っているとの挨拶。
解説を読むのも面倒なので、絵全体をただ見ていった。
「四季耕作図」というのが多かった。
テレビドラマ同様、辛く延々と続く作業を表現することはない。
そういう作業の、たぶん典型的な姿を数人に分けて描いているのだろう。
侍らしいのは、監視役か寝そべっているか。
遠くの空に雁のような群れ、細かく描かれた人物や動物も。
順路的には第1展示室へ行くと、瑞龍寺の襖絵。
図録を買う余裕がなくなったので、記憶も曖昧。
その横の絵だったと思うが、左の面の小舟が少し遠い位置のが濃く、右の面の小舟が薄く描かれていたのはなぜか?
薄もやでもかかっていて、左の小舟のあたりだけがはれていたのだろうか。
残りの2室は、2回見る。空いてきていたので、少しは解説を読んだりもした。
国宝があるとのことだったが、どれか分からないまま、会場出口へ。
(帰宅後、届いたたよりによれば「納涼図」というのが国宝とわかる)
館長が通る人ごとに2階もご覧下さいといっていたので、腰は痛かったが、行ってみる。
狩野派の特徴とか何とか言うが、感覚が鈍いのか、よく分からない。
久隅守景の場合もそうだが、何かの歌を下敷きにしていると解説にある。
心に浮かぶ何らかの像を表現していることになるのだろうが、絵を描く作業だけでも大変なのに、、、
その朝は場面が少しずつずれる感じで変わっていく夢で目覚めた。
以前と変わってしまったと思いながら、以前と思い込んでいる世界(建物など)も夢の中の思い込み。
過去となってしまうことは、時間の経過とともに空間が変化してしまうことになる。
人生は全てが虚の空間になっていくということになるのかも。
40年あまり前の入試の数学で、ベクトルの問題を複素数に置き換えて解いたという、今では何のことかさっぱり分からなくなった言葉だけの記憶があるが、複素空間は虚の世界?
芸術では、実の世界を相手にするのか、虚の世界なのか?
理論だけの世界(虚)の中でも、何らかの表現は可能だろう。
自然の中にあるはずのものから何かを取り出す抽象は、実の世界を相手にしている。
工芸の世界では、どこに置くか(場という空間)とか何に使うか(何を入れるか想像するという楽しみの空間)を考えて作れという。
別にそういうことを考えなくても作ることはできる。
現代美術は、工芸的な空間を意識して作っているのではないことは明らかだろう。
今日の日曜美術館のイギリスの方の発言から考えれば、素材を生かすというか、自然とかかわるとかいうのではなく、自意識の表現だけにこだわるようだ。
伝統とtraditionとは意味が違う(ずれがある)そうだ。
空間といったってspaceとかuniverseとか、、、どう重なるのか?
現代美術はそういう実空間を意識しているのか、虚の空間を意識しているのか?
宗教により偶像を否定するのもあるし、心に浮かぶ像を表現してしまえばあとは見る人の連想力(想像力)による非確定世界だけが見えない世界を支える。
精神的には何かあるが、つまり見えない世界だが、人生を支えている。
どうも空間にはたどり着けない・・・
昨日は、美術館からまた道を間違え、遠回りして高野漆行へ行く。
金沢仏壇でも伝統工芸士の称号(資格)は何の役にも立たなくなっているそうだ。
一か月前に送ってもらったが、また生漆を200匁などを買う。
9月13日(日)
咳と痰の症状はなかなか消えてくれない。
昨日は午後、イルカ交通の高速バスから降りてきたときに丁度ロータリーに着いた。
そのままグーグル地図を印刷したものの記憶に頼って行くと、カーナビ並みに?うまく目的地に着く。
後輩は用で外出中だったが、今の状態などを聞くことができ一安心。
源の本社工場によってから、クロスランドなど。
夜は砺波駅前で飲む。
現在の様子と過去のことが話題。
胃腸薬のおかげで軽い二日酔い気味程度で収まった。
午後から、砺波市美術館へ自転車で行く。
昼少し前に急に降りだしたりしていた雨も上がり、晴れ渡っていた。
この土日に屋上からロープを垂らして放物線を描くということだったので出かけた。
他の場所で行った写真のイメージだと、もっと太い縄かと思っていたし、高低差も少ない気がした。
下へ行って見上げると、縄目が日を受けて面白い気がした。
招待券を出して、記帳した後、会場に入る。
直線と分割が特徴とは感じたが、現代美術はどう迫っていけばよいか分からない。
細かい長さの差というか、ずれを作ったり、穴の径を変化させたり、、、
くさびを打ち込んだようなのは、その間に見えない線があるのか、例えば頭の中で放物線で結んだりしたらよいのか、、、
加賀谷先生が誰かに解説されているのは見たが、言葉の限界があるとか、、、
2Fの常設展で、彫刻、工芸を見て回る。
木工芸の方は、曲線で空間(?)に対している感じがした。
よく分からないということは、感想もあまり出てこないままということになるが、美術館を出る。
外に先生がおられ、見たことがあるが、、、と声をかけてこられる。
漆をしている・・・、すると先生と話していたのが、正得のOさんと分かる。
伝統的な世界も大切だし、現代美術のように自分だけのもので勝負していく世界もあるとのこと。
自転車で帰りながら考えたことは、Oさんは若林中学当時の教え子に当たるのかな?とか、いわば自己表出そのものの現代美術に簡単に接近できなくて当たり前では?とか、作品名に「空間性態」と「空間生態」と2種類あったのは、空間をどうとらえるかと空間に生命感を見る違いだろうかとか、、、
放物線は、地球というか、自然の中にある力(引力)を見えるようにしていることにもなる。
風とか空気とか水紋とかを見える形にするだけでなく、電磁波とか見えない線や密度はいくらでもあるだろう。
工芸は自然をうたいながら、人工のデザイン・技術が大切にされる。
偶然を芸術というのは、それが自然界に隠されている姿を見せてくれるからかもしれない、、、
平面の分割は、面積比とか黄金比とかを連想させるが、回転させるとき重心がどうなるか???
8月29日(土)30日(日)31日(月)
一週間ほど前は、休養をとる感じで過ごしたが、夏風邪は全くよくならなかった。
それならと、夜、麻布を貼って無理をしたみたが、やはり治らない。
昨日の晩は会合・飲酒のため、片道2キロ強をスロージョッギングで行く。
22日に医者でもらった薬はなくなっていたので、何も飲まずに寝たが、今朝は咳があまり出なくなっていた。
23日は午前中寝転んでいて、午後3時から地区の野外バーベキューの準備にマスクをして出かける。
夜の9時過ぎまでサザエを焼いたりしていた。
25日は、年に1回だけのことだが、コンビニへ朝日新聞を買いに行く。
技術だけのことなら問題があり過ぎることは分かっていたが、今の状態は縄目の必然性を表現できないというところにあるだろう。
木地であれ、乾漆であれ、麻紐による横とか斜め方向からの補強が必要だということを経験的に確信している。
錆下地による覆輪を邪道だという自分がいる。
硫化水銀朱(辰砂)が、漆塗りを生み出したもとだから、ベンガラ朱を本来のものではないとみなす自分がいる。
美的なことと漆のあるべき姿が、自分の中で一致できないでいるということだ。
26日に光プレミアムの工事が終わっていて、少しだけやってみると、ISDNに比べ、劇的に速い!
ケーブルだったところは、そんなに変化を感じられないそうだ。
今日初めてパソコンの前で少し長く過ごしているが、VISTAの動きの方が遅く感じる。
27日は夜8時より友人の母のお通夜に行く。
螺旋階段を上から見ると同じところをぐるぐる回っているだけに見える。
横から見ると、少しずつ上に登っていて、少しも同じことはない。
人生もその時々が全て違っている。
悼み(痛・傷と同源)を追うことで、亡くなった方の人生を考える、、、
罪障が多ければ、多くの経験が阿弥陀様へと導いてくれる、、、(?)
僧侶によって、生きている人々がこの場で出会った縁の話をする人もいるし、阿弥陀様の救おうという願いを信じることで成仏できるという人もいる。
想像力によって人のことを考えるというのが人間の生き方。
職人は見て覚えろという。それを乗り越える世界をどう作り出すか。
模倣に始まらざるを得ないが、その先に何があるのだろう。
何かにとらわれているという状態を乗り越えられるかどうか、、、
30日(日)光の工事のため移動されていた作品の入っている段ボールを片づけることにした。
展覧会毎に本展と部会展をまず集め、まとめて積み上げる。
支部展やとなみ野展、市展などは、段ボールに入っていないし、はっきりしないものがかなりあった。
これからは紙にでも書いて、箱に入れておくべきだろう。
支部展の作品が何年のものか、作品に添付してなかったので、自分のHPで印刷してみた。
片づけた後だったので、また整理する機会が出てくれば、印刷と作品を比べて、紙片を添付すべきだろう。
午後もかなり過ぎるまでかかってしまった。
乾漆の素地作りの方は、布貼りもしたかったが、生漆を吸わせておくことも必要と考え、時間も足りないこともあり、薄めた生漆を吸わせる。
予想以上に生漆が減り、素地固めも大切な工程だと今更ながら感じている。
ただ今ほとんど生漆が残っていないし、金もないし、どうなる事か。
31日(月)軽くはなったとはいえ、相変わらず風邪の気が抜けない。
昨日は投票、今日は銀行と、外出はほとんどしていない。
インターネットで漆の値段を見たが、少しも安くはない。
結局、ファックスで生漆200匁を注文した。
どこに出品するかもはっきり決めないまま、何となく作品を作っているだけ。
使い手に当たる方面からは何の反応もない状態なので、方向が見つけにくい。
庭に使ってある藁縄を見ていると、<結界>の感じを受けた。
どことなく拒否する感じがあるのかもしれない。
8月16日(日)
7月下旬に入ったころから、腰痛が始まり、低周波治療器、インドメタシン入りの湿布薬、腰ベルトの日が2週間以上続いていた。
それから月曜午後から夏風邪の症状が始まり、火・水と仕事(昼休みに汗だらけのまま、冷房)。
木・金と体調が回復しないまま。
土・日と動く気にはなるが、咳は出るし、頭痛も残るし、、、
13日(木)は、子供に運転してもらって庄川美術館へ行く。
工芸家なら、木の中に姿や形が見えてくると言うが、彫刻家はイメージがまずあるのだろうか?
野村さんの話声が遠くでしていたが、帰る頃聞くと、外出したとのこと。
14日(金)は、糊漆を作ってから、石膏原型に麻布貼り2枚目。
最後は集中力がなくなり、浮いている気はしても、直す気が起きず止めてしまった。
15日(土)は、朝久し振りに走ってみる。いつもよりさらに遅い超スロージョッギング。
4.5キロほど走ったろう。
墓参りをしてから、そのまま昼食をどこかでしようと軽四に4人乗って走り続ける。
多分旧北陸道のはずの道を通り、高岡北インターで能越道に入り氷見インターまで。
海岸沿いを走り、七尾へ。そこまでの下り坂で、カーブが思ったより急で、危なく横滑りしそうになった。
中島あたりでカキの看板を見たが、穴水まで行く。
海岸沿いに出ようと右折してみても、山道のようなところが続くだけ。
どこで曲がってみても思うようなところにつかない。
運転が乱れ出していることから、換わってくれる。
穴水の町中でも見つからず、先ほど目にしていたのも場所が違う気がして(逆方向から見ていたためだろう)、通り過ぎ。
結局、七尾フィッシャーマンズワーフに行く。
3時半ころイカ焼きやウナギのかば焼きなどとうどんで昼食。
岩ガキを1個750円で買うなどして帰路につく。
全く漆の仕事はしなかった。
HPを更新しようかとソフトを開くと、いくつかのページがなくなっていた。
よく分からないが、子供がインターネットに残るのから回復してくれた。
今日16日は、唯一の来客。その後、子供が帰っていく。
下地を使う前の作業(布の重なりや浮きをとり、空研ぎ)をして、午後2時過ぎに昼食。
やっと少し更新をしているところだが、ファイル名が前と違ったのは、駄目のような?
8月2日(日)
普通なら梅雨明けしている時季になって、雨模様が続くようになった。
今使っている生正味漆の乾きが、何もしなくても湿度80%ほどなのに、あまり良くない気がした。
摺り渡しをして放っておけば、綿にしみ込んだ漆が固くなってもよいはずなのに、数時間しても乾いていない感じがした。
チューブの向きを何度か変え、漆が乾くのに必要なラッカーゼとかが沈殿したままにならないように注意してはいたが、古くなった所為かも?
今持っている黒漆は晴れていても乾きすぎるが、透き漆は割合遅いので、少し混ぜるだけで縮みを防ぐことができる。
黒の上塗りの時一回だけエアコンを使って湿度を落とした。
朱は、赤口の乾きが割合早かったが、雨が降っていてもエアコンは使用しなかった。
その所為か、小さい縮が何箇所かに発生した。
呂色研ぎで消えるか消えないかの境ぐらいの縮みだと思ったが、何とか消えてくれた。
7月22日の視野検査で、左右の見え方が対称的に近いので、両眼では、見えない部分をそれぞれが補い合って、かなり広く見えるのだと気付く。
中心から10度−30度の間が、補い合えない状態なので、摺り渡しをしていても、ぽっかりと抜けているのに後で気づくことがしばしばあった。
おかげで?朱にムラが残っているところができてしまっていた。
拭きとり不足のくもりが出たところは、超微粒子コンパウンドを小豆大ほど指につけてひろげ、軽くこするとすぐに取れた。
摺りという意味では、朱も黒も2回で終わらせた。
先週の日曜は半日地域の草刈り作業等で消え、仕事は5日連続(水曜のみ半日)と、漆の追い込みができず、夜かなり無理をし続けた。
一応完成した今日初めて桐箱に入れようとして、入らないことに気付いた。
昨年の箱に入れてみると、少し高さが足りないが、何とか入る。
後で、アクリルの型を桐箱に当ててみると、かなり余裕がある。
素地が下の方で大きくなっていたことと、包んだ薄紙や布で大きくなりすぎたのだろう。
外出後、今度は大和富山店での方に送る荷づくりもする。
申請用紙や郵便振り込みの準備もする。
夕方にまた雨がやんだので、一週間ぶりに超スロージョッギングを約4キロ。
光の方はまだ工事の予定が決まっていない。
ISDNとは早くお別れとなりたい。
7月4日(土)
今朝は久しぶりに走ったが、最後まで超スロージョギングで通した。
ためしてガッテンによれば、血液を流すことで遅筋を発達させるのに効果があるらしい。
筋肉が育つ前にスピードを上げると、効果がなくなるのだろうか?
一番悩みの種の呼吸が楽でないのは、超スロージョギングを続けることで改善されるのだろうか?
母が貸してくれていた「息の発見」(五木寛之)は、呼吸を意識してする、腹式呼吸とイメージを組み合わせる、、、自分なりの呼吸法を見つける、、、
走る時の呼吸はどうなるのだろうか?
水曜日のためしてガッテンでは、食後、胃を圧迫することも噴門から胃液を逆流させることで、自律神経が狂う症状を引き起こすことがあるようなことを言っていた。
食後にすぐ腹式呼吸をすれば、胃を圧迫するだろう。
良さそうなことも、組み合わせとか順番を間違えば、害になることもあるということになる。
眼科へ行こうとして自転車のところへ行くと、タイヤが柔らかくなっていた。
空気が少しずつ抜けているのは、虫ゴムが駄目になっているのか?
視野検査の予約が主なこと。
車で行ったので、キャッシュコーナーにより、イオンで買い物など。
自転車のタイヤの虫ゴムを替えて、暫くすると、また空気が抜けていた。
玄関の戸の戸車がうまくいっていなかったので、もうひとつの戸のを交換しようと考えた。
しかしねじが緩まず、上手くいかず。
軸が擦り減ってガタガタするが、位置が高くなるように調整して、取りつけてみる。
何とかそれなりに動くようになる。
電話があり、何年か前、イオン高岡で申し込んでおいたのをする気がまだあるかというもの。
インターネット僻地のこの地にも光がつながることになるとのこと。
ケーブルは高いので入る気はなかった。(高岡は高くはないそうだが)
今月末から工事が始まるらしいが、プロバイダーを今のままにするかどうか?
変えた方が安くはなるが、HPやメールの事が面倒だし、、、
自転車のパンクの修理用具を買いにまたカーマへ行く。
後輪のチューブを取り出し、水の中を通すと、空気が漏れているところが分かった。
ゴム片を貼り、また水を通すと、空気が抜けてきた。
そのまま一周すると、今度は全然空気が抜けない?
用心のため、気泡が出たところにまたゴム片を貼っておく。
このチューブは内部にパンク直しの液体が入っていたようで、すぐには空気は抜けないし、その時の状態によってはパンクしてないようになったりするようだ。
かなり以前に、後輪だったが、自分でチューブを入れ替えていたもの。
ついでにチェーンの緩いのも直そうと思ったが、カバーがついているし、上手くチェーンが取り出せないので、途中でやめた。
外し方は分かるが、たぶん1個ぐらいだろうが、切り取り方を知らないし、はめ直すのも面倒だし、、、
あちこち取り外してしまったねじを取り付けるのにかなり手間取る。
少しは梅雨らしくなってきたが、今日はまた暑くなった。
漆の方は、相変わらず、あまりすることがない。
展覧会だけではもつはずがない。
生きるという点から考えるか、感動という点で考えるか。
作者の生きている考え方が表現されていることが大切なのか、作品自体に生命力があることが大切なのか?
走りながら考えることは、自然自然と言いながら、人間の活動はすべて人工的ではないのか?
意識しないで呼吸ができるレベルに達するなら、人間的活動も自然になっているのかもしれない。
6月28日(日)
昨日は、午前中、概要の配布、床屋。
午後は、石膏雌型の三つ割型を作っていた。
身の方は、スタッフで補強してあるので薄くても大丈夫かと、割ってみると、雄型から剥がれてくれず、結局、壊さざるを得なくなった。
今までの袋の石膏がなくなったので、新しく買った25キロ入りの袋を開く。
いつもと同じぐらいの厚みに作り直す。
木槌で叩いていくと、一部欠けた所はできたが、上手く3つに割れてくれた。
雄型を取り出してから、また組み立てるとき、ずれないように、金貝を全体にはささない。
裏底の中央付近に1センチほどと、端から0.5センチほど、切れ目を入れない(つまり石膏でくっついている)。
継ぎ目に溝が目立つときは軽く埋め、その後溶いた石膏の中に麻布を付け、それを裏から貼る。
乾いてから、内側の欠けや溝(継ぎ目)を石膏でつづくり。
まだ少し柔らかい感じのある時、余分なのを削った。
今日は、石膏雌型の修正を少し繰り返した。
小矢部市展を見に自転車で出かける。
多分茶会の関係で来ていた近所の数人がおいでた。
伝統工芸展的なものが全てではないから、工芸部門にしてもいろいろあって良いとは思う。
クラフト向きとか、何向きか分からないが何かをしたいようなのとか、、、
何時の間にか昼が過ぎていた。
自転車で帰り始めて200メートルほどしたころ、急にタイヤがガタガタし出した。
パンクかなと思ったが、また少し乗ってみると更に空気圧が減っていく感じ。
パンクさせてはまずいと、自転車を引いて歩きだした。
タイヤの虫が駄目になったのかもしれない、、、と考えたりした。
今朝も45分間ほど、超スロージョッギングをしていたので、約5.5キロほどだろう帰り道は耐えられないほどではなかった。
自転車が邪魔で、サンダル履きだったのが、スロージョッギングより辛くした。
午後は玄関の戸の動きが重くなっていたのを直そうと、ぐらぐらする戸車を外し、ムサシへ代わりのを買いに行く。
時代が変わってしまっていたのか、同じ構造のがなく、同じぐらいの大きさのを買う。
店の人に聞いてもよく分からないと言うし、、、
構造が違うので、なかなかうまく動いてくれない。
2時間以上かかって、二人がかりで何とか動くようにはなったが、そのうち壊れてしまうかも?
休みの日だけだが、超スロージョッギングで5,6キロぐらい走るようになり、また関心が戻ったのか、テレビで陸上の日本選手権を少し見た。
道産子が決勝で棄権となったのは残念だった。
水指の蓋の甲面の凹みが、この前麻布片を2枚貼り重ねたりして直したにもかかわらず、直りきらない。
手で力を入れても動かないくらい固いのに、それでも素地が動く。
摘みをつけられるのはいつになることやら、、、
6月20日(土)21日(日)
この頃は継続的に作業が続けられる漆の仕事がない。
紐胎杯の方は、熱湯に気泡が発生し続ける1個に苦労している。
布を貼り、下地で埋め、リグロインで薄めた生漆を吸わせ、、、そこは直ったが、別のところから気泡。
他のは、今までどおりの作業で、気泡は発生しなくなった。
熱湯は、中塗り前は、水漏れのチェックと熱処理の代わり。
上塗り後は、熱湯で発生する臭いを、3,4回の熱湯入れ(冷めるまで放置)で消す。
水指の方は、蓋の甲面が何時の間にか凹んでいて、中央付近に麻布を貼って直そうとしている。
必ず麻布貼りに引っ張られるように裏側が動く。
一週間我慢すればまた元に戻ることもあるし、どうするか迷うところ。
形が平凡(つまり普通)、麻縄を生かす表現も思いつかないまま。
新作の、たぶん食籠になるだろう箱物は、蓋だけ粘土で作ってみると、外の出ている面と僅かに凹んでいる面の比率が平凡(この場合、面白くない)に感じられる。
暇だから、試作と考えるべきかも。
今週は、久しぶりに週4日の仕事だった。
今日にしたって、だるくて仕方がない感じがしていた。
だるくても体はいくらでも動く。
呼吸が浅すぎることがだるさの原因かもしれない。
久しぶりにスロージョッギング(ためしてガッテン)をしてみたが、走る前から痛い感じのしていたアキレスけんあたりは、走っているうちになんともなくなった。
何かをしている間はだるさを忘れる。
今日も、粘土原型や石膏取りをしている間は、体調なんか気にならない。
細川さんは、轆轤の前に座ると落ち着くと言っていたが、自分の場合は、それに当たるものがない。
刷毛を持つのは、乾漆の仕事をしている限り、特殊な場面だ。
箆にしたって、これこそ自分の場所だとは思わない。
粘土と石膏は、もっと遠い感じがする。
作品の姿を考えるのも、これが自分の世界だというものではない。
人生と同様、これだという世界がないのが悩みというか問題点。
(21日夏至)雨のほとんど降らない梅雨が続いていたが、今朝は宮の草刈りなのに雨。
自分は班長なので、10時からの除蝗祭の準備の方をしていて、雨にはあわなくて済んだ。
甲面の凹んだ蓋に下地を布貼りあたりに付けただけで、約500メートルをスロージョッギングで宮まで。
雨は上がって蒸し暑くなっていた。
帰りは幣帛を班内に配りながら、必要な名前をかいてもらったりした。
運転してもらって、クロスランドに市展の作品を持っていく。
1合あまりしか飲んでいなかったので、晴れ渡った空のもと、石膏雄型を取り出す。
今までのように穴だらけということはなかったが、きれいにできているとも思わない。
それから身の粘土原型を作り始めた。
築地さんのHPにあったように、下から少しずつ段階的に作るつもりでいる。
引き箆に無理がかかりにくくなるので、垂直線が狂いにくくなることだけは確かだ。
この形は、麻縄を全く必要としない。
夏至と言っていたので、夕陽を撮ろうと外に出てみたが、また雲が覆い始めていて、公開するほどの写真は撮れなかった。
6月6日(土)
金沢が100万石祭りなので、列車で行くことにした。
倶梨伽羅駅で乗ろうと思っていたが、階段を下りている最中に列車が出て行ってしまった。
1時間もそこにいるより、七尾線の列車がある可能性があると思い、津幡へ行く。
駐車料を無料にするのが目的だから、スーパーに止める。
北陸線より15分ほど早く着き、昼過ぎの道を武蔵へ向かう。
歩道はかなり席取り用のビニールシートで覆われている。
エムザの8階に第50回記念石川の伝統工芸展に行く。
最初はレベルの高さに圧倒されそうだった。
特待者の多さにも驚いた。
城端蒔絵というのがあったが、波山と似ても似つかぬのに葆光彩磁と言っているのと同じ感じがした。
5階のチャリティを見、3階の石川の人間国宝展へ。
売約済みというのもかなりあったが、非売のもあった。
ビルになった近江町市場へ行く。
見た感じは以前とあまり変化がない。
昼食をとる。
外に出ると、100万石行列の先頭が進んできた。
場所が悪く、背中しか見れなかったので、暫くして5メートルほど移動。
たまに照りつける日が目に痛かったので、チラシで日よけにしたり、、、
加賀鳶のはしご乗りの最中に、5,6メートル前で、次の演技に移ろうとしていた人が落ちていった。
6メートルの高さがあるそうで、下ではしごを支える人の中に落ちたことになり、重傷事故にはならなかったようだ。
お松を見、駅の方へ戻りながら利家を見る。
津幡で駐車していたスーパーで買い物をし、帰宅。
金・土とほとんど漆の仕事をしなかったことになる。
一番の問題は、紐胎杯が熱湯を入れたとき、気泡を発生し続けること。
同じものが、生漆を染み込まし直したり、下地で埋め直したりしても、直っていない。
他の9個も心配になり、一個ずつ熱湯を入れてみた。大丈夫だった。
見た目に小さい穴が見えるわけでもなく、原因が分からない。
木曜に札幌から電話があったそうだが、仕事に行っていて不在。
夜見るとメールが来ていて、S賞の記念品ができないかというもの。
どんなものが適しているか見当がつかないし、できないことはないと曖昧に答えるしかない。
汗を形にするとか、駅伝のタスキから何か、、、?
酒好きだったので、、、?
彫刻ではないから立像的なことはありえないし、できない。
5月24日(日)
高岡の帰り、似た感じの人が16日昼ころに自転車で走っているのを見たが、どうだったかと聞かれた。
20日の11時ころに、似た感じだが、、、平日にいるはずがないし、、、という感じで、出町を自転車で走っているのを妹が見たそうだ。
水曜日の方は、野村さんの彫刻展へ2度目の訪問。
結局、昼食もとらず、4時20分ころまで、5時間以上いた。
アミカル会関係の3人が2時ころやってきて、長々の滞在になった。
昨日は、乾漆盤の上塗り。
ろくろの中心をずらし、螺旋模様をつけるのをぶっつけ本番でやってみる。
まだまだ腕不足という感じだが、今日見るとそれに関しては縮みはなかった。
隅に何となく縮みがありそうだと、デジカメ画像をパソコンで見て気づく。
3時半からの記念誌の編集委員会にまた自転車で高岡市美術館へ。
今日は、支部展の会場当番。
午前中は兄夫婦、午後は会社のFさん。
陶芸のRさん、Kさんと10年ぶりぐらいの再会になるそうだ。
若手のOさん、Hさんといろいろ話していることが多かった。
UさんがK先生からの伝言として、つまみの縄目が問題だったとのこと。
兄も身の側面の線と合わないのではないかとの感想だった。
腰痛がだんだんひどくなり、帰りの車の中は楽ではなかった。
ミュージアムショップの紐盃、親戚関係とは言え、2個売れました。
5月16日(土) 富山支部展
12日の搬入・展示準備以後、初めて美術館に行く。
支部展の招待はがきを送った義姉妹が石川県から見に来るというので、自転車で出かける。
天気予報では、昼ころから雨だったが、10時少し前に出発。
裏道を通る感じでやっと着くと、美術館前で写真を撮っている4姉妹が見えた。
ほぼ1時間ほどかかったようだ。
下のほうにも線があるのに気づいてもくれた。
実際は、隣同士のレリーフ表現が違うのだが、審査員を含め、誰も気づかない。
効果がないということだろうが、人が気づくのは、線が乱れているとかという見えやすいことだけだ。伝統工芸の世界に入るきっかけとなる意味で、声をかけともらわなくては何も始まらなかった最大の恩人であるG先生がいて、自分の思っていた通り、つまみが縄目だったことにクレームがついたとのことだった。
自分に対しては甘いG先生やS先生の話を言葉通り受け取ってはいけないが、、、
下のショップを見たりしていると、アミカルのH先生が油絵の会場においで、後で見に行くとの声。
雨にあわないで帰ろうと思っていたが、古城公園のあたりでポツポツ。
車の近くを通るのを避けるというのをやめ、無駄なく道を選ぶことにしたが、問題は車というより、右側通行して来る対向自転車。
たぶん40分ほどで、小雨に濡れる程度で1時過ぎに帰宅できたが、汗はかなりかいた。
自転車で走るのは、足で走るのに比べると、極端に楽だ。
わかめのふりかけによる昼食ののち、少しテレビを見ていた。
もともと今日の予定だった北日本新聞社砺波支社ギャラリーの野村修三さんの作品展に行く。
近いが、雨が降ると思い、車で行く。
やさしい感じの母子像が印象的。
頭を持ち上げるのに対応するように足首が頭側に向かう足先。
持って行った招待はがきを2枚渡す。副館長になったHさんの滑川高校の後輩に当たる方に。
銀座でのアミカル展で見かけた加賀谷先生らしい人が窓の外に。
後で名刺交換をしたとき、30歳まで若林中学にいたとのことで、七社を正得とすぐおっしゃる。
経験がない世界なので、国際的な芸術のことは分からなかったが、欧米ではテーマに創造性があるとのこと。
それとはかなり違う日本の世界が逆に注目される点もあるらしい。
野村さんは具象から出てくる抽象と、丸や三角からなる抽象があるし、シンメトリーを崩し動きをもたせるなどと制作への自覚がある話をする。
自分はあまり自覚的ではない。
いろいろな人がお出でたが、ついつい長居をし、5時半過ぎに最後に一緒に会場を後にする。
(5.17)午後から雨の中を車で高岡市美術館へ。
創元会富山支部展、昨日見なかったので、まずギャラリーへ行く。
絵の心理心髄をとらえることとか言われるが、なかなか難しい。
構図とか色のバランスの問題と感じるようなのもあるし、モチーフに注目するのもある。
何でも分からないときは、見える状態を言葉で表現してみるしかない。
すると何か見えてくる時もあるが、そのままで終わってしまうことも多い。
工芸展の方は、解説が始まっていた。木工芸と陶芸。
漆といっても乾漆に関して知っているというか、関心があるだけなので、よく分からない。
このHPを見たことがあるというYさんという方から声をかけられる。
漆芸関係の人とはかなり知り合いらしかった。
中学の同級生のY君が来ていた。
忙しくて疲れが抜けないとのこと。工業的世界が不況なのと大違い。
G先生は、今の姿だけでなく、いろいろ変えてみたらどうなるか考えてみることが大切と話していた。
研究会の方は4時ころには終わり、雨が上がった中を帰宅。
4月12日(日)
金曜日は夕方から社内で花見。車を置いて、駅まで歩き、迎えに来てもらう。
昨日は二日酔い気味だったので、車を運転しないで持ち帰ることにした。
こちらは走ったり歩いたりして行き、運転をしてもらう方は自転車で。
岸渡川の桜を見ながら行くことにした。
枯れすすきも残っていた。
古木もあれば、まだ小さいのもあったが、花は盛り。
高校の横を進むと人が通らない道になり、線路が見えたり、、、
跨線橋を渡り、観光地化している市街地の桜、舟も見えた。
走る力が全くなくなっていて、腰は痛いし、蹴ることができず、ただ回転させるだけの感じだった。
歩く方は、ずっと楽だ。
約6.5キロで車のところに着き、後は自転車で戻る。
半袖だったので、汗は全くかかなかった。
帰宅後は、LUMIXの画像をアップロードする手続きやらその作業やらで漆をあまりせず。
今日は、走力がなくなっているし、週休4日という事態になったので、家にいる日はできるだけ走ることにして、朝約1.5キロを走る。
足が動かない感じは同じだが、一応走り続けることはできた。
頼まれていた箱書きを持って行き、いろいろな花の写真を撮る。
午後からは支部の総会で文化ホールへ行く。
重いものを持つ筋肉労働と脚力とが全く対応しないと分かり、自転車で出かける。
途中で桜並木を見たり、知らない道を進んでみたり、、、
高岡の古城公園付近が車両通行止め。
自転車は入れたが、人ごみが前方に見えたので、横道に入り、美術館の方へ向かう。
美術館の駐輪場に置き、文化ホールへ行く。
総会の後、古城公園方向に行くと、人通りがひどく、公園の裏側を回っていく。
大仏の前を通り、車の通りの少ない道を選んで、家まで戻る。
画像をトリミング、縮小してまたアルバムに入れる。
それにしても、前の古いデジカメより、保存容量は格段に大きくなっているし、充電時間も短い。
パソコン内での画像もはっきりしている。
明日からは漆の仕事を再開しようと思う。
小さい椀を型から取り出してみるつもりでいる。
3月23日(月)
先週の月曜日に、買って1年余りのビスタ(OS)の調子がおかしくなったので、再セットアップ。
その後は、ほとんど子供が必要な設定をし直す。
ウィルス関係は金曜日にやっと働くようになる。
ソフトの再インストールも、昨日でやっと一部を除いて終わった感じ。
今回はイラストレーターが入らなくなり、昔買った意味がなくなった。
金曜日は、アミカル会の総会が高志会館レストランであった。
会員が増えているので、規約が作られるようになる。一部だけ書く。
「本会は特定の団体およびジャンルを越えた美術作家および美術を愛好する文化人によるごく親しい会員たちによって組織し、会員相互のいっそうの親睦と芸術文化の振興と発展に寄与することを目的とする。」
今年のアミカル展は、昨年と同じエルフ富山で11月20日から23日まで。
柳田先生の講演。学生時代は主にボート部で活躍。
海軍時代、硫黄島(イオウトウ)で下痢が続き、H2Sをごく薄いH2SO4にする方法(晒し粉)を教えたこと、、、戦争中の悲惨な話をされた。
戦後は薬学から理学部にかわり、研究に没頭した話、、、
後の懇親会での話で、高岡短大の創設時のこともでた。
伝統工芸は古いことをやっていれば良いということはないと本にあった、、、
タマはなくなっても、髪は残っている(前立腺の話で)。
官能はホルモンの問題ではなく、精神の問題だ(横山先生の個展の話で)。
このHPのリンクに載せてある柳田先生のHPも見てください。
土曜日は好天だったので、軽四2台のタイヤ交換。
パソコンと格闘したが、時間の空費に終わった。
昨日はあまり作品作りをしていなかったのを反省し、アイディアを深めないまま決めてしまう。
素地を見ながら、感覚的に位置を書き込んでみる。別の面に書いてみたのも大体、一致していた。
円弧状の形定規を当て、鉛筆で作図する。
形定規に沿わせてキンマ剣で細い線から順に彫っていく。
後は定規を外し、その溝をもう少し太くなるよう彫り込み、最後は細い砥石で整える。
糊漆分の強い下地を渡し、細いラミー紐を溝に嵌めながら貼る。
入り隅では紐が隠れるように深く彫っておいたつもりだったが、貼ってみるとまだ顔を出していた。
入り隅のある形で、紐を張りがあるように貼る方法に関しては、いろいろ考えてきた。
今まで、姪が不思議がったのと昨年古田先生に話した時に納得してもらったのと2回しか反応はなかった。
最初に三日月形の香合をつくったときは、凹形の面を作るために、素地の外側に凸面の型を固定し、狭い隙間から紐を通して巻いていった。(素地の型は三日月型で、紐分ほど隙間をあけ、凸型の型を置く)
その後、10数年考えて、素地に小さい穴をあけ、内側から引っ張る方法を思いつく。
穴はまたラミー紐で埋まるから重大な欠陥にはならないが、面倒な感じ。
昨年は形定規に沿わせて、下地を多めに渡した中にラミー紐を押し込む方法を試す。
少し紐が出すぎるし、一本の麻糸では、補強を兼ねる仕事なのに、弱すぎる。
溝を彫るというアイディアは以前からあったが、彫る技術がないので出来なかった。
山下先生の工芸センターでの講習以来使い道のなかったキンマ剣の利用を今回試してみた。
上手くいくかどうかまだ分からないが、麻紐の利用に拘っていくつもり。
3月15日(日) 刃先と紐巻き
12日(木)の朝には積雪があったり、天候は変わりやすい。
昨日は雨だったので、車で出かける。
床屋は一人散髪中。20分ほど待った。
2月は刃物を研いで欲しいという人が次々に来たそうだ。
先を鋭角に研いでも切れが悪かったので、先だけを少し鈍角に研ぎ直すと削れるようになったと話す。
刃先を鋭角に研いでいるつもりでも、実際は先が垂直になっているから切れないんだとのこと。
つまり、刃先が出来ていないから、切れないだけ。刃先ができていれば、切れる。
大工のY君が裏刃がきちんと研ぎあがっている必要があるといっていたのは、刃先の片側をまず作ってかかるということになる。
それから表側の刃をきちんと研ぎあげることで、鋭い刃先ができる。
ハサミを研ぐ時も、素人は表側の刃だけを研ぐようにすべきだとのこと。
ねじを外して、別々に裏側を研げないようなハサミは、研ぎを断るそうだ。
以前、ハサミが切れるのは、交差だと話してくれたが、裏刃の研ぎはそれを妨げない必要があるということだろう。
手がぶれたりしないで、きちんとした面に研ぎあげることということだろう(当然、砥石も水平であるべき)。
途中で、次の客、また暫くして次の客。
叔母のところへ寄ると、紐を巻いた湯のみ(縄or紐胎杯)を急がないから10個ほしいという話。
午後から、糊漆を作り、素地1個を作る。
麻布を切ったり、作る準備が出来ていた盃も2個、麻紐を巻いて作る。
紐を巻いていくとき、能率を上げようとするとする場合、かなり厚めに糊漆を渡しておき、10周以上をぐるぐる巻いてしまう。はみ出た糊漆を刷毛で均す。
紐目に隙間が出来ないようにする場合は、刷毛で紐を巻き終わったところに押しつけながら巻いていく。
作った素地は、一日後には型から抜く。
内側が乾くようにするためと言える。
小さいし、歪むことはほとんでない。
底の紐巻き部分を型から離すときは、型を左右に軽く回して、分離させてかかる。
内底に麻布を最初から貼っておくと、紐巻きとの間に浮きが生じやすい。
それで麻紐巻きだけの内底は、離型用のガムテープにいくらかくっつているのを注意して切り離す。
内底の糊漆の膜(皮)を刃物の先で削っておく。
今までは、棒の先に布砥#40とか#80を両面テープで貼って、内側を空研ぎしていた。
今日は、3MのMEDIUMを両面テープで貼って使ってみた。
隅の方があまり上手く研げないが、使えなくはない。
夕方、カーマでポリネットを探し、#180を買ってきた。
棒の幅の1cmあまりの幅に切り、細い棒を当て木にして、隅の方を空研ぎしてみた。
長めに切っておいたので、手で押さえて使うと、使えそうな感じ。
2月15日(日)
昨日、今日と暖かい日で、車の中は暑いくらいだった。
昨日は輪島漆芸美術館へ「第26回日本伝統漆芸展」を見に行く。
能越道の無料区間の高岡氷見間を通り、羽咋、田鶴浜経由で2時間半弱。
「うるしの話」(松田権六著 岩波新書)のp74の「研切り蒔絵」の説明では、墨絵蒔絵ともいい、濃淡を表現するとある。
p54には、「溜塗り」は赤い漆・青い漆・黄色漆などを下塗りしたうえに透漆を塗放しにしたものをいうとある。
前者に関しては、内側でも濃淡の表現になっているのかな?と、、、
塗りだけの作品は少なかった。
透明感がある作品とか、立体感に濃淡を付けて別の雰囲気を加えるとか、、、
図録を買い、友の会2年分。
住吉神社のところで曲がり、行くと去年見当たらなかった橋久さんがあった。
クジラ箆もないとのことで、絹布などを買っただけ。ビンツケはあるそうだ。
四十澤さんで生漆と油なし朱合漆(注文はスグロメの透漆でしたが)を買う。8700円だった。
2時過ぎに8番ラーメンで昼食。
帰りは眩しい中を運転せずに座っていた。
少しだけ漆の仕事をしてから、支部の50周年記念誌用の漆芸展の今回の分を記録した。
インターネットでは載ってなかった地名で、初入選の方が故郷に帰られたと分かった。
作品は静かな雰囲気があってよいと感じた。
エクセルで纏めていたのだが、関数がどこで狂っているか分からないが、集計が一つのシートで正確にできなくなっていた。
直すことが出来ず、狂っていないシートの合計のところから=で持ってくるようにした。
今日は、開会式だけ無料という友の会の招待券を持って、石川県立美術館へ行く。
予想より時間がかかり50分余りかかってやっと着いたが、混んでいて博物館側の駐車場へと誘導される。
「百万石の大名展」、見ているうちに腰が痛くなってきた。
鎧・兜。書や絵巻。綱紀のスケッチやメモは、字はほとんど判読できなかったが、写生は上手かった。
鐙や鞍への金工の象嵌、文房具。蒔絵も手が込んでいる感じがした。
「達磨渡江図」(狩野探幽)なんか、すっきりした線で無駄なく表現されていた。
公募展とは違い、迫力があるものが多い。
2階の展示は、疲れでさらさらと見て歩いただけ。
鑑賞のポイントが書かれていたのは、そう観るのかと感心した。
雉の目を少し彫りこみ、すっきりしたくちばし、首の僅かな傾き(?)、羽一枚一枚に輪郭(色も)とかなんとか、、、(記憶違いもあるはず)。
帰りは山側環状ではなく、昔の道を戻るが、極端には時間は変わらないようだ。
午後は、エクセルで関数を打ちなおしてみたが、集計はやはり正しくはならなかった。
縄胎の酒盃が出来ないかという話を聞いたとき、時間的に無理なので断ったが、暇を見て作ってみようかとイラストレーターなどで平面図を作図して印刷。
それからデジカメを見に出かける。
CDにコピーした漆芸展の記録を持っていったが、誰も出てこなかったので、玄関に置いてきた(夕方、電話があった)。
新聞のチラシで見て比較していたのと同じままだったので、砺波では買わず、戸出に行く。
値段で1000円のほかに、4Gのメモリーも付いているという差があったので、100満ボルトで買う。
修理代が10000円と言われたサイバーショットに使った費用より2万円ほど安くLumixを買うことができた。
説明書はまだ途中までで、時刻設定とフラッシュの設定をした程度。
今日もほとんど漆の仕事をしなかった。
普通のサラリーマンなら何の不思議もない休みの過ごし方だろうが、、、
2月10日(火)
極端な不況になったという感じで、約3年前から勤め出したところは、急に休みだらけになった。
週休3日、祭日も休み、、、
漆をする上では、逆に理想的な生活になったといえるはずなのに、そんな気はしない。
漆をしたって収入の目途は、今のところ全くないし、昨年までも支出をはるかに下回る程度しかなかった。
役目でも、仕事でも動き出せばそれなりに頑張りはするが、勤めるのはやはり収入のためである。
かなり少ないといえたものが更に減ることになる。
失業ということになれば、収入が無いのに、社会保険やら食費・電気・ガス、、、
自分で麻布を貼り、塗って使っている椀に不満はない。
「伝統」と言うから漆に現代性が無いとかいう人がいるようだ。
読書をしない人に「古典」が意味がないだけなのと同様、漆器を使ったことが無い人に「伝統」が時代遅れの感を与えているだけた。
現代まで生き続け、時代を超えるものがあるから「古典」なのである。
生命体として、漆を手にすれば、温かみがある。
塗りたての漆には、多少臭気がある。
体験的な話になるが、熱湯を目一杯入れておき、そのまま冷めるまで待つ。
すごい臭気が出るが、そういうことを3回ぐらい繰り返せば、臭わなくなる。
先週、市の方から、伝統工芸品の紹介に関する話が来た。
元は県の商工関係から来ているらしい。
売り上げがほとんどない立場なので、伝統工芸品と言えるのかどうか。
作家的なことしか書くことが無かった感じ。
1月11日(日) 漆は安い?高い?
昨日の新聞に挟まっていた広告にクロスランドでの骨董市があったので、今日出かける。
会議室との表示で、会議室がどこにあるか、建物の見取り図を見る。すぐ横だった。
所狭しと掛け軸や陶器が並んでいた。
見方を知らないということがよく分かったというのが本音。
広告では、石崎光瑶、酒井抱一、下保昭、斉藤清策、横山一夢、辻志郎、、、江戸から昭和の名(今も活躍中の人もいる)が並んでいた。
美術館で見ているのとは違い、はっきりしないものが多い。
鑑定団のようには、全く見ることが出来ない。
漆に関しては、葵の御紋が入った棚があったが、単なる平蒔絵だった。
蒔絵に関しては、一部高蒔絵があるだけで、ほとんど平蒔絵。
厚貝の卓もあった。
三三九度の盃は値段が出ていなかったが、蒔絵が無ければ、(木地として)ほしい気がした。
お椀5個組が1万円など、漆の値段が極端に安い。
陶器は数万円とか、浜田庄司のが20数万円とか、骨董の世界は何か違う。
漆は痩せこみ、陶器は変わらない。だから陶器は高い?
掛け軸も、見て分からないから、どれがほしいかという観点で見たが、そんなにほしいのはなかった。
修理しながら使い続けるという日本文化が、寺院などの建築、彫刻、漆。
開設したというギャラリーを探しに津沢に行く。
よく分からず、津沢コミュニティセンターの敷地に入ると、そこにあった。
日曜は休館らしく、閉まっていたので、叔母のところへ行く。
従姉と骨董市のことなどを話し、立山を1本買って帰る。
縄(紐)胎杯は、陶器と違い、熱の冷め方が優しい。
使ってみれば違いがわかるが、値段が、、、
水指の摘みをラミー縄で作ってみようとしている。
芯に針金を通そうとしてみたが、先を削って針のようにしても、通らない。
縄をほどいて、その間に針金を巻きこもうとしても、駄目だった。
結局、生漆を吸わせ、半円形に洗濯バサミで挟んで保ち、固めた。
二日後、糊漆を渡し、凹部以外の糊漆を拭き取る。
問題は、取り付けた後、抜けおちないかという強度にある。
1月3日(土) 原型作り
休日としては今日まで6日続いた(明日も一応休日だが、新年会で何もできないだろう)ことになる。
いつもの休みは、外出もしたいし、ぶらぶらもしたいと、あまり漆の仕事はしていない。
粘土原型とか、石膏とか、時間のかかることを何とかこなすことが出来た。
粘土原型は、一度に粘土を盛る今までのやり方から、アクリル平面定規に近い部分から順に積み上げるというか、作り上げる感じに変えると、割合きれいにできた。
甲面とか、裏底の平面に近い面が今までガタガタになっていたのが、側面や肩や腰を作ってしまっているので、引っ張られることなく、楽にできた。
石膏も、柔らかいうちにかけてみると、かけ残しもなくなったし、締まる前に薄い部分に渡し直すことも出来た(今までも渡し直すことはしてはいたが、、、)。
水分比を多くして柔らかくするのではなく、回す時間が少ないうちに使う。
長い麻縄を作ろうと、昨日、以前に思いついたことを実行してみた。
撚りを入れる長さは、部屋の構造上、数メートルが限度。
それ以上の長さをハンドドリルのところで束ねておいて、必要なところに撚りを入れてみた。
2本の撚った紐を絡ませるのがあまり上手くいかず、アイディア倒れかも?
今日は、水指の摘みを麻縄で作ったらどうかと数ヶ月前に思いついたことを実行してみた。
何度も撚っては、中間で折り曲げ、絡ませて反対に撚るのを繰り返したのは、固くはなるが、見た目にきれいではない。
太いラミー紐を3本合わせて、撚り、絡ませ反対方向に撚りをいれてみた。
5本でもやってみる。三つ編みとは…と順に入れ替わる方法を考えたり、、、
3本合わせて撚ったのが一番きれいに見える。
新年になったとはいえ、まだ日の出は見ていない。
日の入り少し前の太陽にはやっと出会えた。
今日届いた年賀状にあった「〜」の意味・・・endure